徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

思い出の2011年

2011-12-31 17:58:57 | News
あまりにもいろんなことがあり過ぎて振り返ることも難しいのだけれども、大晦日ということで2011年を振り返る。

3.11以降の一週間は今でもまざまざと思い出すことができる。
あの、何かに浮かされ急かされたような東京の熱っぽさは、終末感というよりも……年末感だった。そのとき「逃げる」判断ができた人たちはどうしたってごく少数だっただろうし、正直、オレ自身もそんなシリアスな「パニック」にリアリティを感じられなかった。
あまり意味のなさそうな買い占め、薄暗い商店街を早足で歩く人々、そんな生活感のある「静かなパニック」だけがリアルだった。個々に事情はあるにせよ、オレにとっては今ここ(東京)にいて、空気を感じ続けることがだけがリアルだったのだと思う。

だから大晦日の今日は、あのときの雰囲気を十分に思い起こさせる。

3月はひたすらテレビとネットを観ていた。予定はストップしてしまい、大してやることもなかった。
それでも4月は動き始めた。「天罰」という言葉で始まった都知事選に都民は何の変化も求めなかったが、同じ日、オレは芝公園23号地へ向かった。もう何もせずにはいられないという衝動に突き動かされて、それ以降30回以上は反原発デモや抗議行動に参加した。

だから2011年は何をしていたか?と問われれば、ほぼ毎週デモってましたという他ない。

「あの日」に大災害と事故が起こってしまい、日常が変わってしまったのだから、その中で突き動かされるままに行動するのは当たり前のことなのだ。もちろん「変わった」ということを受け入れ難い人たちはいるだろう。しかしオレたちはこれからも「事故を起こした原発」という負の遺産を背負いながら、変わってしまった日常を受け入れられない人々に向けて伝え(デモり)続ける。
取り返しのつかない事故は本当に起きてしまった。オレたちはどうしたって変わらなければならない。変わることを受け入れ、選択するより他はない。

今日新しい靴を買った。
ワインレッドの、なかなかかっこいいトレッキングシューズだ。
今年デモに履いていった靴はずいぶん踵が磨り減ってしまったので、来年はこれを履いて街を歩く。

ベストゲーム

2011-12-25 02:58:47 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
ちなみに名古屋戦と共に今季のベストゲームはタカのカウンターがハマりまくって、エディのキャノンが2発決まったアウエイ浦和戦と、残り15分で完全にスタジアムが発狂状態になったホームセレッソ戦。
特にセレッソ戦、あれは生で観ないとわからないスタジアムの醍醐味。

タカが自費で被災地の少年たちをスタジアムに招待していたのも感動的だった。

「共に戦う」ということ/2011年シーズン終戦

2011-12-25 02:46:57 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
天皇杯準々決勝のセレッソ戦敗退をもって清水エスパルスの2011年シーズンは完全に終了した。
明日より来年1月2日までチームはオフに入る。来年はサウス・チャイナ (香港)、広州富力 (中国)、城南一和(韓国)が参加する「2012 Asian Super Challenge Cup in Hong Kong」に出場するために、例年より早い始動となる(1月23日開幕予定)。
この大会、気になるのは2011年に国内タイトルを獲っているサウス・チャイナ (香港)、城南一和(韓国)というクラブの格と比較して、国内2部リーグのクラブである広州富力と並べられてエスパルスがサウス・チャイナ 、城南一和の噛ませ犬扱いにされるんじゃないかという懸念がないこともない。だが、まあ(再来年以降の)来るべきACLの前哨戦として、価値ある戦いを見せて欲しいものである。

さて。
その前に今年のエスパルスを振り返る。
1年前の今頃は悲壮感漂う中で天皇杯予選を戦っていた。準決勝、エコパでのガンバ戦では健太エスパルス総決算ともいうべき内容で完勝した。そして今年元日の決勝では、ゲーム終了後のゴール裏とプレーヤーとのやり取りを含めて、6年に渡った健太エスパルスは大崩壊し、2011年のエスパルスは何とも凄まじい1年のスタートを切った。
1月後半からアフシンのチームがスタートしたものの、3月の開幕までのエスパルス周辺は岡崎移籍の混乱もあり、まったくゼロからの新チーム始動という、ある種の清々しさよりも、大量離脱の混乱がまだ燻っていたように思う。オレ自身もアフシンと新チームには全面的な期待をしていた一方で、同時にオカとシュツットガルトとロベルト佃のニュースを必死で収集していた。
2月のマリノスとのPSMでは悪くない感触を得たものの、開幕戦は今季大ブレイクを果たした柏レイソルとの対戦で、0-3の完敗を喫してしまう。またしてもゴール裏では怒号が飛び交い、小競り合いが起こった。
第2節、3月12日のホーム開幕の鹿島戦は大変なことになるかもしれないと思った。

ところが<3.11>が起こってしまった。
もうサッカーどころではない。鹿島戦は大幅に延期され、オレ自身もオカとシュツットガルトとロベルト佃のニュースなんてどうでも良くなってしまい(良くないけれども)、その日以降はブログでのニュースまとめを止めてしまった。

震災は不幸なことだったけれども、しかしチームにとってこのブレイクは悪いことばかりではなかった。ただでさえ準備不足だったチームはリーグ再開までに1ヶ月以上の「猶予」を与えられた。その後、夏場の「0-4」3連敗や柏、鹿島、ガンバという上位クラブとの終盤での対戦で3連敗したことを考えれば、震災での中断を経てリーグ再開後からシーズン中盤までの好成績は、最終的には(勝ち点的に)十分なアドバンテージになった。順位は中位に止まったものの、一時は上位を狙える位置にまで順位を上げていたのは確かだ。
5月14日、ホームで神戸相手に1-5という惨敗を喰らった後、スタンドはそれでもアフシンとプレーヤーに拍手を送った。あの瞬間は本当に感動した。スタンドは、このゼロからスタートしたチームと「共に戦う」という姿勢をそこで示したのだと思う。その後、チームは順調に勝ち点を積み重ねていく。

しかし結局、チームはシーズンを通して安定したパフォーマンスを見せたとはいえない。
ポイントとなったのは6月22日、ホームでの川崎戦だったと思う。ほとんど勝ちゲームといった内容ながら、後半の早い時間に10人になった川崎を攻めきれずに逆に終盤に勝ち越しゴールを決められてしまったあのゲームだ。
その後も勝ち点こそ積み重ねるものの、明らかに綿密なスカウティングでワイドに拡がった両サイドが対策されているとしか思えないような、あまりにも危うい辛勝が増える。この時期、健平で勝ったゲームがいかに多かったか。安定しないディフェンスラインと攻め切れないオフェンス、今思えば「0-4」3連敗の伏線はそこにあったのだと思ってしまう。
アフシンはヨンアピン、ユングベリという大駒の補強でチームをテコ入れしたものの、その後の戦いは一進一退という形で決してスタンドを満足させるようなゲームは少なかったと思う。

今シーズンのベストゲームといえば、おそらくサポーターの7、8割方はホームでの名古屋戦ということになるのだろうけれども、あの伸二、フレディ揃い踏みの完璧なアフシンエスパルスを追い求め続けるのは正直現実的ではないだろうと思う。さらに言ってしまえばタカが出場していたら、あのゲームはさらに完璧なものになっただろうけれども、あれはまさに一年に一回のベストゲームというもので、あのクオリティを維持していくためには、どう考えたって伸二、フレディ、タカ以外の若手が成長しなければならない。

2011年は「変わる」ための種を蒔いた。
素晴らしいキャリアを持つベテランもさらに加わった。そして今年の春にスタンドは「共に戦う」意志表示をした。
今日の終戦を迎えてアフシンは言う。
「我々の選手というのは精神的に強くならなければいけないと思います。そしてチームに対する責任というものをもっと持っていかなければいけない。そして勝ちへのウエイトをもっと持たないといけないと思います。それが全てが揃うようでしたら、次のステップに進めると思います」(Sの極み 12月24日付)

2011年をエスパルスは最初から「チャンピオンになるため」の変化の年として位置付けている。そしてその通り、変化はそのまますぐには結果に結びつくとは限らない。今日の結果は残念としかいいようがないけれども、来季も「チームに対する責任を持つ」プレーヤーに、改めてオレも「共に戦う」意思表示をし続けたいと思う。

(追記)
ちなみに今年、またシュツットガルトは新潟期待の若手を強奪していった。脱原発のドイツ人だっていい奴ばかりじゃないのである。もうニュースはまとめないけれども。

「主役」は来なかった、が/12.19新橋駅前SL広場

2011-12-20 00:38:33 | News

新橋に出かける前にTLに流れる統一戦線義勇軍の針谷さん@giyuugungityouのツイートが目に入った。それだけで改めて「これは今までのデモとはちょっとわけが違うぞ」という気分になった。何と言っても普段はなかなかできない「直接対決」である。街頭といいつつ警備はそれなりに厳しくなるだろうし、いつものTwitnonukesとは違い、現場が怒りに満ちているのは明らかだ。
プラカードは途中でネットプリントしていくつもりだったのだけれども、メモっていたナンバーが既に期限切れだったので結局手ぶらで新橋に向かった。まあプラカードがなくても声がある。
正午手前に新橋駅に到着するとSL広場に横付けされた民主党の街宣車前はすっかり人で埋まっていた。とはいえ、立錐の余地もないというほどでもないので人をかきわけて前に進み、適当な場所を確保。
背広姿の警備はかなり目立って多い。蓮舫内閣府特命担当大臣がスピーチしている途中、前に立っていた子連れのお父さんが一瞬プラカードを掲げ、声を上げた。ただそれだけで背広姿の男たちが彼と小さな女の子を取り囲み、排除しようとしていた。
彼は激しく抗議し、当然のようにオレを含めて周囲にいた人間も抗議の声を上げた。
もうそれだけでムカムカしてきた。オレが目撃した排除の現場はそれだけだったけれども、そんなふうにプラカードを掲げただけで排除された人たちは何人もいたという。誰もが穏やかな街頭演説になるとは思っていなかっただろう。反原発だけではなく、街宣車の前に集っていた人たちは、さまざまな思いを抱えて怒りを露わにして隠すことはなかった。
なぜなら「彼ら」は確かに目の前にいるのだから。
しかし正午を10分ほど過ぎたあたりから街宣車の上の動きが慌しくなり、周囲に不穏な空気が流れ始めた。

そんなとき、先ほど男たちに取り囲まれていたお父さんが目の前でプラカードを掲げた。それはもう、街宣車の上のよくわからない動きに業を煮やしたといった感じで、今度ははっきりと、力強くプラカードを掲げた。
それが合図となり、それまで隠れていたプラカードも一斉に掲げられ、同時に怒号に似たコールが始まった。移動している間はまったく集まっている意識はなかったのだけれども、Twitnonukesの平野君やいつもの連中が近くにいた。プラカードがないぶんオレは声を出した。
もう街宣車の声はほとんど聴こえない。断片的に聴こえてきたのは「野田総理はここには来ない」という、ちょっと信じられない言葉だった(勿論、今思えば金正日の死去という緊急事態にあって、のこのこ槍玉に挙げられるわけにもいかないという事情も理解できなくもないが)。「主役」が来ないSL広場では急遽始まった「デモ」にテレビカメラが向けられた。
反原発グループは前列まで押し寄せて、一部のネトウヨから茶々を入れられながらもコールは15分、20分と続いた。
わずか30分ほどの出来事だったけれども、オレたちは剥き出しの怒りを表現できたんじゃないか。そう受け取って欲しい。
そして、これからもそうありたいと思う。

TwitNoNukesという行動/TwitNoNukes#7(12.17)

2011-12-18 19:35:38 | News

土曜日は渋谷・原宿でTwitNoNukesによる今年最後のデモ。
この日は原発都民投票の請求署名をして、どれだけ集められるかわからんけれども念のために署名の受任者にもなって、いつも通りに参加。

一応、今年最後のTwitterデモだったので、この9ヶ月を振り返って考えてみる。
Twitterデモが「初心者にも入りやすい敷居の低いデモ」というのは、もはや一度参加した人間からは普通に出てくる枕詞で、それはその通りだと思うんだが、翻って考えてみて、いくつかの独立・企画系のデモを含めても、おそらくTwitterデモほど継続して参加してもストレスが低いデモはほとんどお目にかかったことがない。独立系はそれぞれのスタイルがあるし、企画系はどうしたって参加者のパフォーマンスという呪縛から逃れられない。しかも平時ならともかく、原発事故という、時間がかかることを理解しつつも緊急性が高く(まさにアケミが歌った「ゆっくり急げ」そのものなのだが)、シリアスなテーマを扱う以上は「敷居が低い」ことが、まず最優先される。
初心者が入りやすいデモという評価は、それ以上の評価を必要としない。
つまり初心者が入りやすいということは、東京で(つまり日本で)これ以上のデモはないということである。

Twitterデモはシングルイシューを堅持した上で<デモンストレーション>の意味に沿った「拡がり」を目的としている。
3.11以降、ここまで短いスパンでコンスタントに行動を続けてきたデモはなかったと思う。しかも参加者も大幅に減ることがなく、まだまだ少ないとは言え歩行者を巻き込み続けた。勿論「拡がり」続ける以上、コールの中には了解できない表現や表現方法もないことはないが、それ以上の選択肢がTwitterデモの「拡がり」の中にはある。了解できなければ移動すればいい話である。
またシングルイシューを主張すると、「そこ」からこぼれ落ちるものがあるのではないかと過剰に心配する人たちが出てくる。これは前回も書いたシングルイシューやシンプルなコールに不安や物足りなさを感じる人たちとイコールな人種なのは言うまでもない。2回目以降のTwitterデモの実行有志はそういう類の人たちのストーカー気味の批判に晒されてきた9ヶ月でもあった。彼らが批判に対して激怒したり凹んだりしている姿(は見えないけど、まあツイート上、という意味で)も見たが、放り出すこともなく、さらに動きを加速させていったことは心強いものであった。
まあ仮に“誰か”が止めてしまっても、また“別の誰か”が引き継いでいけるということを提示したのが、2011年のTwitNoNukesが素晴らしかったところだとは思うけれども。
“別の誰か”というのは特定の“誰か”ということではなく、参加者ひとりひとりということである。

この日はTwiterデモの華であるSAYONARA ATOM@sayonara_atomがイラストレーションを担当し、主要スタッフである野間@kdxnさんが編集した「デモいこ! 声をあげれば世界が変わる 街を歩けば社会が見える」が先行販売された。実行委員会形式ではなくあくまでも実行有志という形を取り続けるTwitterデモは「誰にでもデモはできる」とTwitter上で提示し続けた。春に活動を開始し、ほぼ毎月デモを主催し続け、そして今年最後のデモにガイドブックという形で「マニュアル」をリリースできたのもTwitterデモ(TwitNoNukes)の素晴らしい成果だったと思う。

500冊ぐらい持って来ればいいのにとも思ったが、「デモいこ!」100冊+10冊はデモスタートまでに完売したという。内容については、まあ編集者の端くれとしては「もう少しいろいろできたんじゃねーの」とは思わないでもないけれどもw企画から申請、広報という流れを押さえつつ、プラカードのように手に持って歩くのもよしという装丁も含めて、良い意味の軽さがあるのはいい。

Jリーグクラブのサポーターであるオレは、基本的に「サポーター」という形を通してTwitterデモ(TwitNoNukes)の活動を見ている。サポーターにしても、デモ参加者にしても、「イベントに参加するお客さん」ではなく、それぞれが当事者意識を持ち、情報を共有していくという視点が重要なのであって、それなしにクラブ(チーム)もデモも情熱のある継続性など望むべくもない(2011年は、一部の、わけのわからない実行委員会に「指導」されるデモなんてものは「数」以上の意味はほとんど持たないことを改めて明らかにしてしまった)。
ということで、あなたがサポーターだと思えばあなたはすでに愛するクラブの一員であり、キミがTwitterデモを必要としていると思うのならばキミはもはやTwitNoNukesの有志なのである。実際に「オレが行って声を出さなきゃ負けちまう」とその気になっている人は少なくないと思うのだ。
そして「普通の人たち」をその気にさせてしまったTwitNoNukesは中途半端に行動を終わらせるわけにはいかなくなった。
なぜなら、その気になってしまった人たちがいる限り、「TwitNoNukesという行動」は終わらないからである。野田首相が勝手に収束宣言したところで、結局何も終わっちゃいないのだから。

勿論この動きは来年にかけても続く。
次はパシフィコ横浜で開催される脱原発会議で行われる予定の首都圏反原発連合としてのデモ(1月14日)…かと思ったが、明日JR新橋駅前のSL広場で正午から野田首相が街頭演説を予定しているという。
そろそろ行動しませんか、ね?

7.23の思い

2011-12-16 14:20:26 | News
今年を振り返るのはまだちと早い。
のだが、明日TwitNoNukesが今年最後のデモを行う。

やはりきっかけはTwitNoNukesの7月23日デモだった。
実行有志や参加者たちへの信頼感を改めて覚えたのは7.23だった。
デモの継続を確信したのも、自発的でシンプルなコールの高揚感を初めて共有したのも、デモに対する街の風景が変わっていく実感を覚えたのも7.23だった。
それ以前もデモっていたし、それぞれのアクションにそれなりの高揚感はあったのだけれども、どう見たって、やはりデモに対する“何か”が7.23で変わったのだ。
一部の下らない連中が引っ掻き回した4.30の内紛は雨の5.28を経て7.23で仕切り直された。今思えば7.23が素晴らしい出発点(リスタート)になったのは当然といえば当然なのかもしれない。



7回目のTwitterデモ。3.11以降まったく変わらぬご都合主義の冷温停止発表と幕引き宣言をぶっ飛ばしていきたいものである。
この動きは来年にかけて加速するよ。

12.17脱原発デモ@渋谷・原宿
日時:2011年12月17日(土) 13:30集合
集合場所:代々木公園ケヤキ並木南側(東京都渋谷区神南2丁目1)
主催:TwitNoNukes 脱原発デモを実行するTwitter有志

オレたちの絆、連中の絆/九電東京支社前

2011-12-13 11:38:55 | News
昨夜はノイホイ@noiehoieさんが九電東京支社前で(ひとりで)抗議行動するというので、打ち合わせのあと有楽町へ。
ノイホイさんのスピーチはこの九電東京支社前抗議でしか聴いたことがないんだけれども、相変わらず核心へぐいぐい突っ込んでいく展開が素晴らしい。

今回はエクストラという感じで急遽集まったので参加者は少なかったけれども声は出ていた。まあこれまでも九電東京支社前には出す気満々の連中が「個人」として集ってきていたのだから、それは出る。個人的には週末の出来事があまりにも不完全燃焼だっただけに、短い時間だったけれども良いアピールができたと思う。
関連ツイートを読むと、またもやデモにクレームをつけた人もいたそうだけれども、その反面、今回もビルを振り返ったり、プラカードをじっと見てくれる人も少なくなかったし、「原発いらない」「私もいらない」と呟きながら通り過ぎていく人たちも何人かいた。それだけでそこに立つ人間は救われる。しかし彼らが本気で、本当に動いてくれなければ原発の「絆」で縛られる人たちは救われない。路上に立つこと、路上を歩くということは、絆を解き、また絆を結び直すことでもある。
上から降って来る「絆」ってのは実に怪しいもんだけれども、オレたちはオレたちの絆を結んでいこう。
一緒に立ったり、歩いたりするだけなんだから誰でもできる話さ。

シンプルを我慢できない人たち/ちばアクション船橋デモ

2011-12-12 03:43:47 | News


今日はちばアクションの船橋デモに参加。
警官や歩道の一般人に喰ってかかるおじさんが約一名いたので、周囲の人たちと一緒に彼をなだめながら歩いた(まあ、話せばわかる)。警官の方もデモ隊の間隔を詰めるために参加者を手で押すという、ちょっと信じられないようなこともしていて、牧歌的なのか、緊張感がないのか、何ともよくわからない雰囲気でデモは進行した。

で、だ。
もう昨日の野音と同じような感想しか書けないんだが、ここでも長文のシュプレヒコールをただ分解しただけの何とも締まらないコールがだらだらと繰り返された(女性コーラーの巧拙は置いておく)。
では30、40分程度の短いコースで、何というフレーズで一番参加者の声が出ていたのか。
それはどう考えたって、参加者の極めてシンプルな意志表示である「原発いらない」「原発止めよう(止めろ)」だったはずだ。
必要なのはただそれだけである。
都内のデモならばドラム隊のリズムキープで、このシンプルな言葉(コール)のループでさえもリズムのひとつとして成立し、路上の歩行者に伝わっていく。オレは説明が必要なまどろっこしい「言葉」はプラカードで表現すればいいと思うし、歩行者にとっては路上を移動していく風景でしかないデモで、説明が必要な言葉(コール)を繰り返すのはあまり意味がないと思っている。大事なのは「私たちは何を訴えているのか」という短く、シンプルな表現しかない。それが路上の存在証明というものである。
しかし一方でこのシンプルな言葉に不安を覚えたり、物足りなさを感じる類の人間もいる。今日のデモで繰り返されたのは、そういう類の人たちの「シンプルが我慢できずに織り込んだ伝わりにくい言葉」の数々であり、実際それが歩行者に伝わっていたとは思えない。労組風の主張を織り込みながら「一緒に歩こう」と呼びかけたところで、何だかよくわからない集団と「一緒に歩く」などというお人好しなど現れるはずがないのだ。
せっかく路上に出てデモっているのだから「たくさん言いたいことがある」という気持ちはわからないでもない。しかし私たちは「原発いらない」と表現するために集まり、歩いているのだ。
これだから「右から」デモの方が余程清々しいと思う。彼らはあえてイデオロギーこそ装っているが、デモに関して反/脱原発以外の主張/表現は一切しないし、シュプレヒコールのスタイルも一貫している。

アンケートにも答えたので、もし関係者が見ていたら考えて欲しいのだが、本当に歩行者に参加を呼びかけ、拡がり、つながっていこうとするつもりならば、このスタイルで続けるのはちょっと苦しいと思う。
東京の形だけ真似たってこんなんじゃ路上は巻き込めないぞ。

あえて「その場所」で歩いてみた/「がんばろう!さようなら原発1000万人署名」12.10集会

2011-12-11 12:58:45 | News


今週(先週)はフクシマに「寄り添う」某芸人兼ジャーナリストさんと何度かTwitterでやりとりをして、何とも嫌な気分になっていた。彼女の目から見た首都圏のデモは「福島を知ろうとしない」人たちのデモで、福島の人たちの中には「少し白々しく思っている人も多い」(←この「少し」「多い」という書き方は実に嫌らしい)という。
そんな悶々とした気分で参加した野音での「がんばろう!さようなら原発1000万人署名」12.10集会は、オレにとって皮肉にも彼女の言葉を裏付けるような印象を残した。
いや、正確に言うと、オレ自身があえて「その場所」で歩いたとも言えるんだけれども。
もちろんデモのスタート前には隊列の順番はアナウンスされていたし、彼らにわざわざ近づく必要はない。ただマゾヒスティックな体験をしただけの話である。

今回は本当にデモの最後尾、参加者の所属を示した鮮やかな幟を立てた組合系の隊列の最後尾で歩いた。彼らは「シングルイシュー」ではなく、まさに「マルチイシュー」の集団である。
路上に出るまでも嫌な予感はしたのだけれども、この集団のコールリーダーは明らかに反原発に便乗した自分たちの主張をコールの中に織り交ぜていた。それは「3.11前から」云々という言葉を使っていたことでも明らかだ。本当に最後尾を歩いていた周囲の人たちには申し訳なかったのだけれども、思わず途中で「それは関係ねえだろ!」と声を出してしまった。もちろん、わざわざ「そこ」で歩いているくせに文句言うな、という気持ちもある。それは申し訳ない。ということでかなり暗澹たる思いでゴールの常盤橋公園まで歩いた。隊列は盛り上がっていた、常盤橋公園でも全員が気持ち良さそうに雄たけびを上げていた。
しかし個人的にはまったくデモの力にはなれなかった気分である。
まあ、主張云々を抜きにして個人的な趣向を言ってしまえば、妙にエモーショナルで、抑揚をつけ過ぎるコーラーのリードは「他人」に声を出させる気が感じられなかった。「ハイ!ハイ!ハイハイハイ!」じゃないよなあ、まったく。おまえは「あるある探検隊」かっての…。
組合が参加することは、動員という意味では物凄く意味のあることだと思うし、事実、この日の野音を埋め尽くしたのも団体が動員した人たちだろう。しかし、やはり最終的には「個人」に戻っていかなければ力にもならないと改めて思うよ。

もちろん1000人以上の規模のデモになれば、当然隊列や参加する場所によって参加者の印象もまったく異なる。ましてや個人がデモ全体を体感し、把握することなど無理な話で、だからこそたった1回のデモ参加で良からぬ印象を持ってしまう人がいても仕方がない。まあ芸人やジャーナリストがそんなセンスやスタンスではいかんと思うけど。オレが彼女に独善を感じたのは、その「1回」で首都圏(東京)のデモに対してネガティブなツイートを繰り返していることだ。
オレはそれとは違う人たちも、違う場所もあることを知っている。
「そこ」で一緒に歩いて、伝えていこう。

12.17脱原発デモ@渋谷・原宿
日時:2011年12月17日(土) 13:30集合
集合場所:代々木公園ケヤキ並木南側(東京都渋谷区神南2丁目1)
主催:TwitNoNukes 脱原発デモを実行するTwitter有志


と書きつつ、今んところ17日は不参加の予定なのよ…残念。

市川森一 僕が描いたドラマの「負けっぷり」(再掲)

2011-12-10 09:53:55 | お仕事プレイバック
アテネオリンピック、女子レスリング準決勝で浜口京子が負けた時、父・アニマル浜口はテレビで見ているこちらが恥ずかしくなるぐらい、文字通り暴れ、身体全体で悔しさを表現していた。その後、3位決定戦に現れた浜口京子と父・アニマル浜口は、不思議なくらい気負いを捨てた清々しい顔で会場に現れた。そしてほんの数時間前の負けっぷりが不思議なくらい、見事な勝ちっぷりでメダルを獲得した。
日本人は4年に一度、日本人の勝ちっぷり負けっぷりを再確認する。白黒がはっきりつくスポーツの世界だからこそ、“その時”の振る舞いは国民性を写す鏡なのかもしれない。

“その時”とは勝ちっぷり負けっぷりを越えた、勝負の終わりに対する心持ち。
70年代から80年代にかけて映画、テレビドラマで描かれた日本人はどのように“終わり”を描いてきたのか。
思い出したのは『傷だらけの天使』最終回。
勝ちっぷりが鮮やかだった綾部さんは船中で逮捕され、勝ったり負けたりしていた辰巳さんは逮捕の瞬間、最後の最後で足掻いてしまった。情けない負けっぷりばかり演じていたオサムは風邪で死んだアキラを夢の島に捨てると、荷車を引きながら叫ぶ--「まだ墓場にゃいかねえぞ!」
ドラマとスポーツから日本人の勝ちっぷり、負けっぷりを考えます。

--今回は「勝ちっぷり負けっぷり」というテーマでお願いしたいんですが、結局これは、物事の終わり方をどうするか。終わり方の美学だと思うんです。終わり方の美学があるからこそ、単純な勝ち負けは、もう超えているんだと思うんですね。そのへんが、たとえば『傷だらけの天使』(日本テレビ系 74年10月~75年3月放送)であったり、『淋しいのはお前だけじゃない』(TBS系 82年6月~8月放送)というような、市川さんの代表作の中に表現されていると思うんです。

市川 そうですよね。挫折以外の青春があるのか、あの頃も、今もそう思っているのですけども。挫折し、打ちのめされてこその青春じゃないですか。自分の経験から照らし合わせてもね。だからその繰り返しでしかないわけで、『傷だらけの天使』も『淋しいのはお前だけじゃない』も。結構みじめな思いをさせられているよなあ--と日常、自分を振り返れば、そういうことでしかないわけですから。そうしたら自分をごまかさないで、とにかく無様なラストしか出てこないですね。でも、まだ終わってはいないと、またどうせ負けるんだろうけれど。なんか世の中見ていると、いい奴が、素敵な奴が勝つとは、絶対限らないわけですから。映画では(石原)裕次郎とか(小林)旭とかね、素敵な奴がなぜか勝ち残っていきますけど、現実はむしろ逆じゃないのと。

--また今日も『傷だらけの天使』の最終回を観て来たんですけども、あの辰巳さん(岸田森)の終わり方、じたばたしてすごくみっともない。でも、あれすごく感動するんですね。

市川 辰巳さんは、まさに作者の分身みたいなところがあるわけで、一番無様で虚栄心ばかりがあって、実態が伴わない。ほんとの土壇場の現実にさらされると、あたふたとして無力なね。

--でも、ロマンチストなんですよね。

市川 ええ(笑)。それで言えば(『傷だらけの天使』の最終回で)水谷豊か殺そうとしたのも、何か一番みっともない死に方ねえかなと思って書いたんですね。大体皆さんが想像するのは、路上で刺されてね、のた打ち回って死ぬ。でも『太陽にほえろ!』的な死に方は、あまりに格好いいと。一番みっともないのはやっぱり病気。それも風邪で死んじゃう。風邪こじらせて肺炎で死んじゃうのは、一番、人にも言えないっていう感じで(笑)。台詞にも多分あったはずですけど、「風邪で死ぬなんて、格好悪い」。同じような“仲間”がブラウン管の向こうから呼びかけて、俺たちはこうだけど、お前はがんばれよみたい。そういう呼びかけの方が、僕はいいんじゃないかなと思って書いたんですよね。当時はまだ僕も30代でしたから、ほんとうに自分もあの世界で、一緒にうろうろしていたんですね。だからあれは僕にとっては、生々しいドキュメンタリーだったんですね。
LB中洲通信2005年3月号

11勝12分11敗/第34節 G大阪戦

2011-12-05 17:46:20 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
アフシン「私は日本人から我慢するということを学びました。その意味では、良いレッスンを受けられたと思いますし、そのことに感謝したいと思います。ただ、私はつねに勝つという野望を持ってここまで来ました。だから、このチームでも勝者のメンタリティーや勝つ文化を定着させていくことをやっていきたいと思います。J1にいることで満足するのではなく、中位にいて満足することなく、来年は優勝カップを狙っていけるチームになっていきたいと思います」(J's GOAL 12月3日付


土曜日はリーグ最終節、アウスタでガンバ戦。
柏、鹿島戦同様にゲームの入り方は素晴らしいものだった。可能性は低いとはいえ優勝争いに加え、天皇杯敗退のためにこのゲームが西野朗のラストゲームになるというガンバとのモチベーションの違いを感じさせることもなく、実にアクティブに先制ゴールを奪った。ポストに救われたシーンもあったとはいえ、前半30分まではガンバのゴール裏を黙らせるには十分な戦いぶりを見せていたと思う。結果的にこのゲームのターニングポイントになったアレックスの決定的なシュートも含め追加点のチャンスは幾度もあったし、スタンドも熱気を帯びていた。ガンバは別としても、プレーヤーも、スタンドの観客も何らかのモチベーションからではなく、純粋にゲームとしての面白さに集中できていたと思うのだ。
しかしアレックスのシュートが外れた直後、海人の信じられないような判断ミスによって同点に追いつかれてしまう。エリアを飛び出してしまった以上、なぜカード覚悟でもイ・グノを止められなかったのか理解に苦しむ。
ここからDFの綻びが徐々に大きくなるにつれて、スタンドの雰囲気も目に見えて醒めていった。後半の序盤にも惜しいシーンはあったとはいえ攻撃は単発的で、GK、DF陣を中心にあまりにもつまらないミスが増え、こうなるとそれでも微かにあったはずの清水のモチベーションは急速に萎えていく。3失点目を喰らった後は、まるでゲームにすらならず、4失点、5失点してもおかしくない状況に陥ってしまう。リーグ最終戦のホームゲームだというのに、時間が経つごとにスタンドから人が去っていってしまうのだからお話にならない。ただでさえ微妙なモチベーションで戦っているプレーヤーが自らのモチベーションを萎えさせていく姿を見るのは辛いものである。

このゲームコントロールの稚拙さは、夏に喰らった0-4での3連敗を思い起こさせた。
要するに柏、鹿島、そしてガンバに喰らった終盤の3連敗も問題点は同じことなのだろう。それでもこの強豪相手の3連敗は決して手も足も出ないといった状況ではなく、ある程度までは五分以上の展開に持ち込むことができたという点では成長しているのだろうけれども、プレー以外の要素(レフリング)やつまらないミスの連鎖、集中力の欠如でゲームを壊してしまったという点では五十歩百歩なところがある(それでも柏戦は比較的集中力を切らすことなく最後までファイトしていたのだから、そんな清水をホームで破った柏が優勝するのは当然である)。
ゲームが終わった瞬間、プレーヤー数人がピッチに倒れたのはガンバの方だった。
結局ゲームに賭ける思いや燃焼度の違いは明らかだったと思う。

最高のゲームと最低のゲームを繰り返しながら2011シーズンは終わった。まさにそれはアフシンの言うとおり「我慢」のシーズンだったのだろう。11勝12分11敗という成績はそれに相応しい数字だったと思う。まったく一からのスタートで、何が「できて」、何が「できなかった」のか。それははっきりとした。



それにしてもオリヴェリラの鹿島と西野朗のガンバには勝っておきたかったなァ…。

まあ、今年のオフは去年の清水のように、激動のオフを迎えるクラブは数多い。
来季こそ、オレたちにはアドバンテージがあると思っているんだが。
そういう意味では、天皇杯は本当に大事なのである。17日の天皇杯千葉戦は、2011年シーズンのラストではなく、2012年シーズンの始まりにしてもらいたいものである。もちろん千葉戦はゴール裏で、全力でコールする。

2011年、最終節のテーマ

2011-12-03 04:04:56 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
いよいよ今日は2011年シーズンの最終節。
今月半ばにはアウスタで天皇杯予選が残っているとはいえ、やはり一区切りではある。

対戦相手のガンバは、10シーズン指揮を執った西野朗の(リーグ)ラストゲームであり、何よりも優勝を賭けたゲームというテーマがある。翻って我が清水エスパルスはこのゲームをどんなテーマで立ち向かうのか。
これが、まるでない、ように思える。
もちろん可能性は低いとはいえガンバが最後まで優勝争いに絡んでいることで、まったくの消化ゲームにならなかっただけでも、「若い」チームである清水にとっては必ず糧になることだろうし、それは今後の天皇杯での戦いにもつながっていくことだろうと思う(でなければ困る)。
いや、震災と原発事故で揺れたこの一年…の元日から激動しまくっていた清水に、テーマが本当に「まるでない」ってことはないし、「目の前で胴上げは見たくない」「ホームラストゲームで連敗は阻止したい」といったモチベーションはあるのだろうけれども、さまざまなエクスキューズも考えられる、実に難しいゲームになりかねない。
要は賭けるものがない中で、彼ら自身、そしてオレらがどれだけ勝利に対して貪欲になれるか、ということである。モチベーション云々はともかく、決してコンディションが良いとも思えないガンバをオレらのホームに迎えて負けるようでは困るのである。

激動としかいいようのなかった2011年シーズン、ずっとチームを温かく見守ってきたホームのスタンドが、どれだけ彼らを突き動かすことができるのか。そういうことでしかない。
日本平というスタジアムは、そういう熱狂を生み出せるスタジアムだと思っている。
今シーズンも、いくどもそんな熱狂を体感してきた。
天皇杯のために、来季のために、今日もそんな熱いゲームになることを祈っている。

アフシン「我々は最低でも彼らのモチベーションに合わせなければいけません。そして我々のチームがやるサッカーの勝ち方を見つけて行ければ良いと思います。(中略)満員になるファンがいます。そして我々の最後のホームの試合になりますから…それで我々のモチベーションが上がらなければ、何も上がるものは無くなってしまいます。エスパルスの誇りです。静岡、清水の誇りです。それがモチベーションだと思います」(Sの極み 12月2日付)

キープオン

2011-12-01 00:13:57 | お仕事プレイバック

映画化された際にキャッチコピーになった「やらなきゃならないことをやるだけさ。だからうまくいくんだよ」の通り、みうらじゅんさんの『アイデン&ティティ』(角川文庫)には、日本を代表するロック者たる、みうらじゅんの言葉のエキスがほとばしっている。テレビやラジオで見せるサブカルのおじさんという面からは想像もつかない、ロック好きにとっては、それはそれは宝石の言葉の数々が散りばめられているのだ。
『アイデン&ティティ』は「24歳」と「27歳」の2部構成になっている。それぞれボブ・ディランとジョン・レノン&オノ・ヨーコという巨大すぎるロック・アイコンが登場し、ロックに対して誠実であろうとしながら、それでも「日本のロックとは何か?」「日本人にとってロックとは何か?」を悩み、さらに自分の弱さに悩む主人公に対して、「ドラえもん」のような役割で励まし、メッセージしていく(あとがきでも書かれているように、冒頭、主人公の前に現れるボブ・ディランはドラえもんそのものだ)。
もちろん、ディランたちの言葉(歌詞)が宝石のような言葉であると同時に、現状の厳しさに挟まれて主人公は苦い言葉で吐きながら、苦しむ。

例えば、ロックを<卒業してしまった>、大学の元サークル仲間のサラリーマンの言葉に主人公は思う。

<みんなどうしてそんなに器用なんだ/学生の時は学生気分、社会人に成ったら社会人気分/この間まで長髪で僕といっしょに/ロックしてた奴がよ!>

<忘れてる…/いや、初めっからこいつらには/ロックなんて無かったんだ――/ほどほどにロックが好きで/ほどほどにバンドをやって/ほどほどにやめたんだ!>

90年代の日本に起きたバンドブームを背景にしたストーリーには、「大島渚」というバンドで活動したみうらさんの実体験とその想いが色濃く描かれている。バンドブームが去り、自分がロックを続けていく意味を見失い、物語のマドンナたる彼女に「音楽とは別の仕事をしていてもオレのこと好きか?」と訊ねてしまう主人公。
それに対して、彼女(みうらさん)は、こう答える(描く)。

<君の仕事は/その理想を追う/ことなのよ>

そして冒頭の主人公の言葉が導かれる。

<今日、来てくれた/みんなの心の中/にもきっと/住んでいる/ロックは/こう言うだろう/“やれる事をやるんだよ/だからうまく出来るのさ”って>
 
ロック・ミュージックに対して誠実に向かえば向かうほど、普通の家に生まれ、普通の環境で育った日本人リスナーは悩む。本当にロックが必要だったのかと。音楽は音楽として愉しめばいいのである。
しかし一時期、日本のロックは、それだけではキープできなくなってしまった。そういえばバブルの頃に発刊されたロック雑誌に、「ロックミュージシャンは不幸自慢しなければならないのか」などと投稿されていたことがあったっけ。あの頃、ミュージシャンのインタビューは「自分がロックである必然性」を必死に語っていたような時代でもあった。今でもキープオン・ロッキンできている飛びぬけた才能のあった一部ミュージシャンを除いて。
この『アイデン&ティティ』はその時代を気持ちを誠実に描いた、貴重な証言でもある。

以前、書いたことがあるけれども、みうらじゅんさんにお会いして取材した際に聞いた言葉で今でも心に残っている言葉がある(みうらさんはちょうど『アイデン&ティティ』の試写を観た直後だったらしい)。
 それが「キープオン」と言う言葉だ。
 この言葉だけ取り出せば、何のことやらわからないかもしれないけれども、こういう言葉を普通に言葉に出せる人にとっては、「卒業」など意味のない話だろう。好きなものを好きでい続けること、「キープオン」は好きでいる者にとっては当然のことなのだ。インタビュー中、口癖のようにみうらさんは「キープオンですから」「それはキープオンですよ」と繰り返していた。『アイデン&ティティ』や「大島渚」から、誠実なロック者であるみうらさんの側面(本質かな?)を知っていた僕は、その意味はすぐに感じ取ることができたし、それからことあるごとに、「ここはキープオンのしどころだ」と心の中で強く思って、物事に対峙するようにしている。(200504)