徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

収穫のとき/第30節G大阪戦

2008-10-27 19:29:59 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
日曜日。
日本平で「清水対G大阪」戦。国内カップ戦ファイナリストがACLファイナリストに完勝。
ガンバは水曜日にACL準決勝があって中3日だったとか、遠藤が累積でいないだとか、いろいろと言い訳はあろうが、そんなものは最初からわかっていたことで、<パンがなければお菓子を食べればいいじゃない>というだけの話である。浦和しかり、川崎しかり、ガンバもそうやって補強をしてきたはずである。
それに対して、かつては豊潤だった土地が時を経て荒れ果て、その土地を再び耕し小麦からパンを作り続けたのが健太エスパルス。そのひとつの収穫期が今であり、この日の完勝も当然と言えば当然なのだ。まさに日本の自給率問題に対してビビッドな解答を提示しているのが、健太と清水エスパルスなのである。
自給率は大切です。いや、本当。

ゲーム後にドリプラで行われたサポーターズパーティーのゲストはヤジと戸田。ふたりに、ナビスコカップ決勝に向けたサポーターのメッセージの書き込まれたフラッグが手渡された。
いよいよ土曜日は決戦。ローマは一日にしてならず、その第一歩である。

その前に風邪を治さないとなァ……。

博多取材③

2008-10-26 02:27:36 | LB中洲通信2004~2010
金曜日。ホテルに帰り、メールをチェック。なる早で(要するに寝ないで)原稿を送れという指令が着ているのだが、状況的にも体調的にも寝ないわけにもいかないので、ちょっとだけ寝る。チェックアウトの10時ジャストに起床。急いで散乱する荷物を詰め込んで、西鉄福岡駅近くのファミレスでティー・プリーズ。

午後から林眼科病院天神診療所のビル前で藤堂編集長と合流し、院長の林和恵さんの取材。
今回の取材はこれにて終了。取材終了後は駅前のネットカフェへ急行し、空港のチェックインまで、テープ起こし&原稿一本。地下にあったネットカフェではメールが送信できなかったので空港のレストランで原稿を送信。

さすがに帰りの飛行機の中で熱が出た。

博多取材②

2008-10-26 02:04:24 | LB中洲通信2004~2010
木曜日その後。
編集長のタクシーにホテルまで同乗させてもらい荷物を降ろしてから、中洲で出田さんと合流。もつ鍋と黒糖焼酎。出田さんとも久しぶりだ。自由国民社から出たばかりの「坂崎幸之助とJ-POP Friends」は出田さんがデザイナーで、オレもテープ起こし&構成軍団のひとりなので、まずは進行状況の話やら鬼軍曹のOさんの話やら(実はこのとき鬼軍曹から恐ろしい指令メールが来ていたことは知る由もない)。中洲通信の企画の話も出て、これは来週あたりに早速アポ予定。

この日はリンドバーグでお世話になっているのんこさんが10月からママ昇格ということで、嫌がる(照れる)出田さんに無理やり華を買ってもらって店に入る。

で、いろいろあって、風邪気味の大甲君は泣く泣くタクシーに乗ってホテルへ帰り、
こんな夜なので大変珍しい人にも電話して、いろいろあって、出田さんとも途中で別れて、中洲の別の店を出たときにはすっかり夜も明け、午前6時近くだったりした。何で朝まで語ってんだよ、オレ。んきゃー。
数年前にリンドバーグに置き忘れていたジッポが見つかったのが収穫か…。

博多取材①

2008-10-26 01:41:38 | LB中洲通信2004~2010
木曜日。
ニューオータニの裏にある焼きそばとちゃんぽんしかない定食屋さんで昼食。もう、これが地元しか…というか、どう考えても半径100m圏内の人か、何も知らない俺らのような人間しかいかないような店。まあおばちゃんの話が面白かったからよしとする。

昼食後、藤堂編集長と合流して、本木流小唄家元の本木寿以さん、続いて中洲にある国広神社で中洲国広女神輿委員長の桜木里奈(メンバーズRina)さんの取材。
取材後、近くの「珈琲館アンクル 中洲店」で残っていたゲラを編集長にチェックしてもらう。この店、居心地いいよ。次も使おう。

赤い人たちに囲まれて

2008-10-23 10:31:34 | 素日記
博多取材の前泊。ひとまず予定はないので弥太郎(なぜかクーラー全開…)。カメラマンの大甲君は風邪の兆候があったのでホテルで静養。

さすがにホテルのテレビでBS朝日などというレアなチャンネルを観ることはできなさそうなので、天神のファイヤーボールカフェなるスポーツバーでACL「浦和対ガンバ」戦を観る。気がつけば周囲は赤い人だらけ。オレの背後にも赤いフラッグ。どう考えても99%レッズ(&西武ファン&お誕生日会の若いお姉ちゃん集団)。どう見ても今晩はレッズ・パーティー。会費2500円。
しかし前の席に座っていた善良そうなカップルの、聡明そうなお姉ちゃんは、どうやらガンバを応援しているように感じられたので、オレも控えめにガンバを応援する。

だってまかり間違って負けたりして、26日のゲームで鹿島のように変なモチベーションを上げられたりしたら面倒だもの。
この日のゲームのポイントは、いかにガンバが気分よく疲弊するか。それだけである。そんなメインテーマでゲームを観ていたのは、この夜の博多ではオレひとり(たぶん)。残念ながら延長にもPKにもならなかったが、最悪の結果だけは免れた。
絵に描いたように肩を落とすサラリーマン風のレッズたち。あんなに肩を落とすサラリーマンは観たことがない。

次はNOIS/NOIZ。久々にTOSHIさんに挨拶。この日は投げ銭ライブということでほとんどフルハウス。話もできない状況だったので、例の話はまた改めて。2時間ほどライブを観る。残念ながら名前は知らないけど沖縄のシンガーはよかったですな。博多っ子純情風なフォークシンガーの彼もなかなか。

バランス/第29節川崎F戦

2008-10-21 20:03:34 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
兵働「まあでもあの人もまず最初やっぱ縦狙ってくるから」(Sの極み 10月18日付)

鄭大世「日本平には魔物は棲んでいない。いるとしたら選手の心の中」(川崎フロンターレ公式 10月18日付

土曜日。日本平で「清水対川崎」戦。
鄭大世がワールドカップ予選帰りということで、何かの嫌味かと思ったが我那覇先発。予想以上に川崎のディフェンスがハードで苦しんだところもあるけれども、川崎の中村と3トップ(→4トップ→5トップ…)をほぼ抑え込んで完勝。
結局、清水の永遠の右サイドだったイチに取って代わろうとしているのは、戸田でも辻尾でもなく、岩下だった。残り5節次第では、今年は岩下とオカのシーズンになるかもしれない。もちろんいざとなったらイチがいるというのは実に心強いことでもある。

以前、ある出来事について書いたときに某川崎サポの方に「余計なお世話だ!」とかコメントされたのだけれども、いや、ムカつく気持ちも分からないでもないけれども予想通りじゃん…と思ってしまうのだ。
今の清水はJの中では圧倒的にバランスいいですよ。だから魔物なんて住んでなくても順当に勝つのだ。せめてこの美しいバランスが5節前ぐらいから始まっていたら……と思わざるを得ない。ちなみに鄭大世のコメントはさすが甘い幻想などない北の人間なのだなあと感じた(だからテセは強いんだよ、いろんな意味で)。

それにしても西村主審はお互いのチームにとって災難だったと思う。あんなにチャイルディッシュでは始末に負えない。

帰りにドリームプラザに寄ってサポーターズ・パーク。
ナビスコカップが飾られていたので一応撮っといた。決戦まであと11日。


(追記)
そういえば試合球プレゼントのマッチデープログラムのナンバーが、確か「000001」だったと思うのだが、「000001」ってどこで買えるんだろうか…別に欲しくはないが。

Can’t Stop Playin’ The Blues

2008-10-20 00:42:51 | Works
ブルーズ・ギター・マスター塩次伸二氏が昨夜、栃木でのライブ前に倒れ、そのまま亡くなられたという。
昨年には意欲的なアルバムを2枚リリースし、今秋のライブ・サーキットのスケジュールもびっちりと組まれていた。ブルーズマンの人生はこれからじゃないかと思うだけに残念でならないのであります。
ナカスでも話を伺ってみたかったなァ……。

でもCan’t Stop Playin' The Bluesということで、合掌。

自己無責任

2008-10-16 02:29:21 | News
<3バカトリオ>というとても嫌な言葉が流行っていた数年前、同時に<自己責任>という気味の悪い言葉もワンセットで流行していた。あの頃、ネットだけではなく、リアルでそんなことを言うようなヤツは本当に頭が悪いのだと思っていたのだが、あれは、やはり実に過剰な自己防衛の裏返しだったのだと、いま、つくづく感じる。
結局、他人に対しては自己責任、自己責任と言っていたわりには、誰も責任は取らないし、いつも他人の責任なのである。

「個人の幸福に関して何の責任ももたぬ体制に対しては無責任な態度で居直るよりない」(小林信彦『日本の喜劇人』第7章「クレージー王朝の治世」)という60年代のしたたかな美学も、ここにはもうない。

「蒟蒻畑ポーションタイプ」一時製造中止のお知らせ

木村さん

2008-10-14 23:57:26 | LB中洲通信2004~2010
午前中、高輪でフリー・プロデューサーの木村政雄さんの取材。
やすきよ、MANZAIブームから巨人阪神、いくよ・くるよ、ダウンタウン、お笑い界のコンビ等などについてインタビュー。短い時間だったけれども、さすがのプロ・コメンテーターでありました。
12月号特集で掲載予定。

午後原稿。

原点/ジャガーの眼2008

2008-10-13 02:41:03 | Movie/Theater
三鷹の森ジブリ美術館横の木もれ日原っぱで、唐組公演「ジャガーの眼2008」。
80年代半ば、オレが初めて唐十郎の芝居を観たのは、NHKで放送された状況劇場の「ジャガーの眼」だった。舞台中継とはいえ鮮烈なイメージを残して、オラ東京さ行って芝居観るべ! と決意したのは言うまでもない。上京してから下北沢で観たのは新宿梁山泊と(当時の)WAHAHA本舗だったのだが。
今回は「2008」と銘打ち、あの頃とはすっかりキャストも(もちろん唐さんも)変わっているけれども、全編に溢れるテラヤマへのオマージュ、あのときを呼び覚ますようなイメージはそのままに感動的な舞台でありました。
ストーリーや意味だけを追ってもたぶん無駄に疲れるだけだ。テラヤマの戯曲は書籍で読んでも面白いけれども、やはり唐さんの戯曲は読むよりも舞台で観たら数千倍は面白い。
このあと同所では18日、19日と公演が行われ、10月24日~26日にかけて雑司ケ谷・鬼子母神へ公演は続く。これは観ておいた方がいいです。

もう7、8年前だったと思うけれども、ある公演が出演者の急病で急遽中止になったことがあった。そんなことも知らずに新宿西口の原っぱに建てられた赤テントへ行くと、唐さん自らが雨の中、先頭に立って来場者に謝罪をしていた。あの姿が忘れられない。身体を張った表現者ってのはそういうもんだよね。
近々にナカスでもオファーしてみたいと思いますです。

終演後、酒が呑みたくなったので久々にgate oneにでも行こう…と思ったら今日はクローズだったので、スケジュールを確認してみたら中野で梶原まり子さんと大口純一郎さんがライブをやっているようなので顔を出す。痺れた足を引きずって中野のセロニアス。結局気がつけば信二さんを始めgate oneファミリーが店に集まっていて、これじゃあgate oneで呑んでるのと変わんないのであった…終電まで。

唐さんの芝居を観て、大口さんたちのJAZZを聴くと、まあ人間いろいろあるんだけれども、昨日と今日は違うし、今日と明日はやはり違うのだと前向きに信じられたりするのであった。

きよしさん

2008-10-12 15:54:10 | LB中洲通信2004~2010
土曜日。ビートきよしさん取材。

初台で行われていた映画の撮影現場を見学してから新宿へ移動して、2時間ほど話を伺う。やはりきよしさんを目の前にすると、MANZAIブーム世代としてはそれなりに感慨深いのであります。ツービート結成35年の今年、きよしさんにとっての「コンビ」、そして「相棒」。
芸人ビートきよしは健在でありました。

ポップ・アイ

2008-10-08 01:27:41 | Books
<POP・EYE>。やはり、今でもとてもクールでいい雑誌名だと思う。

「POPEYE」がオヤジ雑誌として復活するのだという。
その名も「POPEYE OilyBoy(ポパイ・オイリーボーイ)」。コンセプチュアルな誌名は魅力的だけれども、正直なところオレは「POPEYE」やHDPのような雑誌には(一部連載以外は)縁も、興味もなかった男だった。だからこそ、そういう雑誌が今の時代にどんなコンセプトを打ち出してくるのか、非常に興味深い。世代的に「平凡パンチ」に対する「団塊パンチ」はいまいちピンと来なかったのだけれども、あの「POPEYE」がどう<(自称)成長>するのか、これはたぶん感じるところが大きいだろうと思うのだ。

「POPEYE」というと思い出す書籍が二冊ある。赤田祐一の「ポパイの時代 ある雑誌の奇妙な航海」(太田出版)と、同時期に読んだ西村繁男の「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」(幻冬舎)。ともに雑誌黄金時代を謳歌した両誌の物語。しかし、どちらかというと、物語の主役である伝説の編集者である木滑良久氏や石川次郎氏よりも、松山猛さんや北山耕平さん、ジャンプで言えば当然西村繁男氏ではなく、編集部から排除され、その後『アストロ球団』などの原作者として雄々しく復活する遠崎史朗さんに強いシンパシーを感じた。特に北山さんの批判は辛辣だ。これを克服しなきゃ<大人の>「POPEYE」もできないと思うんだけどな。
その時代、リアルタイムで読んでいたわけではないけれども、批判者、異分子である彼らが編集部と道を分かつことで、80年代以降、オレが興味を持てない「POPEYE」が出来上がっていったわけだ。

まあ成長した「POPEYE」っていうのは、今まで「ブルータス」や「ターザン」だったと思っていたんだが……ひとまず12月が愉しみ。