徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

羽田連絡バス専用トンネルマップ

2013-12-27 23:59:59 | News Map

<国際線と国内線の両ターミナルは約1・5㌔離れている。現在、無料の連絡バスを運行しているが、建物などを迂回する上、渋滞に巻き込まれることがある。モノレールや鉄道も、乗り継ぎ目的の利用は無料になるが、外国人には分かりにくく、駅を間違えるといった可能性がある。国交省の計画では、両ターミナルの間にあるA滑走路の下に約1㌔のトンネルを建設。バスは専用道を走る。無料にするかは今後検討する。>
(東京新聞2013年12月27日付 国際線・国内線羽田連絡バス専用トンネル 20年五輪前目指す)

日本の原発と影響を与えそうな火山マップ

2013-12-22 23:59:59 | News Map

■日本の原発と影響を与えそうな火山
<国内の火山の特徴に精通する金沢大名誉教授(火山地形学)の守屋以智雄さん(76)が、噴火が原発にもたらす危険性を分析した論文をまとめた。(中略)「火山国の日本が大量の放射性廃棄物を抱えていることは世界の脅威。廃炉はもちろん、より安全な場所に移送・保管する国際体制を一国も早く築くべきだ」と訴える。守屋さんは原発に影響を与える噴火被害として、山体崩壊による「「岩屑なだれ」と呼ばれる大規模な土砂崩れ、雲仙・普賢岳の悲劇で知られる火砕流、原発直下の噴火などを挙げた。>
(東京新聞2013年12月22日付「噴火が原発の脅威に」土砂崩れ、火砕流到達も/火山学者が警告論文)

「個人の勇気や使命感に頼った審査体制ではいけない」/敦賀原発活断層調査地図2(2013年5月16日~)

2013-12-19 23:59:59 | News Map
(前エントリ)
規制委に付き合いきれない/敦賀原発活断層調査地図(2012年11月28日~2013年4月21日)


■敦賀原発2号機直下の活断層
<日本原子力発電(原電)敦賀原発2号機(福井県敦賀市)の直下にある「D-1破砕帯(断層)」を調べていた原子力規制委員会の専門家チームは15日、この断層を活断層だと断定する報告書をまとめた。(中略)規制委は6つの原発で活断層調査を進めているが、報告書がまとまったのは初めて。報告書は22日の規制委定例会合で、今後、原電が敦賀2号機の再稼動申請を出しても受け付けず、運転再開を認めないことを確認する見通し。チームの座長役の島崎邦彦委員長代理は「これまで安全性が低い状態だった。事故が起きなかったのは幸いだ」と述べた。>
(東京新聞2013年5月16日付 敦賀「直下は活断層」断定 規制委チーム/廃炉の公算大)

<原電はこれまで原発で発電した電気を東京電力や関西電力など5社に売電してきた。現状で原発からの発電はゼロだが、それでも発電所を維持管理するという名目で、電力5社からの料金収入を得てきた。だが、仮に原電が敦賀2号機のは色を選択すれば、その分の料金収入は途絶える。廃炉となれば、原発の資産価値はゼロとなり、原電はその目減り分を損失として会計処理する必要がある。さらに、原電は敦賀原発の廃炉費用の積み立て不足(昨年3月時点で274億円)という問題も抱えている。>(東京新聞2013年5月16日付 保有3基の稼動困難 原電経営危機に)


■敦賀原発の断層調査の流れ


■専門家チームが断層を調べる6原発
<今月1月28日には、チームは報告書案を大筋合意。あとは規制委に報告し、迅速に対応が決まるはずだった。ところが、急ブレーキがかかり、チームは報告書決定まで長い道をたどる。(中略)政治家も口を出した。3月27日に開かれた自民党の会合には、規制委事務局の幹部が呼ばれ、原電幹部がいる前で批判を受けた。「(規制委の委員が)私見をべらべらしゃべるのは絶対にやめていただきたい。クレディビリティー(信頼性)が低くなる」「原電の出した質問状に回答がない」。原電の不満を代弁する内容で、その後、原電の反論を聞く会合が追加された。(中略)14日には、地元敦賀原発がある高木毅衆院議員や、中国電力島根原発がある細田博之幹事長代行らが呼びかけ人となり「電力安定供給推進議員連盟」が発足。衆参両院から42人が出席し、各地の原発の早期再稼動を呼び掛けていくことなどを確認した。(中略)この時期の議連発足は、規制委への圧力団体とも受け取れる。しかし、高木氏はこれを否定した上で、敦賀原発については「事業者は活断層ではないと言っている。雇用問題など地元の不安もある。規制委はどの方面からも納得される結論を出して欲しい」と、原電が調査を終える6月末まで、規制委が最終判断を先送りすることを強く求めている。
(東京新聞2013年5月16日付 敦賀「直下に活断層」 廃炉政治が妨げ/自民会合 原電の不満代弁/議連発足 規制委に圧力)

<日本原子力発電(原電)が、敦賀原発2号機(福井県敦賀市)の真下に活断層があると認定した原子力規制委員会の調査チームの専門家たちに、「厳重抗議」と題した異例の文書を送り付けた。(中略)17日、議論のやり直しを要請するため規制委を訪れた原電の浜田康男社長は「専門家はわれわれの意見をほとんど無視した。だから抗議文を送った」と報道陣に言い放った。(中略)原電は、評価に加わった5人の各専門家の宛名を書いた厳重抗議を規制委事務局に手渡した。事務局は、原電への対応は規制委がするとのただし書きをつけ、専門家に郵送したという。一方、受け取った専門家側は驚きと不快感を隠せない。(中略)「研究者個人の勇気や使命感に頼った審査体制ではいけない」と規制委にも注文をつけた。>
(東京新聞2013年5月20日付 原電、専門家に個別抗議/規制委調査 活断層認定に反論/「個人宛て送付 不快感」)

<廃炉を強制する法律の規定はないが、再稼動できない施設を維持するのは費用の無駄遣いとなるため、原電は廃炉を勧告されたに等しい。現時点では、原電は廃炉を決断していないが、問題となるのは廃炉ごみの行方。原発を解体すると、さまざまなレベルの放射性廃棄物が一基当たり2万㌧前後発生する。特に問題なのが制御棒や炉心部など放射線量が高い部材で、地中で300年管理することになっているが、原電は「処分地は電力業界全体で検討している。現状では決まっていない」と回答した。>
(東京新聞2013年5月23日付 敦賀「廃炉勧告」 原発ごみ行き場なし/処分地未定2万㌧放置も)

<「もし(地層の変形が)見つかっていなかったら、結論は変わっていたと思う」22日の規制委定例会合で、調査の座長役となった島崎邦彦委員長代理が振り返った。この言葉に、更田豊志委員は「今後、重要な見落としが起きる可能性があるということか」と強い懸念を何度も口にした。島崎氏の言葉は本当のことだ。(中略)基本的に、電力会社の調査は「大丈夫」と立証することを目的にしており、規制委が得たいデータとはずれが生じる。(中略)規制委の委員たちもこうした状況を苦々しく感じており、この日の会合では、中村佳代子委員が「事業者のデータは信頼に足るものではない」と批判。(中略)規制委が客観的な判断を下すには、自らが調査地点や方法なども決めた調査が不可欠だが、「人員や予算が足りず、民間企業への調査に税金を使うのかという問題も残る」(田中俊一氏)などとして、改善は進んでいない。>
(東京新聞2013年5月23日付 規制委判断 偶然頼み/電力会社任せの断層調査に限界)
※どうせ、いざとなったら「国策」を持ち出すんだから、調査に税金を使うことに何の問題もないと思うんだが。


■日本原子力発電を支える構図


■敦賀原発2号機が廃炉となったら… 日本原子力発電への影響
(東京新聞2013年5月23日付 敦賀活断層認定/「抵抗」原電がけっぷち/「柱」失い経営に打撃/廃炉費積み立て不足)


■停止中の原発でも残る危険性
<やっかいなのは、プールに貯蔵されている約1600体の使用済み核燃料だ。その多くは既に十分冷えており、理屈の上では安全な場所に移すことは可能。(中略)さらに問題なのが、11年まで使われた193体。使用済み核燃料は、熱い上に強い放射線を放つため、通常3~5年間はプールに入れ、水で放射線を遮蔽しながら冷やす必要がある。>
(東京新聞2013年5月25日付 直下に活断層認定 敦賀残る核燃料リスク/プールに使用済み1600体/一部熱いまま移送できず/原電「取り出さない」)


■敦賀原発断層調査のポイント


■敦賀原発のこれまでの主な動き
(東京新聞2013年12月19日付 原子炉直下断層再調査へ 「再稼動できず 廃炉はせず」敦賀2号機中ぶらり/認定覆す新証拠なしか)

中国・南水北調プロジェクト地図

2013-12-16 23:59:59 | News Map

■南水北調プロジェクト
<中国で水量が豊かな長江の水を北東部の大都市に向け運河・水路で流す「南水北調」プロジェクトが進んでおり、今月に入って東ルートが完成、中央ルートも主要区間が貫通した。(中略)東ルートが2002年に着工し、隋代の約1400年前に完成した「京杭(北京~杭州)大運河」も利用。同ルートの全長は1467㌔で、江蘇、安微、山東三省の住民約1億人が直接的な恩恵を受けるとされる。(中略)一方、中央ルートは主要区間が完工。長江の支流・漢江をせき止めた丹江口ダムを起点に北京までの全長1277㌔の水路を使って来年、北京市民らに水が運ばれる。しかし、中央ルートについては批判が噴出。丹江口ダムの水面がごみで覆われている上、漢江上流の町に汚水処理施設がないため(中略)水利事業の専門家は「中央ルートには2000億元の税金を投入したにもかかわらず、(北京市民ら)1億人を超える人々の健康を脅かそうとしている」と厳しく非難。(中略)一方、来年には着工予定の西ルートは、チベット高原を貫くため、環境破壊が懸念されている。ただ、最も重大な問題は深刻な水不足で、これだけの巨大プロジェクトが全て完成しても、約13億5000万人が暮らす中国大陸の水供給量は7~8%しか増えないとの試算があり、水不足が順調な経済発展にブレーキをかけかねない状況に陥っている。>
(東京新聞2013年12月16日付 長江の分水 主ルート貫通/中国水不足解消にほど遠く 経済にブレーキも)

醜悪な歴史に句点を打て/「在日特権」の虚構

2013-12-13 06:56:29 | Books


野間易通『「在日特権」の虚構 ネット空間が生み出したヘイト・スピーチ』(河出書房新社)
著者は終章で「問題」の基点として繰り返し挙げられる<1952年>に在日が置かれた状況を<0:100>と書く。
1945年まで「大日本帝国の皇民」であった「日本人」が、1952年のサンフランシスコ平和条約発効により在日(平和条約国籍離脱者とその子孫)となり、100もしくは80あった彼らの権利は1952年の段階で0になった。
日本人の権利は1952年の段階で100に戻ったのかもしれないが、元「日本人」の権利はほとんど0、ナッシングである。
在日特権を許さない市民の会をはじめとする行動保守、ネトウヨが盛んに訴える「在日特権」とは、特権でも何でもなくもともと「あった」法的地位を取り戻す歴史でもあるわけだ。0が10になり、30になり、50になっていく歴史であり、決して110や130、150になっていく「特権」の歴史ではないわけだ。
それはこの国で共に住む人間として当然の権利の回復でしかない。

それ故に在特会が掲げる「在日特権」論法のイカサマをひとつひとつ潰していく本書の大部分は、行動保守の悪行を告発するというスキャンダラスな内容ではなく、サンフランシスコ平和条約発効(1952年)、日韓地位協定(1965年)、国際人権条約(1979年)や難民条約(1982年)による国民年金法の国籍条項撤廃、そして入管特例法(1991年)といった歴史的経緯を綿密に描くことに費やされている。また60年代から70年代にかけて実施された市民レベルのコミュニティによる素朴なアファーマティヴ・アクション(積極的差別是正措置)が、ひとつのニュースによって亡霊のように蘇り、在特会によって捻じ曲げられ、デマゴギーの現場となってしまった三重県伊賀市に訪れ、在特会の論法に対して反証していく。
在特会代表の高田誠は今月著書を発売する。それがこれまでの主張のコピペ、改変程度の内容ならば、本書の内容と主張は皮肉なものとなるだろう。「在日特権」そのものがないのならば、もはや在特会はその看板を下げるしかない
ほとんど影響のない「一部」にフォーカスを当て、都合良く拡大解釈する安易な論法はもはや通用しないだろう。

現代のレイシズムは安易なコピペと劣悪な改変を繰り返すネット空間のテンプレートが根拠になっている。そしてネットに限ってしまえばその拡散力と浸透力は想像を絶する。それは「在日特権」と検索してみればわかる。スキャンダラスであればあるほど、罵倒が醜ければ醜いほど注目を集め、それは改変を繰り返しながら“尾ひれ”をつけ、あたかも真実のように語られていく。
著者が執筆の動機に「ネットでの検索」を挙げるのも当然である。
しかし一方でネットは「ブロック」が容易だ。見たくなければ見なければいいし、知りたくなければ知らなくてもいい。
本書で挙げられる<1952年>そして<0:100>という「基点」を理解していなければ、在日の権利が何となく、ぼんやりと「特権」に見えてしまう人もいるだろう。しかしその間にレイシストという怪物は急速に育っていく。
ネトウヨが大した理由もなく、熱狂的に支持するファシスト政権が本性を剥き出しにしようとしている。夢や希望や願望を託すように数百年前の歴史を嬉々として読み語るのではなく、オレたちは今、自分たちが生きている地続きの現代史に真正面から向き合う必要があるだろう。

「書く」という行為は、物事を事実として定着させ(ひとまず)句点を打つことでもある。
本書が2013年に起こった醜悪な「歴史」に句点を打つものであればいいと思う。あんな連中、いつまでも相手にしてる場合じゃないぜ。

TPP交渉問題 野菜・果物輸出入可否図

2013-12-08 23:59:59 | twitter

■日本と主なTPP参加国の輸出入の可否
<TPP交渉でほぼかたまったとされる「食品の安全」ルールに従った場合、米国など複数の参加国に野菜と果物をほとんど輸出できないことがわかった。病害虫の侵入を防ぐために各国が定める防疫基準が壁になり、都合よく輸入を認めない理由にされる可能性があるためだ。TPPの原則通り関税が全廃されると基準が緩い日本は輸入だけが増える恐れがある。「食の安全」分野は、世界貿易機関(WTO)の「SPS(衛生植物検疫措置)協定」を守ることで議論がほぼ終了。協定は相手国から輸出したいとの要請を受けた場合、可否を科学的に判断するよう定めている。要請がなければ認めないことは問題にしていない。>
(東京新聞2013年12月8日付 野菜・果物 輸出に壁/防疫基準緩い日本不利)

そしてオレたちは「ひとり」に戻る/特定秘密保護法案抗議行動(12.4~12.6)

2013-12-08 08:41:10 | News
特定秘密保護法案を巡る長い3日間が終って一日が経った。
安倍首相は喧騒が収まった国会周辺を指して「嵐が過ぎ去った」と語ったそうだが、これが「過ぎ去った」とはとても言えないのは、この3日間、現場にいた人間ならば誰もが思うことだろう。言うまでもなくこれは始まりである。



4日水曜日、前日夕方に急遽決定した「参議院国家安全保障に関する特別委員会さいたま地方公聴会」が開かれる大宮へ向かう。地図をしっかり確認したわけでもなく、何となく向かった先は氷川神社方面(つまり大宮戦でいつも歩くルートだ)。会場であるラフォーレ清水園は氷川神社入口のアルディージャのクラブショップのすぐ近くにあった。もともとは明治23年創業の老舗料亭だったそうだが、とてもこれから国の根幹を揺るがすような法案成立のアリバイ作りの公聴会が開かれ、派手な抗議行動が展開されるとは思えない、要するに結婚式場、宴会場である。


オレは出遅れてしまったので会場周辺に到着したのは15時過ぎ、すでに委員長や公聴会参加者は会場に入ってしまったようだった。議員を乗せたバスはもぬけの殻だったが、清水園に隣接した歩道、さらに2号線を挟んだ対岸の歩道にもトラメガで声を上げ、プラカードを掲げた抗議者が集まっていた。
そして会場入口周辺の側道に抗議者が集結する。
その瞬間、敷地内の移動を規制していたコーンバーが宙に浮き、関係者の上に落ちていく。それがきっかけとなり30人ほどの抗議者が一気に敷地内に雪崩れ込みシットインを始めた。コールはひたすら「(公聴会)中止」のひとつだけである。
報道のカメラマンたちが清水園に入り、建物2階の窓を開け撮影を始める。おっちょこちょいのカメラマンが窓を閉めるのに手間取っているのを見て、そのままにしとけばいいのにと思った。
「中止」を要求する抗議の声は公聴会が行われていた3階の会場まで届いていたという。



それから2時間ほど、公聴会が終わり委員や議員が逃げるように裏口から抜け出し、警備が規制を解くまで抗議者はひとつのコールを叫び続けた。抗議の集団を抜けて路地に入ると小学生の女の子ふたりがコールに合わせて楽しそうに身体を揺らしていた。

自衛隊が“周到準備”秘密保護法さいたま公聴会/しんぶん赤旗 2013年12月10日付



翌5日木曜日には委員会での採決、そして6日金曜日には参議院での採決が行われた。
勿論この3日間だけではなく、前週からこの週にかけて特定秘密保護法案への反対の世論は凄まじい勢いで拡がった。原発とは違い、メディアが「当事者」になったことが最大の要因だとは思うものの、この反対の広がりは業界の思惑とは関係なく、「日本の民主主義」そのものに対する危機感がある。

オレは議員会館前のグループとは別に、昼過ぎから終電近くまで国会正門前で続けられていた<怒りのドラムデモ>主催の抗議活動に参加した。時折反対議員によるスピーチや議事堂内の経過報告があるものの、基本的にこの場所での抗議はコールだけで構成された。参加者を労う言葉や内向きに鼓舞するような勇ましい言葉が飛び交う“集会”よりも、今必要なのは目の前で行われている政府の暴走に対する、より直接的で攻撃的な言葉による抗議だ。
明るい時間はまだ参加者が少なかったものの、夜になると仕事帰りの人々も加わり、さらに激しい政府批判をペイントした播磨屋本店の巨大なトレーラーが国会周辺を走り回る。

そして「No Pasaran!」の横断幕が議事堂に向かって高く掲げられた。
1930年代のスペイン内戦での有名なスローガンであると同時に、これは今年の春先から東京・新大久保で繰り広げられたレイシストに対するカウンター(抗議)活動の象徴のひとつになった言葉であり、“ダンマク”である。
対岸の歩道で抗議していたため、最初は遠目に横断幕を見たオレもこれには熱くなった。特定秘密保護法案への抗議が動き始めた頃から決意していたことではあるけれども、反レイシズム行動はこれから本格的に反ファシズム運動(ANTIFA)へ移行していくだろう。
あの“ダンマク”はオレたちの宣言ともいえる。
宣言してしまったのだから、たとえこの採決が強行されようとも日本のファシストが政権に居続ける限りは抗議行動は終らない、ということである。
つまり、きっと「嵐」はこれからも起こる。ファシストのお腹が痛くなるまで起こし続けるのである。

6日23時頃、国会正門前では主催者の呼びかけでコールとドラムの音が鳴り止んだ。
そして数台のトラメガから大音量で反対議員の凄まじい怒号が飛び交う参議院内の様子が放送された。
オレは抗議をしている最中はあまりスマホで情報を確認することもしないので、「中」で何が起こっているのかわからない。おおまかなスケジュールは主催者からアナウンスされるものの、現場では様々な情報や憶測が飛び交う。
しかしこのときは国会正門前の抗議参加者のすべてがトラメガから流れる放送に無言で耳を傾けた。
そして記名での採決が決定し、“その瞬間”が迫ると、主催者の呼びかけでトラメガもドラムも使わずにひとりひとりが生の声でコールを始めた。「採決撤回」「採決止めろ」ただそれだけである。
同時に議事堂に隣接する対岸の歩道側には、“突入”を警戒するように大量の警官が配置された。近くにいた若い警官が「スゲエな…」と呟いた。でも、まあ機動隊じゃないしな、などと思いながら“ダンマク”の下で、その瞬間を待ち、聞いた。
再び激しいコールが巻き起こる。
いくらでもセンチメンタルなことは書けると思うのだけれども、それにしてもあっけない気がした。

抗議の最後に主催者の井手さんは時折涙声になりながらスピーチをした。
ドラムデモの皆さんには感謝し切れないほど感謝している。場所を作ることは誰にでもできることじゃない。個人的には勝手に共感している彼が主催だからこそオレも参加できた。
それにしても21時頃の参院本会議再開時には規制線決壊が起きた現場では、怒りを滲ませながらも最終局面の強行採決を冷静に受け止めていたように思う。
それはきっと、あの場で静かに国会中継に聞き入る瞬間を皆が共有したからだと思うのだ。大きな抗議の「集団」が、あの時、ひとりひとりの「個人」に戻っていくような気がした。「聞く」という行為は物事に対して真摯に向き合うということである。
あの瞬間、あの場所にいたすべての抗議者は目の前で起こりつつあることに対して、ひとりひとりが無言で向き合っていた(本当に“目の前”である)。

最終的に個人ってのはきっと強いと思うよ。あと、声が枯れてる奴は強くて信用できます。
まだまだ続くぜ。