徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

さらばオリオン~七間町最後の日

2011-10-04 22:56:49 | 静岡・七間町で映画を観る会


日曜日は名古屋戦のような歓喜があった一方で、静岡で悲しい出来事もあった。
前々から気になっていたのだけれども、スタジアムに行く前に七間町に寄ってみたら、何とこの日が静活が運営する七間町の映画館4館の最終日だった(もちろん閉鎖になるというニュースは読んでいたのだけれども)。
何というデスティニー。

もう20年以上前に静岡から離れた人間ではあるのだけれども、70年代から80年代にかけて静岡の映画少年だった人間としては、こんなに悲しいことはない(もちろん映画街の全盛期は50年代から60年代…ということはオレの親世代だが)。勉強もせずに映画館行って、ポスター屋と輸入盤屋に寄るというパターンで小中時代を過ごした。80年代の半ばになると一時期映画も面白くなくなったこともあって、その頃には興味の中心が音楽に傾いて行ったけれども、それでも七間町の映画街というのは、間違いなく現在の自分を作った重要な記憶ではある。

ひと通り映画街を歩いたあと、青葉公園で煙草を吸っていたら猛烈な焦燥感に襲われた。もはや何もできないことに対して、そして守るために何もしなかったことに対する後悔に居ても立ってもいられない、ということである。



もちろんこのご時勢に、そして静岡の街の中心が変わろうとしている現在、繁華街の外れになってしまった七間町の映画街が、新しい街の中心にシネコンとして再起を図ろうとするのは、仕方がないが理解できる。
しかし日本平(アウスタ)というスタジアムが清水エスパルスとサポーターの記憶をいつまでも留めていくのと同じように、七間町の映画館という劇場は観る者の記憶を貯める場所である。
しかも劇場というものは一度壊したら、おそらく、二度と、建たない。特に静岡オリオン座というクラスの劇場の再建は、地方の場合ほとんど無理だろう。
「場」がなくなるというのは記憶をリセットしてしまう悲しさが伴う。
それはある意味「死」と同じである。



もはや何の劇場で、どの作品が、ということはないんだが、個人的に静岡の記憶がなくなっていくのは悲しい。
街の財産として、失われたものは小さくはない。

しかし、「七間町で映画を観る会」とかカテゴリーを作りながら結局1回しか行ってないことに後悔している。



アウスタから静岡駅に戻ってから酒を呑んだ。しかしおでん街あたりで酒を呑むとセンチメンタルになりそうだったので駅南で呑んだ。マジ泣きしそうだったからなァ…。

第9地区/静岡ピカデリー2

2010-04-21 03:39:53 | 静岡・七間町で映画を観る会
七間町で映画を観るシリーズ第一回目は静岡ピカデリー2『第9地区』

twitterにも書いたけれども、ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督なら完璧なコメディに仕立てあげそうな題材である。
凡庸な主人公が騒動に巻き込まれて、逃亡し続けるうちにいつの間にか全方面から追われる羽目になるというのはコメディー映画の定石。さらにニール・ブロムカンプ監督が主人公のヴィカスをプロの俳優ではないシャルト・コプリー(業界のプロデューサーだという)を最初から指名して「譲らなかった」というのだから、これはSFコメディー映画として観る方がナチュラルなんじゃないかと思う(勿論正しいとは言わない)。信じがたい事態に巻き込まれていくヴィカス、シャルト・コプリーの演技はまさにコメディー映画のそれである。

確かに南アフリカの状況は全面的に作品に反映されている。しかしパンフに書かれているような「社会派のSFドラマ」というフレーズにはどうも賛同できない。ヨハネスブルグを舞台にしているのだから物語の根底には人種問題“も”流れているんだろう。その影響を設定から読み取るのは容易にできる。しかしエイリアンの嗜好品が猫缶だったり、やけに“人間臭い”親子愛を見せるエイリアン、クリストファー・ジョンソン親子の役柄にヘヴィさはさほど感じられない。南アフリカの社会をモチーフにしている社会派SFドラマというなら、衝突しているはずの2つの社会が描かれなければならないと思うが、ここで描かれるのはひたすら人間(白人)社会でしかない。社会派というなら、どこにエイリアン(黒人)の社会が描かれてるのよ、と。
ヴィカスが逃亡し、追われる身になった理由を考えてみればいいのだ。追う側はなぜヴィガスを抹殺(差別)するのではなく、生け捕りにしようとしているのかも。

状況は何も変わらない中、ひとり変わらざるを得なかったヴィカスの孤独を描くラストシーンはひたすら切ない。しかし、それはあくまでもSFとして切ないのだ。
評判通りのエンタテイメントで面白い作品だったけれども、だからこそ妙に重苦しい音楽にはちょっと違和感を感じた。

今日はピカデリー2で観たのだけれども、けんみん映画祭で『地獄の黙示録』をこの劇場で観て、文字通り本当に椅子から飛び上がったのを思い出した(川を遡る捜索隊が食料調達をするために陸に上がったところを虎に襲われる場面)。ホントに飛び上がったのである。子供だったけれど。もちろん3Dの時代ではないんだが、何かスクリーンに迫力があったんだよなあ。
今日は夕方の上映ということもあって客席はオレも含めて10名前後。贅沢に観させてもらいやした。


トラディショナルな喫煙所の雰囲気が実に味わい深いのです。