徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

5.5以後/TwitNoNukes#11(5.27)

2012-05-27 22:03:58 | News


渋谷で11回目のTwitterデモ。前回よりもよりも参加者はちょっと少なかったか。その分、警備の警官の密度がいつもよりも濃かったような気がするが(あの人たちは暇だと必要以上に仕事しちゃう人たちだから…)。
二日酔い気味で太陽の陽射しに当たった立ち眩みしそうになった瞬間に嫌な予感がしたのだけれども、何とか10分前には集合場所のみやした公園に到着。第二集団の後方あたりで、悪霊さんのリードに併せて声を上げる。途中トラメガおじさんに声をかけつつ(熱意は理解しつつもリードが被ってるので止めてもらった…が、このおじさん、レスポンスをトラメガでやったらオレたちが声を上げる意味ないんだが…)ゴールまで歩く。嫌な予感が的中し、途中強い陽射しで汗をかき、強い風ですっかり身体が冷えるという二日酔いには堪える状況になってしまったので途中離脱したのだけれども、表参道で何とか追いついた。

表参道を下りながら悪霊さんの「一緒に歩こう」「一緒に叫ぼう」というリードに声を上げながらちょっと考えてしまった。もちろんこれまでも使われてきた言葉だけれども、ちょっと違う意味合いに聴こえてきた。
たぶん前日にTwitterでアジカンのゴッチさん絡みのリツイートの中に、相変らずデモの祝祭性を問うような、うんざりするツイートがあったことを思い出したのだと思う。
確かに去年の今頃、デモの祝祭性については、こんな野次馬だけではなく、実の参加者ですら考えながら歩いていたはずだ。それなりに話題になっていた、祝祭に満ち溢れた素人の乱の高円寺デモに違和感を覚えていた人だって少なくなかったと思う。状況がさっぱりわからないまま、危機感が高まっている中での「祝祭性」は、とてもじゃないが個人的には受け入れ難いものがあった。オールドスクールの方々ならともかく、オレは「人が集まった」というだけで単純に喜ぶことなどできなかった。
ということで、「以前」ならばきっとそんな批判は「周回遅れ」と切り捨ててしまっていただろうと思う。事実、抗議行動にフェーズを移しつつあったオレたちにとって、そんな下らない批判につきあっている暇はなかったはずだ。

しかし、「以前」というのは5月5日までのことを言う。
この日本で原発が全停止(定期検査入り)して3週間が経つ。
状況は変わってしまった。

「一緒に歩こう」「一緒に叫ぼう」というコールに、「以前」よりもずっとポジティブなメッセージとヴィジョンを感じた(まあ個人的にはこっ恥ずかしくて叫びづらいフレーズではあるんだけれども)。
5.5以後のデモはもっと祝祭性を帯びたものであってもいいんじゃないか。
もちろん再稼動の可能性は日に日に高まっているし、それに対する抗議行動の重要さはも高まっているわけだが、現状を踏まえてデモが「原発なき日常」をメッセージする場であってもいい。その表現は攻撃性を帯びた自己主張(ゲンパツイラネエ)だけではなく、もっと祝祭性を帯びた、ポジティブに現状を伝えるメッセージであってもいいはずだ。
それが「みんな」であり、「一緒」という言葉になる。言葉の重みが変わったのだと思う。

一周年を過ぎ、11回目のTwitterデモに感じたのは、そんなポジティブだ。
まあ、いつひっくり返ってもおかしくない、危ういポジティブではあるんだけれども、抗議行動と同じように、デモの「表現」も状況を色濃く映し出す必要性がある。
それが5.5以後なんだと思う。

それは価値観の争いという/第12節 浦和戦

2012-05-19 23:49:40 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
スカパーで浦和戦

まるで前節セレッソ戦をプレイバックするような展開で、文字通り、元紀とトシの両ウイングに「蓋をする」形で清水のパスワークを低い位置でいなしながら、ロングボールでカウンターを繰り出してくる戦いで、結果的にほぼ完全にゲームをコントロールされてしまった。
前節があまりにも「劇的」だっただけに、ホームとはいえ浦和が「清水のストロングポイントを消す」という堅い(ネガティブな)ゲームプランを選択する可能性も予想されただけに、もう少し何とかならなかったのかという思いは強い。
前半戦10節をハイプレスと両ウイングの活躍でかなり順調に戦ってきただけに、中盤戦では研究・対策されてくることも充分に考えられた。セレッソ戦、浦和戦はまさにそんなゲームになってしまったわけだ。
仙台が名古屋に爆勝してしまったので、首位との勝ち点差はまたもや開いてしまったが、まあ、まだシーズンは半ばにも達していないので(上位をキープしている限り)順位で一喜一憂しても仕方がない。まずは今後も続くであろう清水シフトに対して、いかに突破口を見出していくか。アフシンの腕の見せ所ではある。まあ、こんなときにエダがいたらなァ…とは思ったのだが。

しかし、改めて埼スタの「芝の重さ」は気になった。ゲーム前に水を撒いたそうだけれども、あのボールの走らなさ加減は間違いなく「浦和仕様」で、「アウエイ」なのだろう。それほどスピード感を感じさせない浦和のカウンターもあの芝の重さがあってこそなのだろうと思う。高速ピッチの日本平を見慣れているだけに久々にアウエイを感じさせた。

ということで話は変わる。
変わらないかもしれないが。

ゲーム後の記者会見でアフシンは浦和の(ネガティブな)戦い方に噛み付いた。

アフシン「浦和のようなプレーをして勝つよりも、清水のような戦い方をして負ける方がいいと思っている。我々のスタイルそのものがポジティブな要素だと思う。(中略)10人になっても我々はコンビネーションでチャンスを作れていたし、ビジョンも戦術も正しいものだと思う。今日は結果が出なかったが、次に出せればいい」(J's GOAL 5月19日付

この意見にはまったく異存はない。なぜならアフシンはオレたちのリーダーなのだから。

サッカーというのは価値観の戦いでもある。
そういう意味でアフシンの発言は当然なのであって、そんなものはクライフ翁の言葉を持ち出すまでもなく、古今東西どこでも熱く語られてきたテーマでもある(まあ、さすがにクライフ流に「美しく戦っていた」とまでは思わないけれども…)。
ましてや清水には、良くも悪くも愚直なまでに「フェア」を尊ぶ土壌がある。それは保守的もいえるもので、それこそなかなかタイトルが取れなかった要因とも…いえなくもない。しかし、これは<とにかく何をしたって勝てばいい>という文化(マリーシア←死語?)とは対極にあるもので、オレたちが、天敵でもあったかつての鹿島や磐田のサッカー観を忌み嫌うというのもそういうことである。
そんな土地のクラブチームで指導者をしているアフシンがそう語ったって当たり前だし、それは正しいと思うのだ。

しかし、ペトロヴィッチが、今日のゲームのそれを「正しいサッカー観」だと言うのならば、<負け犬の遠吠え>と言わんばかりの反論はするべきではないんじゃないか。

ペトロヴィッチ「私は清水は素晴らしいチームで、ゴトビ監督も素晴らしいと思っているが、負けたあとで少し感情的になっていたのではないかと思う。我々は相手のやりたいサッカーにはまりたくないと思っていた。清水がやられたら嫌だと思うことをやるのがサッカーだと思う。相手のやりたいサッカーにはまれば負けるし、負けてしまえばそのあと何を言っても負けは負けだと思う」(J's GOAL 5月19日付

そもそも彼の言う<やられたら嫌だと思うことをやるのがサッカー=ネガティブなサッカー>は、ペトロヴィッチがかつて広島で作り上げ、メッセージしてきたサッカー観にまったく反していると言えないか。
そして彼自身も理想に燃える指導者として広島時代にアフシンのような<遠吠え>を繰り返してきたはずではないか。

まあ、アフシンもここまで言い切ってしまったら後には引けないわけだ。
もちろん負けは負けで認めるべきだと思うが、理想に燃えるリーダーはそれでいいと思うのである。
もちろんオレは断固支持する。
今日出せなかった結果は、来週土曜日の次節マリノス戦で出す。

なぜ彼らはゲームを終わらせなかったのか/第11節 C大阪戦

2012-05-13 22:55:48 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


土曜日はアウスタでセレッソ戦
キックオフぎりぎりで何とか現場には到着。コパルちゃん運転による「ベンツでキックイン」という、浮かれた、強引な企画がまずもって嫌な感じがした…とはいえ、コパルの運転が荒すぎて笑ったが。

連戦の条件はどのチームも変らないが先制点を獲られた後のパスのズレは疲労の影響もあるのかもしれない。しかしゲームの入りは悪くなかったと思うし、セレッソの先制点までのゲームコントロール、パスワークは決して悪いものではなく、むしろ連勝の勢いさえ感じさせるものだったと思う。いかに先制点が、ゲームコントロールはもちろん、メンタルに与える影響が大きいか。だからこそ「何が何でも」といったふうに、文字通りのラストプレーで同点に追いついた場面のスタジアムは、ドローながら、勝ちに等しい盛り上がりを見せ、あの「発狂ゲーム」だった去年のホームでのセレッソ戦を彷彿とさせるものがあった。

序盤戦のドローは負けに等しいが、まあ10節も過ぎたし、ドローでもオッケーか、とか。

先制されたまま、後半10分から30分にかけてタカ、ジミー、大悟を投入した時点で清水の圧力はさらに強まり、アディショナルタイム突入前から決定的なチャンスを作っていく(外していく)。
タカはゲーム後のコメントでパワープレーを否定的に語っていたけれども、パスの起点となる大悟が投入されたとはいえ、清水の圧力でセレッソのラインが下がり、徐々にスペースがなくなっていく中、元紀、トシを外してタカ、ジミーを投入したということは、それはどう考えてもパワープレーを選択肢の中に入れろというアフシンのメッセージだったのではないか(もちろん、それ一辺倒にすべきとは思わないけれども)。例え「自分たちの美しいサッカー」の中にパワープレーという選択肢がなくても、あの場面ではもっと放り込む場面が増えても良かったはずだと思う。思うように「自分たちのサッカー」でゲームをコントロールできない場面で、力づくでもゴールをもぎ取るというのはそういうことである。

アフシン「チャンピオンになれるチームというのは、こういうことができるのだと思います。34試合美しいサッカーをやって、自分達のやりたいことだけができるわけではなく、やはりこういう試合もあるということです。そこで、我々が闘争心を持ち、最後まで諦めずに戦い続けて行くことだと思います」(Sの極み 5月12日付)

「チャンピオン」かどうかは年末にならなければわからないけれども、アフシンのいう「チャンピオンになれるチーム」というのはそういうことだろう。

しかし信じられないことにセレッソは、この清水の猛攻の中で何回かカウンターの決定的なチャンスを掴みながらきっちりと「シュートで終わる」、または「相手エリアでボールつなぐ」といった、時間を使う定石プレーをほとんどせず、点を獲りたいんだか獲りたくないんだか、わけのわからない中途半端なカウンターで追加点のチャンスを潰し続ける(もちろん林の好守も光った)。
去年のホームでの対戦でもそうだったのだけれども、清武が交代時にちんたら歩いてタッチまでやってきて交代の吉野と抱き合う前に小さくガッツポーズをしたのも、ラストプレーの同点ゴールでまったく意味がなくなってしまった。
またGKのキム・ジンヒョンのつまらないアピールも終始そうだったが、定石プレーはしないくせに、なぜそういう余計なアピールで時間を浪費しようとするのか。アンチフットボールなアピールプレーでは時間など消費できないのがわかっているはずなのに、である。その姿を見てすっかり頭に血が上り、去年に続いて清武やキム・ジンヒョンに対して大人気なく罵声を浴びせかけたスタンドの連中はすっかり溜飲を下げた。
なぜセレッソはプレーで鹿島らなかったのか。鹿島ってくれた方が余程、正しくフットボールらしいというものである(あれは相手の闘志を萎えさせる効果がある)。
ということで、いくらソアレス監督が、

「我々はロスタイムも含めて、しっかりと耐え切ることができたのですけれども、そこでレフリーの方が試合が終わったにも係わらず、試合を続けられて、試合がおわった後に同点ゴールを決められてしまったと。そういう不運があったかと思います」(Sの極み 5月12日付)

と愚痴ったところで、要するにレフリーが、ではなく、セレッソが「ゲームを終わらせなかった」ということになる。

ミッドウィークでナビ予選神戸戦を挟んで、今週末は埼スタでレッズ戦。
劇的な、今季初ドローを意味あるものにするために勝つ。ドローの次のゲームというのは、それを「負けなしドロー」にするか、「勝ちなしドロー」にするかの瀬戸際だからね。
3分「も」している仙台が現在首位にいるのは、要するにそういうことである。

周回遅れ…

2012-05-12 01:58:03 | Sports/Football
浦和あたりを中心にした「サポーター(サポート)論」というのは、いつでもどこでも繰り返されているわけだが、熱いサポーター論が交わされるクラブは熱いサポーターが育つ。そして熱いサポートなしには強いクラブは育たない。
ということで、今更ながら<サポーターがプレーするわけではない>などという批判は、クラブ、チームとサポーターを厳然と分けて考える、古臭いフランチャイズ的な思考であって、1992年以降にはまったくそぐわない頓珍漢な認識であるのは、まあ間違いがないところである。

そんな周回遅れの「批判」が今時飛んで来るとは思わなかった。まあ清水を心配する前に自分のクラブを心配しろ、とw 
そもそも「サポーターがプレーするわけではない」とか言っているような輩には「自分のクラブ」などはないと思うんだが。

もちろんこちらも「接近お断り」で「反論無用」です。

それでも行動は続く

2012-05-11 18:24:42 | News
今週はランキンタクシーさんの「うた」を巡ってシングル/マルチイシューの「議論」が再燃した。
個人的には昨年行動を共にし、昨秋主要スタッフが編集したデモガイドブック「デモいこ」でスタンスと方法論をはっきりと提示した時点で、TwitNoNukesがこのような低レベルの批判を受けるいわれなどまったくないと思っている。やり玉に挙げられたランキンさんの「うた」も、表現そのものというよりも、それは安直な言葉狩りであり、八つ当たりに近い形で批判のダシに使われたのだとしか言いようがない。
「反原発がシングルイシューであるべき理由」は散々このブログでも書いてきたので繰り返さないが、あの事故から一年以上経ってもまったく理解できない連中には本当に驚くしかない。行動はシンプル(シングル)であるべきだと思うが、どうしたって思考は常にマルチにある。「シングルイシュー」で行動する人間のすべてが思考までがシンプル(シングル)なわけがない。それが「人間」であり、「社会」というものだろう。TwitNoNukesやランキンさんを誹謗中傷する連中は一体どんな「社会」に生きているというのか。

昨年9月のNO NUKES! ALL ST☆R DEMO 2011の事前集会で歌ったPANTAさんはこうスピーチしている。

「今までこういう原発問題に関わるのは、自分みたいな者が関わると、みなさんの純粋な気持ちをですね、何か変に揶揄されて、こう政治的な方向へ持ってかれるんじゃないかと思って、凄くこう、躊躇してたんですけども、原発問題に関してはですね、もう選択肢はないと思います」(秋山理央 脱原発デモ × ステディカム「NO NUKES! ALL ST☆R DEMO 2011 - 2011.09.19」レポート

活動のスタンスが極めて政治的であり、60年代から70年代の新左翼運動に浅からぬ因縁を持つPANTAさんですら、「政治的」であることに深く注意を払っているのである。自覚的であり、社会的であるというのはこういう発言をする人物を指すのだ。




こんな下らない「論争」を仕掛ける連中はこれからも現われ、繰り返されるのだろうが(まさに「コミック雑誌なんかいらない」、なんだが)、そんな輩とは関係なくオレたちの行動は続く。

5.12原発再稼働許すな!首相官邸前抗議
【日時】5/12(土)15時~18時終了予定
【場所】首相官邸前(国会記者会館前、国会議事堂前駅3番出口出てすぐ)
【呼びかけ】首都圏反原発連合有志
※反原発・脱原発というテーマと関係のない特定の政治団体や政治的テーマに関する旗やのぼり、プラカード等はなるべくご遠慮ください。←これ重要。

とはいえ明日は日本平の戦いがあるので行けないんだが…。

「ニッポンの歌」、間もなく

2012-05-09 20:15:12 | Works


オレも編集でちと参加した「歌好き“オトナ”100人が選んだ、語った これが好き! ニッポンの歌~ニッポンの歌をめぐる究極の名曲ガイド&エッセイ集」(音楽出版社)が、いよいよ来週5月15日にリリース予定です。

まあディスクガイドというよりも、文字通り100名が好き勝手に、自分の好きな「ニッポンの歌」を挙げたエッセイ集という作りになっておりますので、「何でこの歌が入ってないんだコノヤロー」と言われても返す言葉がありません。酒でも呑みながら、youtubeを見ながら、ギターを持ちながら、またカラオケへ行ったりして(できれば掲載曲が収録されているCDなんかも買っていただいたりして)、100本のエッセイを「つまみ」ながら読む(呑む)というのが一番楽しい本になったかなとは思います。

オレ担当の執筆者さんは10名ほどだったのだが、特にいい原稿ばかりだったと自負しておりやすw
読者の皆さんにも楽しく酔っていただけると幸いです。

それは「激しさ」という/第10節 仙台戦

2012-05-07 20:42:38 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
昨日はスカパーで仙台戦
戦前から予想し、望んでいた「結果」は出た。
またしても不可解なレフリングによる数的不利を被りながら、ではあるが。

だからこそ熱くなった。前半のように同数の対戦でゲームを支配された仙台が、後半に入ってセットプレーでゲームのリズムを掴みかけたところでレフリーが「ゲームを壊した」ことには憤りを感じる。
前半から勝てたような言い方をするのはいただけないのだが(まあ、それもチームマネジメントの手法ではあるのだろうが)、強気にコメントする手倉森監督も言うように、清水は仙台にボールを「持たされた」わけではなく、ボール「持った」のであって、それはどう考えてもゲームをコントロールしていたということになる。雹と豪雨の後のピッチは画面からもはっきりと水溜りが見えるような状態だったが、それでも仙台よりも清水のプレーヤーの方がピッチ状態には早く順応していたのではないだろうか(前節でもキックオフ前に水を撒いたように、高速ピッチはむしろ望むところである)。

手倉森監督(仙台)「後半ビハインドを負った後、システムも変えて相手にはめ込むようなシステムにして、攻勢に出れて……でもあれだけのチャンスがあって獲れなければね、ビハインドを負ったチームは負ける確率は高くなる」(Sの極み 5月6日付

あのまま、同数でゲームが進行したら、パス!パス!パス!とポゼッションの清水とロングボールとセットプレーの仙台という形で、もっと上位対決は面白いものになっただろうと思う。

それにしても今シーズンの清水は異様な数のカードが突きつけられる。
しかしその清水のプレーを単なる「荒さ」と受け取るならば、「激しさ」という文化は育たない(鹿島や磐田が育んだものとは違う)。オレたちは「負けなし」よりも「激しさ」において本物である。
ということで次節12日はホームでセレッソ戦。またしても本物が見られるはずである。

アフシン「まず我々はチャンピオンのスピリッツというものをここで見せれたと思います」(Sの極み 5月6日付

まあ、まだ「チャンピオン」ではないんだけどね。
「本物」ってことで。

「結果」とは何か/第9節 鹿島戦

2012-05-06 12:31:28 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


土曜日はアウスタで鹿島戦。2日前なのにもうずいぶん前に感じてしまうのは、もう30分後には仙台との決戦が迫っているということもある(まあ例え勝ったとしてもまだ順位は逆転できないわけだが)。

ゲームは昨年のホーム名古屋戦を思い起こさせるような完勝だった。
早い時間からサイドへの大きな展開を繰り返し、鹿島の中盤を揺さぶると、両ウイング、サイドバックが幾度となく広大なスペースを突いてチャンスを作り続ける。
また前半5分という早い時間に先制点が決まったのは両チームのゲームプランに大きな影響を与えた。言ってみれば惨敗したガンバ戦のガンバの戦いをトレースしたような内容だったといえるんじゃないか。今季、いくつかの負けが、その後の戦いの糧になっているというのは本当に素晴らしいことだと思う。思えば健太時代もガンバには早い時間に先制点を与えてしまい、完全にゲームをコントロールされて完敗というゲームが何回もあった。

ある程度プレッシャーがかかり続ける伸二にボールロストが多かったのが気になったが、その分、河井の動きや身体の使い方の質は村松同様に高く、中盤に安定感を与えていたと思う。
元紀の3点目を中継で改めてみると、鹿島のセットプレー崩れから、セカンドボールを拾ったタカがキープしてからの高速カウンターだったとはいえ、タカの中盤起用というのもあながちスクランブルの産物とも思えない。いまだにトップレベルのキープ力を持つタカが中盤にいるのは、それはそれで魅力的ではある。そうなるとガンバ戦は何だったのかということにもなるが、3失点目はともかくやっぱしあの1点目、2点目の失点はアンラッキーだったのだとしかいいようがないんじゃなかろうか。
これで連勝、9戦が終わっていまだに連敗なし、ドローなしで2位に浮上。
今日はいよいよこれから無敗の首位である仙台と対戦する。

仙台のように負けなし、不敗というのもそれはそれで新聞の見出しにもなるけれども、もちろん勝ち越していなければ意味がないけれどもドローがないというのもそれと同じぐらい素晴らしい「結果」だ。とにかく勝ち点を積み重ねたいシーズン前半戦でドロー(勝ち点1)というのは、やはりどう考えたって負けに等しい。
今日もそんな「結果」が欲しい。


送別会

2012-05-01 00:30:51 | 素日記
デモの後は地元の酒場へ向かう。
今月いっぱいで千葉の店舗に移るスグル君の送別会。話を訊く限りでは栄転かな。
というわけでスタッフやオレを含めた常連客が閉店間際に集結。感傷的にもならず(ほぼ)男だらけの送別会になった。感傷的にならないのはいいんだが、ムロは尻を出して寝ていた。
まあ、九十九里ならともかく千葉あたりなら思ってるほど遠くはないからね。早いうちに千葉方面も探りを入れてみよう。
ひとまずお疲れさん。