徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

日下部さん

2020-07-01 00:36:00 | News

コールというのはレスポンスがなければ成立しない。レスポンスをして、そしてレスポンスをし続けて、仲間を集めて自らコールし始めたのが日下部将之さんだったのだと思う。反原発から反差別、反安倍内閣と、彼は3.11以降の運動を体現し、愚直なまでに押し広げてきた男だった。

20177月、都議選の応援に来ただけの安倍晋三から「こんな人たち」のひと言を引っ張り出した1日の秋葉原での街宣抗議から、9日に行われた「安倍政権に退陣を求める緊急デモ・MARCH FOR TRUTH」に至る一週間は3.11以後の総決算とも言うべき巨大なデモになった。9日に中心となって参加したデモグループは「未来のための公共」、「エキタス」、「怒りのドラムデモ」、そして日下部さんたちは「怒りの可視化」でデモの隊列を編成した。コール中心、と言うよりもコールのみ。怒声のみ。壮観だった。平野太一が制作中だった映画『STANDARD』の最後のクライマックスとして描かれるのがこのデモであった。これで安倍は終わったと思った。終わったはずだった。いや、終わっているのだが。

それから3年、ほとんど砂上の楼閣となりながらも、安倍内閣は信じられないことにまだ続いている。そして、それから3年、官邸前で、国会前で、そして路上で、ニュースになったりならなかったり、それでも最前線で怒りを表明し続けたのは日下部将之とその仲間たちだった。

日下部さんとは一回だけサシで、「取材」したことがある。平野太一が映画の編集で四苦八苦していた時期に、同時並行で参考になればと個人的に知人のプロテスターに声をかけ、話を聞き続けた。そのひとりが日下部さんだった。こんなことになるとは思いもよらなかったが、しっかりと彼の言葉を残しておかなければならないと思っていたのだろう。形にしておかなけばならない言葉がまたひとつ増えた。

今日、最後に顔を見に行ってきた。いまだに信じられず、現実感もないが、明日はお別れです。

最後の歌はblackbirdはどうだろうね、日下部さん。


スピリットとアティテュードが生まれる場所/代官山 春のドキュメンタリー映画上映会

2019-04-14 17:45:34 | News

金曜日は<晴れたら空に豆まいて>の「代官山 春のドキュメンタリー映画上映会」http://haremame.com/schedule/66254/
今回は『STANDARD』の他に、ラファエル・カルデーナス監督『ランドスケープス&ランド・ドゥウェラーズ』(2018年)、アキラ・ボック監督 『アワ・マン・イン・トーキョー ~ザ・バラッド・オブ・シン・ミヤタ』(2017年)も上映された。『ランドスケープス〜』はロサンゼルスの下町を撮影した10000枚のコマ撮り画像で構成される実験映画。『アワ・マン・イン・トーキョー〜』は、レコード会社勤務を経て、長年に渡りプロモーター、ディストリビューターとしてチカーノミュージックを日本に紹介し続ける宮田信(MUSIC CAMP, Inc. / BARRIO GOLD RECORDS)を描いている。それぞれ8分、16分と共に非常に短いドキュメンタリー作品なのだが、共通点として<全米最大のメキシコ系アメリカ人コミュニティ>イーストLAが舞台となり、映像からは一台のカメラを通して、そしてひとりの日本人を通して、コミュニティとカルチャーに対する情熱が溢れる。


隣人を攻撃することでしか自らのコミュニティを維持できないこの国では、クールとは「かっこよさ」を指すのではなく、つまらない保身のための冷笑でしかない。相変わらず大きくて陳腐な物語はもてはやされるが、人々のロマンチックな物語は顧みられない。
2019年のこの国で、たぶん、最も価値のあるものは人々の情熱である。ホットでないものに何の意味があろうか。

宮田信は彼の地で「スピリットとアティテュード」を受け取ったのだという。そしてチカーノミュージックを媒介に、この国にロマンチックな場所を作り、それを押し拡げるためにこの東京で活動を続けている。
スピリットとアティテュード、そしてロマンチック。
人々が生活する場所にはスピリットとアティテュードがあり、それぞれが出会う路上ではロマンチックな物語が育まれる(甘い、という意味ではなく)。それは今回、光栄にも同時上映させていただいた『STANDARD』にも通じているのだと思う。

制作スタッフのひとりとして、これまでの制作過程や上映会で何十回と観てきた『STANDARD』だが、今回の上映会で新しい意味合いを持って観ることができた。「路上を取り戻す」のは人々の情熱とカルチャーの力であることを改めて確認できたように思う。
人生においてロマンチックな場所がある人は幸いだ。それは音楽や映画、アートからスポーツまで、カルチャーの場であることが多い。単に体験するだけではなく、参加しなければ何も起こらないということである(今日のエコパスタジアムのゴール裏は、きっと最高にロマンチックな場所だっただろう)。
『STANDARD』もそんな映画であり、「場所」であって欲しいと思う。

参加者の皆さん、晴れたら空に豆まいてのスタッフの皆さん、DJ HOLIDAYさん、TRASMUNDO DJsさん、そして宮田信さん、ありがとうございました。

次は名古屋です。

次回上映情報
【名古屋】
TwitNoNukes presents 映画『STANDARD』上映会
5月18日(土)
会場: spazio_rita (名古屋市中区・矢場町駅)
開場:17:30 上映:18:30(予定)
※上映+トークショー+DJを予定。詳細は後日発表されます。

フレッシュであり続ける不幸/ZINE『SELL FEE』

2019-04-07 14:01:43 | News

水曜日。平野太一君のZINE『SELL FEE』を購入するために下高井戸のTRASMUNDOへ行く。『SELL FEE』はすでに4店舗ほどに置かれているのだが、TRASMUNDOでは『TRASMUNDO RADIO VOL.26「SELL FEE」feat. 平野太一、ドンババ』のCDが付録として付いてくる。ショーケンが亡くなったことが報じられた深夜に収録されたということで、本当にできたてのCDなのだが、『SELL FEE』の内容そのものについてというよりも、3.11以降の社会運動、その周辺についてスタンスの有り様を語り合い、それにまつわる音楽を聴いていくという趣向である。

一年前のGalaxyでの初上映をはじめとして、これまでもTRASMUNDO DJsとして『STANDARD』の上映会にご協力いただいてきた店主の浜崎伸二さんにも改めてご挨拶し、少々話を伺う。
3.11の年、浜崎さんはデモには行かずに店を開き、迷っていたり、悩んでいるひとたちと語り合っていたのだという。もちろん、あの当時のように、居ても立っても居られずに路上に飛び出すような瞬発力や突破力は必要だが(浜崎さん自身も4年後にSEALDsが呼びかけた国会前抗議には参加している)、まずは誰かと話したいという人たちにとっての「場所」も、やはり必要だったのかもしれない。レコード屋であり、古本屋であり、Tシャツ屋でもあるTRASMUNDOは、あの当時から抗議の「場」とは違う、「場所」を支え続けてきたのだった。抗議の場は状況によって変化し続けるものだが、その一方で、下高井戸の変わらぬ場所が「新しい人たち」を生み、路上での行動をつなぎ続けてきたのだ。そういう意味で「カルチャーが支えてきた」と浜崎さんが誇らしく言うのも腑に落ちる。

そして、平野君の『SELL FEE』。映画『STANDARD』の制作過程などの一部分はすでにweb上で公開されているものだが、書き加えられた言葉と内容はかなり衝撃的だ。作為のなさが嘘のなさに通じるのかはわからないが、少なくとも彼の言葉には借り物の言葉がない。偽るための言葉もなければ、彩るためだけの言葉もない。剥き出しの言葉である。
彼の言葉の印象ははじめて路上で出会ったときから、エモーショナルで喚起力のある天才的なコーラーだったのだが、極私的な内容と表現からその印象が蘇ってくるようだった。

映画の撮影の過程で福島と沖縄を訪れる中で、あのとき、あの場所で置き去りのままになる自分、そしてそれでも生きていかなければならないと前へ進む自分を見つける。
映画『STANDARD』が8年前のことを描きながら、まだまったく古びずに、フレッシュさを保ち続けているのは、自分たちはあの日のままに置き去りとなり(3.11? 2011年6月? 2012年12月? 2013年9月? 2013年12月? 2015年9月? どれも最悪だ!)、それでも生きていかなければならない、引き裂かれた状況が続いているからなのだろう。
それが作品にとって幸福なことなのか、不幸なことなのはまだわからない。

今週は東京・代官山、来月は名古屋で上映会が開かれます。実は昨年末から公開されている新バージョン(おそらくこれにて完全版)はまだ観ていないのでオレも行く予定です。

■ZINE『SELL FEE』販売店舗
【下高井戸】TRASMUNDO
【吉祥寺】uplink吉祥寺
【新宿】ブックカフェ オカマルト
【目白】ポポタム
※在庫切れなどの可能性もあり。

■『STANDARD』上映情報

【東京】
代官山 春のドキュメンタリー映画上映会
4月12日(金)
会場:晴れたら空に豆まいて
開場: 18:00 上映: 19:45
予約: 1800円(+1D) 当日: 2000円(+1D)
DJ:DJ HOLIDAY、TRASMUNDO DJs、宮田信
予約03-5456-8880
※都市辺境、洋楽インディーズ、社会運動…『STANDARD』と併せて3つのドキュメンタリー映画が上映されます。

【名古屋】
TwitNoNukes presents 映画『STANDARD』上映会
5月18日(土)
会場: spazio_rita (名古屋市中区・矢場町駅)
開場:17:30 上映:18:30(予定)
※上映+トークショー+DJを予定。詳細は後日発表されます。

抗議の場に<声なき声>はあり得るか

2018-03-17 17:03:39 | News
<「激しい口調のコールをできない人も参加している」という反論もありますが、そういう普通の人の声をもっと拾ってほしい。安保反対のデモに囲まれた岸信介が「声なき声」は自分を支持していると言いましたが、その「声なき声」こそが大事なので。@aki21st  #0316官邸前大抗議>
(町山智浩Twitter 2018年3月16日)



昨晩のことは改めて書くとして、町山智浩さんのツイートが話題になったので書いておく。
そもそも、それを<声なき声>と表現して良いものかどうかはとりあえず置いておく(果たして抗議の場で声なき声があり得るのかというのは、よくわからない)。

<声なき声が大事>と書くのと、<その「声なき声」こそが大事>と書くのでは大違いである。岸信介や安倍晋三が言う「声なき声」とは、どう考えたって「自分に都合の良い、声なき声」でしかない。では1960年の岸信介は何と言ったか。
「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りだ。私には声なき声が聞こえる」
である。何故町山智浩が<岸信介が>などという余計なことを書いたのかよくわからないが(好意的に捉えても意味が変わってしまう)、その声なき声は岸の脳内で都合良く解釈した幻聴でしかない。「私たちに問題は任せて国民は楽しんでくれ」というわけだ。安倍も間違いなくそう思っている。
現実には、かつて声なき声であったかもしれないものは、すでに官邸前や国会前ではっきりとした声であろうとしているのだ。

抗議も終盤に差し掛かった国会議事堂駅出入口の攻防のあと、じりじりと警官隊を後退させて官邸前に向かって茱萸坂を上って行った人々は、<声なき声>に甘んじることに耐えきれずに、あの言葉を言いたくて、または自分の声を伝えたくて官邸前にやって来たのだ。
この2018年に、声なき声などという権力者に利用されやすい甘い幻想をもう持つべきではないし、そんなものに加担すべきではないのだ。卑怯者たちと戦っているのに、何故そんなにナイーブでいられるのか。

とはいえ、抗議のあと、オレたちは嫌でも金曜日の夜の電車やバスで家路に着く。そこには岸信介が言うように「いつも通り」の光景が広がっている。つまり声なき声はそこにあるのだ。そして、それは声なき声ではなく、圧倒的無関心というのだ。
言葉は人の口から吐き出されて初めて声になる。その瞬間を目の当たりにしている人間には声なき声などという、使う人間に都合の良い言葉にリアリティーなど感じるわけがない。少なくとも「そこ」にいる人たちは、誰ひとりとして、決して声なき声などではないだろう。


喧嘩両成敗のその先

2018-02-22 11:23:40 | News
TLに流れていた昭恵ツーショット画像集、しっかり見てなかったけど、これネトウヨ桂春蝶だったのか。
今時(というか今だからこそなのか)、低レベルな自己責任論がなぜか関西芸人から連発される。
しかし「世界中が憧れるこの日本」って凄いパワーワードである。ま、こんなものは「日本スゴイ」の言い換えでしかないのだが。



73年前の南米で起きた「勝ち組負け組」の抗争が21世紀に見られる日本は、悪い意味で確かに凄いと思う。
しかし単なる思考停止と、もはや態度を決めなければならない事柄についてまで他人事でしかいられない、日本人の「喧嘩両成敗」(どっちもどっち)のカルチャーは、やはり見直されるべきではないのか。

<「問題を起こしたら双方を処分」するのではなく、「問題を武力で解決(故戦防戦)しようとしたら双方を処分。」である。>(Wikipedia)

移民社会への抑圧や不満があったとはいえ、やはり勝ち組は明らかに間違っていたし、負け組は彼らの暴発を食い止めようとしていたのだ。73年経った今、海の向こうではなく、この国で起きている勝ち組と負け組の抗争について、喧嘩はともかく、やはり問題を見極め、態度を決められない姿勢は問われなければならない(だろう、きっと)。

もうすでにこの国のリーダーが勝ち組ではないか、という絶望は置いておいて、私たちの「抗争」が書店の本棚で起きている程度のうちに。

Be There/映画「STANDARD」公開に向けて その5

2018-02-21 20:26:26 | News
昨日「STANDARD」初上映が無事終了しました。
ツイートでも投稿しましたが、改めて超満員の中、視聴環境もしんどい中で長時間の作品をご覧になって頂いた方々に心より感謝いたします。また野間易通さんをはじめ、出展作家、Galaxy関係者の皆さんもご協力ありがとうございました。ドアを開けた瞬間に湯気が出るような熱い上映会となりました。

「ねえ、これ良いと思わない?」
制作が始まった頃、SNSの会話の中で、いつもの調子で張さん(Akira the Hustler)がリンクを貼り付けたのが、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「スタンダード」 でした。最初に書いた企画書の表紙には「STANDARD」の文字があります。映画のタイトルはこの2年間、ずっと変わらず「STANDARD」だったのです。ではその後、楽曲について詳しく話し合いが行われたのかといえば、そんな記憶はないのですが(ゴッチさんすいません)、間違いなくきっかけはこの会話でした。
確かに、言葉が示す意味があまりにも大きく、広く、どのようにも受け取れる言葉です。あまりにもポピュラーな言葉であるために、 #TNN_STANDARD のタグがなければスタッフが映画の感想を検索するだけでも大変です。
昨日、私は「昔の日本人にはあったはずのSTANDARDを取り戻す」てなことをグダグタと喋りましたが、その答えはその時々で変わるかもしれません。それは今も揺るぎなくあるものなのか、それは失われたものなのか、それを取り戻すのか、それを作るのか、それを真似るのか、そもそもSTANDARDとは何なのか。作品の中で監督は「STANDARD」について、彼自身の答えを出していますが、個人的には作品を観る人がタイトルをどのように解釈するのも構わないと思っています。とにかく、スタッフはリンクに貼られた「STANDARD」という言葉が指し示すものの中に、これから作る映画の核となるものがあるのではないかと思ったのでしょう。

川崎のN君が感想を書いてくれました。私にとってN君という人は同じ場所にいても、直接のやり取りはほとんどないのですが、実は13年か、15年の官邸前抗議の頃に一度だけ接触がありました。彼は覚えていないでしょうが、彼に向かって、私が「トラメガ のコールが混乱していて、これじゃ駄目だろ(このヤロー)!」などということを言ったところ、「うるせー先頭で調整してるよ(このヤロー)!」と返されて以来、悪印象があるのですが(笑)、今回とてもいい感想をツイートしてくれました。

<多くを語らなくても「いるべき場所」を少しでも多く共有したく思う欲求こそが社会運動だとずっと思っている。「あの抗議の場に行って良かった」「仕事で参加できなくて悔しい」「けれど心は現場に」そんな気持ちは震災後に芽生えた特異な感情のように思う。>

だから彼は超満員で、ドアを開けた瞬間に外のガラスドアが曇るほど、熱気が充満した中で、2時間もの間、立ち見のままでも、<いるべき場所>にいたのだと書きます。最高です。こんなに嬉しい反応は、なかなかないだろうと思いました。

この映画は決して行動のための映画ではありません。行動をしろ、という映画でもありません。そこで起きたことを当事者の目線で描いた作品です。そこにいたこと、そこにいたかったこと、そしてそこを作ること、そんな気持ちに溢れた映画です。この映画も観る人にとって、<そこにいたい><そこにいたかった>と思える作品であって欲しいと思います。



今もなお日本を揺るがし続ける「3.11以後」。全国的に拡大した反原発運動に始まり、反レイシズム、反安倍政権にコミットし、路上で行動し続けてきた「普通の人々」の姿を描く。 監督:平野太一/出演:野間易通、ECDほか/製作:TwitNoNukes Project /120分 #TNN_STANDARD

我々の行動は東京の片隅で起きていてもグローバルなコミュニケーションの中にある/映画「STANDARD」公開に向けて その4

2018-02-19 17:57:43 | News
かつて隅田川沿いに存在していた<食糧ビル>の中に「佐賀町エキジビットスペース」というアートスペースがありました。2001年に食糧ビルは取り壊しが決まり、閉鎖することになった佐賀町エキジビットスペースの代表で、クリエイティブディレクターである小池一子さんを取材する機会を得ました。コピーライターでもある小池氏の言葉は実に刺激的だったのですが、この言葉はその中でも今でも心に刻んでいる言葉です。

<我々がする仕事は、東京の片隅で起きていてもグローバルなコミュニケーションの中にある。>

これはすべてのインフォメーションがバイリンガルで行われていることについて話していただいたときの言葉なのですが、それ以前に自分の立ち位置を問われているような気がしてとても感銘を受けました。ほとんどの人々の間でネットが常に接続されている現在では当たり前のような感覚かもしれません。
この年に刊行された『世界の中心で、愛をさけぶ』なるメロドラマは数年後に大ブームを起こし、そして2016年から17年にかけて映画『この世界の片隅に』がロングランで上映されました。<世界>と<中心>と<片隅>はこの15年で大きく変化したのでしょうか。ひとまず<さけぶ>か否かは別としても、中心も、また片隅もなくなった世界で「見られている」感覚を忘れてはならないのだと思います(2011年頃はよく「メタ視点」という言葉をよく使っていました)。

「見られている/見せ(てい)る」というデモ参加者の感覚は、映画の中でも特徴的なテーマになっています。
そこから映画にも登場するようなSAYONARA ATOMの「かわいい」横断幕や、国内メディアだけではなく、世界中のメディアやワールドスタンダードを意識したプラカードやTシャツが生まれてきたのだろうと思います。

ウェブの世界では拡散されるためだけの画像が数多く出回っていますが、「言葉を声にする」作業と同じように、何かを訴えるためにシンプルに、ダイレクトにコピーライティングされ、翻訳され、デザインされた画像(プラカード)は行動する人々の手によって掲げられなければ意味がありません。あの頃は沿道からの飛び入り参加を呼び込んでいただけではなく、プラカードの見せ方さえ気にしていたものです。時に暴力的に見えるかもしれない行動でも、見られていることを意識しつつ「伝える」ということについてはとても真摯であり続けたのだと思います。

公開まで24時間。

それにしても、よくよく考えてみると、日本で一番<中心>でいながら<片隅>を感じさせるのはやはり永田町と霞ヶ関なのかもしれません。



映画「STANDARD 」
http://standard-movie.jp
STREET JUSTICE – ART, SOUND AND POWER
レイシストをしばき隊5周年 特別上映
日時 2018年2月20日(火)19:20(上映開始)
※上映開始予定時間が変更になりました。
出演:平野太一(舞台挨拶)ほか
料金:無料
会場 Galaxy 銀河系
(東京都渋谷区神宮前5-27-7-B1 ※JR、東京メトロ、東急「渋谷駅」徒歩8分 東京メトロ「明治神宮前駅」徒歩5分)
TEL 03-6427-2099
http://www.thegalaxy.jp


大事なことはすべてTL上で話し合われていた/映画「STANDARD」公開に向けて その3

2018-02-18 00:08:54 | News
制作当初、企画や方向性を決めるために対面やSNSで行ったミーティングで、私はあるツイートのことを話しました。
「大事なことはすべてTL上で話し合われている」。
野間さんが書いていたのか、bc君だったか、それとも別の誰かだったか、見つけ出せませんでしたが、このスタンスはTwitNoNukes以降の行動に通底しているテーマだと思ったのです。
それはシングルイシューです。断固として、シングルイシューです。誰もがその一歩を踏み出すことができる「言葉」を見つけ出し、多くの人が共有できた瞬間、その行動は拡散します。しかし2015年以降、そんな「言葉」を私たちは見つけられずにいるのではないか。個人的にはそんな風に思っています。
でも2017年春から夏にかけて、一瞬だけ、そんな奇跡的な瞬間が訪れました。映画はその瞬間を実に熱く捉えています。

あれから7年が経とうとしていて、Twitterとの向き合い方は人それぞれ変わってしまって、離れしまった人も、使い方が変わってしまった人も、飽きた人も、またはネトウヨになってしまった人もいるかもしれないけれども、やはり、この想いは変わらないでいます。行動する個人が増え、活動の幅を拡げるグループが増えたとしても、それぞれのグループのやり方や仕掛け、演出が表で語られることがなくても問題ではありません。手法の違いなどどうでもいいことです。もっといいやり方を思いついたのならば、思いついた人間がやっちまえばいいのです。
そして、いまでもやはり本当に大事なことはすべてTL上で話し合われていると思うのです。

きっとそのことを思い出すことができる作品になっていると思います。



映画「STANDARD 」
http://standard-movie.jp
STREET JUSTICE – ART, SOUND AND POWER
レイシストをしばき隊5周年 特別上映
日時 2018年2月20日(火)19:20(上映開始)
※上映開始予定時間が変更になりました。
出演:平野太一(舞台挨拶)ほか
料金:無料
会場 Galaxy 銀河系
(東京都渋谷区神宮前5-27-7-B1 ※JR、東京メトロ、東急「渋谷駅」徒歩8分 東京メトロ「明治神宮前駅」徒歩5分)
TEL 03-6427-2099
http://www.thegalaxy.jp

声を取り戻す/映画「STANDARD」公開に向けて その2

2018-02-13 22:48:20 | News
言葉は声にされなければならない。
いくら正しい言葉でも、そしてその正しい言葉が文字として残るとしても、今、私たちはそれを声にして現実化、肉体化しなければいけない。そう思います。私たちは「今」に生きているのですから。今、伝える、ということはそういうことです。
今、声を上げなければいつまで経っても、言葉は誰かが書き残したとしても、やはり手遅れです。
以前、特定秘密保護法での闘いのあと、「声が枯れている奴は信用できるぜ」てなことを書いて、少々反発もされたのですが、その気持ちは変わりません。



<3.11以降>というのは、行動する人々にとってはいわば路上で声を上げるトレーニングだったと思っています。
例えばこの作品に登場する建築家の山本匠一郎君が「僕は(この行動を)運動だとは思っていない」と発言する場面があります。それはおそらく登場する人たち全員が思っていることで、実は政治や社会の不正、不公平だけではなく、日常生活の中に蔓延る理不尽や不寛容、そして暴力に対して、そんな場面に遭遇した時にすぐに声を上げることができる、行動することができる反射神経を取り戻す行動でもあったのです。
それは、かつて日本にもあったはずの「スタンダード」を取り戻す闘いだったのだろうと思います。

TwitNoNukesは実に「うるさい」デモでした。ECDさんは初期は「それほどでもなかった」と言っていましたが、参加者一人ひとりが大声を上げるデモだったのです(私自身、ブログで鼓舞していたということもありますが)。それが反レイシズム、反安倍政権の罵声や怒声を含むデカい声の抗議に繋がっていくのは、まあ当然です。
それでもひとりで声を上げるのは心細いですよね。
でも、そんな人にも勇気を与えられる作品になっていると思います。是非観に来て下さい。

映画「STANDARD 」
http://standard-movie.jp
STREET JUSTICE – ART, SOUND AND POWER
レイシストをしばき隊5周年 特別上映
日時 2018年2月20日(火)19:00(上映開始予定)
出演:平野太一(舞台挨拶)ほか
料金:無料
会場 Galaxy 銀河系
(東京都渋谷区神宮前5-27-7-B1 ※JR、東京メトロ、東急「渋谷駅」徒歩8分 東京メトロ「明治神宮前駅」徒歩5分)
TEL 03-6427-2099
http://www.thegalaxy.jp

誰もが TwitNoNukesだった/映画「STANDARD」公開に向けて その1

2018-02-10 12:39:45 | News
平野太一君の初監督作品であるドキュメンタリー映画「STANDARD 」の公開まで10日となりました。2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う福島第1原発事故をきっかけに、全国的に拡がった反原発、脱原発ムーブメントを担った数多くのグループの中のひとつであるTwitNoNukesを起点に、現在に至る市民による路上の闘争を、その当事者が語る内容になっています。



今回はC.R.A.C.(Counter-Racist Action Collective 対レイシスト行動集団)主催の<JUSTICE - Art, Sound and Power>の会期中にほぼ連日行われるスペシャルイベントのひとつとして、一回限りの上映となります。この上映をまたひとつの起点として、爆発的に、そして末永く作品の告知を拡げていきたいと思っていますので、上映会にも是非ご参加していただきたいと思います(しかも今回は無料です)。
制作をスタートしたのは2015年、スタッフ内の議論でヴァージョンを重ね、公開版がほぼ固まった中で、急遽決まった上映故に、告知の準備も多少突貫ではありますが、本日、TwitNoNukesの公式Twitterアカウントより今回のイベント用のポスター画像を公開、来週早々には公式サイトもスタートする予定です。なかなか良い感じに仕上がりそうなのでご期待下さい。

制作はTwitNoNukesプロジェクトです。
私、和田がなぜこのプロジェクトに参加しているのか? そしてお前はTwitNoNukesなのかと問われれば、当時言われていた「デモ実行有志」でもなく、参加者の一人でした。と言ってもあの頃はTwitter上の情報交換も今とは比較にならないほど活発でした。顔など知らなくてもダイレクトに実行有志と意見交換もできましたし、何よりも原発事故に対して国民の多くが漠然とではあっても、不安と疑問を抱き、「このままではいけない」「叫ばずにはいられない」切迫した状況ではありました。確かにデモ申請の手続き、プラカードの用意などは「誰か」がやらなければいけないことなのですが、主催と参加者の敷居は実に低かった。またそれまでデモに参加したことが無いような人たちでも、その役割にすぐ手を挙げる人は少なくなかった。誰でも「誰か」になれたわけです(それは今も変わらない)。今回の映画に登場して、語って頂いている方々はそういう人たちです。

所謂、<普通の人々>です。

そんなことを書くと、すぐに<普通とは何か?>などというツッコミが入るものです。実際に当時のTwitter上では激しく討議されていたテーマです。そして実行有志とシンパはそんな連中と連日戦っていました。
この映画で描かれるのは、そんな<普通>との戦いでもあります。映画タイトルの「スタンダード」にはそんな思いも込められています。

続きます。



ひとまず今回の上映まで限られた期間ではありますが、TwitNoNukes公式アカウント、また制作に加わってもらった堕落君のフェイスブック、そして当ブログなどからも続々と情報発信をしていきますので、お付き合い下さい。

ECDは「仕事でロック」したのか

2018-02-01 13:05:05 | News


ECDが亡くなってからTLに彼の画像や動画、そして言葉が途切れることはない。中でもオレが一番共鳴したのはこの言葉だった。

<その仕事をするひとがいなければ世の中が回らない。いやいやでも引き受ければ金銭という報酬を得ることができる。(中略)このことを「つまらない」「悲しい」と嘆く必要はない。なぜならそれがいやいややる仕事であればあるほどそれをいやがってやらないひとを助けることになるからだ。つまりひとの役に立っているのだ。>
<「助け合い」という言葉の響きは美しい。美しすぎて誰にでも簡単にできることとは思えないくらいだ。しかし、仕事をすればそれができる。>
(「仕事はつらいよ」仕事文脈vol.8)



個人がクリエイティブであろうとするためだけに、必ずしもクリエイティブな仕事に就いている必要はない。仕事自体は目的ではなく、手段だ。そしてどれほど赤の他人から見て「つまらない」「悲しい」仕事であっても、クリエイティブな個人によって、その仕事も社会的に開かれた、ポジティブで、クリエイティブなものになる。そしてまた個人は仕事をフィードバックしながらクリエイティブな日常を送る。
これは「仕事でロックする」ということであろう。「ロック」の部分はブルーズでも、パンクでも、ヒップホップでも構わない。
「ラーメン屋でロックする」「パン屋でロックする」ーー「働くことでロックする」は、数多い著作の中で語られるECDの仕事観で使われたフレーズで、青少年時代のエピソードだけれども、松村雄策のバンドであったイターナウの宣伝に記された、岩谷宏の宣言文<あらゆるものがロックであり得る>が元となっている。自称「ロッキングオン信者」であったECDは、この言葉が「人生を変えてしまった」とまで書いていた。

現在、平野太一君やアキラ・ザ・ハスラーさんらと共に製作した「スタンダード」という3.11以降の路上の行動とそれに参加した人々を描いたドキュメンタリー映画が公開間近である。もちろん、その中にECDの姿と言葉か収められている。すでに製作は3年越しで、心ならずも、最晩年の路上での姿までをカメラは捉えることになった。
その取材の中で、「まあ作品には使われないだろうな」と思いつつ(コメントを使うかどうかを決めるのはあくまでも監督は平野君である)、ロッキングオン信者時代の話を聞いた。最後の著作である「他人の始まり、因果の終わり」に至るまで、赤裸々に自分を語り続けてきたECDである。しかしそれほど嫌がる素振りも見せずに答えてくれた。

<自分の中ではロッキングオン、劇団は黒歴史的なもので(笑)。でも最近、山崎春美と話したら「やっぱりあのアジテーションは熱かった」「あれをなかったことにしちゃいけない」って言っていて。それが国会前に立っていることにつながっているんだなと思うと、そんなに捨てたものではないなと。>

特に結婚後のECDが「仕事でロック」を体現したのは間違いがないのだろうと思う。その姿に勇気づけられた若い世代も多いのだろう。そして、この6年ほど、オレは彼の言葉と行動で「いるべき場所」を共有したつもりでいる。
著作では過去を語り続けたECDも、作品では今しか表現しなかったように思う。彼亡き後、彼の今はもうすでに過去のことである。しかしこれからも、彼は今を生きる自分を突き動かすだろう。
そして我々は日々の暮らしのために「仕事」をし続ける。それがロックやヒップホップであればいい。

今日はお通夜、最後のお別れです。

ネトウヨを抱いて共に地獄へ堕ちる

2015-09-22 09:39:32 | News
ネトウヨ、特に現在の行動保守界隈にしがみついているような、クレイジーを煮染めたようなレイシストと対峙するのはかなり勇気がいる。勿論それまでだってそうだったのだけれども、奴らを相手にするには奴らのレベルに落ちる必要がある。これは余程そのことに対して意識的でいなければ、まともな人間には耐えられないことである。
それはもうミイラ取りの世界だ。
「史上最悪のカウンター」とも言われた昨日の鶯谷での「チン毛コール」などはその最たるもので、笑い話にはなるとはいえ、もはやこれはネトウヨを抱いて一緒に地獄に堕ちるようなものである。

同じレベルと言えば、昨日の警備の中にはレイシストと変わらないような、いじめっ子のような表情や言動でこちらを挑発する者がいた。勿論現場にいる多くの警備はそこまで露骨ではないのだが、まったくあんな喧騒と魑魅魍魎の中にいると警備の中にもネトウヨと共に堕ちる人間がいる。

昨日の銀座での排外デモには年若いレイシストもいた。彼らの同世代の者からカウンターを受ければきっと効き目も違うのだろうが、清廉なイメージを保つなら、シールズはこんな魑魅魍魎には関わらない方がいいよなあ、としみじみ思うのであった。
これは大人の、そしてヨゴレの仕事だ。

(IF YOU WANT IT)/安保法案国会正門前抗議集会(9.18)

2015-09-21 12:26:55 | News

SEALDsは強行採決の数日前から立て続けに、新聞に意見広告を出した。最後の広告が参議院の強行採決の朝ならば最高にかっこよかったのだが、その前日、“最後”の安保法案反対抗議集会の日にその広告は掲載された。
メインコピーは「民主主義は止まらない」。そして「それを望む人たちがいる限り」のサブコピーが添えられている。
言うまでもなくこれは彼らが参加者に提供していたプラカードの文言、「WAR IS OVER(IF YOU WANT IT)」の意訳であろう。
これはベトナム戦争の真っ只中にジョン・レノン、小野洋子とともにポスターや看板の形で世界11都市に貼られ、掲示された意見広告で、アート作品である。このインパクトが強い言葉とデザインは多くの社会運動のメッセージやプラカードのビジュアルとしてインスパイアを与え続けている。当然3.11以降の反原発運動でもこの言葉を活用したプラカードは数多く見られた。
英語とはいえ、日本人の誰にでもわかりやすく、伝わりやすい言葉である。
この作品が発表された69年、70年前後はとても「WAR IS OVER(戦争は終わった)」といえる状況ではない。だからこそメッセージは「IF YOU WANT IT(君が望むのならば)」と続く。その言葉がなければメッセージは勿論成立しない。
ここでは「WAR」となってはいるが、主語を置き換えることでこのメッセージは人々の希望や願い、怒りの表明する普遍的なフォーマットになっている。
大事なことは「望むこと(IF YOU WANT IT)」で、オレたちは「それ」を望み、求め続けなければならない。

20時を過ぎ、SEALDsがリードする抗議集会が行われている中、ふと周囲を見ていると BRAHMANのTOSHI-LOWの後ろ姿が見えた。間もなくイースタンユースの吉野寿が現れ、TOSHI-LOWとツーショットで写真を撮っていた。吉野はいつもの変顔だ。彼らは表立ってプロテストを表明するミュージシャンが少ない日本の音楽業界の中ではっきりと意思表示を続ける本物のロッカーズである。
勿論3.11以降の様々な場面で出会ったきた人たちがその場に集まっていた。

30分ほど過ぎ、集会のリードグループが入れ替わるために、国会正門前の先頭付近には一瞬の静寂に包まれる。怒りのドラムデモで、昨年の特定秘密保護法反対運動をオーガナイズした中心人物のひとりである井手実が、平野太一に声をかける。平野もまたtwitnonukesや初期の反原発首都圏連合などで3.11以降の社会運動を現場でリードしてきた男だ。
SEALDsは確かに若者だが、3.11以降のキャリアがあるとはいえ、彼らだってまだ若い、希望のある青年たちだ。

「入れ替わりの合間だし、やってもいいんじゃないか?」
井手が平野にコールのリードを促す。
そして平野はトラメガの位置を確認してマイクを握り直すと、あのいつものエモーショナルで切迫した声でコールを始めた。周囲は一気にレスポンスで沸騰する、
リードする平野の声を聞いていて、2011年の春を思い出し、少し感傷的になり胸が熱くなった。やはり“オレたち”はこの声から始まってここまでやってきたのだ。

しばらくコールが続いた後、オレはコールの直前に平野から預かっていたビデオカメラをC.R.A.C. の人間に託すと、後方へ動き始めた中核派の幟旗を追いかけた。
感傷的になるのは一瞬だけでいい。

それから4時間後、安保法案は参議院で強行採決された。民主党の福山哲郎は採決前の反対討論で一世一代とでも言うべき、実に熱く、怒りに満ちた、そして人間味に溢れる演説を行った。与党や賛成野党によって都合良く15分に縛られた討論時間は当たり前のように破られた。奴らは勝つためにルールを作り変え、悪用し、オレたちは負けないためにルールの隙を突き、突破していく。
それは来るべき参院選、そして安倍政権打倒に向けた狼煙であることは間違いがない。

シルバーウィークに入り、全国各地で安保法案反対のデモや抗議集会がさらに拡大し続けている。「民主主義は止まらない」というのはきっとそういうことだろう。
昨日、国会正門前の抗議でついた靴の泥を洗い流し、オレは六本木へ向かった。
オレはオレが何を求めているのか知っている。

奴らを止めるために/新横浜「安保関連法案地方公聴会」抗議行動

2015-09-18 03:45:47 | News


水曜日は新横浜で「安保関連法案に関する地方公聴会」の抗議行動に参加した。12時30分頃に新横浜プリンスホテル周辺に到着すると、正面玄関を中心に抗議の集団が固まり声を上げている。新横浜歩道橋にもびっしりと抗議のプラカードを持つ人たちが立ち並んでいた。
勿論ホテル内に出入りすることは可能だったそうだが、「中」の様子はTLなどで流れてくる以上のものはわからない。

ただ、もうこの公聴会抗議では、最初から「やるべきことがわかっている連中」の目的は決まっていた。歩きながら、また何人かで固まりながら言葉を交わして状況を探る。
公聴会の開始時点で抗議の中心になっている正面玄関ではない、プロテスターの集中ポイントは容易に共有された。
大型トラックが頻繁に出入りする搬入口の横にあるホテルの駐車場出口周辺(から正面付近)。それがプロテスターの集中ポイントだ。
公聴会の終了予定時間である15時前後から位置を確認するプロテスターの動きも慌ただしくなる。

それから30分ほど過ぎた頃、まずホテルの駐車場から猛スピードで黒塗りの車両が2台飛び出し、2車線の道路を直進していった。少々危険なスピードだ。
そして続く“黒塗り”が姿を現した瞬間に雪崩を打つようにプロテスターが車道に飛び出しシットインを始める。
警備に排除されても場所を移動しながらひたすらシットインを続ける。

ホテルの正面玄関前の6車線が今回のシットインの中心になった。
プロテスターが乗る一台の軽車両が議員が乗る車両の進路を遮るように、道路に対して垂直に止められ、その先には数十人のシットインの塊が形成されている。
そして一台の“黒塗り”が完全にシットインで行く手を阻まれた。
「あの車は蓮舫らしい」
そんな話を聞きながら、「強行採決絶対反対」を叫び、道路から引き剥がされるプロテスターの隙間を埋めるように座り込み、寝転んでいく。“蓮舫の車”ならば反対を叫ぶこともないのだろうが、仮に蓮舫ならば、尚更彼女に伝える必要がある。

そもそもこの新横浜での公聴会抗議がおそらくプロテスターによる直接抗議としては最後のチャンスになるだろうと思っていた。ぎりぎりのタイミングで設定されたアリバイ作りの公聴会が終わってしまえば、戦いの舞台は国会の「中」に移る。オレたちの代わりに戦わなければならないのは反対を表明する野党議員だ。
聞く耳を持っているとはとても思えない与党や偽装野党のボンクラ議員の奴ら以上に、彼らにこそ、オレたちが真剣に反対しているということを伝えなければならない。

断続的なコールと警備の怒号、そして止められてしまった一般車両のクラクションでホテル前の道路は騒然としか言いようのない状況になった。正面玄関前の歩道で整然と抗議を続けていた人たちも車道に飛び出し、シットインに加わる人も数多く現れた。
じりじりと押されながらシットインと警官と報道陣の塊は新横浜歩道橋をくぐり抜け、国道の交差点に飛び出していく。
オレを腕をねじり上げた私服の警官が叫ぶ。
「これぐらい遅れても全然影響ねえよ!」
オレも叫び返す。
「少しでも時間稼ぎたいからやってんだよ!」
警官に突き飛ばされたオレにぶつかったカメラマンは「危ねえな」と吐き捨てるように呟いた。最近オレのTLでは評判の良くない共同通信のカメラマンだった。
シットインは警備と揉み合いながら一時間ほど続いた。

民主党はオレたちの本気を目の当たりにして、以前よりは少し(もっと)真剣になったらしい。そして特別委員会の凶悪としかいいようのない強行採決は一日だけ引き延ばされた。

“黒塗り”が走り去った後、数百人のプロテスターは道路に広がり、「¡No pasarán !(ノー・パサラン=奴らを通すな)」をコールしながら、整然とホテル前に戻って行った。
昨年12月の特定秘密保護法案への抗議行動で、国会正門前に横断幕で掲げられたこの言葉が人々の口から叫ばれたわけである。
この数年の抗議行動が確実に連動し、経験と“言葉”が積み重ねられて、「普通」のデモクラシーの作法が浸透していることを実感した。この新横浜での抵抗はそれを実証できたと思うのだ。
それは海外ニュースの光景のようでもあり、まるでドラマのワンシーンのようでもあった。またそれは自分たちを鼓舞するような叫びであっただろう。ほんの少しの間だけの高揚感だから許して欲しい。
その場所から多くの人がまだシリアスな抗議が続く国会正門前へ向かった。

国会は今日一日緊迫化し、最大の山場を迎える。そして正門前では「中」の人をサポートすべく最大の抗議行動が行われる。状況は行動の転換が行われるかもしれない重大な局面に入った。
国会正門前の最前線に張られる規制線と悪戯に揉み合うよりもやるべきことがある。一人ひとりがひとつのことを考え、また「次のこと」を考え行動する時だ。

国会正門前に光の烽火をあげろ

2015-09-14 15:45:56 | News
3.11以降、4年半の社会運動を振り返ってみると、やはり現在の状況は必然だったのではないかと重く痛感する。
痛感するのだが、しかし痛感しているだけではシングルイシューを掲げて4年半続けてきたことに意味がない。
今日からの5日間、戦後最悪の安保法案を巡って国会周辺、そして日本は戦後最大の歴史的な抵抗と抗議の5日間を迎える。
本日18時30分からの国会専門前での抗議行動、明日の中央公聴会を経て、16日には地方公聴会、新横浜プリンスホテル前でBattle of Shin-yokohamaである。
これから残り数日間は政治的スケジュールとの競争になる。文字通り、状況はまさに「奴らを通すな(No Pasaran!)」だ。

まずは本日、国会正門前に抵抗と抗議のための光の烽火をあがる。
安保法案に反対する心ある人々は国会前の暗闇に掲げる携帯電話等を手に結集されたい。

「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない」

■戦争法案廃案!国会正門前行動
9月10、11、14~18日
13時~座り込み
18時30分~大集会

■横浜地方公聴会緊急抗議行動
9月16日13:00-15:30
新横浜プリンスホテル前(東海道新幹線・JR横浜線・市営地下鉄より徒歩約2分