徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

日本人は珍獣か

2009-07-31 16:36:24 | News
<8月1日から選考が始まる「ミス・ユニバース」の日本代表、宮坂絵美里さん(25)が着用するナショナルコスチュームのデザインが見直されることが分かった。牛革製の黒振り袖に、下半身はショッキングピンクの下着とガーターベルト丸出しというド派手な衣装には国内外から批判が殺到。デザインを事前に知らされていなかった呉服店や帯職人もミス・ユニバース事務局に抗議した結果、変更を余儀なくされることとなった。(中略)当初、イネス氏は《私が気にするのはファッション産業の有力者の評価だけ》、緒方氏も《「着物は奥ゆかしき日本人女性の象徴である」という現代の日本人が作り上げた妄想》などとブログに書き、強気の姿勢だった。>(産経ニュース 7月31日付)

確かに<「着物は奥ゆかしき日本人女性の象徴である」という現代の日本人が作り上げた妄想>だとも思うわけだが、その反面日本人は性に対してもおおらかで逞しい国民でもあったわけで、キモーノは奥ゆかしさと同時にエロスの象徴でもあるわけだ。
モザイク処理をエロスにまで昇華させるのが日本人なのである。

それにしても中高生やキャバクラ嬢、派遣コンパニオンあたりが着ればそれなりの味わいのあるミニ浴衣をそのまんま移植しただけのように見えるこのコスチューム。さらに進化して、上半身和風、下半身洋風というヒニー、ゼブロイド、レオポンのような珍獣ぶりは、美の競演というよりも如何ともしがたい中学生男子の夢。そう、ベタの世界。ショウケースのアクセントならわからないでもないけれども、モード業界ってそんなんでいいのか。
フラッシュやフライデーあたりの妄想写真館と大して変わりませんがな…ま、嫌いじゃないですけど。だって直球のエロだし…。

パンク/「パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ」プレミアム先行上映会トークショー

2009-07-31 02:37:40 | Music
<結局、すべてはくり返される。夕暮れのつめたい息のなかでわたしはすでに沸点を感じている。たぶん両者には激しさが欠けているのだ。わたしは最後の煙草をすう。言葉ではなく涙があふれ出る。どんなにかすかでも、なにかが起ころうとしているのだ。それはユーカリの木の繁みに聖者のように潜んでいる。無数の小さな死との深くて深遠な出合い。ミュンヒェンよ。あれはわたしがギターを置き忘れた最初でもなかったし最後でもないだろう。>(パティ・スミス/山形浩生・中上哲夫・梅沢葉子・共訳『バベル』思潮社1994 「ミュンヒェン」より)

ラフォーレミュージアム原宿で『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ』プレミアム先行上映会トークショー。パティ、スティーブン・セブリング監督が登壇。サケ(日本酒)、サケを連発しながら、はにかみながら笑みを絶やさないロック・レジェンド。「2、3枚ぐらいだったらオッケー」ということで会場も即席撮影会になった。
10年以上に渡ってパティを追い続けてきたセブリング監督が、散文詩のように構成したドキュメントでは、ロック・レジェンドではなく、間違いなく現在進行形でしかないパティ・スミスが描かれる。みんな死んじゃったけれどもパティは何度でも復活して「アメリカを台無しにしやがってブッシュのバカヤロー」と叫びながら生き続けている。それはとても、物凄く尊いことなんじゃないかと思った。もうパティがアンタをどこかに連れて行ってくれるわけじゃないんだよね。アンタは自力でロックして、どこまでも遠くへ行きなよ、という話。まあパンクはそもそもそういうものだし、本来自立した女子というのはパンクにしかならない(いまだに)。そして、それはどこかの国の保守的な「女子」ブームとは真逆のもののはずである。

<当時のロック・バンドとしてのわたしたちの哲学は、本書のほとんどすべてにしみわたっています。ロックは未来のアートであり、民衆のアートであり、その純粋さには普遍的なコミュニケーションが見いだせるとわたしたちは信じていました。この作業には多くの献身と訓練がそそぎ込まれ、おかげでグループのメンバーたちは親しみをこめてわたしを野戦司令官と呼んだほどです。(中略)わたしたちがアートと夢において駆け抜けた戦場は、罪悪感や苦悶とは無縁のものでした。あなたも、同じ精神をもってこの戦場に足を踏みいれてくれますように。アートと夢において、献身とともに進んでくれますように。そして生においても、地雷原を横切る兵士の明晰さと勇気を持って、バランスをとりつつ慎重に進まれますように。生命力より貴重なものなどないのですから。そして進むあなたを、その生命力への愛が導いてくれますように。>(パティ・スミス/山形浩生・中上哲夫・梅沢葉子・共訳『バベル』思潮社1994 日本版のための序文より)

だから何か?/ナビスコカップ準々決勝第2戦 浦和戦

2009-07-30 02:02:27 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
健太「両チームのサポーターにまずは感謝したいと。非常に素晴らしい雰囲気の中でこういうゲームをやらしてもらって、またエスパルスのサポーターもレッズのサポーターに負けないぐらい声を張り上げて、最後まで声援してくれてホントに感謝したいなという風に思ってます。(中略)特別なことは何もなく、前回ホームでアントラーズと試合をして、まあ自分たちでミスからアントラーズに2点取られましたけど、それ以外は非常に素晴らしいゲームができたんで、『同じようなイメージで戦おう』という話をしました」(Sの極み 7月29日付)

アウスタでナビスコカップ準々決勝「清水対浦和」
まあ、前回の埼スタで終始圧倒されたとも思えないし、日本平で負けるとはこれっぽっちも思っていなかったが、開始直後に阿部のオウンゴールでいきなりホーム&アウエイの形勢は逆転。フィンケ監督の言う通り、これで清水にとって実に楽な展開になったのは間違いない。しかし開始0分ではこの得点もあってないようなものとも言える。まるで0-0のゲームのように、テル、タクのコンビは球際を厳しくチェックし続ける。またアオ、岩下、児玉、そして前回の対戦で原口にいいようにやられてしまったイチは、PA手前のエリア(まで)でボールを回しまくるレッズの攻撃を根気良く跳ね返し続ける。もちろん前線からのチェックはいつも以上に激しい。ポゼッションでは「圧倒」されていたかもしれないが球際の激しさでは明らかに清水が圧倒していた。
チームというものは成長するのである。
冗談のようなオウンゴールはおいといて、オカのコントロールされた力強いヘディングシュートと、岩下の折り返しからアオがねじ込んだゴールは文句のつけようがない。

「相手にとって楽な展開だった」だとか「自分たちの方がいいサッカーをしていた」だとか、そういうことを言い始めたら肝心な問題は棚上げされてしまうだけだろう。解決すべき問題はないと言われたら、あ、そりゃ失礼というしかないのだが、フィンケという監督がここまで言い訳がましいとは思わなかった。これ、どこかで聞いた事がある。西の名将が同じようなこと言ってなかったか? 
フィンケの尊大な言い訳が正当なものかどうかは日曜にわかるはず。まあ短い期間に同じ相手と3回も連続して当たるなんてこたないもんね。次は8月2日、埼スタで再びレッズ戦。日本平ではない次こそ大事。

フィンケ監督「そして今回のこの試合に関して言えば、まず第1試合を思い出してみてください。実際に内容からすれば私たちが圧倒的に押していたと思います。そしてあの試合で清水エスパルスが2ー2のゴールを決めるよりは、私たちが3ー0(※おそらく3ー1と言いたかったと思われる)のゴールを決める可能性の方が高かったんではないでしょうか。そしてこのようなトーナメントの中で私たちがアウェイゴールを許してしまった。なのである意味非常に悪い状態で、もしくは悪い環境を準備してしまってそして私たちは今回の第2試合に入ったわけです。そして今回の第2試合では、試合開始早々まあ45秒という時点で、0ー1の失点を食らってしまいました。それによって清水エスパルスにしてみれば非常に楽な状況になりましたし、私たちにとってみれば非常に難しい状況でこの試合に臨まなくてはいけないことになったわけです」(Sの極み 7月29日付)

だから何だと言うんでしょうか?

(追記 8月26日)
<何とかして彼が倒れないでプレーを続けたことによって、私から彼には個人的には『フェアプレー賞』、『フェアプレーのメダル』を与えようかなと考えていますが…。しかし実際に、彼がしっかりとファウルされていたのは事実でしたので、本当ならばこれを私たちのために生かすべきだったと思っています。>(浦和レッズ公式ササイト 8月22日付

協会の会長自らが一部プレーヤーと同調して一クラブの監督を批判するのはいかがなものかと思うが、フィンケ監督も言わなくてもいいことをわざわざ口にする必要がどこにあるのか。序盤の調子の良さは一体何だったんだ。なぜ清水はあの頃、引き分けてしまったのか。実に不可解である。

サウンドトラック/「青山ロックンロールショー2009.5.9 オリジナルサウンドトラック」

2009-07-29 14:14:04 | Music
一時、Blueさんのトコでも話題になっていた『青山ロックン・ロール・ショー2009.5.9 オリジナルサウンドトラック』。悼む気持ちは大事だと思うけれども、オレとしては全然オッケーであります。むしろタイトル以外はまっとうな<サントラ>なので、清志のうた以外のパッケージは全部冗談にして欲しかったぐらい。さらに石坂敬一氏の目の黒いうちは廃盤にしないという方向ならばもっとオッケーですが。

<「ヒッピー」は俺以外の電車に乗ってるやつが、「こいつらは豚なんだ」ってことじゃない? そう思ってたわけ。俺は音楽やってるし、ロックやってんだから俺は資本主義の豚ではないと思ってたんです。そうしたら石井に「あんたもそうじゃない」といわれて、それで「不思議」の歌詞が出てきたの。>(ロックン・ロール研究所編「忌野清志郎画報 生卵」河出書房新社より)

8月の野音、しみんぐスーン

2009-07-26 02:45:20 | Movie/Theater
またもや清水宏さんが野音でライブをやるらしい。野音の開放感をまるで無視したとしか思えないスズナリサイズの自爆芸。それがまたいい。
前回も程よく満員でいい雰囲気だったので、夏の夜にビールでも呑みながら観るのもいいですよ。
ちなみに翌日の野音はSIONさんなんだがね…。

<清水宏の炎の演劇部!~夏だ!野音だ!しみんぐスーン!!>
日時:8月7日(金)
OPEN18:00/START19:00(当日券は15:00から受付)
会場:日比谷野外大音楽堂
料金;全席自由2000円
問い合わせ;ツインビート(03-3325-7565※平日11時~17時)
清水宏のやる気マンマン男

言葉はいらない/第19節千葉戦

2009-07-26 01:50:44 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
フクアリで千葉対清水
スカパーのインタビューを終えてゴール裏に来たアオは、頭を下げた後、胸のエンブレムを数度叩いて帰っていった。
ゴール裏の多くの人たちも、その瞬間アオの気持ちが伝わったように反応した。「お? おおっ!」そんな感じ。
岩下と違って感情をむき出しにするようなタイプじゃないだけに、アオがそんなふうに自分を表現したことはチームにとってもとても良いことだと思う。だから、<Q(青山選手が)外された悔しさみたいなものをぶつけるような気持もあったのでは?>なんていうベタで、チームを矮小化するような質問はいらない。健太は意図があってアオを外したのだし、それに応えてアオは結果を出した。これが正常な“チーム”というものである。
まあ、あとからヴィデオを観直したら力強い勝ち越しゴールを決めた後のアオの形相は確かにもの凄かったけれども。
それを観たら、言葉はいらんわな。

さあ次は、いよいよ今後の方向性を決めかねないレッズとの2連戦。もちろん2連勝するしかないわけだが。まずは29日、アウスタでナビスコカップ準々決勝第2戦。レッズの連中にホームジャックされないように、静岡の衆は自力でスタジアムを埋めて欲しいものである。

吉祥寺から高田馬場へ

2009-07-25 02:57:44 | Music
博多NOIZ/NOISのTOSHさんから大プッシュされたモアリズム
ということで、吉祥寺のスターパインズ・カフェで<ダブル・リリース記念パーティー~映画「ディア・ドクター」サウンドトラックとオリジナルアルバム「笑う花」を従えて~>。『ディア・ドクター』の西川美和監督もステージに上がる。噂の才色兼備。タイトル通り、ハープ、ヴァイオリンを交えたサントラコーナー(そのまんま)を経て、『笑う花』全曲。が、温かなムードで、ちょっとほのぼのエンディングになりそうになったところで、アンコールの最後の最後でオープンGのブギ。これで腑に落ちました。ブルースはやっぱり最終的にはワイルドじゃなきゃいかんよね。先にハコに入ってライブを撮影していた大甲君にマネージャー氏を紹介してもらって挨拶。来月初旬あたりに取材予定。

22時過ぎに店を出て、高田馬場へ移動して久しぶりのGateOne。今月は10周年記念マンスリーということで早く行かなきゃなあ…とは思っていたんだが、やっと顔を出すことができた(本当は7月7日が10周年記念日)。信二さんに『漣流』を手渡す。んでもって、まり子さんの姿が見えないと思って訊いてみたら、毎晩が10周年記念ライブでだいぶハッスルした模様。で、この日は休み。あまりにも予想通りで、酔っ払ったまり子さんの姿が目に浮かぶわ。懸念されていた問題も当面は回避できた模様。良かったス。
3、4曲程度しか聴けなかったけれども、この日のメンバーは上田裕香(vo)、橋本信二(gt)、成田祐一(p)、トオイダイスケ(b)でボッサナイト。久々に聴いた裕香ちゃん、いい意味でソフトになったような気がする。信二さんのカッティングは太かった(すぐヴォリューム絞っちゃうけど)。
ここのところ懐具合もよろしくないので24時前に帰る。

少年という希望/「リリア 4-ever」

2009-07-24 02:11:29 | Movie/Theater
リリア 4-ever
Lilya 4-ever/2002/スウェーデン
監督:ルーカス・ムーディソン
出演:オクサナ・アキンシナ、アルチオン・ボグチャルスキー
<旧ソ連のどこかの町。母親に捨てられた少女リリアは、シンナー遊び、酒、生活のための売春と、悲惨な生活を送っていた。そんなある日、ハンサムで優しいアンドレイが、スウェーデンでの新しい生活にリリアを誘う。しかしそこで彼女を待っていたのは、あまりにも過酷な運命だった…。>(シネフィル・イマジカ

4歳違いだがブリトニー・スピアーズと同じ誕生日に生まれた少女。
かたやアメリカ、こなた旧ソ連のどこかの町。
恋人と共にアメリカに行ってしまった母に捨てられた少女の身に、貧困が救いようのない不幸の連鎖を引き起こす。貧困がさらに苛烈な差別と暴力、不理解、不寛容を生み、弱いものがさらに弱いものを叩く、大なり小なりどこの国でも起こり得るの図。遠い昔の雄大なる赤い物語と現在の経済発展は、そんな絶望的な人たちに何の救いももたらさない。さらに終盤、監督のルーカス・ムーディソンは、スウェーデンに送られ、監禁状態で売春させられるリリア目線で、暴力(買春)シーンを繰り返し描き、救いようのない物語を駄目押しする。
かなり重い。全編を通してずっしりと重いが、ラストのシークエンスは<希望>に見えたけどね。
リリアはもう一度、目を開いたじゃないか。
リリアはもう一度、自分の人生を生き直すのだ。清々しい表情で、おばあちゃんがアパートの階段に落としたポテトを拾ってあげて、訳のわからない怪しい男の誘いなんてきっぱり断る。もう一度、自分の人生があったなら、きっとリリアはそうしていたはずだから。そして絶望の町で、唯一の希望であり、未来である少年と一緒にバスケットボールをする。ふたりとも背中に天使の羽をつけながら。
少年はやっぱり遥かな未来であって、微かな希望なんである。

14歳でリリアを演じたというオクサナ・アキンシナという女の子は物凄いと思う。

ボールペンなりの幸福/ダグラス・アダムス「銀河ヒッチハイク・ガイド」

2009-07-23 22:27:34 | Books
<宇宙のどこか、ヒト型生物、爬虫類型生物、魚型生物、歩く樹木型生物、超知性を備えた青い色の生息する惑星とならんで、ボールペン型生物だけの住む惑星がある。ちょっと目を離すとボールペンが消えてしまうのは、この惑星へ向かって旅立つからなのだ。かれらは人知れず空間のワームホールを抜けて逃げていく。その惑星に行けば、ボールペンにしかわからない刺激に対応した、特異なボールペン型ライフスタイルを享受できると知っているからだ。そしてそこで、かれらはおおむねボールペンなりの幸福な生を送っているという。>
ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』安原和見・訳 河出書房新社) 

守備的

2009-07-20 12:32:58 | Sports/Football
<広島のペトロビッチ監督は、快勝で連敗を3で止めたにもかかわらず、会見場で怒りをあらわにした。「Jリーグはイレブンミリオン(年間入場者数1100万人)を目指しているが、あんな守備的な戦い方を誰が見にくるだろうか」と相手の極端な戦法に対して不満を爆発させた。>(サンスポ 7月19日付

守備的なサッカーにも、面白い守備的なサッカーと面白くない守備的なサッカーがある。<面白くない守備的なサッカー>とは、大体の場合、面白くなくさせられた側がこぼす愚痴でしかない。
奇妙な攻撃的サッカー信奉が大分や千葉や柏を苦しめる。下位で苦しむ彼らが、何でガンバや川崎や広島のために楽なゲームプランを提供しなければならないのか。強豪相手にあえて果敢な(無謀な)攻撃的サッカーして勝ち点をプレゼントしなければならないのか。そもそも、そんな安直な攻撃サッカー信奉が簡単に鹿島を独走させてしまうのだ。勝ち点1のために<極端に>引きこもることはまったく悪いことじゃない。数少ないチャンスのためにカウンターを研ぎ澄まし先制した瞬間ほどスリリングなことはない。

ディフェンスこそチームの魂の有り様である。

(追記8月9日)
Sの極みの大場さんが8月2日の浦和戦の戦評で、清水を指して<「常にベッタリ引いている」とか「攻めは縦ポンからのカウンターのみ」>と報じる専門誌(紙)について苦言を呈している。「あれは引いているのではない(引くべきときには引くのは当然だし、どのチームでもやること)、攻守の切り替えが早いのだ(浦和の攻守の切り替えが遅い)」という見解には完全に同意したい。
ちなみにこのエントリーも別に清水のディフェンスを指して守備的であることを肯定しているわけではありません。
マスコミや御用ライター相手に、こういう不理解や偏見と戦うのも実に面倒な話である。

追撃/第18節鹿島戦

2009-07-19 20:21:37 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
アウスタで清水対鹿島

セカンドハーフ、真っ先にピッチに姿を現したのは岩下だった。
岩下に向けてスタンドのオヤジ共からも声がかかる。とんでもないミスを犯してしまうと逆に人は優しくなるものである。スタンドのほとんどの人間は、後半は岩下がやってくれると信じていたことだろう。
火がついちゃったんだもの。これは燃え上がるしかないのである。
後半8分にフローデの同点ゴール。アディショナルタイムを含め残りは40分ほど。アウスタはお祭りのように盛り上がる。
こういう時の日本平はアウエイチームにとっては本当に嫌なスタジアムだと思う。

鹿島との闘いにもかかわらず意外にもカードは1枚も出ず、フェアな好勝負になったと思う。去年のベストゲームは天皇杯準々決勝の鹿島戦(鹿スタ)だったと思うけれども、それに近いパフォーマンスを見せられたんじゃないだろうか。またスタメン、選手交代も健太のコメントを読む限り、実に理に適ったものだった。
望むような結果こそ出なかったが後半戦に向けて追撃態勢は整いつつある。
次は25日、フクアリでジェフ千葉戦。

はい、全く/ナビスコカップ準々決勝第1戦 浦和戦

2009-07-16 20:49:07 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
埼スタでナビスコカップ準々決勝第1戦「浦和対清水」
アウエイで相手をリスペクトしすぎてしまった感が強い前半。ガンバ戦圧勝を受けてウィニング・チーム・ネバー・チェンジはある程度仕方がないにしてもパウロ、イチのマッチアップは相手のスピードと勢いに気圧されてかなり自由にやられた。健太もレッズのスカウティングを認めているように右サイドが狙われていたのは間違いないところ。
というかですね、エジ、高原や闘莉王あたりをリスペクト(警戒)するのは当たり前だとして、エコパで散々好きなようにやられた若いのまで同じように対応してどうすんのよ。去年までのレッズならともかく、今のレッズは果敢なチャレンジャーであって、疲れたチャンピオンでも何でもないんだよ? そんな認識のねじれが奇妙なリスペクトとギャップを生む。あれが本当にPKなのかどうかは置いておいて、実にバカバカしいPKであった。
とはいえ埼スタで連発となったエダの背中越しのボレーは美しかったし、清水のゴールをこじ開けるにはミドルしかない局面できっちり狙い通りのシュートを打ってきた闘莉王からエジのゴールの力強さもさすがだった。

Q今の話に重なるんですがね、前半は完全にもう……ホーム&アウェイで2試合で勝負だと、あれはもう長谷川健太監督はですね、ああいう風に選手に指示したに違いないと誰もが思ったと思うんだけども、あれが自然発生的だったとしたら何が……で全然それでリカバーできなかったでしょ?中盤。枝村とかね、リーダーシップ持ってるやつが、これじゃマズイからもっと前にとか、外側全然使ってなかったじゃないですか。カウンターのチャンスなのに外使えないとこれは致命的なんだけども、そういう風なことは何かやっぱり背景には、これはもう絶対0ー0で行くぞっていうようなことがあったんじゃないかってやっぱそれは想像するんだけど、やっぱ違うんですか?
健太「はい、全く」(キッパリ)
Sの極み 7月15日付より)

1-2というスコアも、健太に喝を入れられた後半の出来を見る限り内容的にもまったく悲観的になる必要はなし。“若い”レッズは日本平で返り討ちにする。
第二戦は2週間後の29日にアウスタ……の前に、18日土曜日、アウスタで大一番の鹿島戦。

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2009-07-14 14:08:59 | Books
「夏目漱石財団」なるものについて(夏目房之介の「で?」)

世知辛い世の中で、房之助さんのスタンスは実に格好いいし、正しい。

世知辛くなった理由のひとつ。
極端な話、良い悪いは別にして中国のネズミーランドの件も、日本人はこういう逞しさは失っちゃったなあと思う。そしたら失われた逞しさは抜け道という名のアンダーグラウンドに潜るしかない。

闇の女王、浅川マキは<暗闇がなくなった>といった。そういうこと。
B級もサブカルも、もうどこにもない。
で、最近聞いた話によるとすっかりB級とサブカルを喰い物にしたA級のプライドだけはとっても肥大化しているらしい。嫌な話だ。