徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

都合のいい場所に「活断層」移動/大飯原発断層調査地図

2013-09-27 22:43:41 | News Map

■大飯原発の現地調査
(東京新聞11月2日付 大飯破砕帯 活断層なら停止、廃炉も/規制委きょう現地調査/断層上に建屋 作業困難)


<北側の海に近い試掘溝(トレンチ)では、関電がないとしていた断層を確認、原子炉に近い山頂の溝では、過去に断層が動いたことを示す粘土を確認した。関電は再調査の中間報告で活断層を否定したが、根拠が揺らいだ形だ。>
(東京新聞11月3日付 活断層「否定できず」/規制委調査 大飯、関電の主張揺らぐ)


■専門家はここに注目
<敷地内の「F-6断層(破砕帯)は動くのか――。関西電力大飯原発(福井県)で二日、原子力規制委員会による初めての現地調査が終わった。調査チームは、関電の再調査の中間報告とは食い違う断層を二ヶ所で確認した。規制委はどこまで科学的かつ明快に判断できるのか。大飯の調査は規制委の信頼性を占う試金石でもあるだけに注目される。>
(東京新聞11月3日付 関電との相違どう判断/大飯原発調査 断層年代焦点に 規制委「結論急がない」/見守る自治体、住民)

※大飯原発断層調査団
島崎邦彦(原子力規制委員長代理・東京大名誉教授)
岡田篤正(立命館大教授)
渡辺満久(東洋大教授)
重松紀生(産業技術総合研究所主任研究員)
広内大助(信州大准教授)


■原子力規制委員会の大飯原発再調査
<意見がまとまらないのは、データ不足が大きな原因。関電が新たな試掘溝(トレンチ)を掘る準備を進めており、その調査を経ての結論となる見込み。(中略)規制委はデータ不足を補うため、関電に新たな溝を掘るよう指示。関電は掘削の準備として原子炉南側でボーリング調査を進めており、二月中旬に終わる予定だ。規制委はボーリングで取り出した土の鉱物や地層の状況を専門業者に分析してもらい、そのデータを基に次回の評価会合を開く。ここで明確な証拠が出なければ、関電が溝を掘り終わるのを待つことになるが、工事完了は早くて四月。大規模になれば一年ほどかかる可能性がある。>
(東京新聞2003年1月17日付 大飯断層調査 長期化へ 結論持ち越し規制委)


■大飯原発周辺の活断層
<原子力規制委員会は10日、運転中の関西電力大飯原発3、4号機(福井県)が新しい規制基準に適合するかを確認する評価会合を開き、耐震安全上、周辺にある3つの活断層が連動した場合を想定するようあらためて求めた。関電は、断層の長さがこれまでより短いことなどが判明したなどとして「連動を考慮する必要はない」と主張、平行線に終わった。(中略)規制委側は、関電の地下探査の不備を指摘。島崎邦彦委員長代理は、地形や地質の調査結果を踏まえて「構造的にみても三連動は非常にあり得る」と述べた。また、「万一ではなく、三連動ありきで想定してほしい」として、機器への影響を厳しく評価し直すように求めた。>
(東京新聞2003年4月11日付 規制委評価会合 大飯3断層連動 関電「考慮せず」)


<関電は3、4号機南隣に東西約70㍍の試掘溝を掘り、その東端で断層を見つけた。延びる方向や、ずれ方などから、F-6断層の一部と判断。「断層の上にある新しい地層にずれがなく、活断層ではない」と強調した。関電は報告書をまとめ、7月中旬までに規制委に報告する。その後、規制委の専門家チームが現地調査する。専門家チームは昨年11月、F-6断層が想定とは違う
場所を通っている可能性を考え、約300㍍の試掘溝を掘って詳しく断層を探すよう指示した。実際に関電が掘った試掘溝はその4分の1以下の長さ。調査不足を理由に、規制委側がさらに追加掘削を求める可能性がある。>
(東京新聞2013年7月2日付 大飯破砕帯試掘 関電「活断層ではない」/指示より狭い範囲調査)

<この日の実質的な議論は15分ほどだったが、話のほとんどが関電の姿勢に関するものだった。「技術的な面では、(運転継続の)結論を支持する。しかし、関電の安全への意識や行動を評価するというのであれば、合格点には達していない」中村佳代子委員は(中略)関電の姿勢を厳しく批判した。島崎邦彦委員は、原発の地盤を三次元で詳しく調べ、想定外の揺れに襲われないよう備えるよう新基準で定めたのに、関電が積極的に取り組もうとしないことを問題視。「ほかの場所の地盤構造と同じだろうという安易な把握の仕方に、びっくりしている」と苦言を呈した。>
(東京新聞2013年7月4日付 大飯原発の運転継続容認「安全意識は合格点ない」規制委員、関電を批判)


■大飯原発の断層調査の動き
<原子力規制委員会の専門家チームは27日、関西電力大飯原発(福井県おおい町)で、三回目となる現地断層調査の初日を終えた。>
(東京新聞2013年7月28日付 北側の試掘溝と比較へ/大飯断層 規制委、手応え触れず)


<原子力規制委員会の専門家チームは28日、2日間にわたる関西電力大飯原発(福井県おおい町)の三回目の現地断層調査を終えた。(中略)今回は日程の調整ができずに不参加だった2人の専門家の現地調査を待ち、来月中旬以降に議論を始める。関電は、9月に定期検査入りし運転を停止する大飯原発について、検査後の再稼動を申請しているが、規制委は断層調査の結論が出るまで審査に入らない。>
(東京新聞2013年7月29日付 大飯断層 延び見極めへ/規制委 来月中旬以降に議論)


<F-6断層は、機器を冷やす海水を取り込む重要な取水路の真下を横切っている。チームは、原子炉の南側に関電が新たに掘った試掘溝や、原子炉北側にある山頂の試掘溝を調査。地層のずれの状況や、岩盤同士がこすれてできた粘土の分析から、F-6断層が動いたのは12万~13万年前より古い時代だと判断。活断層ではないとの結論になった。>
<原子力規制委員会の専門家チームは、関西電力大飯原発の「F-6断層(破砕帯)」を活断層ではないと判断したが、調査を進めるうち、関電が当初主張していた場所とははずれていたことが判明。関電がきちんと調べていたのかどうか、信頼性に疑問符がついた。2日の会合でも、専門家からは疑問を指摘する声が消えなかった。「ほかの原発でも言えるが、建設前の電力会社の調査や国の審査のいいかげんさが、はっきりした」。チームの渡辺満久東洋大教授は評価会合後に語った。(中略)渡辺氏は会合後、議論に一定の理解を示したものの「F-6断層の姿がこれだけ大きく変わると、敷地内のほかの断層が大丈夫なのかという疑いを拭えない」と語った。>(東京新聞2013年9月3日付 大飯直下「活断層なし」/破砕帯 規制委チームが一致/「当初の関電調査ずさん」ほかの断層にも不安残す)


<経緯を簡単に説明すると―。まず関電は自ら想定した断層が「存在しない」と突然言い出した。その代わりに「別の場所に断層がある」と強弁。その場所を調査団が調べる都、たまたま活断層ではなかった。これか今回のあらましという。もう少し詳しくはこうだ。昨秋の調査団の現地調査では、原発北側の「海岸の試掘溝(図A、断層を調べるために掘った穴)」で地層のずれが見つかった。「単なる地滑り」という意見がある一方、渡辺教授は「活断層の可能性がある」とみた。もしこの断層が、設置申請時に想定した大きな断層(F-6断層)とつながっていれば、F-6断層が活断層である可能性が出てくる。F-6断層は原発の重要施設(今回は取水路)の直下を通っている。活断層なら安全審査を通らない。「すると突然、関電は『断層の位置は間違っていた』と言い出した。あまりのいいかげんさに、ぼうぜんとした」(渡辺教授)。関電は新たな断層の場所を特定した上で「活断層ではない」と主張。そこで調査団は関電が断層と主張する場所にある「山頂の試掘溝=同B」や「南側の試掘溝=同C」を調査。その結果、「この二ヵ所の断層に活断層はない」ということで合意した。渡辺教授は「重大な意味を持つ断層の位置が、こんなにコロコロ変わるとは…」と憤る。>
(東京新聞2013年9月7日付 活断層ではないと一致点でも 活断層がないわけじゃない/断層の位置関電が一転「徹底調査必要」/大飯原発調査団 渡辺教授が警告)

見切り発車/除染特別地域見直し地図

2013-09-27 20:41:49 | News Map

■作業の遅れが目立つ除染特別地域
<石原伸晃環境相は10日の記者会見で「対象範囲や工程を最初に決めたとき、地元の要望に沿うか分からない中で見切り発車した。状況に応じて地元と相談して進める形に改めた」と話した。(中略)遅れの原因は、汚染された土を保管する仮置き場の確保と、除染を行なうのに必要な地権者の同意取得が難航したためだ。>
(東京新聞2013年9月11日付 除染7市町村で延長/国の計画一部見直し/「来春完了」から1年以上遅れ/首長ら憤り「復興に支障」「評価値せず」)

福島第一原発事故関連死地図(2013.9.11)

2013-09-27 20:41:00 | News Map

■原発関連死のあった福島県の自治体
<東日本大震災から11日で2年半。東京電力福島第一原発事故に伴う避難で体調が悪化し死亡したケースなどを本紙が独自に「原発関連死」と定義し、福島県内の市町村に該当者数を取材したところ、この半年で少なくとも121人に上ることが分かった。(中略)市町村は、災害の直接の犠牲者だけでなく、避難中の死亡などについても「震災関連死」と認定した場合、災害弔慰金(最高500万円)の支給対象にしている。福島県内では22市町村が支給。このうち13市町村は原発事故に伴う避難者がいて人数を把握しており、本紙で「原発関連死」として集計した。(中略)原発事故から2年半がたち、事故当時や避難の状況を証明することが難しくなっており、赴任低となる事例も増えている。>
(東京新聞2013年9月11日付 原発関連死さらに121人 計910人、不認定も増 福島、3月以降)

「市場の潜在力は唯一無二」/シルクロード経済ベルト地図

2013-09-27 18:27:51 | News Map

<中央アジア歴訪中の中国の習近平国家主席は、ユーラシア大陸の経済連携強化を目指す「シルクロード経済ベルト」構想を提唱した。13日にキルギスで開かれる上海協力機構(SCO)首脳会議で、加盟国と同構想を協議する。(中略)シルクロード経済ベルト構想はカザフの大学で7日開かれた講演会で提唱。習氏は「太平洋からバルト海まで物流の大動脈をつくる」と表明し「この周辺の人口は約30億で、市場の潜在力は唯一無二だ」と強調した。(中略)また中国・新疆ウイグル自治区と接するキルギスでは11日、アタムバエフ大統領と会談。両国は協力し、ウイグル族の独立勢力「東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)」に対する取り締まりを進めることで一致し安全保障面での関係強化も図った。>
(東京新聞2013年9月13日付 「絹の道」に経済ベルト/中国・習主席が提唱/物流の大動脈構築 中央アジア各国と連携へ)

そしてオレたちは声を上げる/差別撤廃 東京大行進

2013-09-23 14:40:48 | News


昨日は差別撤廃 東京大行進、いよいよ本番。
木野トシキ率いるTokyo Freedom Marching Bandの「自由への賛歌(Hymn to Freedom)」と「勝利をわれらに(We Shall Overcome)」や、第一梯団の先頭を歩くスーツ軍団の迫力やサウンドカー、ドラァグクイーンたちの華やかさは言うまでもない。またデモ出発前と職安通りで空に放たれた風船は実に感動的なヴィジュアルになっていたと思う。
結果的に初めての開催にして3000人近い参加者が新宿の街を歩き、政府に対して<国連人種差別撤廃条約を誠実に履行する>よう求めた。
「東京」の面目は立った。誰が見てもこれは大成功だっただろう。大行進の大成功を受けて、後日政府をはじめとした関係各所に要望書が提出される。

ワシントン大行進へのリスペクトと連帯を表明しドレスコードを掲げた第一梯団、サウンドカーの第二梯団には、ネトウヨによる不穏な行動に関する情報も流れていたので、ひとまず第二梯団の最後尾付近で待機…していたのだが、第二梯団はどんどん参加者が膨らみ始め、結局梯団はふたつに分割され、第三梯団の後ろに急遽「第四梯団」が編成された。
第四梯団には、大行進の盛り上げ役であるマーチングバンドもサウンドカーもドラァグクイーンもいない、実行委員会の「演出」は及ばない梯団になってしまったわけである(ギターの兄さんとラッパ吹きのおじさんやアナーキスト旗軍団はいた)。
こうなると、どうしたって自分たちが声を出すしかない。
都庁を抜けたあたりからひとりの男性がコールを始め、周囲の人間が呼応する。オレもそれに併せてコールし続ける(この男性は職安通りで喉が潰れた)。
「差別をやめろ(やめよう)」「一緒に歩こう」
という2つのシンプルなコールだけをひたすら叫ぶ。感動的なヴィジュアルもいいのだけれども、まずは参加者それぞれの自発的な行動である。
ダイレクトでストレートな「差別をやめろ」というコールはともかく、「一緒に歩こう」という言葉は正直言って気恥ずかしく、自分のキャラクターにはない言葉なのだが(笑)、コールし続けるうちに“自分の言葉”になっていった。
「一緒に歩こう」というコールは、勿論目の前を通り過ぎるパレードへの参加を呼びかける言葉ではあるのだけれども、それだけではなく、ループし続けるうちに「共生」をただシンプルに呼びかける言葉になっていく。
新宿駅前に差し掛かるまではどうなることかと思ったのだが(トラメガ、コーラーの派遣要請をツイートした)、これはこれで実にオレ好みのプリミティブな集団になったのではないかと思う。
これにはTwitNoNukesのデモを思い出さずにはいられなかった。
区役所通りに入ったあたりからはパーカッションも聴こえ始め、コールは徐々に熱を帯びていく。

予想されたネトウヨ、ヘサヨによる妨害はほとんどなかった。
勿論現れなかった、というわけではない。キャスターに巨大なトラメガを乗せて現れたヘサヨは集会前に近くの陸橋で街宣を始めるという相変わらずの便乗っぷりを見せたもののすぐに“排除”された。また小滝橋通りでは第二梯団に向かってビルの上から生卵が投げつけられたという。
しかしはっきりと、カウンターといえるものは新宿駅前でプラカードを掲げた女性だけだったのではないか。
これは実に情けなかったと言わざるを得ない。勿論悪質な便乗や妨害はなくていいものだし、そんな連中には毅然とした態度を取っていくけれども、それにしても吐いた言葉は実行しなければ、それは単なる恥知らずである。
オレは言い続けたいし、そのために実行し続けたい。

その夜、新大久保のカウンターの“拠点”である大使館で関係者、参加者による打ち上げが行なわれた。
NHKの7時のニュースで大行進が大きく取り上げられ、店内はこの日一番というぐらいに沸き立った。
熱かったね。その後、呑みすぎたけれども。

(追記)
柏木公園前の居酒屋でひと休みしたあと皆で新大久保の大使館へ歩いて移動した。
小滝橋通りから職安通りへ曲がったあたりで誰かがしばき隊初出動のときのことを話し始めると(ちょうどクルーが展開されたあたり)、カメラマンのロディさんがガード下の路地に入っていく。
いまだにガード下付近の壁にはレイシストたちの落書きの痕跡がしっかりと残されている。
打ち上げに向かう途中で、その呪詛のような「落書き」を皆で見た。この日は皆の笑顔をたくさん見ることができたけれども、実は、「祭り」の達成感にはまだ程遠い。

水の広場で会いましょう/差別撤廃 東京大行進に向けて(5)

2013-09-22 08:39:28 | News


軽い二日酔いに乾いた身体で、嫌な夢を見てしまった。とてもリアルで嫌な夢だ。
でも現実では明るい夢を見たいね。

今日は新宿を歩く。
50年前の出来事をリスペクトしてパレードの先頭には正装の集団が歩く。オレはいつも通りの格好でいく。それが50年前と2013年がつながっているってことだから。
いつもは反差別の問題で<悪い人>を受け持っているカウンター諸君も、今日一日は<いい人>になっているだろう(一部を除く)。

では水の広場、新宿の街で会いましょう。

差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom
日時:9月22日(日)12時半集合/13時出発
集合:新宿中央公園 水の広場

<数年前から、東京の新大久保や大坂の鶴橋など、全国各地でレイシスト団体によるヘイトスピーチ・デモや街宣活動が繰り返し行われてきました。私たちはこのような卑劣なデモに対して、2013年2月から様々な形の抗議活動を行なってきました。そして、7月14日に大阪で行われた「OSAKA AGAINST RACISM 仲よくしようぜパレード」への連帯をベースにしながら、人種、国籍、ジェンダーその他の偏見の範疇に基づくすべての形態の差別に反対するデモを9月22日に行ないます。>
People's Front of Anti Racism/差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom公式サイト

オレたちにできることはまず判断すること/2ステージ制反対アクションへの揶揄について

2013-09-20 20:38:03 | Sports/Football
YESやNOに意味があるのではない。判断することにまず意味があるのだ。

2ステージ制についてぐちゃぐちゃ文句を言わすに提案した方がポジティブだという。
誰が提案するのだろう?
誰に提案するのだろうか?
そしてそれはどうやって提案されて、背後に営業能力に長けたマーケティング軍団が控えるリーグ上層部で本当に検討される可能性があるのか?本気でそんなことを思っているのか。
おそらく「提案する」というのは、「ネット上で議論する」程度の意味でしかないだろう。今まで散々やってきたように。

冗談を言っちゃいけない。
オレたちにできることはまず判断することなのだ。
それそのものを揶揄することはまったく意味がない。
そんなふうにサポーターのアクションを揶揄する姿はネトウヨにしか重ならない。

「いいね」を押した人は本当にいいと思っているのか。
がっかりさせないで欲しい。

「どっちもどっち」の意味/差別撤廃 東京大行進に向けて(4)

2013-09-20 01:25:59 | News
差別はなぜいけないのか?またオレはなぜカウンターするのか?
差別の在り処を巡ってカウンター諸氏に言いがかりをつけてくるような連中が後を絶たない。



一連の新大久保(鶴橋)でのカウンター行動とヘイトスピーチの関係についてはこれ以上シンプルでわかりやすい図解はない。日本人を中心にしたカウンターとレイシストというマジョリティの間で路上で交わされるのは<罵倒の応酬>であり、レイシストによるマイノリティ(この場合は在日、東北アジア出身者)への出自に対する罵倒についてのみ<ヘイトスピーチ>と定義されている。ヘイトスピーチとは単に「言葉の汚さ」を意味するものではなく、マジョリティからマイノリティへ向けられた差別を扇動し、助長する<表現>であることは明らかだ。議論の余地はほとんどないといっていい。
となると噛み付きやすいのは、本来ヘイトスピーチとはまったく関係ないはずの<罵倒の応酬>だ。
これを本来のヘイトスピーチの話題から棚上げし、「どっちもどっち」と言うのは簡単だ。レイシストをしばき隊を始めとするカウンター勢力は、まさに「どっちもどっち」の状況を作り出し、レイシストたちのヘイト(憎悪)の向かう先をマイノリティではなく、マジョリティに引き戻す(逸らす)ことが目的であっただろうし、実際その意味でカウンターは着実に成功している(そしてどこまでいっても「どっちもどっち」でしかいられない警備警察を動かし、報道を喚起する意図もあっただろう)。
カウンターにとっては「どっちもどっち」上等、というわけだ。
しかし「どっちもどっち」という言葉は、レイシストとカウンターの攻防を高みの見物で評している言葉ではなく、実はそういうしかない本人の無定見なスタンスを図らずも表明しているに過ぎない。

差別はいけないという。
差別はなくさなければいけないという。
そしてカウンターはそのためにある。それは確かだろう。
「あれはいじめだ」
「いじめは止めなくちゃいけない」
まさにその通りである。
しかし一番大事なのは、「醜悪な事態」が目の前で起こっているという事実で、カウンターの動機は後付けと言っていい。
目の前で起こっている状況に対して個人がいかに判断し、行動するか。それは実際のところ、論理を越えた行動なのだ。リーダーや指導者がいるわけではない。個人で参加しているカウンターたちは、車座集会をして行動方針を決めているわけではないのだ。
オレたちは自分で判断し、行動する。
レイシストをしばき隊の野間さんは「どんな手段を使ってでもレイシストを止める(By Any Means Necessary)」と宣言している。それは、まず「目の前で起こっている醜悪な事態を何が何でも止めさせる」ということである。
醜悪な事態、それも「目の前」で起こっている状況に対して人が取るべき態度というのは「どっちもどっち」ではなく、「どちらか」でしかない。
そして「どちらか」のダイレクトな行動だけが状況を食い止め続けるのは紛れのない事実なのだと思う。
(当日までまだ続く)

差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom
日時:9月22日(日)12時半集合/13時出発
集合:新宿中央公園 水の広場

<数年前から、東京の新大久保や大坂の鶴橋など、全国各地でレイシスト団体によるヘイトスピーチ・デモや街宣活動が繰り返し行われてきました。私たちはこのような卑劣なデモに対して、2013年2月から様々な形の抗議活動を行なってきました。そして、7月14日に大阪で行われた「OSAKA AGAINST RACISM 仲よくしようぜパレード」への連帯をベースにしながら、人種、国籍、ジェンダーその他の偏見の範疇に基づくすべての形態の差別に反対するデモを9月22日に行ないます。>
People's Front of Anti Racism/差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom公式サイト

予定調和を越えるとき/差別撤廃 東京大行進に向けて(3)

2013-09-18 21:19:20 | News
当事者とは何か。在特会と在日外国人の関係は加害者と被害者という意味で本来の当事者だろう。
しかしヘイトを吐く人間と吐かれる人間だけが当事者なのか。
加害者にとっては声を上げる当事者が実際の被害者であればあるほど都合がいい。それはとてもわかりやすい構図である。加害者にとって当事者は在日で、反日であって欲しい。それが彼らの予定調和を約束してくれる。
また一方で一部のサヨクのように当事者に「寄り添う」という形で、非常に屈折した当事者性をアピールする人たちもいる。彼らにとって矢面に立つ(べき)なのは当事者同士で、結局「わかりやすい構図」を温存したまま、目の前の問題の解決よりも、終わりのない議論(勉強会)という予定調和を望んでいるように見える。

<リベラルが親になってしまったゲームとは、周到な責任逃れのゲームである。「私には何ができるのだろうか」という問いがしばしば発せられる。(中略)リベラルは、自分たちがリベラルであることをできるだけ多くの黒人に証明してみせるのに多くの時間を消費する。これは、自分たちは黒人の問題に直面しているという誤った確信から生じている。黒人には何の関係もない。問題は白人人種主義であり(中略)白人リベラルは、黒人の問題は黒人自身に任せて、彼らはわれわれの社会の本当の悪―白人人種主義を問題にしなければならない。>(フランク・トーク=スティーヴ・ビコ「白い皮膚に黒い魂?」/スティーヴ・ビコ『俺は書きたいことを書く 黒人意識運動の思想』峯陽一、前田礼、神野明=訳/現代企画社)

40年前に書かれた若きビコの言葉はそのまま日本の状況にも当てはめることができる。

勿論それまで活動していた在日に加えて、カウンターの高揚によって勇気付けられた在日の参加者の数も増えているだろう。しかし、この半年間に最も急増したのは、「オレだって当事者だ」と自覚した日本人だっただろうと思う。加害者と被害者という当事者同士の単純な構図だけではなく、そこ(新大久保=東京=日本)で共に生きるコミュニティを見出し、加害者に対して怒りの声を上げている。
新大久保でのカウンターの現場で罵倒と共に多く聞くことができた言葉は、
「おまえらは日本の恥だ」
という言葉だったと思う(勿論オレも言った)。右翼でもない日本人が、構えることもなく、自然にこんな言葉を在特会にぶつけた。その「日本」とは勿論国家でも政府でもなく、日本や東京、そして新大久保というコミュニティのことだろう。加害者でも被害者でもなく、同じ場所に共に生きる「当事者」として、彼らの悪ふざけやいじめに怒りの声を上げたわけだ。
新大久保ではカウンターを通してきっと「新しい関係」が生まれつつある。

「仲良くしようぜ」というフレーズも、それは怒りの裏返しであっただろうと思う。またそれは挑発だったのかもしれない。
誰とだっていつでも仲良くできるほどお人好しじゃない。
しかし、あの予定調和の憎悪が渦巻く街でこのフレーズを掲げるということは、例えば同じバスに乗り、隣り合わせた身も知らぬ乗客と「仲良く」するようなものである。自分を甘やかしてくれる他人ばかりではない。しかし自分にとって都合の悪い隣人に意味不明な敵意を向けるのではなく、まず他人を他人として認めろ、ということである。
そこからまた新しい関係が始まる(=仲良くしようぜ)のである。

差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom
日時:9月22日(日)12時半集合/13時出発
集合:新宿中央公園 水の広場

<数年前から、東京の新大久保や大坂の鶴橋など、全国各地でレイシスト団体によるヘイトスピーチ・デモや街宣活動が繰り返し行われてきました。私たちはこのような卑劣なデモに対して、2013年2月から様々な形の抗議活動を行なってきました。そして、7月14日に大阪で行われた「OSAKA AGAINST RACISM 仲よくしようぜパレード」への連帯をベースにしながら、人種、国籍、ジェンダーその他の偏見の範疇に基づくすべての形態の差別に反対するデモを9月22日に行ないます。>
People's Front of Anti Racism/差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom公式サイト

シングルイシューの問題/差別撤廃 東京大行進に向けて(2)

2013-09-17 15:30:34 | News
前回に続いて話題は「場所」である。

シングルイシューという手法をいまだに蛇蝎のごとく嫌う人たちがいる。それは問題を極めて単純化させ、そこに潜む諸々の問題を糊塗する、もしくは無視する排除の論理だというわけだ。
反原発デモでは原発事故そのものを中心に据えて文字通り思想的な立場を越えた連帯が実現した。手の付けようのない過酷事故を目前にして思想的対立などはほとんど意味がない。不幸なことに国家的危機が「立場」を越えさせ、シングルイシューを実現させたわけだ。そして両極が“同じ声”を上げれば、そこに普通の人たちが集う「場所」ができる。
シングルイシュー=単純化というのは問題をより鮮明化させる、徹底した是々非々的な態度の取り方だったといえる。
そんな「場所」だからこそ人が集まったのだ。2012年の夏、数十万人の日本人が官邸前、国会前、霞ヶ関周辺に集まり、そこは「普通の場所」になった。そして共感し、共有できる言葉として「原発反対(やめろ/停めろ)」「再稼動反対」という研ぎ澄まされたフレーズ(コール)はシングルイシューの象徴になった。
単純化を批判する人たちには梯子を外されたような気分になったのだろうが、実際にはすべてのマルチなテーマはシングルイシューに収斂されているのだ。シングルイシューは巨大な入り口であり、諸々の問題のその奥に準備されている。
問題はとんでもなく“単純”で、でもやはり“単純じゃない”。だからこそ問題意識と当事者性を喚起させるために、そして自縄自縛に陥らないために、問題の入り口をどこに求めるのか、という話である。

「普通」という言葉と同じようにクローズアップされたのは「当事者(性)」という言葉だった。
勿論3.11以前の運動も参加者の当事者性に訴えかけるものだっただろう。しかしそれも諸々の問題を「反天皇制」「反体制」といったフィクショナルな掛け声で収斂させていく方法では当事者性を喚起させるのは難しい。一体何と、誰と戦っているのか見えない上に、無用な「敵」まで増やしてしまう。手っ取り早く目に見え、身近な<権力>である警察や機動隊にひたすら楯突き、彼らと揉み合うことに血道を上げている人たちも多く見てきた。
そして、それこそが問題の本質を見誤る予定調和でしかなかった。

シンプルに、そしてダイレクトに問題に対峙する。これが3.11以降のアクションの基調だったはずだ。
今年の初め、全国でヘイトデモを繰り返し、ヘイトスピーチを撒き散らし扇動する在特会会長の桜井(高田)誠に対してTwitterで声を上げたKぽぺん(Kポップファン)の行動もまさしくこれだ。
2月以降、彼らの“声”を受けた東京ではレイシストをしばき隊を中心としたカウンター行動が猛烈に活発化し始めた。
比較的「新しい問題」である原発とは違い、レイシズムは国際的にも、国内的にも一応の合意は済んでいる問題ではある。
「差別はいけない」
「いじめはやめよう」
まさしくシングルイシューである。しかしそれも表面上は、ではある。顕在化したレイシズムに直接反対する声はまだ小さい。うつむいていれば、横を向いていれば、そして目を瞑っていればやり過ごせる他人事の問題でもあるからだ。

カウンター行動の中から生まれ、今回の東京大行進のパレードでもコールされる「仲良くしようぜ」というフレーズは、反原発運動における「再稼動反対」というフレーズほどには、シングルイシューの象徴になり得ないでいる。
誰が誰と仲良くするのか? そもそも仲良くする必要があるのか? おまえは誰なのか? 日本人か、在日か? 反日か?
「当事者(性)」の在り処が問われていた。
(まだ続く)

差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom
日時:9月22日(日)12時半集合/13時出発
集合:新宿中央公園 水の広場

<数年前から、東京の新大久保や大坂の鶴橋など、全国各地でレイシスト団体によるヘイトスピーチ・デモや街宣活動が繰り返し行われてきました。私たちはこのような卑劣なデモに対して、2013年2月から様々な形の抗議活動を行なってきました。そして、7月14日に大阪で行われた「OSAKA AGAINST RACISM 仲よくしようぜパレード」への連帯をベースにしながら、人種、国籍、ジェンダーその他の偏見の範疇に基づくすべての形態の差別に反対するデモを9月22日に行ないます。>
People's Front of Anti Racism/差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom公式サイト

「120分間もがんばった末にPK戦負けで勝ち点0ではかわいそう」の論理

2013-09-16 05:38:50 | Sports/Football
11日のJ1、J2合同実行委員会で導入の方針が固まり、明日17日の理事会で「2ステージ制」復活が正式に決定する見通しだという。土曜日のアイスタでも清水、名古屋両ゴール裏で反対の意志を示す横断幕が掲げられた。
これに対してネットに出没している「勝手に代弁すんな!」という人も気持ちもわからないでもないのだが、積極的に賛成でもない限り、リーグは強行してしまう模様なので代弁も何も関係ないです。この状況で言う主張というのは「反対」でしか意味がない。賛成、もしくは「どうでもいい」ぐらいに思っているなら、「反対の反対」なんざ主張せずに放っておけばいいんです。
どんなところにも「反・反」の輩は出没するものである。

ドメサカ板まとめブログ : J1各チームサポーターによる2ステージ制反対の横断幕まとめ

勿論オレも2ステージ制には断固反対です。

<アメリカのプロサッカーリーグMLSは96年にスタートした。そして、アメリカ人の関心を引くために、日本と同じような延長戦や、その後のシュートアウト(日本のPK戦に相当)を実施した。しかし5シーズン目の来年、シュートアウトを廃止して引き分けを導入し、延長戦も10分間だけにするという。
 日本でも、今季からPK戦が廃止されて引き分けが導入された。理由は、「120分間もがんばった末にPK戦負けで勝ち点0ではかわいそう」という、多分に心情的なものだった。
 だがMLSでは、「どういうリーグにしていくか」からすべてが発想されている。当初は、サッカーを知らないアメリカ人を引きつけて「ビッグスポーツ」に仲間入りしようとしていた。しかし来年からは、主としてすでにサッカー好きの人びとの満足を考えてリーグを運営していく方針に転換したという。(中略)
 Jリーグはスタート前の91年に大がかりな調査を行い、サッカーをしている中高生が観戦にくることができるように「土曜日午後6時半キックオフ」の原則を決めた。しかしその後、人気沸騰とテレビ放送からの要請でそんな取り決めは忘れ去られ、現在に至っている。
 Jリーグとはどういうリーグなのか、それぞれのクラブは地域社会のなかでどのような存在なのか、どういう人びとにスタジアムにきてほしいのか。すべてのことを、原点に戻って考え直す必要があるように思う。>
大住良之「サッカーの話をしよう」No.291 「ファン不在」の土曜午後3時キックオフ 1999年11月24日

一年通して戦って、「頑張って」年間勝ち点で1位になってもプレーオフで年間勝ち点下位に敗退したら「かわいそう」だよなあ…。何なんだよ、「がんばった」「かわいそう」って。小学生か。

劇的を越えて/第25節 名古屋戦

2013-09-16 05:02:19 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


土曜日はアイスタで名古屋戦
3連休の初日ということで予想通り東名は横浜周辺で激混、だったら朝イチの便にしとけよとも思うのだが、結果1時間30分程度の遅れだったため永楽町で途中下車し時間通り到着できた。台風の影響もあるのだろうが結構な湿気があるものの、吹く風は涼しい。
何てったって15時キックオフである。一番好きな時間帯だ。
ホームの場合はゴール裏ではないから“並ぶ”必要はないとはいえそれでも東京からは早めに出掛けなければならないけれども、日帰りできて、ゲームを思い出しながら呑む時間もたっぷり(というほどはないけれども)時間があるというのがいい。しかしまだ9月も半ばということもあり、ピッチ内ではそんな呑気な状況ではなかったようだ。
強力なラドンチッチを抑え続けていた名古屋の新人DF牟田は両足が攣って途中交替してしまったし、そのラドンチッチもゲーム終了直後の挨拶が終わると(燃焼感と勝利の喜びもあっただろうけれども)センターサークルの近くでしばらく横になっていた。やはり24.55歳の清水と30.45歳の名古屋の平均年齢差(スタメン)の影響は時間を追うごとに明らかになっていた(まあ牟田とラドンチッチの年齢差は逆なんだが)。

この日のレフリーだった家本“研修”政明はプラスクオリティープロジェクトに忠実なレフリングで、名古屋サポーターにしてみればPKを流しやがってと思うだろうが、こちらにしてみれば名古屋のファウルは流しまくりアクチュアルプレーイングタイム(実際のプレー時間)を稼ぐ。
プレーヤーやスタンドの不満を全身で受けながらハーフタイムには警備員に守られた家本が、それでもゲーム終了後にはスタンドから野次も飛ばされずに消えていったのは、あまりにも劇的な勝利だったおかげだろう。

劇的な勝利は確かにその瞬間は至上の喜びでスタンドも盛り上がるのだけれども、シーズンを通して見れば実にあてにならない。過去2シーズンのアフシンのエスパルスというのは劇的な勝利が少なくなかった。しかし逆に言えばこれはチームの不安定の証明だった。
不安定にさせる要因はシーズン途中で一転、二転するチーム構成が大きかったと思うし、それは今シーズンも繰り返されたのだが、現時点で今年の夏の補強は成功だったと言える。バレーほどJでの実績はなかったとはいえ、それ以上にポストとしての技術の高いラドンチッチ、そして清水で実績を残していた元紀とタクの復帰が攻守に渡って自信と落ち着きを与えている影響は小さくない。
ただ、このゲームで唯一不満の残ったのは櫛引のアクティブに欠けたプレーだったのだが、これがこれまで西部、海人といった主力級を放出し続けてもJで最高レベルのGK陣を誇ってきた清水がいよいよ林を放出したツケだったと思うと皮肉なものである。

名古屋に先制点を獲られても、スタンドも決して悪い意味でヒートアップすることはなかった。近辺のAゾーンはメインの中でも特に野次の多いエリアだと思うのだが、自分たちのチームに対してネガティブな野次は少なかったと思う(しかし名古屋の阿部翔平はゲームを通して野次られ続けた)。
チームは以前のように失点して拙攻に陥るようなことはなかった。
そしてゴールを狙える雰囲気はスタンドにも伝わる。
途中交替で投入された村田が一度目の突破でシュートを失敗しても、二度目の突破で冷静に、そして最高のクロスを元紀に送った。焦れずにゴールを狙える形ができつつある。
時間帯こそ劇的だったが、ゴールは必然である。

次節は21日、ニッパツ三ツ沢球技場で首位横浜との対戦。前回、リーグでの横浜戦は最悪の3月に行なわれた。特別内容だったとは今でも思えないのだが、結果は“最悪の3月”の幕開けとなるものとなった。
首位で、ベテラン揃いの横浜があのときから大きく変わるということはないだろうが、今の清水がどこまでできるのかは興味深いし、楽しみだ。
しかし、残念ながらキックオフは15時ではない。

「普通」であるということ/差別撤廃 東京大行進に向けて(1)

2013-09-16 02:53:50 | News
ずーっと教室のような場所には居心地の悪さしか感じていなくて、集団や組織を見るとそこに教室の光景を見てしまう悪癖がついてしまっている。いまだに、である。
学校や教室というのはいつまで経っても派閥とヒエラルキーの世界で、とっても頭のいい奴やバカ(本物の)やちょっと悪い連中とはそれなりに付き合えたものの、やはり「普通の人たち」がさっぱりわからなかった。だからとっとと社会に出た。社会では頭のいい奴はとことん頭が良く、バカはひたすらバカで、悪い連中の悪さは果てしない。社会は教室よりももっと酷いところではあるけれども、それはそれで素晴らしい。社会にはもっと多様な居場所や豊かな生き方がある。
そして「普通の人たち」というのは「場所」が作った同調圧力であることに気付く。
「普通」というのはきっと人ではなく場所を指す。誰だって本当は“普通”で、“普通じゃない”。
それぞれの人が生きるため、そしてそう生きたいと願う場所(=社会)ができあがれば、人はそこで「普通」を身に纏う必要はないのだよね。

3.11以降の運動は「普通の人たちの運動」だという。
確かにオレ自身もそう言い、書き続けてきたけれども、しかし最初に突破口を開いたのは、やはり筋の通らないものは許さない頭のいい奴らと後先を考えずに動いたオレのようなバカな連中だっただろうと思う。学校は卒業したとはいえ、社会に出たってそれぞれの「場所」はなかなか人を自由にしてくれない。「普通」の呪縛から逃れられない。だから社会は“だんだん”としか動かない。
そして今年の春からだんだんと動き始めた社会の、ひとつの成果として来週日曜日の新宿で差別撤廃を求めるパレードがある。
パレードまであと一週間、これが2013年の“普通の場所”になれば、と願う。(たぶん続く)

差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom
日時:9月22日(日)12時半集合/13時出発
集合:新宿中央公園 水の広場

<数年前から、東京の新大久保や大坂の鶴橋など、全国各地でレイシスト団体によるヘイトスピーチ・デモや街宣活動が繰り返し行われてきました。私たちはこのような卑劣なデモに対して、2013年2月から様々な形の抗議活動を行なってきました。そして、7月14日に大阪で行われた「OSAKA AGAINST RACISM 仲よくしようぜパレード」への連帯をベースにしながら、人種、国籍、ジェンダーその他の偏見の範疇に基づくすべての形態の差別に反対するデモを9月22日に行ないます。>
People's Front of Anti Racism/差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom公式サイト

東京はレイシストを歩かせない/排外デモカウンター行動(9.8)

2013-09-10 06:25:04 | News
日曜日。二ヶ月ぶりに新大久保でレイシストたちの排外デモ(東京韓国学校無償化撤廃デモ in 新大久保)が強行された。
しかもメインストリートである大久保通りを通り抜けるコースが選ばれている。勿論職安通りだって、集合場所の大久保公園だってレイシストが歩くことは許されるべきではないのだが、よりによって大久保通りがコースに組み込まれていると知ったときは、正直なところショックだった。もうそんな話は終わった話だと思っていたのだ。
しかし今回も許可は下りてしまった。下りてしまった以上、警備は何が何でもデモを通す。歪んだ順法闘争にしがみつくレイシストたちは笑いながら新大久保を歩く。

2020年のオリンピック開催地の決定を見届けてから、少しだけ仮眠して新宿へ向かう。総武線と中央線を乗り継ぎながら、いつもながらストーンズのHot Rocks2の1曲目から3曲目までをリピートして眠気と体調不良をぶっ飛ばしつつ無理矢理テンションを上げる。
デモ開始の数時間前から大久保公園周辺では6月30日を越える大掛かりな警備が展開され、公園横の道路どころか、その道路にすら近寄ることができない。10時を過ぎたあたりからデモの「出口」である職安通り沿いのコンビニ周辺にカウンターが集まり、間もなく「出口」を塞ぐようにカウンター参加者のシットインが始まった。2013年の新大久保のサウンドトラックであるRED NOTE SCALEの「奴らを通すな!x No Pasaran!」を大音量で流しながら、車で現場に乗り付けるカウンターもいた。スタートが迫るごとにカウンターのひとりひとりがプラカードを掲げ、反対側の歩道からはダンマク隊やプラカ隊による大小の横断幕やゲーフラが盛大に掲げられる。
そしてカウンター全体から「ヘイトデモ中止」のコールがひたすら繰り返された。
現場の熱気と体調の悪さと眠気から時折頭がくらくらしそうになりながら、それでも最前列の鉄柵につかまりながら全力で声を上げ続ける。すぐに全身から汗が吹き出る。

カウンター日当3万円説と同様、いまだにカウンター行動を「無許可デモ」と本気で勘違いし続ける頭の悪いレイシストがいるのだけれども(カウンターに「許可」が必要なわけがない)、この日のカウンターの行動はまさしく、ただしく「デモ」と言っていいものだった。それはレイシストに向けられているというよりも、明らかに警備、そして排外デモを許可してしまった為政者に向けられていた。
勿論この2ヶ月の間にもブログには書いていない“カウンター行動”には参加してきたのだけれども、軽々に書けないこともありつつ、やはりどうしたって<罵声を飛ばし合うレイシスト対カウンター>という、いつもながらの構図に苛立ちを感じていた。為政者や企業や、大きな話にしてしまえば<システム>に対して地道に、執拗に、粘り強く「同じコール」を繰り返し続けなければならない反原発行動と違って、反レイシズムのカウンターの「集団行動」はルーティンに耐えられない。
それはカウンター行動がレイシスト同様の、ある種の「ストレス解消」に見られてしまう危険性を常に孕んでいるからだ。現場で挑発し、罵倒し続けるだけではレイシストとカウンターと警備による予定調和の中に組み込まれてしまうだけである。どちらに転ぶとしても状況は動かさなければならない。

それまでのカウンター行動でも短い時間での「(レイシスト)帰れ」コールはあったものの、この日の「ヘイトデモ中止」コールは、ほとんど途切れることなく1時間以上続いていた。
この日の新大久保には誰に指示されたわけでもない、自然発生的な、まさに「デモ」の現場が生まれていた。
状況を動かせ、デモを中止しろ、デモの許可を下すな、というわけだ。
その意味でこの日の新大久保でのカウンター行動はレイシスト対カウンターというよりも、いつも以上にカウンター対システム(為政者、警備)の構図が色濃かったと言える。
ちなみに今回の排外デモは卑劣にも子どもたちを標的にした「東京韓国学校無償化撤廃デモ」と銘打っている。しかしいつもながら何を言っているのか、何を主張しているのかわけのわからない、しょうもないデモだったのは言うまでもない。

レイシストに(東京の場合)新大久保を歩かせないということが、まず彼らに差別行為を止めさせる前提にある。これまでもカウンター参加者は新宿区や公安委員会に向けた署名活動などでの関係各所への抗議、さらに現場の警察官、機動隊の一人ひとりに「ヘイトデモ中止」を訴え続けている。
決してレイシストを直接罵倒することだけが目的や手段ではないのだ。

瀬戸弘幸による大動員の排外デモが行なわれた6月30日には職安通りの車道にまでカウンターが溢れ、ひとりの男性がこの日と同じ場所でシットインを強行した。
そしてその日を境にこの2ヵ月、新大久保で排外デモは行なわれなかった。スタート地点に設定される大久保公園が夏場のイベントシーズンだったこともあるけれども(レイシストには夏場のデモに耐えられる体力がないということもある)、それはそれでカウンターの初期の目標は達成できていたのだ。
しかし信じられないことに新大久保での排外デモはまたもや許可され、一部で予想されていたことだとはいえ新大久保での排外デモは復活してしまった。この日のカウンター行動が、レイシストにだけ向けた抗議というよりも、それを許してしまった為政者や、個人の感情はともかく許可されてしまった以上はいくら差別的なデモでも粛々と実行させる警備に対して、より強い調子で向けられたのは当然といえば当然である。
無論レイシストたちへの抗議も生卵やペットボトルが投げつけられたようにエスカレートしていく。

職安通りでの2度のシットインが排除されたあと、路地を通って大久保通りへ先回りした。
明治通りと大久保通りの交差点には同じようにカウンターが集結し、警備の指揮車が大久保通りへ左折する前に50人ほどのカウンターが一斉にシットインを開始した。
職安通りのシットインでは、抱えたカウンターを概ね「優しく着地」させていた機動隊の諸君も、シットインがここまで大人数になるとずいぶん扱いが荒っぽい。さらにごつい靴で背中に蹴りを喰らわす。興奮した警官や公安もカウンターの服を引っ張り、身体を引きずり回す。
カウンターに参加するときは基本的にトラメガ以外は手ぶらのオレも、今回は携帯電話の類までコインロッカーに預けてきたのだけれども、身体を逆さにされた瞬間ポケットに残っていた小銭を車道にぶちまけた(みっともねえ)。
それでも一旦排除されてもカウンターは次々とシットインの列の後ろに回り込み、また車道に座り込む。
10分ほど、カウンターと警備の間でそんな攻防が続いた。このシットインを受けて、その後、大久保通りを通る排外デモの隊列の前には、それと同じか、それ以上の人数の機動隊の隊列が組まれた。それは実に異様な光景だったと思う。
そして排外デモが新大久保駅前を通過したあたりで、生卵が2個投げつけられた。ひとつはレイシストに当たり、ひとつは気の毒な機動隊員に当たった。

これが東京での五輪開催が決まった日に、その東京で行なわれたレイシストのデモなのだ。
こんなものが許されていいわけがない。こんなものが許され続ける以上、まずオレたちは連中の「出口」や通り道に座り続ける。そしてこんな状況がまだ許され続けるのならば、挑発や侮蔑の言葉だけではなく、「言葉じゃないもの」が飛び交い始めるのも近いのかもしれない。
カウンター終了後、ATS君のTOKYO AGAINST RACISMのTシャツが派手に茶色に染まっていた。流血でもしたのかと思い聞いてみると、誰かがデモに向けて投げつけたペットボトルが降りかかったのだという。
スリキズ程度ならともかく流血の騒ぎはまだ起こってはいない。起こっていないうちに止めるべきだろう。


尻に火がつく瞬間/第23節 鹿島戦

2013-09-08 03:41:37 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


もう一週間以上経ってしまったが、28日の鹿島戦は久々に日本平、アイスタに参戦。
中断後の成績もいまいちぐだぐだ感の漂うチームだったが、この日は改めてラドンチッチ、タク、元紀の補強がかっちりハマった内容になった。ミッドウィークのナイトゲームということで観客こそ少なかったが、こういう状況だと不思議とドラマチックで、エモーショナルなゲーム(現場で観ないと損をするゲーム)をしてしまうのが清水だったりする。
とはいえキックオフから5分ほどまでに、続けざまに2失点してしまうのはどう考えたっていただけない。
ドラマチックでエモーショナルではあるけれども、手放しで面白いゲームとはいえないのは、ディフェンス面でのチームの落ち着きのなさ、ゲームマネジメントの拙さにある。あまりにも軽いプレーで鹿島の先制点のきっかけを作ってしまった吉田は、案の定前半のうちに交代を命じられた。

しかし失点はあまりにも早過ぎた。失点が早過ぎて良い点もある。
残り時間はまだたっぷりあるのだ(当たり前)。
ということでトシ投入前後からハーフタイムにかけてチームは徐々に攻勢を強めていく。
「前半のうちに1点入ればわからないな」
「追いついたら勝てるかもな」
とスタンドが思うような展開でチームは前半のうちに同点に追いつく。
後半、キャラのハンドというわけのわからないジャッジのせいでPKを取られてしまったけれども、トシがこれまでの不甲斐ない状況の鬱憤を晴らすような、そして元紀の再加入に触発されたような素晴らしい決勝ゴールを決めて何と4-3のスコアで鹿島を撃破した。
スコアは派手だけれども、記録的な序盤の2失点がなければ、そして意味不明のPKがなければ、彼らの尻に火がついたのかはわからない。

ゲームマネジメントの拙さは、その2日後の大分戦でも現れた。前半終了間際に立て続けに2得点したものの、後半終了までに3点目をゴールし楽勝ムードと見ていたところで、大分から続けざまに2失点。いくら終了後にプレーヤーが「失点してもまだ大丈夫だと思っていた」とコメントしようとも、これはあまりにも心臓によくない。
一応、久しぶりの連勝である。ラドン、タク、元紀のフィット感も格段に上がってきた。間違いなくチームの伸びしろはまだある。来季の契約状況も気になり始めるリーグ後半に突入しつつある中、これから3ヶ月は何とかチームの熟成にだけ集中して欲しいものである。今年はナビスコの決勝トーナメントないんだから…。



鹿島戦のゲーム前、喫煙所周辺で社長を見かけたので声をかけさせてもらった。
24日のエコパでの浦和戦の「事件」について…4月の埼スタでの軟禁事件も浦和とリーグにうやむやにされてしまった以上、これはやはりきっちりとリーグに回答を欲しい事案である。
事件についてはこれから改めて書く機会があると思う。