克己「(理想とする監督は?)アルディレス監督です。選手時代に楽しくサッカーできましたし、パス回しやシュートだけで(練習が)終わる時もありました。これで本当に大丈夫か?と思いましたけど、選手としては本当に楽しかったです。サッカーの規律ある中で、選手たちの良さを引き出せるようにしたいですし、少なからずその頃のエスパルスへ近づけるようにしたいと思います」(清水エスパルス公式 7月30日付)
克己エスパルスは何を目指すのか。
就任会見のコメントを読む限り、クラブの降格危機と監督を途中交替することの効果の少なさに対する認識は伝わる。ましてや柏戦を快勝してしまったことで、監督交替というショック療法はもはやない。何という間の悪さだろう。
就任初戦の東京戦の惨敗は何とも評価が難しいゲームになってしまった。
清水エスパルスのレジェンドである大榎克己は長谷川健太同様、監督の座を約束された男であった。
鈴与の鈴木与平会長はかつてもうひとりの三羽烏である堀池巧にこう言ったという。
「三羽烏がフロントに入ったときこそ、エスパルスは本物のクラブになる」
この言葉に偽りはないと思う。そして表現の差こそあれ、この「ヴィジョン」は長年エスパルスをサポートし続けてきた人間は誰もが共有しているものだろう。だからこそ、克己の就任はほとんど約束されたものであったと言っていい。
こんなことを書くから嫌われるのだが、クラブ設立に関わる地元生まれのレジェンドがいて、創設から継続する、混じりっけのない物語を紡ぎ続けているのは、日本では清水エスパルスだけで、だからこそ清水エスパルスは問答無用のサッカー王国を代表するクラブだったのだ。
しかし、だ。
前回の健太体制が誕生した経緯もあんまりだったが、今回の克己就任もあまりにもスクランブル過ぎないだろうか。
健太も克己も約束された身とはいえ、とてもではないがレジェンドを遇するタイミングではないし、フロントが「真剣」に状況を検討して、依頼したようには思えない。
結果がどうあれゴール裏は克己エスパルスの船出を後押しするしかない。
昨日の惨敗後もゴール裏は克己と彼のチームを鼓舞し続けた。
それはまるで3年前の神戸戦で1-5で惨敗しながらも、それでもスタンドはチームを鼓舞し続けたのと同じことだろうと思う。
最後にアルディレスが自著のタイトルに使用したキップリングの詩を引用する。
もしかしたら清水エスパルスにとって第二のアルディレスになれたかもしれない男と彼のチームのことをオレは忘れることはない。そしてオレは彼をそうさせなかった人たちのことも忘れないだろう。
まあ、それもまたオレたちの物語である。
<もし周囲の人がみな度を失って あなたを非難しても 落着きを失うことがないなら
もしみんなの者があなたを疑っても 自分に確信を持ち 人の疑いを思いやることができるなら
もしあなたが待つことができ 待ちくたびれることがないなら
もし偽りを言われても 偽りを返さないなら
そして善人ぶったり りこうぶったりしないなら
もし夢を持っても その夢に振り回されないなら
もしよい思いが浮かんでも それを最後の目標としないなら
もし勝利を得ても 敗北をなめても 勝利に酔わず 敗北にくじけないなら
勝利と敗北のふたりの詐欺師を同じように扱えるなら
もしあなたの語った真理のことばが 無頼の徒によって
愚か者をとらえるわなとしてゆがめられるのを聞いても 耐えることができるなら
もし心血を注いだものが破壊されるのを見て 腰をかがめてそれを拾い 古い道具で再建するなら
(中略)
地はあなたのもの そこにあるすべてのものもあなたのもの
――私の子よ もうあなたは一人前だ>
(ラドヤード・キップリング「もし」/『人生の訓練 新版』V・レイモンド・エドマン/海老沢良雄・翻訳/いのちのことば社)
<自分としては、サッカーの試合の結果などにできるだけ影響されないようなふりをしています。しかも本当はふりをするのではなく、実際そういうことに影響されないよう心がけたいと思います。キップリングの有名な詩があります。
あなたがそれら二人のペテン師とうまくつきあうことができれば、
勝利と時も敗北の時も
あなたがそれら二人のペテン師と同じようにつきあうことができれば
あなたは男なのです
しかし現実はそう簡単なものではありません。私はまだサッカーを生きているからです。>
(『勝利の時も、敗北の時も』オスヴァルド・アルディレス/鍋田郁郎・構成/NHK出版)
克己エスパルスは何を目指すのか。
就任会見のコメントを読む限り、クラブの降格危機と監督を途中交替することの効果の少なさに対する認識は伝わる。ましてや柏戦を快勝してしまったことで、監督交替というショック療法はもはやない。何という間の悪さだろう。
就任初戦の東京戦の惨敗は何とも評価が難しいゲームになってしまった。
清水エスパルスのレジェンドである大榎克己は長谷川健太同様、監督の座を約束された男であった。
鈴与の鈴木与平会長はかつてもうひとりの三羽烏である堀池巧にこう言ったという。
「三羽烏がフロントに入ったときこそ、エスパルスは本物のクラブになる」
この言葉に偽りはないと思う。そして表現の差こそあれ、この「ヴィジョン」は長年エスパルスをサポートし続けてきた人間は誰もが共有しているものだろう。だからこそ、克己の就任はほとんど約束されたものであったと言っていい。
こんなことを書くから嫌われるのだが、クラブ設立に関わる地元生まれのレジェンドがいて、創設から継続する、混じりっけのない物語を紡ぎ続けているのは、日本では清水エスパルスだけで、だからこそ清水エスパルスは問答無用のサッカー王国を代表するクラブだったのだ。
しかし、だ。
前回の健太体制が誕生した経緯もあんまりだったが、今回の克己就任もあまりにもスクランブル過ぎないだろうか。
健太も克己も約束された身とはいえ、とてもではないがレジェンドを遇するタイミングではないし、フロントが「真剣」に状況を検討して、依頼したようには思えない。
結果がどうあれゴール裏は克己エスパルスの船出を後押しするしかない。
昨日の惨敗後もゴール裏は克己と彼のチームを鼓舞し続けた。
それはまるで3年前の神戸戦で1-5で惨敗しながらも、それでもスタンドはチームを鼓舞し続けたのと同じことだろうと思う。
最後にアルディレスが自著のタイトルに使用したキップリングの詩を引用する。
もしかしたら清水エスパルスにとって第二のアルディレスになれたかもしれない男と彼のチームのことをオレは忘れることはない。そしてオレは彼をそうさせなかった人たちのことも忘れないだろう。
まあ、それもまたオレたちの物語である。
<もし周囲の人がみな度を失って あなたを非難しても 落着きを失うことがないなら
もしみんなの者があなたを疑っても 自分に確信を持ち 人の疑いを思いやることができるなら
もしあなたが待つことができ 待ちくたびれることがないなら
もし偽りを言われても 偽りを返さないなら
そして善人ぶったり りこうぶったりしないなら
もし夢を持っても その夢に振り回されないなら
もしよい思いが浮かんでも それを最後の目標としないなら
もし勝利を得ても 敗北をなめても 勝利に酔わず 敗北にくじけないなら
勝利と敗北のふたりの詐欺師を同じように扱えるなら
もしあなたの語った真理のことばが 無頼の徒によって
愚か者をとらえるわなとしてゆがめられるのを聞いても 耐えることができるなら
もし心血を注いだものが破壊されるのを見て 腰をかがめてそれを拾い 古い道具で再建するなら
(中略)
地はあなたのもの そこにあるすべてのものもあなたのもの
――私の子よ もうあなたは一人前だ>
(ラドヤード・キップリング「もし」/『人生の訓練 新版』V・レイモンド・エドマン/海老沢良雄・翻訳/いのちのことば社)
<自分としては、サッカーの試合の結果などにできるだけ影響されないようなふりをしています。しかも本当はふりをするのではなく、実際そういうことに影響されないよう心がけたいと思います。キップリングの有名な詩があります。
あなたがそれら二人のペテン師とうまくつきあうことができれば、
勝利と時も敗北の時も
あなたがそれら二人のペテン師と同じようにつきあうことができれば
あなたは男なのです
しかし現実はそう簡単なものではありません。私はまだサッカーを生きているからです。>
(『勝利の時も、敗北の時も』オスヴァルド・アルディレス/鍋田郁郎・構成/NHK出版)
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