徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

バーケンの不在とSの極みの罪と罰/清水降格を受け入れるための覚書その4

2015-10-23 18:10:50 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
「Sの極み」という清水エスパルスのサポーターに向けた会員制の有料情報サイトがある。
2003年、清水エスパルスの低迷期に今は亡きフリーライター大場健司が立ち上げ、彼が亡くなったあとは盟友の下舘浩久氏がサイトを引き継ぎ、今日まで更新を続けている。
毎日の更新では監督・コーチやプレーヤーのインタビューのみならず、クラブが非公開にしない限りは練習メニューとピッチに立ったプレーヤーがレポートされ、アンチからは対戦相手のスカウンティングに協力していると蛇蝎の如く嫌われるサイトである。確かにファンやサポーターにとっては重宝な情報サイトだ。番記者の取材は毎日のように行われ、事あるごとに記事にはなるとはいえ、情報は番記者が抱えるだけでほとんど公開されることはない。ということで、ここでしか得られない情報は少なくない。
大場健司ことバーケンは、健太体制最終年の2010年3月24日に亡くなり、その直後に行われた川崎戦の等々力競技場の清水ゴール裏では、彼に対してサポーターによる黙祷が捧げられたという、清水サポーターに愛された番記者であった。

アレックス移籍、健太退任、そして今回の降格決定と、清水に関して号泣することは何回かあったのだが、バーケンが亡くなったことを知ったときも相当堪えた。彼は2010年シーズンの健太体制後の崩壊を警告していたし、プレーヤー同士の「仲良しクラブ化」を危惧する記事も書いていた。
彼は熱い清水至上主義者であったと同時に、プレーヤーに対しても厳しい目を持っていた(と思う)。
それだけに2010年のシーズン開幕と同時に亡くなってしまったのはショックだった。「Sの極み」を通して低迷期から健太体制を追い続け、書き続けていた彼にこそ、清水エスパルスと長谷川健太の物語は書かれなければならないと直接メールを送ったこともあった。

しかし「Sの極み」は変わってしまった。オレもあれほど熱く支持し、バーケンの死後も存続を願っていたサイトに失望し、2014年の半ばには購読を止めた。
「Sの極み」の役割はアフシン・ゴトビを更迭させるために彼に不満を持つプレーヤーと一部サポーターをつなぎ、ゴトビ更迭後は大榎体制を盲目的に後方(広報)支援するサイトに変わってしまったのだ。それが誰かの意図だったのかはわからないし、サイト運営をする上でコアなユーザーが望むものに応えてしまったこともあるのだろう。
勿論最初から下舘氏にバーケンのようなジャーナリストとしての視点は望むべくもない。しかし根拠の薄い大榎擁護を続けることで事態の深刻化に加担してきたことは紛れもない事実である。
「Sの極み」は御用サイト、第二公式ホームページとして運営されていくのか。

何よりも、オレがたびたび書いている「周囲の大人が悪い」という言葉の中の「大人」は、まず「Sの極み」をはじめとする番記者を指している。
そして、それは何よりも「バーケンの不在」ということである。

今でもオレは清水エスパルスのことを考えるとき、時折「バーケンだったらどう書くだろう」と想像する。
「メシのタネ」にはなかなか逆らえない気持ちはわからないでもない(勿論「メシのタネ」とは決してクラブだけを指すわけではない)。しかし仲良しクラブを強烈に批判したバーケンは、今のエスパルスを認めてくれるだろうか。
番記者が書く、いまだに降格の直接的な要因と問題の本質をあやふやにした検証記事(つまり前々回に書いた「前提」を無視した内容である)をバーケンは望んでいるだろうか。

失敗は繰り返された/清水降格を受け入れるための覚書その3

2015-10-23 18:02:17 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
前回、前々回と二度のギャンブルについて書いた。
スポニチの降格検証記事を読んでいて、そのギャンブルの当事者である大榎克己は、やはりもうひとりの当事者、長谷川健太の幻影に振り回されていたのではないかという思いが改めて強くなった。
クラブの設立メンバーというだけでなく、高校時代には清水東高の三羽烏として静岡の高校サッカー黄金時代を築いた生粋の清水オリジナルのふたりである。それは意識しないわけがないだろう。清水での失敗を糧に現在はガンバ大阪でプロ監督としてのキャリアを順調に積んでいる健太と一度たりとも浮上のきっかけをつかむことなく、結果的にクラブを降格させてしまった大榎。
しかし今日の大榎が、勿論健太だった可能性もある。
彼らの起用はギャンブルだったのだから当然だろう。

ふたりのやり方は好対照だった。
ユースの監督を長く務め、トップチームでも積極的にユースのプレーヤーを起用した大榎に対して、健太時代は低迷期の地元中心の路線を改め、静岡にこだわらない選手補強を進めた。これにより久米一正(強化育成本部長)と興津大三(スカウト)の名前が大きくクローズアップされた。有望新人獲得におけるあまりの好成績に興津などは毎年のシーズンオフの話題の中心だった印象さえある。
健太の幸運は、2000年代前半のユース黄金時代を支えていた杉山浩太に加え、枝村、山本真希、山本海人などが大卒、高卒プレーヤーと共に加入してきたことだろう。「静岡からの路線変更」と言いつつ、実際にはユースも厚い選手層に大きく貢献していたのだから、清水に拘る一部サポーターの不平不満も起こるはずがない。
大榎の不幸は、久米も興津も、さらに言えば早川巌もいなかったことにある。勿論監督としての技量の問題もさることながら、彼をサポートすべき強化部を中心とするフロントの問題が大きかったのではないか。それは大榎就任時に遡って検証されるべきで、当時の竹内前社長と原靖強化部長の責任は重大である。

クラブが「レジェンドというギャンブル」を打つとき、2度の「低迷」があり、当然その低迷期に監督に就いていた人物がいる。
石崎信弘(→長谷川健太)とアフシン・ゴトビ(→大榎克己→田坂和昭)である。
共に手腕とマネジメント能力が高く評価される一方で、スタンドの一部サポーターと鋭く対立し、遺恨さえ遺した石崎信弘とアフシン・ゴトビ。そしてその後に、とても「レジェンド」を遇するタイミングとは思えないスクランブルな状況で監督に就任することになる長谷川健太と大榎克己。
健太はそれなりの成績を残しクラブとサポーターに「成功体験」をもたらしたものの、退任時には史上に残るチーム大崩壊をも同時にチームにもたらした。一方の大榎はある意味でプレーヤーに乞われるような形で監督に就任したものの降格の憂き目に遭う。
健太と大榎の「やり方」は好対照で、そして最終的な崩壊は符合している。
このようなスタンドとの対立を繰り返して、そのたびに付け焼刃でレジェンドを使い捨てるやり方を続けて、フロント、そして「一部」サポーターは、このチームに新たな監督が就任できると思うのか。
何を応援し、何のためにサポートしているのか、はっきりと考え直す時期が来ている。

清水エスパルスはこの約10年間で2度、同じような失敗を繰り返している。
クラブが「問題」を把握していないとは思えない。これはやはり事なかれ主義を続けた前フロントと、現場と感情的な対立を繰り返す「一部の」サポーターに問題があるとしか思えない。
3度目の失敗は許されないだろう。

ゴトビ以後/清水降格を受け入れるための覚書その2

2015-10-23 00:05:47 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
2010年のシーズンオフが清水エスパルスの大転換期だったことは間違いがない。それはその通りだし、崩壊の起点として論じられるのは仕方がない事だと思う。今更と思わないでもないが。
しかしフットボールは続く。

2011年、web上で「新しい旅立ち」を呼びかけたゴトビに対して、サポーターはどんな思いで彼を迎えたのか。
彼の来日、そして静岡駅到着を少なくないサポーターが迎え、在来線のホームではふたりのサポーターから花束が渡されたという。オレはいつもこのエピソードに胸が熱くなる。あの頃、それぐらいサポーターは精神的に追い詰められていたのだ。

東日本大震災が起こった2011年はエクストラなシーズンだった。ゴトビは震災に対して積極的な発言を行い、オランダでチャリティマッチまで実現した。そんなゴトビのチームがホームで神戸相手に5失点を喰らい惨敗しても、サポーターはそれを「チームの成長途上」として拍手で受け入れた。その後ダービーで起こったゴトビ核爆弾弾幕事件ではスタンド全体が下らない差別とも戦っていた。
ゴトビ自身はビジネスマン臭いが、大人の男で、彼が作ろうとしているチームは悪くないチームだと思っていた。
崩壊で負った傷は徐々に癒されようとしていたはずだった。

しかし次の転機は2012年だった。
前半戦を首位で折り返し、若手中心のメンバーでナビスコカップのファイナリストになった2012年である。あのシーズン、そしてゲーム、前半と同じような内容で戦い続けることができていれば、あの年、確実にタイトルを獲ってさえいれば、その後の第二の崩壊は起こらなかったのだと思う。

前回、健太時代を指して「ギャンブルにある程度勝った」と書いたが、実際あの時代はクラブにとっての「成功体験」になっている可能性は高い(最終的には大博打で投資し過ぎて大失敗したわけだが)。
当時の強化部長は健太の清水東時代の同級生で、鈴与の出向社員が務めていたのだが、彼が清水の将来のヴィジョンについてインタビューに答えている。それはこんなものだ。
「数年に一度カップ戦でタイトルを取って、時々優勝争いをする」
あまりの率直なヴィジョンに目眩を起こしそうになった記憶があるが、実際にタイトルは届かなかったものの、それをほとんど実現していたのが健太エスパルスだった。
2012年までのゴトビエスパルスもそれに近いヴィジョンを実現していたと思う。
しかしゴトビにはあまりにも運とサポートがなさ過ぎた。

ゴトビに対して、周囲からそそのかされ反旗を翻したプレーヤーたちはその後、結局自分たちの力を証明することはできなかった。勝つことでしか自分たちを証明することができない世界で、降格とは逆の意味で実力の証明であり、彼らははっきり言って間違っていた。すでにチームを離れてしまった小野伸二が、清水の降格に対して「選手の責任」とコメンントした意味とはそういうことだと思うのだ。
しかしまだ彼らにはゲームが残っている。彼らが残り3ゲームでどう戦い、自分たちを証明するのか、見るべきものに乏しかった「残留争い」のゲーム以上に注目に値する。

しかし、ここまで書いておきながら何なのだが、今回の降格とゴトビはほとんど関係がない。関係があるわけがない。このチームはゴトビのやり方を否定してスタートしたチームなのだから。
それははっきりさせるべきだろう。

他でも散々書いてきたように、今回の降格議論において、まず大榎克己と原靖と竹内前社長の責任を前提としない意見はまったく無意味で、聞く必要がない(何度でも書く)。
田坂監督は昨季以上にスクランブルな状況で、まさに「火中の栗を拾った」人物なわけで、目先の結果に文句はあってもシーズン全体の結果を責める気持ちにはとてもなれない。過去のインタビューやゲーム後のコメントを読む限り、自身の結果責任について、彼は十分理解しているだろう。
また左伴社長に関しても昨季後半の現場の混乱を引き継いだ状態で、自身のミッションである営業面に関しては十分以上の結果を残している以上、過大な結果責任を負わせる必要を感じない。彼に対するイージーな結果責任論はオーナーサイドも許さないのではないか。

取り敢えず原靖強化部長の退任報道が流れている。

レジェンドというギャンブル/清水降格を受け入れるための覚書その1

2015-10-22 18:52:40 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
鈴与の鈴木与平会長は、堀池巧がチームを離れる時、「三羽烏がフロントに入る時、クラブはプロになる」と言ったという。
これは初期のS極のレポートでも書かれている有名な話で、実に正しい清水エスパルスの「物語」である。
この物語はある程度はサポーターの間で共有されていたはずだ。そしてこれは一部のサポーターには問答無用(思考停止)の印籠になった。

しかし日韓ワールドカップ以降のエスパルスは試行錯誤とギャンブルの連続だった。勿論大榎克巳の監督就任もギャンブルだった。
彼は大学で、そしてユースで指導歴を重ねてきたのだから反論がある人もいるだろうが、やはり大榎克巳の監督就任はギャンブルだったと思うのだ。
何よりも状況がスクランブル過ぎた。指導力を吟味することなく、キャリアを度外視して、清水ナショナリストの不平不満を抑えるにはこの選択肢かなかったのだろうと思う。健太時代の夢よもう一度といったところだろうか。

そう、清水は同じようなギャンブルを10年前にもしている。
日韓ワールドカップ以降の低迷期に、長谷川健太というもうひとりのレジェンドをスクランブル的に監督起用したのだ。一年目こそ残留争いしたものの、2年目以降は劇的に飛躍した。
そしてそのギャンブルにある程度勝った。健太時代はサポーターの誰にとっても最高に面白い時代だったのだ。
ベテランのノボリや森岡は世代交代を悟り自らチームを去り、有望な若手が毎年台頭する。越えられないハードルはないと誰もが感じた。そして6年間で清水が優勝してもおかしくないという空気が確かに熟成された。
しかし蜜月は長く続かない。その反動が凄まじかった。健太退任と同時に主力の大半が移籍するというチームの大崩壊はギャンブルの反動としてはあまりにも大き過ぎた。

そしてついに今度のギャンブルには負けしまった。
レジェンド起用は不平不満のガス抜きで、付け焼き刃のギャンブルであったこと、そしてそれに負けたこと。それは認めなければならない。ドリーム・イズ・オーバー。
10年ががりの降格というのはそういうことである。その背景には鈴木与平の言葉と物語がある。
オレはまだその物語が間違っているとは思わない。
それでも失敗は認めなければならない。認めないのは欺瞞であり、クラブの歴史への裏切り行為である。

オレたちの未来のために/ガンバ戦に向けて

2015-08-22 12:16:56 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
新潟戦後の「勝ち点3以外に我々の未来はない」というター坊のコメントは切実なものだった。これはただのコメントではなく、プレーヤー、スタッフ、そしてサポーターに向けられたぎりぎりの決意表明だったと思う。

しかしその言葉を受けながら、なぜか今週木曜に一部のサポーターが社長、監督に説明を求めて話し合いの場を設けた。
“話し合い”を主導した「有志の会」は昨年、実質的にゴトビ監督解任アンケートを強引に実施し、問題視されたグループである。そして、その問題視は今季ここまでの動きで不信に変わっている。昨年、結果責任を強く求めて、多分に恣意的なアンケートを強行するなど、激しい抗議行動をとった彼らが、昨季を圧倒的に下回る成績と内容を残した前体制に対してを頬かむりでスルーしながら、監督交代後、短いスパンでの真夏の連戦が続く最中、フロントに説明を求めるという、自己矛盾を棚に上げた行動は批判されても当然である。また仮にTwitterのTLで見かけた“日曜日のトラブル”に対する意趣返しの意図があるのならば、そしてもっともらしい理由をつけて一般のサポーターに呼びかけて頭数を集めようとしたのならば、スタンドの私物化という意味でもはや論外である。
結果的には予想通り「決起集会」で収まったようで、それはそれで良かったのだが、問題は残る。
オレ自身はサポーターは「黙って応援してろ」とか「フロントに口出しするな」とはまったく思っていない。それはサポーターの否定である。
フロントと過度に馴れ合い、深く内部に入り込む“清水の闇”は論外として、まず批判すべきものは批判すべきだし、申し入れが必要なときはしっかり申し入れすべきだと思うのだ。すでに今季の結果が出たとき、サポーターはフロントに対して猛烈に、そして全力で説明責任を求める必要がある。
しかし今回のような意図とタイミングのよく分からない申し入れをしていてはフロントの不信さえ招きかねない。申し入れの効果すら薄れる。

サポーター論も清水(静岡)論も王国論もレジェンド論も健太時代から散々書いてきたので繰り返さない。
しかしこの一年、有志の会の名前を使った行動は、サポーターであることをあまりにも強権的に利用し、サポーター間に亀裂を招いてきたのは事実だろう。チームだけではなく、一般サポーターの足をも引っ張る行動はいい加減にして欲しいと思うのである。

と一通り吐き出したところで切り換えて、本日はガンバ戦。このタイミングで健太のチームと戦うのはデスティニーであろう。「勝たなければ自分たちの未来はない」をエスパルスに関わるすべての人間で共有して戦いたい。

カウントダウンが始まる/新潟戦に向けて

2015-08-16 09:25:21 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
4日前の前節湘南戦、結果は残念なものになってしまったけれども、チームの方向性としては闘える姿勢を見せていたと思う。ただしシーズン終了後、ター坊体制そのものを含めた大変動もまた明らかなので、これは希望たり得ない。来季以降のヴィジョンは見えれば、サポーターはいくらだって彼らを支える。
チームの成績はアレだが、営業成績は極めて優秀という意味で、クラブの現状は安保政策やエネルギー政策では異論続出だが、アベノミクスなる経済政策で一応の評価を得ている(取り繕っている)安倍政権と似ている。長年に渡る「失敗」に頬かむりを続ける原靖強化部長を除き、左伴体制は維持されるべきだし、そうなるだろう。サポーターはハードランディングを求めるが、経営はどうしたってソフトランディングを志向する。何てったって、そこのところは静岡である。
しかし来季以降のター坊体制の保証はないのだから、後先考えるまでもなく、目標は完全に目先の1勝、勝ち点3である。

今日、共に残留を賭けて戦っている新潟との対戦で、いよいよカウントダウンが始まる。
倒されても立ち上がり、闘う姿勢を見せ続ける限り、サポーターもまたそれを支持し、鼓舞し続ける。闘わない奴は必要がない。これはスタンドも同様だろう。闘わない奴は闘う連中に席を譲って欲しい。

カウント10を迎えた時にどんな結果になっているのか。倒れたままカウント10を聞くことになるのか、立ち上がりファイティングポーズを取っているのか。それとも途中でTKOを喰らっているのか。ドクターストップがかかる可能性もある。
それは恐ろしくもあり、楽しみでもある。

ともかくオレたちはもうすでにダウンしているのだ。残りのシーズンはそこからしか始められない。
これからの清水エスパルスのゲームは最低で、最高に真剣なエンタテインメントになる。スタンドで闘おう。


本気で信じている人間は誰なのか/湘南戦へ向けて

2015-08-10 19:02:03 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
評価が拮抗しているのならばともかく、もはや保存会の皆さんを除けば結論は圧倒的であると言わざるを得ない。大榎克己にこれ以上期待するのは彼にとっても酷である。
と書こうと思っていたところで大榎克己辞任である。
この結果では、どう見たって今回の辞任に是非はない。多くのサポーターは遅過ぎたと感じているはすだろう。今シーズンの「結果」がどのような形で終わるにしても、シーズン終了後に徹底的な検証が行われるべきで、「一部サポーター」だけではなく、疑問を抱く全てのサポーターにフロントは答えるべきだ。これは大榎辞任に憤る方々も賛同してもらえると思う。

後任には大方の予想通り、ター坊こと田坂和昭が就任した。プレーヤーとして、そして健太体制時のコーチングスタッフの中心人物として、ずっと清水エスパルスと共に戦っていた人物だ。今春、4年務めていた大分トリニータの監督を解任されているとはいえ、4年にわたるトップチームでの指導経験、健太のイメージとは程遠かった守備構築を共に作り上げた人物として、僅かながら命脈を繋いでいる清水の残留に期待せずにはいられない。
何よりも現場のマネージャーとして必要なマインド、経験、そして表現力は備えているのではないか。それはこんな言葉からも伺える。

<今思えば、この目標を掲げたことで自らの首を絞めました。みんなが目標を実現しなければならないものだと思い込めなかった。思ってくれたのはサポーターでした。だからサポーターからの風当たりは強かったけれど、彼らは心から願ってくれていました。(中略)また高い目標設定は決してマイナスだけではなかった。目標が高ければ、本当の強さを発揮できる人と、尻込みしてしまう人がはっきりするのです。大分というクラブのためには、誰が本気だったのかわかったことで、きっと次に繋がると思います。>(「さらば、愛しの大分トリニータ 田坂和昭監督が語る大分での4年半」『フットボール批評 06』2015年)



大榎辞任に関してどんな話し合いが行われたのかは不明だが、事態は昨シーズンよりも深刻で、ター坊にかかるプレッシャーも大榎の比ではない。
スタート、リセット、リスタートのタイミングはサポーターがゲームに関与できる絶好のタイミングでもある。ピッチ内での戦術、戦略を超えた「雰囲気」作りができるのは、このタイミングしかない。
プレーヤーを走らせ、湘南を圧倒するのはサポーターである。まず勝利と、そしてここから始まる残留への道を「心から願う」のもサポーターである。

地元民のみならず、残留を信じる全世界の清水エスパルスサポーターは日本平に結集されたい。地上波で放送されるテレビで観戦するサポーターも日本平へ本気の魂を送って頂きたい。
勝つのはオレたちである。

生き残るためにすべきこと/2nd第3節 名古屋戦

2015-07-20 12:32:14 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015

昨夜は日本平で名古屋戦。
テレビで中継を観ているとストレスだけが溜まっていただろうけども、多くの観戦者が抱いているストレス込みで、実は熱くて面白かった。鹿島戦に続いて、やはりゲームはスタンドで観るべきだと実感したわけだ。わすか勝ち点1しか取れず、またもや最下位に沈んでしまったとはいえ。

久しぶりにいつものシートに座ると、車椅子スペースで付き添いの男が名古屋のゲーフラを上げていた。さすがにそりゃねえだろ(メインスタンド最前列のど真ん中である)と思ったので抗議。自分とこのスタジアムのど真ん中で相手チームのデカいゲーフラを掲げられて黙っていられるのか。そこまでお人好しでいいわけがない。まあメイン(バック)スタンドでの段幕問題は以前浦和戦で炎上した。名古屋の彼には気の毒だし、心の狭い奴と思われるかもしれないが、これもあの時と同じように手続きとしてはクラブのアナウンス不足の問題で、清水エスパルスの「ホームの真剣」が問われているわけだ。

喫煙所に行くと、下の階にある関係者用の喫煙所に竹内前社長が現れた。当然黙ってるわけにはいかないので大声で原強化部長の責任を問う。この辺、個人的に訊いても仕方がないし、竹内さんだっていちいち付き合っていられないのは、それはそれなりに理解できるので、公式にメディアがきっちり突っ込んでもらえんかのう…。竹内さんは正面玄関へは戻らず、別の入口に姿を消したようだ。
ホームは本当に気が休まらない。何しに来ているのかわからんが。

しかしゲームは久々に熱くて「面白かった」。カッコ付きにしたのは、当然これはポジティブな意味を持っていないからである。
なぜ交替が後手後手を踏み続けるのか。10人相手のゲームマネジメントは徹底されていたのか。枝村、犬飼の守備の「軽さ」に危機感を持たなかったのか。大榎克己の問題はいつまで経っても解消されない。
ピーターの突破力と決定力、デュークの推進力、そして鹿島戦に続いて孤軍奮闘としか言いようがないほど身体を張ってゴールを守り続けた杉山。光明、というべきか、反転の萌芽は見えてきた。闘う姿勢が見えればスタンドは熱くなる。
野次でも怒号でも悲鳴でも構わない。「面白かった」というのは、ひとつひとつのプレイに真剣に反応する、ゲーム中のスタンドの熱さに救われたことにある。
何てったって生き残るためには何が何でも勝ち点を稼がなければならない。そのためにはスタンドだって真剣に、必死になる姿を全身で表現すべきだ。

勿論ゲーム後(そして次のゲームまで)の批評は必要だ。激烈な大榎批判やフロント、チーム批判は続けられるべきだろうと思う。今シーズンの結果がどのようなものになろうとも、去年のゴトビ更迭に遡って「結果責任」は問われなければならない。それは絶対、である。
今必要なのは清水に関わる人たちが全力で大騒ぎすることで、注目を集め、フロントにプレッシャーをかけることである。スタンドだけでなく、ブログやSNSを使っている人は積極的に「清水のこと」を発信して欲しいと思う。その時のためにも戦術系ブロガーの皆さんにも徹底的な批評を続けて欲しい。
それだけして、ゲーム中は勝利だけを祈り、全力で後押しするのだ。
いい歳したおっさんである大榎をマネージャーとして「成長」させるにはとんでもない労力が必要だが、若いプレーヤーはどんな奴だって可能性だけはある。大榎よりも若いプレーヤーをスタンドから「成長」させる方が手っ取り早い。そのための後押しである。

メインスタンドのシーズンシートのご近所さんも自らゲーフラを作り、選手入場時に掲げていた。本気で喜んでいること、本気で怒っていること、本気で願っていること、それをそれぞれのやり方で表現していこう。
清水エスパルスは生き残るためにもはや総力戦の状況になっているし、その覚悟をすべきだろうと思う。

何が何でも/2nd第2節 鹿島戦

2015-07-19 01:54:38 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015


鹿島のアウェイというのは、アクセスの悪さを除けば浦和アウェイぐらい大好物なゲームである。しかし、勿論負けたくはないが簡単に勝てるとも思えない、こんな微妙な心境で鹿島に乗り込んだことはない。
セカンドステージ開幕のタイミングで再開しようと思っていたこのブログも、前節の神戸戦は書く気が失せた大惨敗だった。ポジティブなこともネガティブなことも、何十枚もメモを書いて、やはり捨ててしまった。

このゲームでも実際数度のゴールチャンスはあったものの、ゴール裏が熱くなったのは杉山のPKストップ以降、身体を張ったディフェンスが増えてからだろうか。チームと同じように、スタンドにも何が何でも勝ち点を取るという雰囲気が生まれた。やはりター坊の参加は好材料だったか。
鹿島サポにはかなりつまらなかったゲームであっただろうが、残り10数分はチームの熱さを感じたゲームだった。

今日の名古屋戦。勝ち点を取ることができればスタンドの雰囲気は確実に変わってくるのではないかと思う。
勿論現在のエスパルスの「問題」が明らかになっている以上、フロントや清水の闇批判を止める必要はないと思うが、やはりスタンドでは何が何でも、の体勢でいたいと思う。

期待しているし、これからの戦いは記していきたいと思う。

「王者の旗」を本物にするために/第1節 鹿島戦

2015-03-18 03:16:54 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015


昨季のスタジアムで起こったことや監督更迭や残留争いでブログを書くモチベーションは途轍もなく下がってしまったのだけれども、それでもサッカーは続く。
開幕戦で天敵・鹿島をホームで撃破し、これまた鬼門のアウエイ新潟はドローで勝ち点1をもぎ取る。2月のテストマッチやプレシーズンのカップ戦ではひたすら不安感に襲われていたのだけれども、それを考えれば信じがたいほど、上々の滑り出しである。
勿論現地で見たディフェンス面の不安はまったく解消されているわけではないし、期待は抱かせるものの新戦力がどこまでフィットするのかはわからない。
少なくともゲーム前の社長挨拶でスタンドは新社長に期待していることは実感した(相変わらず日本平のPAは酷いが)。

ゲームの終った後、ロコロコが終った後、サポーターがスタンドで「王者の旗」を歌う中でのクールダウンはこれからも続けて欲しいと思う。あの歌を本物の歌にするためには、本当はロコロコではしゃぐだけではなくて、「王者の旗」をプレーヤーが口ずさむぐらいの状況にならなければ本物にはならないと思うのである。