徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

(BUT WE LIKE IT LOVE)/VA『IT’S ONLY ROCK’N ROLL』

2005-07-30 23:09:57 | Music
先週末福岡へ行ったときに取材先で、「福岡で一番有名なヴォーカリスト」(NOIS/NOIZのマスターtoshiさん)と紹介されて、WALTZ ELEGYの小柳信二さんと挨拶する機会があった。ということで今週は小柳さんの経営しているお店に連絡してCDを手配したりしたのだけれども、とりあえずメジャーで唯一リリースされている音源である、日本人ミュージシャンによるストーンズのトリビュート盤『IT’S ONLY ROCK’N ROLL(BUT WE LIKE IT LOVE)』を購入。この中でWALTZ ELEGYはプロデューサーの栗原務とともブルージィな『ANGIE』を披露している。

<日本が誇るダブ~スカ系のアーティストが多数参加した、ローリング・ストーンズのトリビュート・アルバム>。2003年リリースなのでホントに遅ればせながら、なのだけれどもこれはいいっス。R&Rスタイルを期待すると肩透かしを食らうけれども、どの楽曲もプレイヤーのスタイルに完全に消化されているのは素晴らしい。恐るべしLITTLE CRETURES。

ちなみに、かつてSAS関口和之氏(関口和之&砂山オールスターズ名義)のアルバム『World Hits!? of Southern All Stars』にアレンジャーとして青柳拓次が参加していたけれども、あの中に収録された青柳アレンジ、ヴォーカルLeyonaの『HOTEL PACIFIC』は完全に原曲を超えていた。

甘い囁き/スピードワゴン「あま~い」

2005-07-30 22:11:26 | Books
ぴあのHさんからスピードワゴンのネタ本『あま~い』(ぴあ刊)が送られてきた。

「夫婦」
男 君と結婚してひとつだけ残念な事がある。
女 えっ。

もう一度、君にプロポーズできない事さ。

延々とこんなフレーズが続く。ネタ本だから続く。
これは<日本全国のホストが口説き文句のバイブルとしてパクリまくり! 伝説の「あま~い」言葉集>ということだが、同書のように冗談にしやすい恋愛シーンに限定しなければ、世の中にはもっとぷんぷん匂うような台詞や標語や演説が溢れている。しかもその多くは洒落にならないほど本気だったりする。困ったものだ。本気と冗談のせめぎ合い、本気と冗談の境界線を何度も飛び越えながら、それを笑い飛ばせる大人になりたいものである。

<“愛”なんてものを口する男がどっか頼りなげで嘘くさいのは、普通の男じゃないからです。普通の男は、女を誤魔化すのはフェアじゃないからと思って、騙すぐらいなら黙ってた方がましだと思っているだけなのです。だから、男が真面目な顔して、やさしげに“愛”なんてものを語り始めたら、眉に唾つけるしかないのです。>(橋本治『極楽迄ハ何哩』)

ちなみに同書はツースリーがデザイン担当。イラストはゴロー画伯。

最上

2005-07-29 05:54:15 | LB中洲通信2004~2010
LB10月号でSIONさん取材。14時30分にバグコーポレーションのTさん、Ⅰさん、ツースリーの金井君、カメラマンの名和さんと合流し、まず日比谷公園で撮影。配達員がいないのを見計らって満面の笑みで郵便局のカブにまたがるSIONさん(これはご自分のケータイで撮影)。素敵すぎます。40分ほど野音の周りで撮影した後、居酒屋「最上」に移動。とりあえずご主人にコメント取材。そしてSIONさん、ロングインタビュー。いくつか用意したキーワードと質問を押したり引いたりしながら2時間近く話を訊く。「そんなところでしょうか」のSIONさんの言葉で、あとはTさんも交えた酒盛りになる。しばらくしてあきおさんも最上に到着。うりきち日記の登場人物が揃った。何て豪華な酒盛りだ。

結局21時過ぎまで取材にかこつけて酒盛りは続いた。

さて、今晩でTさんはマネージャーから舞踏家に戻る。
そんな門出の日をこんな酒盛り取材にしてしまったのは申し訳ない気もしたのだけれども、SIONさんもTさんも、おそらくいつも通りに語り(現在オンエア中のラジオでSIONさんは、Tさんについてそれはそれは感動的に語っているという。必聴)、店の前でふたりは別れた。

Tさんにお礼を言いたかったので、さらに有楽町のガード下でさらにちょっとだけ飲む。いつもは泥酔しているオレが言うのもなんなのだけれども、この日のTさんはかなりご機嫌に酔っ払っていた。まだまだ取材は半分以上残っているけれども、ホントにTさんには感謝。

Tさん=鶴山欣也さん、お疲れ様でした。

『私立探偵 濱マイク⑫ビターズエンド』購入。

“ハリケーン”ライブ(7月26日)

2005-07-27 20:51:00 | Music
台風の中、久々のGATE ONE。むしろ台風だから行ったということもあるのだけれども……。
今日は石川早苗(vo)の“ハリケーン”ライブ。メンバーは福田重男(p)橋本信二(gt)トオイダイスケ(b)、そして梶原まり子(vo)。イベント(照姫祭)でのBb名義ライブでちょっとだけ聴いたことはあるのだけれども、石川早苗さんの単独ライブは初体験。表現力はあるし、ステージ度胸もありそうだし、これからはもっと期待できるのでは。
ニューマシンのMDでレコーディング。

博多取材⑥ふとっぱら(7月24日)

2005-07-25 16:50:30 | LB中洲通信2004~2010
18時から今回最後の取材。

SIONさんが「アニキ」と呼び、福岡でのライブ後にたびたび打ち上げが行われるという居酒屋「屋台道場 ふとっぱら」の社長・松本さんにお話を伺う。来福したミュージシャンの多くがここで打ち上げを行うという同店(本店、天神店、中洲店、大名店がある。お話を伺ったのはデカい大名店)。値段は安く、メニューは豊富という、要するに博多名物の屋台風の居酒屋である。松本さん自身、屋台出身の経営者だ。
酒場でのSIONさんの様子がちょっと伝わってきた。

店内で松本さんを撮影し、19時30分に店を出る。
20時に福岡空港に到着し、チェックイン。最終便で東京へ戻る。

博多取材⑤宇宙戦争(7月24日)

2005-07-25 16:37:08 | LB中洲通信2004~2010
11時にホテルをチェックアウト。
睡眠不足の発熱、お天気良すぎて尋常ではない発汗、最後の取材は18時からということで、ふらふらになりながら、取材まで休憩できる場所を探す。しかし、日曜日ということもあり、喫茶店あたりではなかなかゆっくりできそうもないので映画館に行く。寝ちゃえばいいし。

シネコンなのがちょっとアレなのだが、まあ贅沢は言えない。ソラリアシネマ3でスピルバーグの『宇宙戦争』。最前列で観る。

これが想像以上のツッコミどころ満載のバカ映画で、最初の解説のような部分は半分寝ていたのだけれども(それが目的なんだが)、侵略者が人間の駆逐を始めたあたりからは爆笑しながら観た。まずトム・クルーズはテンパり過ぎ、ダコタ・ファニングちゃん達者過ぎ。随所に織り込まれるパニック時のアメリカンジョークも、別の意味で笑わせる。

かつて『タワーリングインフェルノ』のスタッフ、キャストによる『世界崩壊の序曲』という映画があった。
<突如噴火を始めた火山島から脱出する人々を描いただけで、タイトルが何を指しているのか全く不明のパニック映画。>。某映画サイトより
要するに火山島が噴火するのが「序曲」なのだ、ということなのだろうけれども、小学生だったオレは今は無き静岡の東映パレスで呆然としながら観たですよ。地球崩壊してないじゃん。序曲過ぎるじゃん。ポール・ニューマン出てる意味ないじゃん。――そんな映画を思い出した。

話を『宇宙戦争』へ戻す。
「大阪じゃ3体倒したらしい、日本人にできるならオレたちにもできるぜ!」
みたいなことを言いながら、「人類より百万年は進化している」という割にはあまりにもアナログなかくれんぼ(しかも百万年遅れた人類が逃げ切れる!)や斧で闘うローテクな攻防、ざっくり描きすぎな戦闘シーン、進化している割には野獣化している侵略者たち。結局、関西人はどうやって「三本足の歩行兵器“トライポット”」を3体も倒せたのかもわからず終い。そして唐突なラストシーン。ついでにご都合主義でアメリカンな家族愛。原作を忠実に描いているという話だが、それでいいのか。

笑えるからそれでいい。
すっかり眠気も、疲れも飛んだ。広い意味で最高っス。

博多取材④NOIS

2005-07-24 07:06:27 | LB中洲通信2004~2010
こんにちはメメントです。

昨夜のメメント状態のせいか、ホテルに帰ったのは午前6時過ぎ、昼まで爆睡。夕方になってから昨夜の高橋二三男さん取材の録音確認(OK!)、10月号特集用の取材準備を始める。その頃、東京はかなり大きな地震があった模様。がんばれ東京。
18時に天神にあるSIONバー(?)「NOIS/NOIZ」のtoshiさんを訪ね、SIONへの想いを語っていただく。
取材後、昨夜のお勘定がまだなのでリンドバーグへ。ちょっと休憩。20時から元西鉄ライオンズ投手で、現在中洲でスナック「ドンレオあべ」を経営する安部和春さんを取材。お店のあるビルのエレベータの中で豊田泰光さんのような人と相乗りしたのだけども、ような人ではなくて豊田さんその人。しかも豊田さんの行き先も「ドンレオあべ」だった。かなり恐縮する。お二人に挨拶して、取材開始。せっかくなので、ということでお願いしてツーショットも撮影。
取材後、再びリンドバーグへ。これで後は日曜夕方の取材だけだと思い、飲むが昨夜の自己嫌悪が酒をセーブさせるのか、酔えず。リンドバーグの冨さんに慰められる。それでも1時過ぎまで。

これでおとなしくホテルに帰る……

と思ったのだけれども、猛烈にSIONの唄が聴きたくなったので夕方取材させて頂いた「NOIS/NOIZ」のtoshiさんに電話して、再びお邪魔する。セクシィなお姉さんからバンドマン、サブカル少女風の女性までtoshiさんが“普及”させた若い世代のファンの話を聞きながら(もちろんtoshiさんのさらに熱い話も伺いながら)6時過ぎまでSIONを聴く、語る(プレッシャーがかかる)。

ホテルなくてもいいじゃん……。

博多取材③(7月22日)

2005-07-23 16:57:20 | LB中洲通信2004~2010
20時30分にエルガーラホールでの取材が終わり、せっかくなので名和さんと屋台でラーメン。その後1時間以上飲んでいたので屋台の兄ちゃんに急き立てられるようにされて屋台を出る。名和さんとは取材が決まり次第連絡するということで、そこから別行動へ。エルガーラで藤堂編集長と会えなかったのでオレは中洲のリンドバーグへ移動。
編集長と会えなければとりあえず飲むしかない。まず飲む。待つ。そして飲む。待つ。とりあえず飲む。おそらくもう今日の取材はない(今回の中洲物語の取材はない)と完全に気が緩み、酔っ払った午前1時過ぎ、編集長から中洲でバーを経営している元太平洋クラブ~ロッテの名選手・高橋二三男さんへの取材指令。高橋さん、取材ではご迷惑をおかけしました。

もう自己嫌悪。
昨日会計すんのも忘れた……。

博多取材②PIKADON PROJECT(7月22日)

2005-07-23 16:42:24 | LB中洲通信2004~2010
16時に博多のエルガーラホール入り、前回の取材でお世話になったグレパパ福岡事務所の中村鉄平さんに挨拶。黒田征太郎さんのライブペインティング イベント・PIKADON PROJECT『絵と音と~今ココに生きている」。鉄平さんから舞台監督を紹介していただき、名和さんは取材のセッティング。
客席が半分程度埋まった18時頃、MCのお姉さんに促されて、参加者の子供たちが白地のキャンバスに思い思いの絵を描いていく。さらに黒田さんと「JOY倶楽部アトリエ・ブラーヴォ」の青年3人が古謝美佐子都はるみの『黒い雨』が流れる中、キャンバスに絵と色を描きこんでいく。このパフォーマンスは感動的で、メモを取ったり、シャッターを押していないと泣きそうになる。たぶん客席にいたら泣いていた。

言葉ではなかなか言い表せないが(それが仕事だろっての)、「わかってしまった」のだ。

パフォーマンス前の黒田さんのスピーチの意味も、さらに6月号で黒田さんにインタビューしたときの内容も、すべてが伝わってきた。それぞれいろんな意味はある。黒田さんの行動はPIKADON、つまり反核を訴えるものだし、古謝さん、都さんの歌う『黒い雨』のモチーフは井伏鱒二のあの『黒い雨』そのものだろう。もちろんそれが前提ではあるけれども、大きなキノコ雲の絵の意味を越えて、歌詞の意味を越えて、色(絵)と声(音)のプリミティヴな感動があった。

休憩を挟んでハンデキャッパーの音楽集団「JOY倶楽部ミュージックアンサンブル」の演奏に合わせて黒田さんは文字通り踊りながら絵筆を走らせる。

黒田さんたちPIKADON PROJECTのパフォーマンスが表現しているのは「つながる」であり、「つづける」であり、「つたわる」である。福岡でもこのイベントが続くことを祈りたい。オレは東京でこの続きを見たい。

それにしてもオレたちも含めてだが、取材クルーの数が多かった。

博多取材①(7月22日)

2005-07-23 16:14:28 | LB中洲通信2004~2010
朝6時30分に起き、LB9月号残りの校正。これで校了。前日まったく博多取材の準備をしていなかったので(泥のように寝てしまった……)、思いつくものをバッグに詰め込んで、羽田へ向かう。8時30分、何とかチェックイン1時間前には到着し、カメラマンの名和さんと合流する。午前中には福岡空港に到着するが、具体的な日程は1件、エルガーラホールで行われる黒田征太郎さんのPIKADON PROJECTのみ。残りは現地でアポを取る予定。

荷物をホテルに預け、10月号SION特集用に、バグコーポレーションのTさんに紹介していただいた、熱烈なSIONファンの経営する酒場「NOIZ/NOIS」と居酒屋ふとっぱらのマスターに連絡。明日、明後日の取材の日程を組む。
しかし中洲物語用の取材はまだ未定……。

打ち合せ他

2005-07-20 22:04:17 | LB中洲通信2004~2010
渋谷でバグコーポレーションのTさん、レスペクト・ミュージック・ジャパンのⅠさんと打ち合せ。10月号SIONさん特集を具体的に煮詰める。今回の『東京ノクターン』ツアーのブックレットがかなり充実していたので、よりLB風に福岡での取材も検討。

エディ藩さんから原稿チェック。
いよいよもって9月号は今夜が本当の山。もう逃げられな~い。

MISSY ELLIOTT『THE COOKBOOK』、憂歌団『LOST TAPES』、橋幸夫『SWIM! SWIM! SWIM!』、吾妻光良&ザ・スウィンギン・バッパーズ『おいこらお嬢ちゃん』、THEATRE BROOK『THEATRE BROOK』(アナログ)購入。それにしても通販専門のABC music networkは対応が早い。発送通知がないのがアレだけど。

#35 自分の欲望に忠実に生きる

2005-07-18 18:12:04 | 暴言・失言・珍言備忘録
「人に迷惑をかけない範囲で、自分の欲望に忠実に生きる」菊間千乃(フジテレビアナ)

<菊間アナはたびたび自分が司会を務める番組で、有名人の名前を挙げて「昨日も~さんに誘われちゃった」と明かすことがあった。公式ホームページでは、好きな言葉は「人に迷惑をかけない範囲で、自分の欲望に忠実に生きる」ことを指針にしていると告白。確かに奔放だが、未成年を巻き込んだだけに事態は深刻だ。>(東京スポーツ 7月19日付)

飲酒騒動でフジに問い合わせ殺到 (Yahoo news/デイリースポーツ)

未成年の飲酒についてはどうでもいい話だ(一般の通例的にも)。
一方怒りの抗議を寄せている人間の多くが「未成年」のNEWSのファンたちだというのは想像に難くない。彼女たちの多くも飲酒について抗議しているのでない(たぶん)。それも容易に想像できる。おそらくコレだけが怒りを呼んでいる。

NEWSのA君は結果的に「大人」に巻き込まれてしまったのだから怒りの矛先は当然「誘った大人」に向けられる。そして誘った大人には上のような信条があるらしい。が、しかし。自分の欲望に忠実に生きる限り、人に迷惑がかからないなどということはない。この後ろめたさをまったく感じさせない「忠実」ぶりには傲慢ささえ感じる。ま、彼女の場合、言葉の中に「範囲」を紛れ込ませるあたりが曲者か。もちろん欲望に対して忠実に生きたいという願望は否定しないが、「人に迷惑がかからない程度」と書いてしまうあたりに妙な開き直りを感じさせる。

原稿書けない……原稿書かなきゃなあ……気分転換にブログでも……そして原稿を書かずにブログを書く。この程度が「後ろめたさを感じつつも欲望に忠実」。

それにしても、

「人に迷惑をかけない範囲で、自分の欲望に忠実に生きる」菊間千乃
「人に迷惑をかけない範囲で、自分の欲望に忠実に生きる」里谷多英
「人に迷惑をかけない範囲で、自分の欲望に忠実に生きる」中村江里子

なぜかフジテレビアナウンサーにこの言葉は似合う。

ちなみな菊間アナの父親は名門女子高バレー部の監督で「フジのバレー中継に貢献してきた」(@東スポ)そうです。フジテレビもかなり欲望に忠実だと思うですね。
(7月20日追記・修正)

VIBRA、もしくはあの当時の事

2005-07-15 22:20:36 | Music
LB9月号用の資料を探しに御茶の水等。
ついにリリースされた『カンフーハッスル』購入。映画館で観たときにはシン(チャウ・シンチー)とアイス売りの少女・フォン(ホアン・シェンイー)との関係にちょっと違和感を覚えたりしていたのだけれども、DVDで改めて観ると淡い感じが伝わってわりといいス。それはともかくン・ジーホワ、シン・ユー、チウ・チーリンの豚小屋三達人のファイトシーンはやはり燃える。またスクリーンで観たいもんである。

中古盤屋で『VIBRA is BACK』を見つけたので購入。
90年春、野音の金網にしがみつきながら、この『VIBRA is BACK』に収められている『WABI SABI』や『HEAVY』といった楽曲を聴いていた。会場では江戸アケミ追悼コンサートが開かれていて、オレと同じように、警備員に追い払われながら野音の金網越しに追悼コンサートに“参加”している連中が多くいた。誰かが歌った『タンゴ』に対して会場の女の子から悲痛な叫びが上がった瞬間は今でも忘れられない。その時の近田春夫とVIBRASTONEのライブにはアケミ亡き後の日本のシーンを背負って立つくらいの意志を感じたものだし、事実その後数年の勢いは素晴らしかった。だから『VIBRA is BACK』を聴くと、あの90年前後のことが蘇ってくるのです。JAGATARAは終ってない。

(追記8月5日)
資料探しで古い『ミュージックマガジン』(90年6月号)を読んでいたら湯浅学氏の(短文だが)渾身のライブレポートがあった。
<会場で当日配られた参加者のコメント集の中のOTOの言葉「アケミが死んだことも、まだわかってないんだよね」が、自分には一番心にひっかかっている。場内は満員。入り切れない人が千人以上、場外で耳を傾けていたという。満員の参加者の群れに近田春夫はこう言った。「今日こんなに集まるんだったら、どうして生きているうちにもっと来ねえんだよ。俺は音楽評論家たちに言っているんだ」
 俺は音楽評論家だ。しかしどこかで音楽評論家であることから逃げようとしてはいなかったか。そうだ。アケミのことを考えるたびに心が重くなるのは、自分が音楽評論家として何をしようとしているのか、その答を先へ先へ延ばしていたかったからではないのか。自分が可愛い、そりゃそうだ。可愛いから怒りをわざと萎えさせていたのだ。>(江戸アケミ追悼コンサート/湯浅学 『ミュージックマガジン』90年6月号)

また同じ号でいとうせいこうはヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの会見録でこう書く。
<音楽のためにいう。音楽と戦える言葉のないやつは、今すぐ批評をやめろ。さもなければ、私が言葉で処刑する。>
スゲエ。

またもや同じ号で、ニューエストモデルの中川敬はインタビューにこう答える。
<「(江戸アケミの死は)ショックやった。真剣に考えてしまった。俺らも頑張るしかない。使命感が生まれたとか、そんなんでもない。もともとやろうとしていたことを、もっとちゃんとやらなあかん。のんびりやってる場合やない」>
<書けへんのや。ズバリ<ロック>を書けるライターがおらんのや。それが日本のロックの現状やねん。音楽誌っていうのが、聞く側のね、音楽を限定するぐらいの独裁があってもええんちゃう? それぐらいの時期を一度、通り越した方が。『ミュージック・マガジン』とか、それをやった方がええんとちゃうかと思うけどね。ま、やってる方やと思うけど。書き手も協力し合わなならん。“俺はこれをやってる”って自信持ってる奴らってのは、それを広めようという意識が低いねん。それを広めたらええ。音楽誌がね」>
<「時間がかかるんちゃうかな、(江戸アケミをどう書くかということは)日本のロックをどう書くかってことやから。誰も言えん。いいバンドが出て来なあかんし、(そういう状況を)変えたい、変えたい、もちろん」>

あるミュージシャンの資料をネットで探していたら、オレは係わっていなかったけれども、その頃務めていた会社が編集を請け負っていた音楽誌を休刊へ追い込むダイナマイトの導火線に火をつけた某ライターのページに辿り着いた。こういう事柄は当事者より周辺にいる人間の方が熱くなりがちだれけども、それを読んで当事者じゃないけど久々にあの頃を思い出し、熱くなりました。
この当時、上に挙げたような言葉は、この某ライターのような呑気なギョーカイ人に向けられていた刃だったのだと思う。当時の、オレの同僚たちはそれをわかりやすく(ポップとも言う)表現し、『ミュージック・マガジン』は某ライターには理解不能な表現で、同じ事を言っていたのだと思う。

ちなみに『タンゴ』を歌ったのは高田エージでした。

シオドア・スタージョン短編集『輝く断片』(河出書房新社)、『カンフー・ハッスル コレクターズエディション』、ZAZEN BOYS『himitsu girl's top secret』、東京ビートルズ『meet the 東京ビートルズ』、VA『フロム・リヴァプール・トゥ・トーキョー』、元ちとせ『故郷・美ら・思い』、CHIKADA HARUO & VIBRASTONE『VIBRA is BACK』、VA『大阪ソウルバラード番外編』購入。

強気

2005-07-14 04:45:06 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス04~05
ツースリーで9月号のデザイン打ち合せ。

せっかく久々にBSで生中継だったのにFC東京にほとんど見せ場もなく負ける。やはりまだ本当の強さは身に付いていない模様。

「今日もそうなんですけどあのロスタイムにFKがあって、セレッソ戦なんかあれが入っちゃったんですよ。だけどそれはやっぱり少し下がりすぎちゃうから、やっぱあるんだから怖がらずに前に行きながら、で取ったらやっぱりカウンターじゃないけどああいうフィニッシュまでと、それはもうみんなで話してました。やっぱりそういうサッカーやって、勝ち点を拾ってね、もっと良いチームになろうとみんなで話してますんで、それを最後まで。(中略)今日でもディフェンダーの選手いないんですよ。浅利はMFですから。怪我したときだけ後ろは代えるというぐらいのつもりで、あるいは金沢浄がダメだったら鈴木規郎っていうFWの選手をサイドバックにしようと思ってましたんで、やっぱり強気に、怖がらずに行かないといけないと思います。」原博美(Sの極み 7月13日より)

Reggae Disco Rockers『Morning Glory』、細野晴臣『HOSONO HOUSE(紙ジャケ)』、鈴木茂『BAND WAGON(PERFECT EDITION)』、VA『横浜ソウルブルース』購入。

進駐軍クラブ

2005-07-13 02:48:45 | LB中洲通信2004~2010
『進駐軍クラブから歌謡曲へ 戦後日本ポピュラー音楽の黎明期』(みすず書房)の著者、東谷護さん取材。東戸塚駅前で待ち合わせし、東谷さんの運転で周辺の米軍施設(ハウス)などを案内していただく。カメラマンの森カズシゲ君とツー・スリーの村松さんも同行。東谷さんによると同時多発テロの影響もあってか、米軍の警備は以前より厳しくなっている……とのことなので森君には満面のスマイルでゲートに近づいてもらい何ヶ所かゲート周辺等を撮影。しかし、警備兵は気さくだったが、ハウスで飼われている犬にはずいぶん吼えられた。

1時間30分ほど周辺を撮影した後、次の仕事が待つ森君と別れ、東谷さんの案内でさらに八景島シーパラダイス方面に向かう(東谷さんはオフだったのでほとんどドライブ状態)。
シーパラの近くの横浜テクノタワーホテル ファミールで東谷さんにお話を伺う。終戦直後、日本各地にできた進駐軍クラブ(進駐軍の慰安のためのミュージックホール)に係わった日本人従業員、ミュージシャンたちと、それに始まる戦後日本ポピュラー音楽の変遷。東谷さん曰く、「これから研究が始まる」とのことなので、『進駐軍クラブから歌謡曲へ』は、東谷版戦後日本ポピュラー音楽史の序章とも言える、とりあえず現時点での報告書。大学の講師も務める東谷さんはガチンコな研究者なので基本的には論文ということになるのだけれども、きわめて読みやすい文章になっている。
9月号では東谷さんの盟友で、今回の取材のきっかけを作ってくれた翻訳家の安田昌弘さんに同書のレビューしていただくので、このインタビューはひとまず東谷さんの著作の入口になればいいと思っている。
取材後、東谷さんからご丁寧にもメールを頂く。ホントにドライブのようになってしまいましたが、ありがとうございました。

陽もすっかり落ちて、あんまり有り難味のない(外見ても真っ暗だし)シーサイドラインに乗って金沢八景駅まで。駅前の八景島食堂(八景食堂?だったかな)に入る。入ったのが19時45分で20時閉店ということでおばちゃんにプレッシャーをかけられ、急きたてられるようにメシ。この店は(昭和30、40年代頃を舞台にしたような)映画のロケにでも使えそうな面白い建物だった。