徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

書き込まれないストーリー/「ゴトビ革命」

2013-03-30 06:03:13 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


まず、このタイミングの悪さは何なんだろう。
アフシンは勿論、ライターの田邊雅之氏も扶桑社も、まさかこんな状況で発売日を迎えるとは思ってもいなかっただろう。開幕一ヶ月の清水は同書でも取り上げられている2011年夏の0-4三連敗と並ぶ一触即発の状況になっている。
勿論スコアを抜きに内容を見てみれば、勝てないとはいえリーグ戦は2分1敗で連敗はない。ナビスコカップ予選も1分1敗である。しかし開幕直前のPSMで新潟に0-4で負けてから派手な負けっぷり、閉塞感漂う勝ち切れなさっぷりが尋常ではない。これでは<今、日本サッカーが清水エスパルスから変わっていく。彼は組織にいったい何をもたらしたのか?>という帯文も虚しい。
なぜなら清水は今なお変わり続けることを余儀なくされ、「もたらす」も何も、まだ「もたらす」ものを手にしていないのだ。

しかしサブタイトルの<人生とサッカーにおける成功の戦術>という言葉は、来日前のアフシン・ゴトビという人物のキャリアを指すものとしてはそれほど違和感はない。
所々に自画自賛が強く出ている部分は彼のキャラクターだとしても、エンジニアを志して入学したUCLAでのプレーヤーとしての挫折、NASL倒産によって余儀なくされたサッカーキャリアを経て、「全米初の本格的」サッカースクールの成功(シドニー五輪の日本戦ではスクール出身者がスタメンとして3人出場したという)、さらにビデオとPCを駆使した戦術分析・プレーヤーの管理が評価され、ボラ・ミルティノヴィッチ、ビム・ファーヴェーク、フース・ヒディング、ディック・アドフォカードといった指導者たちと出会い、共に仕事をしていく。
指導者、スタッフとしてはUCLA女子チーム時代、経営するサッカースクールを経て、<フットボールアナリスト>の肩書きで韓国チームスタッフ(分析スタッフ)として参加した日韓ワールドカップで、それまでワールドカップで勝てなかった韓国を準決勝にまで導くことに成功。さらに水原三星、LAギャラクシーでのアシスタントコーチを経て、母国イランでペルセポリスの監督に就任し優勝に導く。直後に南アフリカワールドカップ予選の最終局面でイラン代表監督に就任。北朝鮮、UAE、韓国を相手に3試合を残して2勝1分のミッションで与えられながら1勝2分の結果に終わりつつも、その後のアジアカップまで指揮を取る(その後、清水エスパルス監督就任)。

結果は事実なのだが、ちょっと盛っているような気がしないでもない。
いや、成功部分は盛っているだろう(たぶん、きっと)。
しかし13歳でアメリカへ渡ったサッカー好きのイラン人少年が手にした「成功」としてはかなりものであるのは間違いない。
ここまでで本書のほぼ2/3を占める。組織論、マネジメント論、メンタリズムをベースにした、実にビジネス啓発書ライクな内容である。その意味では帯文に書かれている文章に偽りはない。<数奇な運命>というのはあまりにもロマンチック過ぎると思うけれども、「ビジネスマン」としてのアフシンのバックグラウンドはよく見えてくる。

本書には「日本(韓国、東アジア)のタテ社会」についての言及がある。これ自体はずいぶん古臭い論点だと思うのだが、ピッチに送り出された若手がベテランに頼るあまり、時に萎縮し、時に自分で判断が下せない、リスクを恐れてチャレンジしない、という話につながっていく。きっとこれは2012年に伸二や岩下が移籍していく中でアフシンが痛感したことなのだろうと思う。
ナビスコカップファイナルをピークにこのチームのコンセプトは、それまでのように徐々に若手へシフトチェンジすることを前提にした「ベテランと若手の融合」から、きっぱりと「若手中心のチーム作り」へ切り替えていく根拠となっているようだ(それが本書での「最新型エスパルス像」の前提)。

しかし、そんなものは傍から見ていても想像がつく。
問題はアフシンが清水に何をもたらし(もたらそうとし)、この2年間でどう軌道修正を繰り返してきたのか、なのだ。
ストーリーの構成にしても、エピソードのチョイスにしても、この内容では欲求不満が残る。
<2012年の「ローラーコースター」も7月のマリノス戦で「底を打」ち若手に切り替えることで好転した>となっているが、問題は、というか語られるべきなのは、それ以前の2012年前半戦のピークであったベストゲームのひとつホーム鹿島戦(成功)であり、マネジメントの問題を内包しつつ乱れ打ちで力負けした2012年ホーム柏戦(失敗)であるはずだ。彼がもたらそうとしている「理想と現実、そして成功への意志」がそこにある。
勿論、柏戦などは移籍問題にも関わってくるだろうから、現時点で内幕を語れるはずもないのだろうが、だからと言って触れないのも不自然過ぎる。いくら過去を雄弁に語ろうとも、今アフシンは清水の監督なのだから。
というかですね、アフシンと清水が過ごしたこの2年、もっとチョイスすべきエピソードはあるはずだ。
「まだ何ももたらしてはいない」という意味では清水のストーリーを書き込めないことも理解できるけれども、この点をビジネス書ライクに構成したら本当に誤解されると思うのだが…まあ、これは構成の問題かな。

2012年にチームを若手中心に切り替えたアフシンは、今揺れ動いている。いくら揺れ動いてもほとんど若手しかいないチームで、それでもまたベテラン(のようなもの)と才能ある若手の融合というコンセプトに再シフトチェンジする可能性がある。
今週アフシンは「生きるか死ぬか、ではない」とコメントしていたものの、今日の結果次第では「生きるか死ぬか」の状況になりかねない。
運命の広島戦まであと6時間。

オレたちは水原になるのか、それともペルセポリスになるのか。
これから起こるアフシン・ゴトビのストーリーに清水エスパルスの章がしっかりと書き込まれることを祈っている。

勝利の時も、敗北の時も

2013-03-25 16:08:17 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
もし周囲の人がみな度を失って あなたを非難しても 落着きを失うことがないなら
もしみんなの者があなたを疑っても 自分に確信を持ち 人の疑いを思いやることができるなら
もしあなたが待つことができ 待ちくたびれることがないなら
もし偽りを言われても 偽りを返さないなら
そして善人ぶったり りこうぶったりしないなら

もし夢を持っても その夢に振り回されないなら
もしよい思いが浮かんでも それを最後の目標としないなら
もし勝利を得ても 敗北をなめても 勝利に酔わず 敗北にくじけないなら
勝利と敗北のふたりの詐欺師を同じように扱えるなら
もしあなたの語った真理のことばが 無頼の徒によって
愚か者をとらえるわなとしてゆがめられるのを聞いても 耐えることができるなら
もし心血を注いだものが破壊されるのを見て 腰をかがめてそれを拾い 古い道具で再建するなら
(中略)
地はあなたのもの そこにあるすべてのものもあなたのもの
--私の子よ もうあなたは一人前だ
(ラドヤード・キップリング「もし」/『人生の訓練 新版』V・レイモンド・エドマン/海老沢良雄・翻訳/いのちのことば社)

<自分としては、サッカーの試合の結果などにできるだけ影響されないようなふりをしています。しかも本当はふりをするのではなく、実際そういうことに影響されないよう心がけたいと思います。キップリングの有名な詩があります。

あなたがそれら二人のペテン師とうまくつきあうことができれば、
勝利と時も敗北の時も
あなたがそれら二人のペテン師と同じようにつきあうことができれば
あなたは男なのです

しかし現実はそう簡単なものではありません。私はまだサッカーを生きているからです。>
(『勝利の時も、敗北の時も』オスヴァルド・アルディレス/鍋田郁郎・構成/NHK出版)

殺害作戦継続中/イラク戦争後の中東地図

2013-03-25 01:01:44 | News Map

■イラク戦争後の中東


■イラク戦争の経緯

<開戦の主要な理由とされた大量破壊兵器は結局見つからず、ブッシュ政権の「単独行動主義」によって米国の威信は傷ついた。これに対し、オバマ氏は(中略)国外での「テロ容疑者」掃討には無人機攻撃を多用。米兵を危険にさらさずに、パキスタンやイエメンで「敵戦闘員」の殺害作戦を続けている。(中略)米ブラウン大の試算では、イラク戦争の戦費は退役軍人への補償も含め約2兆2000億㌦(約209兆円)。連邦政府の債務は01年は5兆8000億㌦だったが、アフガニスタン戦争の影響もあって現在16兆㌦を超える。>
(東京新聞2013年3月21日付 イラク開戦10年 テロ頻発 遠い平和/米国 膨大戦費 威信に傷/イラク イラン影響力拡大)

兼ね合いでオレンジルート/オスプレイ訓練飛行地図

2013-03-25 00:56:31 | News Map

<米軍は訓練ルートについて、4日に九州のイエロールートと防衛省に連絡したが、5日になって「大分県で予定される陸上自衛隊の射撃訓練との兼ね合いで」としてオレンジルートに変更した。>
(東京新聞2013年3月7日付 オスプレイ本土初訓練/訓練内容通知なし 四国各地で目撃)

ツイッターも禁止/コンクラーベ会場図

2013-03-25 00:46:23 | News Map

<選挙はすべて秘密投票で行われ、各回の開票結果などは発表されない。枢機卿も内容を漏らさないとコンクラーベ前に宣誓し、期間中の携帯電話などによる外部との連絡が禁じられている。法王候補の米国人、ドラン枢機卿ら十人前後が利用しているというツイッターも禁止された。>
(東京新聞2013年3月14日付 新ローマ法王 3回で決まらず/コンクラーベ絞り込み進む)

昨日にまさる今日よりも/ヤマザキナビスコカップ Aグループ 甲府戦(磐田戦)

2013-03-24 21:14:15 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


2011年の0-4での三連敗も、去年夏の柏戦前後の未勝利ロードにも相当な焦燥感があったが、今季は開幕からとんでもない3月になっている。
予兆はあった。開幕前週の2月のPSM新潟戦もそうだし、その二週間前のPSM磐田戦も伏線だったのかもしれない。
むしろ3ボランチを試運転し、1-0で勝利したPSM磐田戦は出来過ぎだったのだ。しかし、あのゲームを観てポジティブにならない方がおかしい。開幕2週間前とはいえ磐田相手に積極的なプレスを繰り返しゲームを支配してほぼ完勝。アフシンでなくとも仕上がりは上々と思っても当然だったのだ(実際にそういう発言もしている)。
課題は今年もゴールの問題、誰もがそう信じて疑わなかったと思う。
しかしその一週間後のPSM新潟戦で序盤に失点してしまい0-4の惨敗。開幕の大宮戦は2点先制されながらパワープレーで追いついたものの、ホーム開幕戦のマリノス戦は5失点。建て直しを誓った湘南戦は辛くも1-1のドローに持ち込み、リーグは代表ウィークに入った。攻撃力が取り沙汰されていたものの、実際はキャラの奮闘で誤魔化されて岩下の離脱以降、CBの問題は棚上げにされていたのだ(アレックスもディフェンス面でも実に献身的なプレーヤーだった)。

シーズン序盤はどのクラブも戦い方は安定しない。それでも、いくら惨敗しようとも、誰だって今日より明日には「建て直し」は進むと考える。最優先であるリーグのために、ナビスコカップ予選がある程度「テストマッチ」的な要素を含みながら戦われた20日のアイスタでのナビスコカップAグループ1節甲府戦は、それなりの、その「前進」が見えたのは確かだっただろうと思う。何が起ころうがオレたちは段々にしか進めないのだから、オレは甲府戦を評価している。Always Look on the Bright Side of Lifeだ。
しかし、2節 磐田戦である。残念ながら現場には行けなかったのだけれども、思えば2月のPSM磐田戦がボタンの掛け違いの出発点だったとするならば、この結果はあまりにも残酷で象徴的なものになってしまった。たった1ヶ月の間に清水は後退し、磐田が前進したことがはっきりと結果として表れてしまったのだ。いくらテスト的な要素があったとはいえ、そして甲府戦の犬飼がそれなりにポジティブに評価されていたとはいえ、彼を使い続けたことはチームにとっても、犬飼本人にとってもあまりにもリスキーなチャレンジだったと思う(他にも問題のありそうなプレーヤーはいるのだが…)。

今週クラブからのアクションがない限り、次節アイスタでのリーグ広島戦は文字通りアフシンの進退問題に係わるゲームになる。今のアフシンはクラブのヴィジョンにあまりにも多く、深く関わっているのですぐに結論が出るとは思えないのだが、「結果がすべて」のプロならばもはや言い逃れができるような状況ではないことは確かだ。去年のナビスコカップ決勝以来、公式戦勝ちなしという状況はあまりにも酷い。
ただし一部マスコミ、一部サポーター(かどうかはわからないけれども)の意見として、すでに解任、更迭が目的化したような批判や罵詈雑言にはまったく同意することはできない。アフシンやプレーヤーのひとつひとつの発言は、本質や真意が無視され、揚げ足を取られ続け、恣意的に捻じ曲げられるだろう。生前のバーケンさんは「メディアリテラシーを持て」と書き続けたが、残念ながら清水コミュニティはもはやそんな状況ではなくなっている。
オレは彼(ら)がまだ戦い続けるのならば、少なくとも戦っている間は共に戦い続けたい。

菊田一夫の「鐘の鳴る丘」にはこんな歌詞がある。<昨日にまさる 今日よりも明日はもっと幸せに>。昨日よりも今日が、今日よりも明日がマシであることを信じたいし、清水というクラブ(チーム)や清水コミュニティがそうであるように願っている。

海平着ぐるみ完成/サザエさん通りPart2地図

2013-03-19 09:49:48 | News Map

<西新地区は、長谷川さんが戦時中に疎開し、近くの海岸を歩いて「サザエさん」を着想したゆかりの地。1946年、福岡地方紙「夕刊フクニチ」で連載が始まった。昨年5月には商店街に近い通りが「サザエさん通り」と命名された。サザエさん通りは、桜新町に続いて二ヵ所目になる。>
(東京新聞2013年3月5日付 「サザエさん」波平さん双子の兄 海平さんが街を元気に/ゆかりの地 福岡・商店街 買い物客もてなす)

米国を巡る思惑/イラン×パキスタン国境パイプライン地図

2013-03-19 09:34:37 | News Map

<イラン産天然ガスをパキスタンに輸送するパイプライン建設の起工式が11日、イラン南東部チャバハルでパキスタンのザルダリ、イランのアハマディネジャド両大統領が出席して行われた。(中略)地元メディアなどによると、パイプラインはイラン南部アサルエとパキスタン南部ナワブシャー間の約1880㌔を結ぶ。イラン側は完成し、パキスタン側の約780㌔が未着工。2014年中の完成予定で、日量約2150万立方㍍の天然ガスを輸送。パキスタンの電力需要の約2割を賄うという。(中略)米国はこれまでパキスタンに計画中止の圧力をかけてきた。パキスタンが米側の意向に反してまで計画推進に踏み切った背景には、国内の深刻な電力不足に加え、5月までに実施される総選挙の影響も指摘されている。人気が低迷するザルダリ政権にとって、米国の圧力に屈しなかったという姿勢を国民にアピールする絶好の機会だからだ。(中略)パイプラインは1990年代に計画。当時はイランからパキスタンを経由し、インドまで延ばす構想だったが、インドはイランと対立する米国に配慮するなどして脱退した。>
(東京新聞2013年3月13日付 イラン・パキスタン接近 天然ガス郵送パイプライン建設/米パ関係悪化も)

末裔の主張/マレーシア×フィリピン国境サバ州領有権紛争地図

2013-03-19 09:24:05 | News Map

<マレーシア・ボルネオ島北部のサバ州で、フィリピン人のイスラム教武装集団が約3週間にわたって村を占拠してサバ州の領有権を主張し、マレーシア治安当局は5日、掃討作戦に乗り出した。(中略)現地からの情報によると、武装集団はかつてサバ州周辺を統治したスルー王国の末裔を名乗り、先月12日にサバ州のラハダトゥ村を占拠したという。(中略)スルー王国は、フィリピンとマレーシアの間にあるスルー諸島周辺で19世紀末まで繁栄したイスラム教国だ。この王国は同世紀後半、英国に対しサバ州を貸与して実効支配させた。マレーシアは1963年に英国から独立して契約を引き継ぎ、国王の末裔に「租借料」を支払ってきた。一方、フィリピンはマレーシア独立前に末裔からサバ州を割譲されたと主張。今も領有権問題が続いている。>
(東京新聞2013年3月7日付 比武装集団の掃討開始/マレーシア サバ州領有めぐり)

それどころじゃない/第3節 湘南戦

2013-03-17 23:12:18 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


土曜日はBMWスタジアムで湘南戦
63分にようやく八反田の同点ゴールが決まった瞬間、ゴール裏の誰もが「それどころじゃない」と思っただろう。
ゴールが決まるのは「それどころ」だし、ハチにとってはめでたいリーグ初ゴールであるからしてもっと「それどころ」なのだが、祝福する暇もなくプレーヤーはセンターサークルに駆け戻り、ゴール裏は必死でコールを続けた。
前節のショッキングな完敗、昨年10月27日の鹿島戦以来リーグ戦で未勝利が続く「それどころじゃない」状況なのは誰もが感じていたはずだ。思えばアフシンのチームは他クラブならばもっとシビアな責任問題に発展してもおかしくないような状況が毎年起こる。一昨年は3ゲーム連続で0-4で負けるという怪記録を作り、昨年の夏も未勝利記録を更新しかけた。
それがよりによって今起こっているわけだ。

とはいえシーズンが始まったばかりのこの時期、スタートダッシュに全力を傾けなければいけない類のチームを除けば、まだ戦力的にも戦術的にも不安定なチームが少なくないのも仕方がない。「今のうちに(今の)清水と対戦したいチームは多いだろうなあ」と思うのも、まあ自虐的な意味だけではなく、当たり前だと思うのだ。この日の湘南などはまさにそんな類のチーム(戦力が安定しない序盤に勝ち点を稼いでおきたい降格候補)で、そんなチームが対戦するには(まったく戦力と戦術に安定感のない)今の清水は格好のカモだったはずである。
2トップ2ボランチで役割の明確にし、ロングボール主体でとにかくゲームの主導権を奪いたい清水とそれを受けて、ゲームバランスの重心は重く(低く)、前線のカウンターチャンスを狙う湘南。戦術というよりも戦略といった方が相応しい、闘争心だけが問われるゲームになった。批判を受けて…なのかどうかはわからないけれども、結果が出ない状況に、アフシンは戦術に微調整を加え、ある意味でプレーヤーに「譲歩」した。もはや、アフシンを言い訳にはできない。彼ら自身がそこで戦う気持ちを見せられるのか、ということである。
前節のようにアフシンにスレトス解消の罵声を浴びせるような野暮な闖入者はいないゴール裏で歌い、コールし続けた。
それが彼らをもう一歩動かす力になると信じている。これは精神論ではない。いかに自分たちも走って(声を出して)いるのかということである。声を出すこと以外にゴール裏の存在意義はないのだから。
(しかし、この日のお隣さんがとんでもなく音痴で正直難儀した…)

タイムアップ後のゴール裏は静寂のあと、拍手とブーイングが入り混じった。
前節のショッキングな完敗はひとまずこれで払拭できただろうか。基本的にロングボールという形にはなってしまったが、ゴール前の迫力は増した。しかし、とにかく10月27日の鹿島戦以来リーグ戦での未勝利は継続している。
リーグ戦次節は30日の広島戦。来週はナビスコカップ予選が2ゲーム組まれている。ということで、20日のナビスコカップ予選も行かんとなあ…一応指定シーチケだけど、やっぱし状況が状況だけにゴール裏行こうか。
まだ「それどころじゃない」わけです。

八反田「そうですね。初ゴールだったのでもっと喜ぶかなと思ってましたが、それどころじゃなかったです。僕自身はゴールを決められてうれしかったですが、チームが勝てなくて残念です」(J's Goal 3月16日付

何だか緩いアウエイ感のある平塚駅前でホルモン焼きで呑んでから地元へ。
焼肉屋の兄ちゃんは「湘南の暴れん坊」みたいな感じの兄ちゃんだったし、商店街の喫煙所近辺には如何にもな感じのヤンキーがたむろしていたりしていたんだが、彼らみたいな人たちは湘南のゴール裏には行かないのかなあ。

「サブ」って何?/サッカー批評No.61「サポーターは敵か味方か?」

2013-03-14 01:14:18 | Sports/Football


特集の冒頭、編集部のリードとして「概論的、学術的なサポーター論ではなく」とあるが、それならばなぜ今回の特集は「20年」などという「学術的」な括りなのか。「ではな」いのならばそもそも「サッカー批評」でやる必要があるのかとすら思う。
やはりサッカー批評はロゴの軟化と同時に中途半端に柔らかくなってしまったのか。
ということで「サポーターの実像」とやらを掲げてはいるのだが、いまいち食い足りない感がしないでもない。実像の描き方、取り上げ方ならいくらでもあると思うが、確か白夜書房だったと思うが、かつて2002年のW杯便乗本ブームの最中、代表の話題と共に、Jクラブを2ちゃんノリのゴシップ視点とサポーターの噂話レベル(だけ)で構成した物凄いムックがリリースされたのだが、実は「概論的、学術的ではないサポーターの実態」というのならば、アレを徹底的に参考にすべきだったと思うのだが(今回本の山を探してみたのだが見つからなかった…ので、見つかったら改めて)。
構成は朝日氏が全面に出ているということで東京、柏色が強く、この手の特集では定番のはずの浦和色は薄く、その他大勢というラインナップ。それでいて「概論的、学術的なサポーター論ではなく」では食い足りなくても当たり前である。

サポーター論というならば、それはまず愛の肯定でなければならない。そこから出発することでしか「サポーターは敵か味方か?」などという大仰なタイトルは活きてこない。
座談会の中でサポーターの問題点として木崎伸也氏は、意味をわかって言っているのかわからないが、さらっと「サブカル化」という言葉を使っている。確かに状況として対プロ野球を出発点に、ネット上でコア層が育っていった「サポーター」と言われる人たちは、その意味では実に純粋なサブカルチャー、新しいカルチャーとコミュニティを形成して、その中で生きている。
しかし、そこで問題点をその「愛の重さ=サブカルチャー」にあると言い切ってしまうのは乱暴過ぎないか(恐らく彼はサポーターの「蛸壺化」を批判したいんだと思うが)。そもそも「サブ」って何だ?

そしてサポーターは敵か味方か?――「木崎伸也(に代表されるサッカーマスコミ)にとってサポーターは敵か味方か?」と問われれば、それは「敵」と答えるしかないだろう(彼が中途半端に口を挟んできたオカの移籍騒動の一件しかり)。
それならばサポーター論の次はマスコミ論であるはずだ。「Jリーグ20周年のサッカーマスコミ論」こそ、次にサッカー批評が取り上げるべきテーマなのではないかと思う。
マスコミ論こそ、実はサポーターを映す鏡になると思うのだが。

オレは清水を「死水」と打ち込んだスポニチを忘れない。

<高度成長時代段階の日本に、まだ「会社が嫌い」の変わり者人間が行くべき場所はなかった。しかし、会社員であることを志向しない「フリーター」というものが登場する。事態は一部で、「野球よりサッカー」になる。しかも、その社会状況を成り立たせる“一部”は、商品の売れ行きを大きく左右する若年層である。日本経済は根本で停滞していて、“売れる商品”はかなり限定したところにしか存在しないという状況が来ていた。Jリーグというサッカーは、かくして投資の対象となる。高度成長が行くところまで行った段階で、「辞めます」を平気で口にする奇っ怪な若い社員が増え、「フリーター」という言葉が公然と罷り通る。その段階で、Jリーグの設立はほぼ可能になっていた。Jリーグ誕生の年が「バブルがはじけた」と言われる年の翌年だというのは、だからとても重要なのである。
「日本のサッカー=Jリーグとはなにか?」――この答えは、「将来を期待されることなく勝手に育ってしまった管理社会の余剰部分」ということにしかならない。「Jリーグがプロ野球に取って代わる」ということは、「プロ野球からJリーグへと、スポーツの世代交替が起こる」ということで、それはすなわち、「日本の男達の間に世代交替が起こる」ということでもあった。しかし、“余剰部分”を生み出すような日本社会を作る男達の中に、「世代交替」という発想はない。だから、「今の子供はもう野球をやらないんだそうだ」の一言に、多くの男達は戦慄を感じなかった。サッカーで育った男達の中にも、「戦慄を感じさせよう」などという発想はなかった。それで、“余剰”から生まれたものは“新しい芽”にはならずに、新手の根無し草になる。終わることにピンとこない日本では、終わったものは終わらず、後から始まった新しいものの方が、先に息切れして倒れてしまうのである。一種の寓話のようなものが日本社会の現実だから、それでもしかしたら、日本人はまともに現実を問題にしないのかもしれない。>
(橋本治『天使のウインク』中央公論新社2000/「サッカー社会と野球社会」より)

コール&レスポンス、再び/0310原発ゼロ☆大行動

2013-03-11 23:42:29 | News
結局土曜日は静岡で日付が変わるぐらいまで呑み(ヤケ酒に非ず)、昼に帰京。そろそろ出かける準備をしようとした辺りから雲行きが怪しくなり、外を見たら…雲行きの問題ではなく東京ではなかなか見られないような光景だった。



前夜はかなり呑んだつもりだったが二日酔いはそれほどでもなく、集会、デモの出発には間に合わなかったけれども「0310原発ゼロ☆大行動」に参加。霞ヶ関で請願デモ隊に合流して自民党前のゴールまで…と思ったら、ゴール地点から国会前広場までの迂回路が尋常じゃなく遠かった。
国会前で集会開始をおとなしく待っていると強風に体温が奪われ、身体が冷えて来たので官邸前へ向かう。デモが終わった人たちが続々とやってくるものの官邸前固定は数百人いった程度だが、その後も茱萸坂を登ってくる請願デモ隊をサポートするつもりでひたすらコール。官邸前の、この位置でコールするなんて何ヶ月ぶりだろうか。
18時に官邸前は終了し、国会前へ移動。当日の状況はプログラム&MAP(pdf)を見れば一目瞭然、この日は各参加団体がそれぞれ散らばって永田町、霞ヶ関一体をブロック化した抗議フェスになっている。各ブロックに三々五々集まり、歌声エリア、外務省前エリアと経産省前エリアを除き最終的に国会正門前へ集結する、というわけだ(ちなみに日本音楽協議会さんはあの場所に拘りでもあるんだろうか…)。

内容の問題ではなく、著名人スピーチを立って聞いていたらまたもや身体が冷えてきたのでコールが始まっていたドラム隊さんの近くへ。ここでも、またもやひたすら再稼動反対をコール。途中からはドラム隊さん関係なくコールが1時間近く続いた。ここのところ仕事の関係で金曜日のミーティングが多かったこともあり、なかなか官邸前には参加できていなかったのだけれども、この日、一日で何だか取り戻せた。レスポンスがあればいつまでも声が出るような気がした。



今月末には4ヶ月ぶりにTwitnonukesのデモが行われる。
明日から夏まではひとつの山場、スピードを上げて行こう。

【3.31反原発デモ@渋谷・原宿】
日時:3月31日(日) 予定
集合場所:未定
主催:TwitNoNukes

男になるということ/第2節 横浜マリノス戦

2013-03-11 21:00:31 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


土曜日はホーム開幕でマリノス戦。IAI日本平スタジアムの初披露だったわけだが、実にショッキングな結果になってしまった。
2011年には神戸相手に1-5という似たようなスコアで大敗を喰らってしまったことがあるが、震災直後、ゴトビ体制1年目だった、あの時の「サポート感」はスタンドにはなかった。
前島さんのレポートにもあるように、このゲームのゴールの匂いの無さっぷりは凄まじいもので、ボンバーと栗原には完敗(本当にハイボールを競り勝った記憶がない)、俊輔にはいいように捌かれ、37歳のマルキにハットを文字通りプレゼントしているようでは失点ごとに客席を立つ人が増えて行っても仕方がない。
時間はまだ残されているのにスタンドから観客が次々と去っていく光景は、ゲームの完敗以上に屈辱的である。
もちろんとても最後まで観て下さいとはとても言えないような内容ではあるが。
やはり付け焼刃の「劇的」のツケはこうして後からやってくるもんなんだなあとつくづく思うのである(WBCのような短期決戦ならば、それはまた「勢い」に変換されるんだろうけれども…)。

タイムアップ前後に目の前で2人の男がアフシンに向かって罵声を飛ばす。オレのシーチケはベンチの真上なので、そのやり取りはしっかり見える。その瞬間、振り返って男を見たアフシンの顔が忘れられない。
オレも腹が立って仕方がなかった。
そのふたりの男に、である。
ふらふらと柵を乗り越えていく男を見て、警備員に向かって「しっかり止めろ」と声を挙げずにはいられなかった。
言うまでもなく最終的にチームの全責任を負うのはアフシンである。しかし2010年に崩壊したチームを、さらに2年かけてリフレッシュした挙句に、目先の結果でストレス解消の矛先をアフシンに向けてしまっては、この2年がまったく無駄だったことになる。ましてや、0円移籍は勿論、最初の契約でチームを離れていってしまうプレーヤーもいる中で、監督は結果を受け止めるだけではなくチームのヴィジョンを描かなければいけない立場にある。オレは、とてもじゃないがクラブのヴィジョンを描く途上の監督に唾を吐きかけるような真似はしたくない。



「若さ」というのは良くも悪くもエクスキューズになるし、アドバンテージにもなる。だからと言ってオレは桜宮高校のようなコーチは求めていないのである。それがサッカーであり、プロであるのならば、彼らは自分たちで「男」にならなきゃいけない。

「自分の役割を果たせ! 100%のエネルギーを注げ! 下げるんじゃない! 恐れるな! 闘え! 男になれ!」(J's Goal ハーフタイムコメント

彼らは本当に「どうしたらいいのかわからない」のだろうか。もちろん彼らが「若い」ことは知っているが、それならばあまりにもナイーブ(Boy)過ぎるというものだろう。男(Men)になるってことは、どう考えたって自分の頭で判断して、「役割を果た」して「100%のエネルギーを注」ぎ、「恐れ」ずに「闘」うことである。役割の果たし方に関してアフシンの問題があったとしても、100%のエネルギーの出し方や失敗を恐れない闘い方は自分自身で掴み取るしかない。
それはサポーターも同様、いつも誰かの責任に押し付けようとする自分との戦いでもある。
それでもサポーターはいくら怒声や罵声を飛ばしても結果が変われば舌を出しつつ勝ちロコを踊れば済む。プレーヤーだって、仮に失敗したも最終的に責任はアフシンが取るのである。予備校のCMじゃないが、やるなら今しかないぜ。

ホーム開幕戦でシーチケのご近所のおじさんが遂に「陥落」していた。
もしかしたら不買なのかもしれない。
おじさんとご近所になったのは健太体制と同時なので、もう8年の付き合いだったが、死んでなければきっと日本平のどこかの座席で観ているんだろう。あれほど熱心なおじさんがシーチケを買っていないんだから、アフシンとクラブを取り巻く状況は厳しいと思わざるを得ない。
まあ、オレは観続けるし、サポートの声を挙げ続けますよ。ここで。

今週16日は湘南戦。

荒れたゲームの意味

2013-03-08 15:11:50 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
大宮戦のゲーム中、ずっと思っていながら、大宮戦レビューで書き漏らしていたことがあったので、マリノス戦プレビューのつもりで書く。
昨季の清水は驚くべき頻度で「荒れたゲーム」をしていた。カードの多さが即ち荒っぽいチームという評価は、レフリーとの相性も考慮に入れなければそれ自体が荒っぽいと思うが、とにかく清水はカードの多いチームで、それ故にゲーム中の退場者も少なくなかった。そしてゲームは荒れる。言い方を変えれば、退場者その他、外的要因を呼び込みながら、90分の間にジェットコースターのようなゲームをする。アフシンはシーズン終了後に「ジェットコースターのようなシーズン」と評したわけだが、何のことはない、ゲームだって「それ」に近かったわけだ。ちなみに本来の意味で荒っぽいゲームと言えたのは、あの運命の、ホーム柏戦ぐらいだろう。

一人少ない、二人少ない、先制点を奪われた、追加点を奪われた…とにかくこのチームはなかなか着火しない。自分たちの思うような展開にならなければ、ゲームに強力なストレスが掛からない限りはなかなか火がつかない。大宮戦だって、きっとよくわからない2失点を喰らわなかったらスイッチは入らなかったのだろうと思う。追いついた瞬間のイケイケ感は熱かったが、同時に正直「またか」と思ったのも事実なのである。

ジェットコースターのようなゲーム。
これが面白いか面白くないかと言えば、面白いに決まっている。面白いんですよ、おじいちゃん。アウエイFC東京戦のゴール裏など、タイムアップの瞬間、優勝でもしたかのような盛り上がりを見せた(確実に上位は争っていたが)。
しかし、そんな劇的なゲームがいつまでも続くわけがない。おじいちゃんの心臓にも良くない。故に前半戦のアドバンテージと夏からナビスコカップ決勝前半までの好調期を除けば、チームの成績はまったく安定しなかった。早い話が勝てなかった。今季をまたそんなシーズンにしてはいけない。

アフシンはボールの蹴り方に至るまで細かい指導が多いという。本当だろうか。今季、3ボランチがキーワードのように語られているけれども、これ実はプレーヤーの裁量ーー自由に委ねている部分も大きいのではないだろうか。システム論は一先ず置いておいても、サッカーというのは自由と規律で成り立っている。それはゲームを成り立たせる上で(つまり魅せて、勝つためには)相反するようで不可分なものだ。個人と組織と言い換えてもいいけれども、いくらアフシンが笛吹けど、プレーヤーが躍らなければ意味がない。「ちょっとシステムがよくわからなくて、プレーがうまくはまらなくて、気分が乗らないんすよね…」では駄目なのだ。いよいよ尻に火がついてから踊り出していたのが、昨季の清水だった。

自分の「主」は誰なのか、ベテランプレーヤーは知っている。
驚くべきことに次節の対戦相手のマリノスのスタメンは平均年齢が30歳を超えているらしい。俊輔、中澤は言うまでもなく、マルキが37、ドゥトラに至っては39である。今の清水からすれば信じ難いことである。
しかし彼らは自分たちの主が誰なのか知っているだろう。自分の主は自分自身に決まっている。彼らは自分の踊り方を知っている。まさに「お前はお前のロックンロールを踊れ」である。
だからマリノスは強いんだか弱いだかわからないが、何となく安定している(少なくとも今のうちは)。着火点を安易に外的要因に求めずに自分自身をコントロールしながら燃え上がせていくことができるのが本物ってことだろう。

しかしまだ成長途上で、自分自身に主を持たない清水の若きゴトビチルドレンたちを走らせる方法はある。オレたちがスタンドから要求すればいいのである。拗ねてないでオレたちと一緒に熱くなれと言えばいいのである。日本平、もといIAI日本平スタジアムというのは、ピッチに声が確実に届く、そういうスタジアムなのである。
大宮戦後半の炎を絶やさないようにスタンドは声を出して、プレーヤーには走り勝っていただきたい。

さっきまで昨季のホーム仙台戦を横目で観ていたら、そう思った。そう思っちゃったんだから仕方がない。良くも悪くもおっさん軍団には「若さ」で勝つしかないんだから。