徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

バーケンの不在とSの極みの罪と罰/清水降格を受け入れるための覚書その4

2015-10-23 18:10:50 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
「Sの極み」という清水エスパルスのサポーターに向けた会員制の有料情報サイトがある。
2003年、清水エスパルスの低迷期に今は亡きフリーライター大場健司が立ち上げ、彼が亡くなったあとは盟友の下舘浩久氏がサイトを引き継ぎ、今日まで更新を続けている。
毎日の更新では監督・コーチやプレーヤーのインタビューのみならず、クラブが非公開にしない限りは練習メニューとピッチに立ったプレーヤーがレポートされ、アンチからは対戦相手のスカウンティングに協力していると蛇蝎の如く嫌われるサイトである。確かにファンやサポーターにとっては重宝な情報サイトだ。番記者の取材は毎日のように行われ、事あるごとに記事にはなるとはいえ、情報は番記者が抱えるだけでほとんど公開されることはない。ということで、ここでしか得られない情報は少なくない。
大場健司ことバーケンは、健太体制最終年の2010年3月24日に亡くなり、その直後に行われた川崎戦の等々力競技場の清水ゴール裏では、彼に対してサポーターによる黙祷が捧げられたという、清水サポーターに愛された番記者であった。

アレックス移籍、健太退任、そして今回の降格決定と、清水に関して号泣することは何回かあったのだが、バーケンが亡くなったことを知ったときも相当堪えた。彼は2010年シーズンの健太体制後の崩壊を警告していたし、プレーヤー同士の「仲良しクラブ化」を危惧する記事も書いていた。
彼は熱い清水至上主義者であったと同時に、プレーヤーに対しても厳しい目を持っていた(と思う)。
それだけに2010年のシーズン開幕と同時に亡くなってしまったのはショックだった。「Sの極み」を通して低迷期から健太体制を追い続け、書き続けていた彼にこそ、清水エスパルスと長谷川健太の物語は書かれなければならないと直接メールを送ったこともあった。

しかし「Sの極み」は変わってしまった。オレもあれほど熱く支持し、バーケンの死後も存続を願っていたサイトに失望し、2014年の半ばには購読を止めた。
「Sの極み」の役割はアフシン・ゴトビを更迭させるために彼に不満を持つプレーヤーと一部サポーターをつなぎ、ゴトビ更迭後は大榎体制を盲目的に後方(広報)支援するサイトに変わってしまったのだ。それが誰かの意図だったのかはわからないし、サイト運営をする上でコアなユーザーが望むものに応えてしまったこともあるのだろう。
勿論最初から下舘氏にバーケンのようなジャーナリストとしての視点は望むべくもない。しかし根拠の薄い大榎擁護を続けることで事態の深刻化に加担してきたことは紛れもない事実である。
「Sの極み」は御用サイト、第二公式ホームページとして運営されていくのか。

何よりも、オレがたびたび書いている「周囲の大人が悪い」という言葉の中の「大人」は、まず「Sの極み」をはじめとする番記者を指している。
そして、それは何よりも「バーケンの不在」ということである。

今でもオレは清水エスパルスのことを考えるとき、時折「バーケンだったらどう書くだろう」と想像する。
「メシのタネ」にはなかなか逆らえない気持ちはわからないでもない(勿論「メシのタネ」とは決してクラブだけを指すわけではない)。しかし仲良しクラブを強烈に批判したバーケンは、今のエスパルスを認めてくれるだろうか。
番記者が書く、いまだに降格の直接的な要因と問題の本質をあやふやにした検証記事(つまり前々回に書いた「前提」を無視した内容である)をバーケンは望んでいるだろうか。

失敗は繰り返された/清水降格を受け入れるための覚書その3

2015-10-23 18:02:17 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
前回、前々回と二度のギャンブルについて書いた。
スポニチの降格検証記事を読んでいて、そのギャンブルの当事者である大榎克己は、やはりもうひとりの当事者、長谷川健太の幻影に振り回されていたのではないかという思いが改めて強くなった。
クラブの設立メンバーというだけでなく、高校時代には清水東高の三羽烏として静岡の高校サッカー黄金時代を築いた生粋の清水オリジナルのふたりである。それは意識しないわけがないだろう。清水での失敗を糧に現在はガンバ大阪でプロ監督としてのキャリアを順調に積んでいる健太と一度たりとも浮上のきっかけをつかむことなく、結果的にクラブを降格させてしまった大榎。
しかし今日の大榎が、勿論健太だった可能性もある。
彼らの起用はギャンブルだったのだから当然だろう。

ふたりのやり方は好対照だった。
ユースの監督を長く務め、トップチームでも積極的にユースのプレーヤーを起用した大榎に対して、健太時代は低迷期の地元中心の路線を改め、静岡にこだわらない選手補強を進めた。これにより久米一正(強化育成本部長)と興津大三(スカウト)の名前が大きくクローズアップされた。有望新人獲得におけるあまりの好成績に興津などは毎年のシーズンオフの話題の中心だった印象さえある。
健太の幸運は、2000年代前半のユース黄金時代を支えていた杉山浩太に加え、枝村、山本真希、山本海人などが大卒、高卒プレーヤーと共に加入してきたことだろう。「静岡からの路線変更」と言いつつ、実際にはユースも厚い選手層に大きく貢献していたのだから、清水に拘る一部サポーターの不平不満も起こるはずがない。
大榎の不幸は、久米も興津も、さらに言えば早川巌もいなかったことにある。勿論監督としての技量の問題もさることながら、彼をサポートすべき強化部を中心とするフロントの問題が大きかったのではないか。それは大榎就任時に遡って検証されるべきで、当時の竹内前社長と原靖強化部長の責任は重大である。

クラブが「レジェンドというギャンブル」を打つとき、2度の「低迷」があり、当然その低迷期に監督に就いていた人物がいる。
石崎信弘(→長谷川健太)とアフシン・ゴトビ(→大榎克己→田坂和昭)である。
共に手腕とマネジメント能力が高く評価される一方で、スタンドの一部サポーターと鋭く対立し、遺恨さえ遺した石崎信弘とアフシン・ゴトビ。そしてその後に、とても「レジェンド」を遇するタイミングとは思えないスクランブルな状況で監督に就任することになる長谷川健太と大榎克己。
健太はそれなりの成績を残しクラブとサポーターに「成功体験」をもたらしたものの、退任時には史上に残るチーム大崩壊をも同時にチームにもたらした。一方の大榎はある意味でプレーヤーに乞われるような形で監督に就任したものの降格の憂き目に遭う。
健太と大榎の「やり方」は好対照で、そして最終的な崩壊は符合している。
このようなスタンドとの対立を繰り返して、そのたびに付け焼刃でレジェンドを使い捨てるやり方を続けて、フロント、そして「一部」サポーターは、このチームに新たな監督が就任できると思うのか。
何を応援し、何のためにサポートしているのか、はっきりと考え直す時期が来ている。

清水エスパルスはこの約10年間で2度、同じような失敗を繰り返している。
クラブが「問題」を把握していないとは思えない。これはやはり事なかれ主義を続けた前フロントと、現場と感情的な対立を繰り返す「一部の」サポーターに問題があるとしか思えない。
3度目の失敗は許されないだろう。

ゴトビ以後/清水降格を受け入れるための覚書その2

2015-10-23 00:05:47 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
2010年のシーズンオフが清水エスパルスの大転換期だったことは間違いがない。それはその通りだし、崩壊の起点として論じられるのは仕方がない事だと思う。今更と思わないでもないが。
しかしフットボールは続く。

2011年、web上で「新しい旅立ち」を呼びかけたゴトビに対して、サポーターはどんな思いで彼を迎えたのか。
彼の来日、そして静岡駅到着を少なくないサポーターが迎え、在来線のホームではふたりのサポーターから花束が渡されたという。オレはいつもこのエピソードに胸が熱くなる。あの頃、それぐらいサポーターは精神的に追い詰められていたのだ。

東日本大震災が起こった2011年はエクストラなシーズンだった。ゴトビは震災に対して積極的な発言を行い、オランダでチャリティマッチまで実現した。そんなゴトビのチームがホームで神戸相手に5失点を喰らい惨敗しても、サポーターはそれを「チームの成長途上」として拍手で受け入れた。その後ダービーで起こったゴトビ核爆弾弾幕事件ではスタンド全体が下らない差別とも戦っていた。
ゴトビ自身はビジネスマン臭いが、大人の男で、彼が作ろうとしているチームは悪くないチームだと思っていた。
崩壊で負った傷は徐々に癒されようとしていたはずだった。

しかし次の転機は2012年だった。
前半戦を首位で折り返し、若手中心のメンバーでナビスコカップのファイナリストになった2012年である。あのシーズン、そしてゲーム、前半と同じような内容で戦い続けることができていれば、あの年、確実にタイトルを獲ってさえいれば、その後の第二の崩壊は起こらなかったのだと思う。

前回、健太時代を指して「ギャンブルにある程度勝った」と書いたが、実際あの時代はクラブにとっての「成功体験」になっている可能性は高い(最終的には大博打で投資し過ぎて大失敗したわけだが)。
当時の強化部長は健太の清水東時代の同級生で、鈴与の出向社員が務めていたのだが、彼が清水の将来のヴィジョンについてインタビューに答えている。それはこんなものだ。
「数年に一度カップ戦でタイトルを取って、時々優勝争いをする」
あまりの率直なヴィジョンに目眩を起こしそうになった記憶があるが、実際にタイトルは届かなかったものの、それをほとんど実現していたのが健太エスパルスだった。
2012年までのゴトビエスパルスもそれに近いヴィジョンを実現していたと思う。
しかしゴトビにはあまりにも運とサポートがなさ過ぎた。

ゴトビに対して、周囲からそそのかされ反旗を翻したプレーヤーたちはその後、結局自分たちの力を証明することはできなかった。勝つことでしか自分たちを証明することができない世界で、降格とは逆の意味で実力の証明であり、彼らははっきり言って間違っていた。すでにチームを離れてしまった小野伸二が、清水の降格に対して「選手の責任」とコメンントした意味とはそういうことだと思うのだ。
しかしまだ彼らにはゲームが残っている。彼らが残り3ゲームでどう戦い、自分たちを証明するのか、見るべきものに乏しかった「残留争い」のゲーム以上に注目に値する。

しかし、ここまで書いておきながら何なのだが、今回の降格とゴトビはほとんど関係がない。関係があるわけがない。このチームはゴトビのやり方を否定してスタートしたチームなのだから。
それははっきりさせるべきだろう。

他でも散々書いてきたように、今回の降格議論において、まず大榎克己と原靖と竹内前社長の責任を前提としない意見はまったく無意味で、聞く必要がない(何度でも書く)。
田坂監督は昨季以上にスクランブルな状況で、まさに「火中の栗を拾った」人物なわけで、目先の結果に文句はあってもシーズン全体の結果を責める気持ちにはとてもなれない。過去のインタビューやゲーム後のコメントを読む限り、自身の結果責任について、彼は十分理解しているだろう。
また左伴社長に関しても昨季後半の現場の混乱を引き継いだ状態で、自身のミッションである営業面に関しては十分以上の結果を残している以上、過大な結果責任を負わせる必要を感じない。彼に対するイージーな結果責任論はオーナーサイドも許さないのではないか。

取り敢えず原靖強化部長の退任報道が流れている。

レジェンドというギャンブル/清水降格を受け入れるための覚書その1

2015-10-22 18:52:40 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
鈴与の鈴木与平会長は、堀池巧がチームを離れる時、「三羽烏がフロントに入る時、クラブはプロになる」と言ったという。
これは初期のS極のレポートでも書かれている有名な話で、実に正しい清水エスパルスの「物語」である。
この物語はある程度はサポーターの間で共有されていたはずだ。そしてこれは一部のサポーターには問答無用(思考停止)の印籠になった。

しかし日韓ワールドカップ以降のエスパルスは試行錯誤とギャンブルの連続だった。勿論大榎克巳の監督就任もギャンブルだった。
彼は大学で、そしてユースで指導歴を重ねてきたのだから反論がある人もいるだろうが、やはり大榎克巳の監督就任はギャンブルだったと思うのだ。
何よりも状況がスクランブル過ぎた。指導力を吟味することなく、キャリアを度外視して、清水ナショナリストの不平不満を抑えるにはこの選択肢かなかったのだろうと思う。健太時代の夢よもう一度といったところだろうか。

そう、清水は同じようなギャンブルを10年前にもしている。
日韓ワールドカップ以降の低迷期に、長谷川健太というもうひとりのレジェンドをスクランブル的に監督起用したのだ。一年目こそ残留争いしたものの、2年目以降は劇的に飛躍した。
そしてそのギャンブルにある程度勝った。健太時代はサポーターの誰にとっても最高に面白い時代だったのだ。
ベテランのノボリや森岡は世代交代を悟り自らチームを去り、有望な若手が毎年台頭する。越えられないハードルはないと誰もが感じた。そして6年間で清水が優勝してもおかしくないという空気が確かに熟成された。
しかし蜜月は長く続かない。その反動が凄まじかった。健太退任と同時に主力の大半が移籍するというチームの大崩壊はギャンブルの反動としてはあまりにも大き過ぎた。

そしてついに今度のギャンブルには負けしまった。
レジェンド起用は不平不満のガス抜きで、付け焼き刃のギャンブルであったこと、そしてそれに負けたこと。それは認めなければならない。ドリーム・イズ・オーバー。
10年ががりの降格というのはそういうことである。その背景には鈴木与平の言葉と物語がある。
オレはまだその物語が間違っているとは思わない。
それでも失敗は認めなければならない。認めないのは欺瞞であり、クラブの歴史への裏切り行為である。