徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

あの夜、永遠の夜

2020-07-23 13:07:00 | Music
ジャズギタリストの橋本信二さんが亡くなった。

今、2006年5月28日のGATE ONEの録音を聴いている。板橋文夫が初めてGATE ONEに出演した日だ。もう14年前経ったなんて信じられない。部屋の照明を薄暗くして、目を閉じて聴いていると今でもあの夜のように信二さんのギターとまり子さんの歌声がリアルに響いてくる。
あの夜、隣に誰が座っていたのか思い出せないが、店の中にあの頃に響いていたら声や拍手が聴こえてくる。カウンターに座るのはなかなか気恥ずかしくて、たいていは階段に座って信二さんのギターを聴いていた。
気分的にはまだガキだったオレに本田さんや信二さんは簡単に声をかけられる存在ではなかったけれども、もう14年も経ってずいぶんと面の皮も厚くなってしまった。もう会えない。でもオレにとって高田馬場の街で聴いた最高のブルーズジャズギタリストは永遠だ。一瞬でも出会えて良かった。ありがとうございました。


我が最良の80年代の記憶/TOKYO SOY SAUCE 2019

2019-03-17 14:59:17 | Music


今や80年代は悪い時代だったと言われる。例えば「MANZAIブームのあとには日本人の(笑いの)感覚が変わる、荒野になる」と時勢を斬った萩本欽一や沢田隆治(この人も毀誉褒貶相半ばする人だし、彼ら自身が時代の変わり目に直面していたわけだが)の言葉のように、あの当時であっても警告していた人はいたし、その時代に10代から20代を過ごした自分にとっても思い当たるふしはある。時代は変わってしまった。あの頃、鋭い社会批評だったものの多くは、その後に訪れる超反動時代の萌芽であり、21世紀を迎えた頃には呑気な時代遅れで、今や幼稚でしかない<本音>に反転してしまった。
しかし80年代が最悪の時代だったからといって、すべてが最悪なわけではもちろんない。そしてもちろんこれは笑いの話ではない。

昨夜は渋谷のクラブクアトロでTOKYO SOY SAUCE 2019へ行った。彼らと彼らがいたステージは最良の80年代のひとつだった。
1986年の初回から30年以上の時間が経ち、ミュージシャン、スタッフ、オーガナイザーなど少なくない関係者が逝ってしまった。しかしs-ken、Oto、松竹谷清、そしてこだま和文というイベントの中心人物は健在であり、3.11以後、生活拠点を熊本の山中で移していたOtoをs-kenが訪ねたときから復活が話し合われていたのだという。
しかしオレ自身には<TOKYO SOY SAUCE>の記憶はそれほどない。初回(渋谷ライブイン)に行っていないのは確かだが、その後5回まで行われたイベントに行ったのか、行っていないのか記憶にない。確かなのはインクスティック芝浦ファクトリーという場所には頻繁に行っていて、彼らはその場所によく出演していた、それだけだ。若造だったオレには<信用できる場所>が必要で、例えばザ・スズナリと同じぐらい、その当時インクスティック芝浦ファクトリーは信用できる場所だったのだろうと思う。ちなみにJAGATARAの最後のライブなってしまった新宿のパワーステーションには行かなかった。たぶんパワーステーションだから行かなかったのだと思う。また観られるだろうと。油断した。往年の<TOKYO SOY SAUCE>のようすはJAGATARAのドキュメンタリーである『ナンノこっちゃい』で観られる。倒れるほど観た。あの『ビッグドア』は聴いたことがなかったので悔やんだ。しかしあれこそがオレが観ていたJAGATARAだった。

JAGATARAは今もなお強度のあるアケミのメッセージとビートでオレたちを踊らせ続ける。この夜のようなパンキッシュな『みちくさ』のコール&レスポンスは、ノスタルジーだけではなく今の時代だからこそできた呼応だったのだと思う。『都市生活者の夜』でノブが「甦れ!」と叫んだのもきっとそういうことなのだ。ノスタルジーだけではないのだ。いやノスタルジーではないのだ。少なくともオレにとっては(ノスタルジーといえばJAGATARA2020でベースを弾いていた黒猫チェルシーの宮田岳の佇まいがナベちゃんにそっくりで驚いた)。
彼らはポップで国境線のない、踊るオルタナティブで、新しい日本人を作っていた。
堂々たるゴッドファーザー然としていたs-kenと松竹谷清、そしてこだま和文の完璧に「楽しい」ステージで踊っていて、そしてあえてこの夜に『Shangri-la』と『不滅の男』をプレイした高木完に改めてそのことを痛感した。オレたちは、否が応でもすでに<楽しむためには正面切って戦わざるを得ない国>に生きていて、そして彼らのライ「ヴ」を観て、スピリッツを受け継ぎ、踊りながら考えて、大人になったのだ。

s-kenの最後の挨拶のあと、南、Oto、EBBYの三人が名残惜しそうに去っていく姿は『ある平凡な男の一日』が聴こえてくるようで、まるで『ナンノこっちゃい』のワンシーンのように思えた(Otoはいつもあんな風にフロアを煽っていた印象がある)。みんなもうさすがにいい歳なのだが、またここから何かが始まるのだろうと思う。オレたちは生き残っている限り、そうでなくちゃいけない。
ステージで、そしてフロアで踊っていたみんなも。

東京が自分の町ならば。


20190316 TOKYO SOY SAUCE2019 大団円

It Isn't Nice

2017-03-05 21:42:33 | Music

Barbara Dane and The Chamber Brothers/It Isn't Nice


中川五郎/カッコよくはないけれど

50年前から日本もアメリカも大して変わってないということで、第4回フォークキャンプコンサートでのアプルパミスの演奏はどうもUPされていないようなので、中川五郎さんの12年のライブから。60年代だし、元がフォークなんだからフォークでいいんだが、やっぱりフォーク(貧乏)が悪い。これはパンクで聴きたい。
しかしバーバラ・デインは顔も、声も本当にかっこいい。

<「気軽にマイク持ってもらっちゃ困るんだよ」と言っている奴がいる>

2014-04-17 18:09:56 | Music
<そして、次の年の冬、こんな噂話を聞いた。「大阪でフリースタイルができないことを苦にして自殺したラッパー志望の若者がいるらしい」信憑性は問題じゃないと思う。少なくとも、大阪から東京まで、この噂を伝わらせた力。それが何なのか? コマーシャルになっていくことをうながしながら反面で、「気軽にマイク持ってもらっちゃ困るんだよ」と言っている奴がいるのだ。そいつらに対する拒絶反応だ。抑圧される者達のための音楽が聞き手を選別する。(中略)
向こうじゃ誰でもやってるから、という理由でやるビッチ・ネタ。ヒップ・ホップはバトルが基本だから、とディス・ネタをリリースするハード・コア・ラッパー。向こうじゃそうだから、ヒップ・ホップはそういうものだから。何故、自分のやることに、自分がやりたいから、という以外の動機付けが必要なのか? 前例がないことをやるのはヒップホップのルールから外れることになるのだ。この国では。向こうにあってこっちにないものを売るのが仕事なのだったら、日本未発売と目玉商品にPOPを貼り付けるスニーカー屋と何が違うのか。
向こうになくてこっちにあるものは何なのか?
探している人はもう見つけているはずだ。>(ECD,2002)


(studio voice 2002.06 Hip hop science/A Witness of hip hop)

あきらめてからが東京

2013-08-04 03:48:26 | Music
金曜日。三ツ沢で大逆転負けを喰らったユースカップ準決勝の広島Y戦を観た帰り、地元の酒場で強かに酔う。
チャントを歌ったのは2ヵ月ぶりかな。
会計を終えてから店先のベンチに座ってTLに流れてきたyoutubeを観る。なぜかイヤフォンじゃなくて、周りの目も気にせずにiPhoneのスピーカーで聴く。まったく嫌な酔っ払いだぜ…いや、しかしいい歌だなあ。自己憐憫じゃないんだよ。震えた。


あの時、キミは夜と霧の中にいた

2013-05-02 20:17:53 | Music



せめぎ合いを横目で 見ていたキミは
記憶を失くした母の 涙に手を振りながら
無言の問いかけに 答えるすべもなく
あの時 キミは夜と霧の中にいた

知りたがり屋の少女は 屋根裏部屋で
退屈の次に嫌いな 鏡に舌出していた
母の記憶を 覗いちゃ駄目だよ
あの時 彼女は夜と霧の中にいた

すべては夢の中で 焼き直されて
遠ざかる月日に 美しく燃えつづけ
祈りのように当てもなく漂いつづける
あの時 オレは夜と霧の中にいた

もしも帰る舟に乗れたなら
思い出して欲しい
あの夜の出会い 霧の別離(ディアスポラ)
思い出して欲しい

売国奴になれなんて 云われてみても
返事をするには 少し遅すぎたようだ
臆病な夜明けに 呼鈴(チャイム)は危険だよ
あの時 キミは夜と霧の中にいた

もしも帰る舟に乗れたなら
思い出して欲しい
あの夜の出会い 霧の別離(ディアスポラ)
思い出して欲しい

おそるおそる窓を覗く 少女の顔は
たとえレンブラントさえ描けやしないだろう
失くした日記(ダイヤリー) 焼かれた辞書(ディクショナリー)
あの時 少女は夜と霧の中にいた

キプロスの海よりも キミは奇跡さ
透き通ったものなんて 信じられやしないだろう
秘密の願いは話しちゃ駄目だよ
あの時 キミは夜と霧の中にいた
あの時 キミは夜と霧の中にいた
PANTA/夜と霧の中で


PANTA/クリスタルナハト


PANTA/反逆の軌跡 PANTA SOLO 35TH ANNIVERSARY LIVE AT THE DOORS 2011.11.5&6

Breaking Glass

2013-02-11 01:27:14 | Music



最近はまたぼくは
あなたの部屋の鏡を割ってるんだ
あなたが鏡の中の自分の顔は見ずに
外界を直視してくれるように…
足元のカーペットを見つめるなんて
よしなさい
カーペットの上にはさっきぼくが
こわい絵を描いておいたよ

あなたはとても素晴らしい方ですが
いろんな悩みをかかえてます
だからそれが障害になって
ぼくはあなたをさわれません
(h.iwatani 1977/david bowie"low")

ナンのこっちゃい4/『あのじゃがたらの。』全編上映会

2013-01-29 18:21:18 | Music


昨夜は新世界で「江戸アケミ命日特集 2012/11/3『あのじゃがたらの名曲の数々を、南流石が舞い、渋さ知らズが奏で、そして、こだま和文が唄う。』全編上映会」。ライブ当日は行けなかったのでこれまでyoutubeで断片を観るしかなかったのだが、全編上映ということで西麻布へ駆けつける。まあ関係者も含めて観客が20人弱というのは実に寂しい限りなのだけれども、途中で画面が3分割するんじゃないかというぐらいに渋さのオープニング「Naadam」から熱い。




クライマックスはこだまさんの「ある平凡な男の一日」と南さんの「中産階級ハーレム」「都市生活者の夜」。ふたりとも所謂ヴォーカリストではないので、その点は差し引いても、いやそれを上回る切実な唄とパフォーマンスが素晴らしかった。こだまさんは後半アケミが乗り移ったかのように「ナンのこっちゃい」を叫び続ける。全編、南さんとこだまさんによる、アケミとじゃがたらに捧げる愛のドキュメンタリーといった内容。さらに、確かにじゃがたらってコレだよなあ…と思ったのがEBBYの硬質で、軽やかなトーン。EBBYのギターだけでもじゃがたらの世界が甦る。



また撮影・編集を担当したくどうかずおさんの作品として素晴らしいと思った。勿論撮影用のライブではないのでまったく光が足りないシーンも少なくないのだけれども、それを補う編集だった。youtubeで観るよりも大きな画面で、全編通しで観て欲しいと思う(機会があれば)。「ナンのこっちゃい HISTORY OF JAGATARA4」ですね、これ。



ソウリの発言/Lj 029

2013-01-29 15:58:12 | Music


ソウリ こだまさんの中に「アケミは9・11と3・11を知らない」という想いが強くあるんじゃないかと思う。体験してしまったこだま和文が「アケミが体験していたらどんな想いで唄うんだろう?」という気持ちを込めて唄ってくれたんだよね。(中略)体制を維持するためのメディア、報道機関の隠蔽体質は今もアケミが生きていた時代もまったく変わらない。アケミが言っていたことは「<真実>はそんなところにはない。私がここにいて、あなたがここにいる空間だけが<真実>だ」と言っていたわけで、こだまさんも当日言っていたよね、アケミは『自由であれ!』と言っていた」と。
(じゃがたら 南流石×大平“ソウリ”泰男 アンダーグランドシーンから発信された、ファンクという「踊りのメッセージ」)


Lj No.29) 

パルチザンです/佐藤タイジ presents A 100% SOLARS

2013-01-02 16:20:54 | Music

あけましておめでとうございます。今年もよろしくです。

予定通り元日に到着した「佐藤タイジ presents A 100% SOLARS」
ザ・ソーラー武道館が蘇るSalyuとの「together tonight」。あのイベントでの最高潮であり、最大のクライマックスだったチャボの「ガルシアの風」が、聴いている者の首根っこを掴むようなうただったのに対して、ザ・ソーラー武道館の理念の光の部分を伸びやかに謳い切ったのがSalyuだった。「together tonight」はまだ決して完成度の高い歌とは言えないけれども、この曲と彼女の「新しいYES」は、改めて前半のクライマックスだったと思う。ちなみに「together tonight」はライブではよく見られる、タイジ流の「弾き語り」の雰囲気をよーく伝える楽曲だと思います(この歌、要するにとにかくサビを合唱したい歌だと思われる)。

一方、現場では歌われなかった「朝を迎えて 911 to 311」。Charがヘヴィにアレンジしたこの曲は、3.11以降、タイジが歌い続けてきた歌として正式にレコーディングされたことは良かったと思う。しかし内容が内容だけに現場でもやっぱり歌って欲しかったかなあ(このアルバムからは唯一歌われなかった)。タイジのポジティブなメッセージも、この歌に歌われるような暗い怒りや悲しみがあってこそ、なのだから。年末に読んだi-tunesのTheare Brookのレコメンドで、ヴォーカルについて文句を書いてる人がいてひとしきりムカついたのだが、この歌のタイジのヴォーカルはかなり素晴らしいです。
そしてインディーズ電力。ザ・ソーラー武道館のオープニングアクトでも謳われた、メンバーのうつみようこ、佐藤タイジ、高野哲の楽曲をそれぞれ1曲ずつ収録。「対メジャー」をはっきり打ち出しているインディーズ電力ということで、言葉の直接性や攻撃性は強い。さすがにタイマーズほどの諧謔性や軽やかさはないものの、3人それぞれの個性がしっかり出ていて、アコースティックながらロッキンしています。

ということで「あなたの街にインディーズ電力を呼んでみませんか?」。

<生活に元気を!地元に勇気を!!という発電希望の方々からの御連絡をお待ちしております。
下記URLより御連絡ください。日本全国、いや海を渡った海外でもあなたの街に発電しにいきます。
(注)発電活動ができる会場をお持ちの方
(30名~のキャパシティをお持ちの方)からのお誘いお待ちしてます。
http://www.wisdom-recordings.com/ contactより御依頼下さい。>

とのことです。
インディーズ電力の戦いは今年も続く。

タイジの意志がみんなに伝わるように/THE SOLAR BUDOKAN

2012-12-21 17:11:21 | Music


昨夜はついにTHE SOLAR BUDOKAN

2年間の活動休止から2009年末のTheatre Brook復活、翌年満を持して発表した前作『Intention』と、その時々タイジは「武道館でのライブ」を口にしていた。『Intention』はまさに武道館サイズ、スタジアムサイズなハードロックで、ファンは「2012年の武道館」を期待していたはずだ(正直Theatre Brookの単独ではなかなか難しいよなあ…と思いつつ)。
とにかくオレたちの「2012年末のTheatre Brookの武道館」は決まっていた。本音か冗談かは不明だが理由は“マヤ”だった(はずだ)。とにかく2012年は武道館だったのである。
しかし、そんな理由も吹き飛ぶような“現実”が起こる。

マヤ暦なんぞを待つこともなく、3.11で“世界”は変わってしまった。
2011年3月17日、下北沢・風知空知で行なわれる予定だった「Theatre Brook History's Bar~ありったけ語ります~episode.2」は、急遽「東北地方太平洋沖地震チャリティライブ LIVE FOR NIPPON」とタイトルを変更し、まだ激しく余震が続く中(実際ライブ中、何回も揺れた)チャリティライブが行なわれた。オープニングでタイジとkenkenは「Helpless」を、Leyonaは「You've Got A Friend」を、武藤昭平とウエノコウジは出たばかりのアルバムから「キリンの首」など男気溢れる、鳥肌が立つような歌を、うつみようこは「満月の夕」を、そして「ずっとウソだった」を歌う前の斉藤和義は飛び入りで「歩いて帰ろう」と「歌うたいのバラッド」を感動的に歌った。
まだ状況はすべて同時進行で、ライブは慰霊とも怒りともつかないものになった。

しかし翌月4月14日に行なわれた「3.11チャリティーライブ LIVE FOR NIPPON」(名称変更)では、震災後いち早く「Love For Nippon」というプロジェクトを立ち上げたキャンドル・ジュンがゲスト出演し、今回の武道館ライブ、THE SOLAR BUDOKANのきっかけとなる「YES」というキーワードを提案している(そもそも「LIVE FOR NIPPON」はキャンドル・ジュンの「Love For Nippon」からインスパイアされたものである)。
もう斉藤和義は「ずっとウソだった」を発表していたし、それを受けるようにタイジは「Rock'n in The Free World」を歌っていた。正直なところ個人的には「YES」などという心境にはなれなかったものの、震災、そして原発事故に対して湧き上がる「NO」という怒りと共に、次なるアクションとして「YES」はこのときにすでに差し出されていたわけだ。
マンスリーライブとなった「LIVE FOR NIPPON」での提案は回を重ねるごとに具体化し、「THE SOLAR BUDOKAN」へと巨大化していく。インディーズ電力も100% SOLARSもTAIJI at THE BONNETなど、佐藤タイジプロジェクトと称された各ユニットも2012年12月のSOLAR BUDOKANを目指しても一気に始動していくことになる。

(その後の詳細など等は↓)




そして2012年12月21日、THE SOLAR BUDOKANは目の前に現れた。
ニューアルバムから「キミを見てる」のインストをバックに、ビデオの中でタイジは「私たちの未来は私たちが作ることができる」と宣言する。そして本編のオープニングナンバーは、THE SOLAR BUDOKANの旅立ちの日に、これ以上ないTheatre Brookの名曲「まばたき」。オープニングアクトのときには空席が目立っていた客席もすっかり埋まり、ブドーカンの雰囲気は出来上がっていた。「Theatre Brookの武道館」を目の当たりにして最初から胸が熱くなってしまった(泣いた)。
以降Theatre Brookがハウスバンドとなり、各ゲストが歌うという豪華なフェスになった。特にタイジはオープニングアクトから数えれば3時間30分、ほとんど休むことなくギターを弾き続けた。
とんでもない武道館童貞の「筆下ろし」である。
ほぼ全編見所なのでノーカット版でのソフト化を期待したいところだが(WOWOWで来年3月放送予定、らしい)、特にアコースティックセットのChar以降の盛り上がりは凄まじく、Theatre Brookをバックに吉川晃司、奥田民生、藤井フミヤ、斉藤和義といったソロヴォーカリストが畳み掛けていく展開は「武道館ロック」に相応しい。

そして、ゲストヴォーカリストとして最後に、「よォーこそ」と叫びながら登場したチャボが思いっきりSOLAR BUDOKANの理念を昇華させる。
タイジを労いつつ(スクリーンに俯くタイジの顔が映し出される)、タイジがリクエストした歌として、そして「タイジの意志がみんなに伝わるように」と、ここで畢生の名曲「ガルシアの風」を歌う。

ああ どうにもならぬ事など 何もなかったのです
ああ どうしようもない事など 何ひとつなかったのです

チャボを観るのも久しぶりだったけれども、武道館で観るのはいつ以来だろう。まったく、何で、相変わらず、そして武道館サイズであっても、こんなにも言葉のひとつひとつが伝わるんだろうと思った。このまま終わっても、それなりに楽しくて、充実したライブであったのは間違いないのだけれども、「タイジの意志がみんなに伝わるように」と歌った、この歌は、武道館のオーディエンスを一気にひとつにしてしまった。
オレたちには「どうにもならぬ事」も「どうしようもない事」など、「何ひとつない」のだ。そう思えたし、そう思わされた。
これはロックンロール・マジックです。

すべてが終わった後、タイジはTheatre Brookの4人だけをステージ上に残して「Theatre Brookの武道館」に幕を下ろした。そしてメンバーの一人ひとりに(文字通り)抱きついて喜びを表現した。
その感動的な光景にタイジの名前を叫ばずにはいられなかった。

【THE SOLAR BUDOKAN 2012.12.20セットリスト】
Opening
01.インディーズ電力(うつみようこ、佐藤タイジ、高野哲)/MY ATOM LOVER~レッツゴ―電力~オリジナル電力
02.The Sunpaulo(佐藤タイジ+森俊之)&沼澤尚/Close To You
03.Theatre Brook/まばたき
04.Leyona with Theatre Brook /Tone
05.和田唱(TRICERATOPS)with Theatre Brook/Fever
06.LOVE PSYCHEDELICO with Theatre Brook/LADY MADONNA 憂鬱なるスパイター~Rock'in the Free World
07.加藤登紀子 with Theatre Brook/愛と死のミュゼット
08.A 100% SOLARS(佐藤タイジ×Salyu)/together tonight
09.Salyu with A 100% SOLARS/新しいYES
10.田中和将(GRAPEVINE) with A 100% SOLARS/光について
11.TAIJI at THE BONNET(佐藤タイジ、ウエノコウジ、阿部耕作、うつみようこ、奥野真哉)&増子直純、田中和将/ROCK'N ROLL JEDI
12.増子直純(怒髪天) with TAIJI at THE BONNET/オトナノススメ
13.浜崎貴司&佐藤タイジ/幸せであるように
14.土屋公平&屋敷豪太、佐藤タイジ/Sunshine
15.Char&屋敷豪太、佐藤タイジ/Shin'You Shin'Day
16.Char&屋敷豪太、佐藤タイジ/SMOKY
17.吉川晃司 with Theatre Brook/1990
18.吉川晃司 with Theatre Brook/BOY'S LIFE
19.奧田民生 with Theatre Brook/ルート2
20.奧田民生 with Theatre Brook/マシマロ
21.藤井フミヤ with Theatre Brook、奥田民生/嵐の海
22.藤井フミヤ with Theatre Brook/Another Orion
23.斉藤和義 with Theatre Brook/歩いて帰ろう
24.斉藤和義 with Theatre Brook/やさしくなりたい
25.仲井戸“CHABO”麗市 with Theatre Brook/ガルシアの風
26.Theatre Brook/昨日よりちょっと
27.Theatre Brook/(最近の)ありったけの愛

YESの革命、まもなく/シアター・ブルック「最近の革命」

2012-12-19 04:13:25 | Music


シアターブルック、2012年の最新作『最近の革命』。
作為なきパフォーマンスと天衣無縫なギターとは裏腹に、タイジの書く歌詞は実に繊細で、直球で、気恥ずかしいほど真面目である。一曲目「キミを見てる」では、3.11の衝撃から生まれた「ひとつの答え」であり、いよいよ開催が間近に迫ったソーラー武道館とタイジ自身の覚悟が色濃く投影されている。まさにソーラー武道館賛歌ともいえる内容。以降、収録された新曲はどれもが、2011年から2012年のタイジの率直な心の動きが表現されていると思う。ということで、音の方も武道館向けのハードロック大会だった前作とは打って変わって(“ソーラー”かどうかはともかく、2012年末の武道館公演は前作のリリース当時から宣言していたのだ)、原点回帰ともいえるアーシーな感触になっている。

タイジのいう「NOではなくYESの革命」とは、3.11直後から連続開催されている下北沢・風知空知でのシリーズライブ「LIVE FOR NIPPON」でゲスト出演したキャンドル・ジュンの言葉を受けたものだろう。正直言ってその言葉には全面的に賛成というわけではないのだけれども、この場合のYES/NOはコインの裏表、クルマの両輪といったニュアンスで受け止めている。

「YESの革命」は明後日で武道館から始まる。
革命の門出を是非是非多くの人に見守って欲しいと思う。

高架下にて

2012-09-02 00:55:25 | Music


木曜日は郵便局へ発送しに行った足で錦糸町の河内音頭を聴きに行く。
首都高の高架下というシチュエーションといい、聴衆を煽るようなライティングといい、なかなか味わい深いものであります。
やっぱし高円寺も聴きに行けば良かったかなあ…。

もう人をオーディエンスだけにしてしまうようなものにはあんまり興味を持てなくなっているのだよね。
もはや大人しく聴いてるぐらいなら弾け、叩け、踊れ、歌えと思うので。
そういう意味で高円寺の阿波踊りも錦糸町の河内音頭も支持ではありますが。