徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

人的リソースの問題

2014-07-06 23:28:29 | News
抗議やデモに行って、ときどき参加者ではない「普通」の人と話すことがある。
話す、話しかけてくるのだから酒場のカウンターの隣に居合わせて言葉を交わす程度には興味があるのだろうけれども、「結局、ほとんどの人は関心がない」という結論に落ち着くことが少なくない。
現状では原発や解釈改憲の問題は、それを推し進めたい連中と食い止めたい連中の間「だけ」の局地戦だ。
推し進めたい連中は「関心のない人たち」が多ければ多いほど都合がいいし、食い止めたい連中は自分の時間を割きながら関心を拡げようとしている。どう考えたって、「問題」は問題に関心を持つ人の少なさにある。そして皮肉なことに、本来推し進めたい連中がしなければならないはずの「説明責任」を、食い止めたい連中がしなければならない羽目になる。
言葉を費やせば費やすほど、説明に齟齬が生じる。食い止めたいオレたちは「説明」ではなく反対をしたいのだから、当然話はいくぶん「主張」テイストが混じるようになる。フラットな人間にとって、それが「説明」ではなく「主張」に聴こえ始めれば眉をひそめる気持ちもわからなくもない。わけのわからない人間の「主張」よりも、何も「説明」しない政府の方が何となく説得力があるように感じ始める。
もう、これは説明責任における「悪魔の証明」ともいえるジレンマだ。

そして現状ではプロテスターの人的リソースには限りがある。
反原発運動は2011年秋に発足した首都圏反原発連合が官邸前抗議を押し広げ、そのまま反原連が毎週金曜日の官邸前抗議を継続することで一定以上の成果を生んでいる。2013年の反レイシズム運動はレイシストをしばき隊中心ではなく、仲よくしようぜパレード(仲パレ)、差別反対東京大行進を経て、意外にも男組の派生から差別反対東京アクションが生まれ、毎週月曜日の東京都庁前での抗議活動が継続して続けられている。
金曜官邸前抗議、月曜都庁前抗議は、それだけで3.11以降に東京を中心にして起こった一連の社会的抗議行動が単発的な行動ではなく、それぞれが連動し、継続していることを証明するマイルストーンになっている。誰もが路上に出て、大声を張り上げろとは決して思わない。ベースを作り、それを維持、継続することが得意な人はそれを行動の中心に据えればいいのだ。反原発運動も、反レイシズム運動も次のタームに入っている。
しかし人的リソースには限りがある。
まだ見ぬプロテスターにも、その人だからこそできる参加方法があるはずだ。

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