徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

泉谷も負けた、か/タカダワタル的ゼロ

2008-02-28 21:24:26 | Music
新橋で『タカダワタル的ゼロ』の試写。
前作同様、淡々とライブと吉祥寺(今はもうない旧・いせや総本店と中央線のオレンジ色の車両)の風景が映し出されるという構成は変わらない(あえて書いておくと、これはライブを見せることを第一に掲げるこの音楽映画シリーズのコンセプトなので、説明過多な“ドキュメンタリー”風味を求めるのは筋違いというものである)。今回は扇動家・泉谷しげるがライブシーンに登場し、客席を煽りまくり、ひとしきり盛り上げる。ほぼ同年代ながら、渡さんが天性のフォークシンガーならば、泉谷さんは時代と状況がフォークギターを持たせた天性のロックシンガーなので、ふたりの対照的な生き方も映像からオーバーラップしてくる。そんな泉谷さんも涙ぐんでいたように見えた本編ラストの「くつが一足あったなら」は非常に感動的だった。さすがのイズミヤも「負けた!」という感じか。
今年はミュージシャンモードに入っているらしい泉谷さんには、早く「泉谷しげるの一週間」inパワステも映像化してもらいたいものです。

試写後、プロデューサーのTさんと話す。5月の公開に併せて未発表ライブCD(訊いた限りではかなり充実した内容になるらしい)、自叙伝『バーボン・ストリート・ブルース』復刊と同時進行のプロジェクトがいくつかある。これは楽しみ。
また記憶の片隅で気になっていた音楽映画シリーズ第4弾「こまどり姉妹がやって来るヤァヤァヤァ(仮)」もついに年内には完成の見通しとのこと。執念ですね。



アメリカ的な/「恋はデジャ・ブ」

2008-02-27 07:00:35 | Movie/Theater
恋はデジャ・ブ
Groundhog Day/1993/アメリカ
監督:ハロルド・ライミス
出演:ビル・マーレイ、アンディ・マクダウェル、クリス・エリオット、スティーヴン・トボロウスキー
<自己中心的なお天気キャスター、フィル(ビル・マーレイ)がひょんなことから永遠に同じ日が繰り返されるタイム・ラビリンス(時間の迷宮)に迷い込んでしまった。やがて、そのことに気が付いたフィルは状況を利用して美人プロデューサーのリタ(アンディ・マクダウェル)を口説こうとするが、平手打ちにあってしまう。何度も繰り返すうちに嫌気がさしたフィルは、このタイム・ラビリンスから抜け出るために悪戦苦闘するのだが…。>(シネフィル・イマジカ

ハートウォーミング・コメディには、オレの好きなアメリカがある。
同じ毎日の繰り返しに、逃れられない運命に悪態を吐き、欲望の赴くままに過ごしたり、絶望して考え付く限りの自殺方法を実行しても、結局毎朝6時に目が醒めて、同じラジオ番組が流れてくるタイム・ラビリンス。その正体が一体何なのか、フィルはどうやってこのタイム・ラビリンスから抜け出すのか(抜け出せたのか)は、これ一切、見事なほど、説明されない。この辺はアメリカのハートウォーミング・コメディにはよくありがちなご都合主義だが、むしろ、主題はそこじゃないんだよ、と言い切っている清々しさがある。確かに主題はそこにはない。リーさん同様、ハートウォーミング・コメディもDon't Think,Feel!なわけです。

運命に絶望したときフィルが選んだ行動は、とても(良い意味で)アメリカ的だ。しかし、その行動がフィルと小さな田舎町の運命も少しずつ変えていく。この小さな田舎町というのがポイントで、やはりアメリカ白人(に限らないけれども)の理想郷というのは、小さな善意と余計なお世話で成り立っている、小さな田舎町なんだろうなあと感じ入った次第。要するにリアルではヤンキーのニイちゃんも、一歩その世界に足を踏み入れてしまうと、解脱したかのように作為のない人の良い若者になってしまうという、悪キャラのいない、善意で成り立っているディズニーランド。(もちろん、自己完結するしかない隔離状態の田舎町と、欲望の際限がなくなってしまう都会では物語の性格が変わってしまう。ファンタジーである本作が前者を物語の設定に選ぶのは当然なのだけれども)。

今日は昨日とほとんど同じ繰り返しで、でもほんの少しの善意と行動力で運命は少しづつ変わっていく。誰もが思っていてもなかなかできない些細なことを気付かせる、という意味で、典型的なハートウォーミング・コメディ。
ビル・マーレイだし、見せ方が上手いのでかなり笑わせる。

ようやく“翌日”の朝を迎えることができたフィルが言う。
「長い一日だった」
で、フィルは一体どれぐらいの間、2月2日を過ごしたのか。それはさっぱりわからない(同じ時間を繰り返す中でフィルはスーパーマンになって、ついには“解脱”していくのだ!)
ま、ハートウォーミング・コメディでそれを訊くのは野暮ってもんです。

♯2 片岡義男

2008-02-26 23:58:48 | 今日のお言葉
たいそう屈辱的な卒業式だった。卒業、という大義名分のもとに、いっさいが一件落着になってしまった。高校を卒業し、世に出るなり大学へ進むなり、とにかくこれからひと段階さきへ進んでいく人たち、というものへの変わり身が要求され、その要求に、たいていの同期生が応じたのではないのか。
応じられない。とぼくは考えた。高校の三年間という、「青春」の一時期を、ある一点でピン止めするとしたら、それは、ぼくがこう考えたこの一瞬だろう。
ぼくは、いまでも、なかみは高校生だ。学校や先生に対する抵抗をひきずっているという意味ではなく、抑圧と差別の構造をそうあっさりとやりすごしたり見すごしたりすることはできない、と考えつづけている点において、ぼくは高校生のままなのだ。
青春は、過ぎ去ったりはしない。むしろ、逆だ。尾を引く。
(片岡義男「ロックンロールがぼくを変えた」『風をつれて地球を歩け』大和書房刊1976年より)

4夜連続/一瞬の風になれ

2008-02-25 09:26:17 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
前半戦のシーズンチケットも到着して、いよいよ開幕まであとわずか。
練習試合ではかなり(スコア的に)こてんぱんにやられたりしているのだけれども、んまあ、あくまでも練習は練習ということで……。

で、開幕まで2週間を切った今晩より4夜連続、エスパルスが全国ネットで露出する(らしい)。
エスパルスのさらなる認知のためには、今はどんな形であれメディア露出がとても大事なので、細かいことは置いといて必見なのであります。公式サイトのインタビューに掲載されている錦戸君のユニフォームのエンブレムが消されてるのがちょっとアレなんだが、まあ仕方がないか。
ノボリが大将の後を継いで報ステキャスターに就任して、全国メディアに露出するのも“空気”作りになるはずだし、複数のプレーヤーが召集されている本業の五輪代表はもちろん強力な“空気”を作るはずだ。これが、今季の追い風になってくれればいいなァ……。

シーチケを買ってない静岡の民は今すぐ買って下さい。今季は優勝するから。

一瞬の風になれ
(フジテレビ系/2月25日(月)~28日(木)4夜連続放送 午後23時~23時45分)

<エスパルスがいよいよ芸能界にも進出しました~ヾ(^▽^)ノ>
(清水エスパルススタッフブログ「書ける想い」2月7日

誰がそれを責められるのか/「そして、ひと粒のひかり」

2008-02-25 06:41:37 | Movie/Theater
そして、ひと粒のひかり
Maria Full of Grace/2004/アメリカ=コロンビア
監督:ジョシュア・マーストン
出演:カタリーナ・サンディノ・モレノ、イェニー・パオラ・ベガ、ギリエド・ロペス、ホン・アレックス・トロ
<コロンビアの田舎町で働く17歳の少女、マリア(カタリーナ・サンディノ・モレノ)は仕事を失ったのをきっかけに、麻薬を胃の中に飲み込んで密輸する運び屋“ミュール”になる決断をするのだが・・・。南米社会のシビアな現実を描いた衝撃作。崩壊した地域社会や家族の中で生きる一人の少女が、切迫した状況の中で人生に何を求め、どのように選択するのか。(略)>(シネフィル・イマジカ

そして、ひと粒のひかり(2004) - goo 映画

冒頭からラストシーンまで、まったく弛むことなく一気に見せる。
それでいて説明臭さや告発調の展開をほとんど感じさせないのは、決して“それ”が主題ではないからだ。麻薬がどうの、運び屋がこうの書いている人もいるが、そんな表層的なテーマだけでは断じてないよ。それならばジョシュア・マーストン監督が本職のドキュメンタリーで告発すればいい話。ここには少女から女性へ成長していく、ひとりの女の、確実に骨太な物語がある。

マリアと共に、ミュールとして“粒”を飲み込みニューヨークへ向かうルーシーは言う。「(アメリカは)パーフェクトでストレートな国よ」。世の中にパーフェクトなものなど、そうそうあり得るわけがなく、当然“パーフェクト”の歪みはコロンビアのような国にツケ回される。その結果、田舎者のセコいボーイフレンドは友だちと呑気に自転車に乗って遊び、この国で抜け目なく稼ぐ男はバイクに乗る(どこかの国に似てない?)。悪党と骨抜きにされた男たちばかりのこの国の日常に絶望した女たちは、だからいつも苛ついている。そして自らも“入れ物”となることを選択してしまう。
しかしニューヨークに到着したマリアは、そこにも故郷と変わらない歪みがあることを知る。

コロンビアへ帰国する飛行機に乗るために、空港へ向かう車の中で、マリアはこの国で始まったばかりの自分の日常に気付く。
ニューヨークで産婦人科医の診察を受けたマリアは、初めて見る“一粒のひかり”に笑顔を見せた(カタリーナ・サンディノ・モレノが映画の中で見せるほとんど唯一の、最高の笑顔である)。そして車の中で、産婦人科医の受付嬢から何気なく告げられた来月の診察日を思い出したはずだ。
マリアは故郷を捨てることで、自分の人生の一歩を踏み出す。それが正解かどうかはわからないけれど、それは清々しく、またちょっとほろ苦い(空港で友だちと別れるシーンなどは、彼の国に暮らす女性の絶望と諦念が漂ってくる)。
ラストシーンを見ていたら、何となくダスティン・ホフマンの『卒業』のラストシーンを思い出した。若さというのは、不安が山ほどあっても、後先考えずにまず何かを捨てることで、そこからしか何も始まらない。
いや、感動。4年遅れだけど。

カタリーナ・サンディノ・モレノも物語の中で成長していく。力強く、美しいです。
サントラ、欲しいな……。

50周年/NIKKA BAR NANASHIMA

2008-02-25 03:13:25 | LB中洲通信2004~2010
2004年2月号(ニューヨークから帰ってきたばかりのミュージシャン時代のドリアン助川改めTETSUYA、改め現在、明川哲也さん巻頭インタビューのサバイバル特集号である)で取材した、中洲のニッカバー七島の開店50周年の案内が届く。

<中洲交番の目の前にそのバーはある。NIKKA BAR NANASHIMA。
70代にして現在もカウンターの中でシェイカーを振り、
今夜も中洲の止まり木を演出する、名バーテンダー七島啓さん。
引退するまでカウンターに立ちたいと願う中洲のバーテンダーの、
最後の店、そして原点が「NANASHIMA」である。
七島さんにとって中洲とは、バーテンダーとは何か。>

3月1日(土)~3月7日(金)まで50周年感謝週間だそうです。中洲を代表するカウンターバーの名店。もちろん七島さん直伝のバーテンダーの皆さんはピシッとジェントル……だからといって敷居がめちゃ高いわけではないラブリィな店なのでオススメです。お近くに寄った際は是非是非(福岡県福岡市博多区中洲4-2-18 水上ビル1F)。

金曜の夜、胸ポケットに案内状を入れていたら皺になってしまった…。

金曜日

2008-02-24 23:58:32 | LB中洲通信2004~2010
金曜日。
今月号の作業もほぼ終わったので、久しぶりにGATE ONEへ。3月号に登場していただいたベーシストの小杉敏さんに掲載号を届ける。店で袴田さんと合流。この日のメンバーは福田重男(p)、橋本信二(g)、小杉敏(b)、井上功一(dr)、梶原まり子(vo)。ライブも酒も久々だったのでかなり酔う。そのつもりはなかったのだけれども(いつだってそうなのだが)、高田馬場から始発。寒かった。

サッカーの土壌/サポティスタ「浦和フットボール通信」インタビュー

2008-02-17 07:01:32 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
岡田 でも例えサッカーの土壌があっても、静岡のクラブはあまり盛り上がっていないですよね?
椛沢 取材に行って分かったんですけど、静岡の人はあまりJリーグに興味がないんです。高校サッカーの方が盛り上がるらしいんですよ。(中略)静岡の人は「エスパルスで活躍して欲しい」というよりも「静岡の選手が日本代表にいるのが嬉しい」っていう発想なんですよね。だから、レッズにいても静岡出身の選手が活躍すれば嬉しいし応援する。
サポティスタ「浦和フットボール通信」インタビュー

サポティスタの中に気になるコラムがあったので、書かせていただく。

はっきり言って余計なお世話である。

岡田氏と浦和の民の言う、サッカーの土壌とは一体何なのか。
確かに参加者が分析し、オレも以前から書いている通り、静岡にはリアルなサッカーの土壌があったからこそ、浦和のように楽天的にプロクラブが浸透しなかったのである。静岡でサッカーを「金を取って見せる」にはハードルが高い。
現実的に、開幕時の浦和には「サッカーの土壌はすでに有名無実化していた」からこそ、サッカーどころ幻想の上にプロクラブ・浦和レッズは成り立ち、成功したのだと思う。それは決して悪いことではない。むしろ砂漠の雨のように若い世代を中心にレッズは浸透し、OB世代は記憶を呼び覚まされて盛り上がりを見せていったのだから、それはそれで結果オーライである。
しかし静岡・清水と浦和の持つ“土壌”としての歴史的経緯は、そもそも安直にキーワードで比較し、語ることができるものではない。では、90年代の船橋にプロクラブができたらどうだっただろうか? 国見では? 鹿児島では? (高校サッカーという、それまでの日本サッカーを支えた)リアルなサッカーの土壌がある場所では結果は同じだろう。サッカーの土壌はそれまで高校スポーツに支えられ、また地域に住む日本人にとってリアルなスポーツ観戦というのは、ユース年代のスポーツによって成立しているのだから。レッズがそれを変えつつあるのは確かだし、清水もそれに取り組んでいると言える。

それまで野球があまりにも突出しすぎていた日本のプロスポーツは、93年のJリーグ開幕を突破口に地方へ拡がっていった。これにより地域発のプロスポーツは飛躍的に増えた。ただし“突破口”だったJリーグも15年経ったとはいえ、まだまだこれからだと言える。浦和はそれまで高校スポーツの代名詞だった“サッカーどころ”を、レッズという地域のプロクラブによって確立しようとしているし、清水は一度破綻した地元主義を、今、健太の指揮によって新しい血を導入し、さらに深化させることで、“サッカーどころの本物のプロスポーツ”を確立しようとしているのだ。
安直に同じレベルで語ろうとするなよ、岡田、といいたいわけだ。

設立時からサポーターの力でクラブを推進していく浦和のやり方は当然あっていいと思うが(その点は羨ましいと思えるほど高く評価しているし、むしろ静岡以外の地域ではそれが理想的である)、どう考えても、清水エスパルスが3年前から取り組んでいる、長谷川健太というクラブ設立者のひとりが監督を務め、同じくクラブ設立者のひとり大榎克己がユース監督として参加するチーム作りこそが、本物の「サッカーどころ」のチーム作り、クラブ作りというものである。こんなクラブが他にどこにあるってんだ?(だからこそ、今季はもっと盛り上がっていただきたい)。
藤枝を含めて静岡、清水で、「強くなる」「優勝争いする」ということの意味合いは、簡単に言ってもらっちゃ困るぐらい重いのだと思う(かつてのレッズのように弱くてもサポーターに支えてもらえる“幻想”がない代わりに、弱ければ“強い”高校サッカーに取って代わられるだけなのだ)。

まあサポーターがヌルくなりがちなのは仕方がないんですけどね。それはどう考えても埼玉と静岡の県民性としか言いようがありません。
静岡のヌルさは本物です。
それはなぜか? 

豊かだからです。良い町ですよ、静岡。

まあ、静岡の土地柄は(サッカーに限らないが)気を許せば県内で自己完結できてしまうからこそ、さらなる向上心を持つプロ意識の高いプレーヤーは外に出て行くのであって、静岡人が例えば浦和へ行くというのもそんなわけだと思ったりするのだ。土壌ってそういうものじゃない?
そんな状況の静岡で、本物のプロスポーツを開拓していこうという健太と若いチームを支持するのは当然なのである。
(2月27日修整・加筆)

ボス/忌野清志郎復活

2008-02-12 05:01:54 | Music
体調最悪で漢方薬、食事療法と言えば「OK」の頃。
タッペイくんももう19歳なんだなあ。
でも<倖田来未のような激しいバッシング>は受けてなかったような気がするですよ、ニッカンさん。
「私立探偵」聴きたかったな。
ということで、忌野清志郎復活。

<カリスマの復活を印象づけた。>(デイリースポーツ
<メンバーたちが17年ぶりに集結し、復活に力を貸してくれた。>(日刊スポーツ
<オープニングでは、抗がん剤の副作用でツルツルになった頭髪が徐々に生えそろい“復活”するまでをスライド写真で紹介。病魔と闘った日々をありのまま公開した。>(スポーツニッポン
<決めぜりふを連発し、何度もマイクを振りまわすパフォーマンスで沸かせた。>(サンケイスポーツ
<誇らしげにVサインを掲げた。>(スポーツ報知
(以上すべて2月11日付)

予約無効?/ベスト・オブ・デ・ウォルフ ショウブラザーズ・カンフーコレクション!の行方

2008-02-12 01:02:03 | Music
去年のうちに予約しておいた『ベスト・オブ・デ・ウォルフ ショウブラザーズ・カンフーコレクション!』。最初は1月22日リリース予定だったのが、知らない間に2月2日になっていて、気がつけばリリースされるどころか、何のインフォメーションも、アナウンスもないままページが消えている。

P-Vineさん、一体どうなっているんでしょうか。


小学生

2008-02-10 18:05:38 | 素日記
今日はいいことがいくつかあった。そのひとつ。

近所の道路一面にゴミが散乱していた。あまりにも酷いので公園で遊んでいた子供に聞いてみると、どうやら別の子供がやらかしたらしい。

どうしたもんかと思っていたら、彼らは自分たちが散らかしたんじゃないのにもかかわらず、「掃除する」と言い出した。いい子もいるんだなあ(当たり前だよ)。言いだしっぺのオレがやらないわけにはいかないので、「じゃあ一緒に掃除しよう」ということで、小学校からホウキを借りてきて、近所の道路を見知らぬ小学生数人(とご父兄)と一緒に掃除。悪い子は悪い子で注意してあげなきゃいけないけど、手伝ってくれた子をもっと褒めてあげればよかったな。いい子の住んでる町でよかったよ。

おじさん連呼されるのには参ったが。おじさんか…。

関谷さん

2008-02-10 17:35:31 | LB中洲通信2004~2010
土曜日。
再び辻堂のステージコーチ関谷真奈美さんの取材。戦後第一世代を知る最後の若手(実際は中堅か)、というのが関谷さんで、こちらもバイオグラフィ的な内容のインタビュー。何しろ若いというだけで希少なのである。
プロデューサーの片山さとしさんにも改めてプロフィールと日本のカントリー界の現況を伺う。狭い業界にもやはりいろいろと綱引きがあるようで…。その後は夜のライブまで関谷さんとカズシゲ君のフォトセッション。
ステージコーチお勧めのジャンバラヤを食し、1stセットだけだったけれども関谷さんと片山さんのライブも観る。思わず「ブルース・ブラザース」か「ファイブ・イージー・ピーセス」が観たくなるようなStand by your manで始まり、寺本圭一さん訳詞のカントリー・クラシックなども織り交ぜて30、40分ほど。まあライブハウスに行くたびに思うのだけれども、歩いて行ける距離にこういう場所、欲しいよなァと思う。

ふと店内の柱を見ると、見覚えのある千社札を発見。やはりあのお方も来てますか、知り合いですか。世間てのは狭いもんである。

家に帰って、やっぱり「ブルース・ブラザース」を観る。まあ、あの映画はカントリーをギャグにしてる映画なんだけれども…。
名作は何回観ても飽きない。

カントリーの帝王

2008-02-08 03:58:42 | LB中洲通信2004~2010
辻堂駅南口のライブハウス「ステージコーチ」で、戦後日本のカントリー・ミュージックを牽引してきた御大、寺本圭一さんの取材。高校時代に故・黒田美治のチャックワゴンボーイズに参加、ワゴンマスターズを経て堀威夫氏率いるスウィングウェストでヴォーカリストを務め、昭和20年代から30年代にかけてのカントリー~ロカビリー全盛期に第一線で活躍した、歴史に残る人物である。もちろん今でも現役だ。
僭越ながらバイオグラフィーを辿りながらお話を伺った。

90年代以降、ルーツミュージックが注目される中、カントリー・ミュージックはどうも蚊帳の外に置かれているような気がしてならない。近年のブルーズ・ブームを思えば、もっとカントリーが再評価されていいはずである。もちろんこれは日本の話だ。
これには日本人とカントリー・ミュージックの不幸な歴史が関係しているのではないかと思う。戦後、昭和20年代から30年代にかけて活躍した日本のカントリーミュージシャンの多くが自ら芸能界に組み込まれていく。
その一方で後のロックエイジ、70年代の日本のフォーク&ロックは豊潤な音楽性を持っていて、その中にはもちろんカントリーの要素も含まれていた。しかし若い世代のフォーク&ロックは、アメリカのカントリー・ロックやサザン・ロックのように、カントリー・クラシックスと地続きの関係にはなっていないように見える。昭和30年代の若者にしても、1970年代の若者にしてもアメリカからダイレクトに影響を受けるだけで、世代間をつなぐ地続きの関係にはなっていないのではないかと思うのだ。
日本ではそれぞれの世代が対芸能界という構図の中で、一方が戦後芸能界を作っていき、もう一方はそれに反旗を翻すというように、世代間の断絶と偏見がより烈しく生まれてしまったように思う。
結果的に日本のカントリーは孤高の道を選んでしまう。現在、カントリー・ミュージックのファンの平均年齢は上がるばかりだと言う。

そんな(特殊な)日本のカントリー・ミュージック界の中で、稀有な例とも言えるのがかまやつひろし氏と寺本さんではないかと思うのだ。
今や、かまやつ氏をカントリーだと思って聴く人もほとんどいないだろうし、彼のスタンスに対する評価もいろいろあるわけだが、そのルーツには間違いなくカントリーがある。かまやつ氏はカントリーからロカビリー、GS、ロック、フォークを経てフィールドを拡げ、片や寺本さんは50年以上変わらぬスタンスでカントリーを歌い続ける。かまやつ氏の多様なスタンスはカントリーの可能性を拡げ、寺本さんのスタンスはカントリーの表現を深く掘り下げる。
本来ならば、それこそがルーツ・ミュージックたるカントリー・ミュージックの懐の深さというものではないかと思う。
取材で寺本さんは言った。
「寺本圭一が歌えば、どんな“うた”でもカントリー」
この言葉を聞けただけでも充分。

実は寺本さんは昨年9月に脳梗塞で入院している。しかし同年12月には早くもステージで元気な姿を見せている。まだ完全復帰とは言えないようだが、カントリージェントルマンのメンバーであり、プロデューサーである片山さとしさんが経営する「ステージコーチ」等で、これからお元気な姿を見ることができるそうだ。

そういえば寺本さんはインタビューの最中、今週末ついに復活を果たすイマーノキヨシロー氏の名前を何度も挙げ、「たいしたもんだ」と口にしていた。どうやら昨夜放送された『SONGS』(NHK総合)を見ていたようだ。
ロックのキングも、カントリーの帝王もそろそろ復活である。

寺本さんのインタビューは4月号特集に掲載です。
(3月10日加筆)

露悪/「ブルーマンハッタン 黄昏のニューヨーク」「哀愁の摩天楼」

2008-02-07 07:02:56 | Movie/Theater
ブルーマンハッタン/黄昏のニューヨーク
Greetings/1968/アメリカ
監督:ブライアン・デ・パルマ
出演:ジョナサン・ウォーデン、ロバート・デ・ニーロ、ゲリット・グレアム、リチャード・ハミルトン
<ニューヨークで暮らす3人の若者たちは、定職もつかずにそれぞれ自分のことに夢中。ポルノ映画作家のジョン(ロバート・デ・ニーロ)は他人を覗き見し、盗み撮りに精を出す。ポール(ジョナサン・ウォーデン)は女性を追い求めて恋愛を謳歌し、ロイド(ゲリット・グレアム)はコンピュータとケネディ大統領暗殺の謎にとり憑かれていた。そんなある日、ポールの元に徴兵通知が届く…。>(シネフィルイマジカ

ブルーマンハッタン/哀愁の摩天楼
Hi, Mom!/1970/アメリカ
監督:ブライアン・デ・パルマ
出演:ロバート・デ・ニーロ、アレン・ガーフィールド、ララ・パーカー、ジェニファー・ソルト
<ベトナム戦争から戻ったジョン(ロバート・デ・ニーロ)は、すっかり人が変わってしまった。しかし、覗き趣味は相変わらず。ニューヨークの安アパートの向かいを盗み撮りをしている。ある日、ひょんなことから黒人解放運動の劇団の役者として出演することになったジョンは、次第に周りの影響を受け、活動家の仲間入りをする。そして、都市ゲリラになったジョンは…。>(シネフィルイマジカ

良い意味で、60年代の露悪と自意識がとてもよくわかる正続2本。
「黄昏のマンハッタン」は若者3人が徴兵忌避に頭を悩ませながらベトナム送りになるまでの2週間ほどのエピソードを断片的につなぎ合わせた内容で、時代の空気やムードをコメディタッチで綴ったものだ。あくまでもムードなので、ストーリーはあってないようなもの。しかしこの「黄昏のニューヨーク」で1969年のベルリン国際映画祭銀熊賞受賞してしまうんだから、これも時代か。いや、ケネディ暗殺からたったの4年でこんな映画が作れるアメリカという国も「悪くない国」。これまた時代か。
続く「哀愁の摩天楼」は完全にデ・ニーロひとりを主人公にした続編で、前作のポールやロイドは登場しない。こちらは自作自演の覗き趣味のポルノ映画監督になったジョンが、“Be Black Baby”(黒くなれ!)なる言葉を掲げるブラックパンサー的な急進的な黒人組織に関わり、狂気の都市ゲリラに変貌していく、という前作と打って変わってとてもわかりやすいストーリー。しかし、こちらも告発調の政治意識や問題意識があるわけではなく、60年代末から70年にかけてのニューヨーク(時代)のムードをコミカルに写し撮ったという感じで観ることができる。ただ後年の「タクシードライバー」に連なる内容という評価も頷ける、デ・ニーロの目力を観ることができる。
ジョンに誘惑され、覗きポルノに出演させられた上に、妊娠して、最後は爆殺されるという、めちゃくちゃでとてもシュールな役を演じたジェニファー・ソルト(「真夜中のカーボーイ」)は60年代っぽくて、かなり魅力的。

全編音楽を担当しているのはチルドレン・オブ・パラダイス(ベアー)とポップス職人エリック・カズ。こちらもいい感じです(音は相当悪いが)。

それにしても邦題がさっぱり意味不明だ。