徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

勇気を落とさないために/第3節 柏戦

2012-03-28 03:11:56 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


アフシン「人生で何かを勝ち取るためにはファイティングスピリットは大事です。やはりサッカーへの情熱、このシャツへの愛が成功させるうえで大事だと思います。それは人生でも同じです。(中略)今日のような試合の後で、彼らが勇気を落とさないでほしい。ロッカールームで彼らには、私の心では試合に勝ったと伝えました」(J's GOAL 3月24日付

だいぶ過ぎてしまったけれども、土曜日は柏戦。これまでのアウエイ側のゴール裏が改修されたことで、ホーム&アウエイの位置は入れ替えで、これまでホーム側だったスタンドに入る。
そして久々のアウエイ。しかしデモのコールと訳が違うのは、チャントというのは基本的に歌なのだ。久々のアウエイとはいえ、それなりに声は出るものの前半はかなりテンションを保つに苦労してしまった。緊張感はそれほどでもないけれども、ピッチの近さと共にスタンドもアウエイ感を感じさせてくれる日立台なので、ゴール裏はかなり盛り上がった。

ゲームの内容も盛り上がるに値する内容だったと思う。
先制点の時間帯も良かったし、いくら序盤からハイプレスで飛ばしていたとはいえ、そしていくら柏のホームとはいえ、ミッドウィークにゲームがあった柏よりも先にバテてしまうとは思えなかった。実際バテたというよりも、後半13分に伸二に変わって投入されたジミー、そして大悟が、まったくキープできていなかったことも影響していたように思う。あれではゲームコントロール以前の問題で、柏の猛攻をただ受け続けるだけになってしまう。もったいないゲームと言ってしまえばそれまでなのだけれども、やはり十分勝てたゲームだった(今回も無駄な、意味不明なカードを連発したレフリー吉田の件は置いておいても)。
この日はバーケンこと、清水を見守り続ける永遠の番記者・大場健司の命日だっただけに、やはり勝っておきたかったね。

開幕3戦は1勝2敗で、今シーズンはスタートした。
どのゲームも決して下を向くような内容ではなかったし、開幕2戦、特に柏戦は誰が見たって面白いゲームだったと思うし(柏にしたら内容はともかく、最高の展開だろう)、仮に今後カードの影響が出てきても故障者の復帰や大悟やジミーが時間を追ってフィットしてくればチームとしてのオプションは確実に増えていく。
また先制点後のゲームコントロールの問題は当面の課題になるのだろうけれども、こればかりはシーズン中にチームとして熟成させていくしかない。若いプレーヤーたちにとっては、それを「若さ」というわけで、それを克服するのは「経験」しかない。まだまだ、今シーズンはまったく前向きに思っている。若いって素晴らしいことだぜ。

まあ、当日はその後呑みに行って、敗戦の反省も感傷もすっ飛んでしまったのだけれども…。

しかし、湯浅健二氏がレポートで清水を褒めるのは別にいいんだが、ゴーラーの名前を間違えたまんまというのはどういうことだろう。激賞レポートも台無しと言わざるを得ない。

次はホームで札幌戦。ナイトゲームということでちょっと現場に行くのは難しいか…。

さよならバイバイ

2012-03-21 01:44:13 | Music



神楽坂の事務所で、この歌のSIONの声が流れたときの凍りついた空気は今でも記憶に残る。
女子は苦笑した。
当たり前だろう、冷笑的な女たちにわかるわけがない。これは男の歌である。
…というか、冷笑的じゃなくても普通凍るか。
岡本さんの言葉を絞り出すように歌うSIONの声が素晴らしく、物凄い焦燥感と寂寥感を覚える。
しかし、あと一歩踏み出す少しの勇気も受け取る。

でもいいですよ。この曲が収録されているアルバム(岡本おさみ アコースティックパーティー with 吉川忠英)。
UKプロジェクト色濃厚なわけですが、全曲が素晴らしい岡本おさみカヴァーアルバム。
中川敬の「落陽」や加川良の「ウイスキー色の街で」なんてのはハマり過ぎ。

このアルバムが素晴らしすぎて、結局参加ミュージシャンほぼ全員にコメント取材しまくったという(アミューズ除く)。

(追記)
忠英さんの美しいギターが聴けるのはうつみようこ姐さん&今野英明の「あの夏、ふたりは」。

考えながら、それでも進む/3.19経産省前抗議

2012-03-20 17:29:59 | News


昨夜は経産省前抗議。
この夜は十代の子供たちまでマイクを持ちスピーチをしていたのだが、やはり平野君のスピーチは聞くものを呼び覚ます声のトーン、言葉の強さ、高揚感があり、もうちょっと、堂に入っているというか、本物の次元に行ったような気がした。名もなき人たちによる、リーダーなき行動に対して語弊はあるかもしれないけれども、さすがは「リーダー」である。
どんな時代にも、時代と場が育てる人物はいると思うのだが、彼はもはやそういう存在になっているのかもしれない。昨年の九電前での抗議で通りすがりのOLに「こわーい♪」と言われていた頃よりもさらに“成長”しているような気がする。

途中、右から考える脱原発ネットワークのデモ隊も合流して、抗議の声は一段と高まった(しかし、中心人物である針谷さんがこのところ繰り返している「3.11デモ」に対する見解とツイートは正直言って納得できるものではないけれども。まあこれは“内部”に向けてのパフォーマンスかもしれないが)。

しかし、ブログなのでぶっちゃけて書いてしまうが、抗議がこの形でこのまま続けばいずれは「集会」と変わらなくなってしまう可能性があると感じた。
煌々と明かりが灯り、時折職員の姿が窓から見えるとはいえ、物言わぬ建物に向かって吼え続けるのは実に我慢がいるものだ。それはそれでこちらの「本気」が試されているともいえるのだけれども、ルーチンになってしまう可能性は、やはりつきまとう。
この夜、職員が建物から出てきたときの抗議グループのテンションの違いを見ればそれは明らかだ。やはり、当事者を目の当たりにしたときこそ、テンションは上がる。
建物は象徴であり、確かに彼らは「そこ」にいるのだけれども、やはりオレ(たち)は建物に抗議しているのではなく、人間に抗議しているのだ。

さらにフラッシュモブ的な機動性を強めるか、正面玄関だけではなくすべての職員出入り口に抗議グループが待ち構えるぐらいのことをやった方がいいんじゃないかと思った。とはいえ、抗議の声がよりダイレクトに職員に向かったとき、警備の目がさらに強まる可能性は高いのだから、それはそれで悩ましいところではある。
ただ、抗議に並ぶ人たちは前回よりもさらに横に長く伸びていた。このまま季節が温暖になり、参加者が増えれば経産省を包囲だってできるんじゃないかと思わないこともない。

まあ、考えながら、悩みながら、そして我慢強く、それでも前に進んでいくしかないんだけれども。

ピッチから聴こえた闘う声/第2節 広島戦

2012-03-18 20:17:03 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


ホーム開幕の広島戦でほぼ3ヶ月ぶりのアウスタ。
朝から降り注いでいた雨は、ゲームの佳境で豪雨になってしまったけれども、オレンジのポンチョで埋まったスタンドは1万3000人とは思えないほどホームを演出していたし、日本平のピッチは相変らず日本一美しかった。
久々に、やはり「ライブ」はいい(レフリーへの罵倒も含めて)。現場に行くとテレビでは見えないものがいくらでも目に入ってくるし、それは良くも悪くもではあるけれども、やはりそもそも現場に行かなきゃわからないことは多い。
どうしても行けないときのスカパーはありがたいけれども、スタンドで声出してた方が精神的にはいいです。

アフシン「林は特別な選手だと思います。(中略)彼は本当にサッカーを愛し、サッカーのために生きている人だと思います。ピッチでは守備陣をしっかりとオーガナイズすることができますし、ボックス内で大きな存在感を発揮し、ボールをしっかりと出すこともできます。だから私は、彼の将来を楽しみにしています」
J's GOAL 3月17日付

それにしてもこれほどピッチの声が聴こえてきたのは久しぶりのような気がする。
特に新加入のGK林の指示の声はスタンドにいてもしっかり聴こえてくる。伸二や敬輔がピッチ内で指示の声を出しているのはよく見るけれども、ゴール前に構えた林の声が聴こえるのは本当に安心感がある。さらに序盤の勢いが落ち着いて、清水にミスが目立ち始めた頃、アンカーの村松がミスをした吉田をかなり強い調子で声を掛けていたのも印象的だった(叱責かな)。これ、藤枝東対静学だ。彼らはチームに就職したわけではなく、あくまでも個人事業主のプロであり、自らの価値を証明するために彼らはピッチ上で真剣に闘っている。
そんなプレーヤーたちが声を出し、闘う姿勢を見せることがスタンドにいる人間にとって、いかに安心感と頼もしさを感じさせることか。オレたちは闘うプレーヤーと呼応しながら「チーム」と「ホーム」を作っているのである。

キックオフから先制点までの10数分間は、広島名物のショートパスのお株を奪ったような構成、激しいプレッシングと、ほとんど前節の名古屋戦の勢いを再現したような素晴らしい展開になった。残念ながら先制点から前半にかけては展開が落ち着いてしまったこともあるけれども、清水側のミスが目立ち始め、広島に攻め込まれる場面が多くなった。
またゲーム全般に言えることだろうけれども、レフリー木村のゲームコントロールの拙さも清水のテンポを悪くさせた要因と言えないか。ファウル云々については見解の相違もあるんだろうけれども、あれほど一方的にカードを連発させてしまってはピッチ内のみならず、スタンドの雰囲気も極悪になる。スタンドから怒声が飛び交った時、以前彼がアウスタでレフリングしたときの悪印象が蘇った。勿論清水の若いプレーヤーたちのゲームプラン、コントロールの拙さもあるだろうけれども、あれほど「チャンスを貰った」わりに決めきれない広島相手に、この内容ならば悪くはない(それにしても寿人はともかく、高萩は本当に良くも悪くも嫌らしいプレーヤーだった…)。
オフはいろいろとあったけれども広島のスタメンは昨季とまったく遜色なく、コーチングスタッフを見ても継続は明らかではある(スタメン以外はかなり見劣る気がするが)。正直、この内容で、あの選手層で「このままでいい」という広島がこの先どの程度伸びしろがあるのかと疑問なのだが、しかし清水の場合、このメンバーで、この選手層ならば、アフシンのみならず「未来は明るい」とまた強く思った。
もっと楽に勝てただろうというのはそういうことでもある。

アフシン「ゴールを決めた後のことに関しては、改善していかなければいけません。選手たちは、そこで結果を出さなければいけないとナーバスになったのかもしれませんが、少し後ろに下がってしまい、広島にスペースを与えて、プレーをさせてしまいました。我々の全選手のJ1での出場時間を足しても、他のチームと比べると少なく、経験というのはまだ足りない点だと思います。結果をしっかりと出していくためには、もっと賢くやれるようにしていくこと、早く成長していくことが重要です」
J's GOAL 3月17日付

ただし終了直前に失点してしまったセットプレイ前の選手交代にはちょっと違和感があったのは事実だし、広島が一度蹴ったCKを取り消してまで交代させる必要はなかったと思うんだが…得失点もプラスにしたかったし。

昨年勝てなかった広島にまずは半分借りを返せた。次は同じく柏に借りを返す。
この2戦で1分1敗と、まだ今季勝てていない柏のホームゲームってのが、実に嫌な感じはするんだが、まあ今の新戦力の勢いと調子の良さを考えれば好ゲームが期待できるだろうと思う。
ゴール裏のチケットは用意した。連勝のために全力でコールする。
「アウエイ」も楽しいんだよ。問答無用にゴール裏とピッチがひとつになれるから。

終了後、静岡に戻ってこれまた久しぶりの駅南酒場で呑む。



懐に余裕がまったくないので小一時間程度だったけれども、美味かったですよマグロのしそ揚げ。オススメはされた新メニューの餃子もパンチが効いていて美味かったけど(180円でこれは安い)。
次はボトル入れなきゃなあ…その前に生活再建とアウスタのナイトゲーム問題を片付けなきゃならんけどw

この「祭り」は時間が解決してくれるものなのか/東京新聞「3.11後 デモ考」

2012-03-18 17:40:18 | News
<「祭り」の高揚が続くのは数ヶ月。六〇年安保は一ヶ月、六八年の「パリ五月革命」は二ヶ月でした。もうその段階は過ぎている。福島の事態と再稼動の問題が続く限り、そして一億総中流の社会が戻らない限り、デモの潜在力は続くでしょう。>(小熊英二/東京新聞「3.11後 デモ考(上)」3月18日付)

<3.11の日本全国の「反原発デモ」は、各種情報を合計すると、約7万人をはるかに超えるようだ。福島1万6千人、東京1万4千人、大阪では2ヵ所で約1万8千人、広島は2千人、敦賀1200人、ほかに全国各地で30箇所ほどのデモがあったという。総計すると相当の数。確実に草の根へ…。>(鈴木耕‏ @kou_1970

デモに限らず、音楽や演劇のようなエンタテイメントでも、何事においても「ブーム」というものは、後から考えるほど「長期間」であるケースは少ない。ブームを支えるのはインパクトでしかないのだから、その記憶が薄れていってしまえば、どうしたってブームは時間が経つごとに収束、自然消滅していくことになる。
しかし、この「祭り」は時間が解決してくれるものなのだろうか。
残念ながら、反/脱原発の動きはかつての運動にあったような乾坤一擲のゴール設定はもはやできないだろうし(ゴールではなく通過点ならはあり得るけれども)、それに向けた開放感や達成感は感じられないだろう。そこにはもはや「挫折」や「転向」などという逃げ道や自己憐憫は存在し得ない。
事故を起こした原発は今後数十年に渡って人々の話題に上がるだろうし、フクシマが以前の形で戻ることは、おそらくもうない。そして維持・推進側がどう言い繕い、言い張ったところで、原発というシステムの欺瞞性が隠しようがないものであることは明らかになった。一年近く、この動きが継続しているという事実は、もはやそういうことである。

「終わりの始まり」のようなネガティブなことは書きたくないんだが、「変化の始まり」であることは、どうしたって間違いがない。すでに数年前から始まっていたとはいえ、団塊の世代の本格的なリタイアによる超高齢化社会の始まりは避けようがないことで、団塊の世代という巨大な「数」が良くも悪くも社会を変えていくのは、これはこれで日本の社会の宿命である。
そこに原発事故と少子化問題と年金問題を重ねてみれば、それらが重くシンクロし合い、影響し合っていることは一目瞭然である。原発事故を「これまでのように」ごまかし、先送りすれば、ゼニカネの問題だけではなく国家のヴィジョンとして、少子化問題に対する政府の子育て支援のお題目に矛盾が生じるし、当然少子化問題は年金問題にダイレクトに影響する。
これで「変化」が起こらないと思う方がどうにかしている。
泣いても喚いても、20世紀後半の日本のような「安定のヴィジョン」は見出せない。

それならばいくら生活に汲々としたって、ただ状況に巻き込まれるよりも、状況を作る意識を持つ方がいかにポジティブになれるか、というものである。

小規模デモ同時多発の継続性を保ちつつ、この細々とした、それでいて拡散した「草の根」が変化の真っ只中での小さな(そして大きな)胎動と思えば、その「小規模」をことさら嘆く必要はない。
路上でのデモンストレーションとコア層の形成、そして先週の3.11国会議事堂包囲のような来るべき「大規模行動」へのプレゼンテーション、いま毎週のように全国で行われているデモには、そういう拡がりへの架け橋、糊しろとしての目的を持つことができれば役割は充分果たしていると言えるんじゃないか。
デモのコア層はよりダイレクトに、すでに直接抗議へ行動のフェーズを移している。

東京新聞の「3.11後 デモ考」の連載はまだ続くようなので注目したい。

iPadを持ち上げてやろうと思って…

2012-03-16 21:15:07 | News
今日の東京新聞の芸能ワイド欄に、「中高年にとってはケータイの無駄な機能強化版みたいなスマホと違って、iPadは素晴らしい、PCよりも素晴らしいかも」みたいなことを書いてる人がいる。どう考えてもスマホはケータイというよりもPCに近いもので、ということはiPadは同じようなもんだと思うのだが…この人は新iPadのリリース日に併せてiPadを持ち上げてやろうと思っているのだろうか、実に頓珍漢な内容になっている。

そういえば3.11直前の同じ芸能ワイド欄で「(震災時に)ワンセグ使えないスマホはいかがなものか」みたいなことを書いている記者がいた。こちらも、どう考えてもスマホを使っている人は悠長にワンセグ(テレビ)を見るよりも、スピーディーでダイレクトに伝わる情報を追っていると思うのだが、何で今時こんな頓珍漢なことを書いているのか。

原発報道に関しては新聞メディアでは追随を許さない東京新聞だが、文化部は何をやっているのか。

まあ芸能(テレビ)欄だからテレビを持ち上げているのかもしれないが。

あと「10mぐらいのシュートの精度」

2012-03-14 20:39:54 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
フランサ「(ストロングポイントは)10mぐらいの、ホント、ゴール前でのシュートの精度ですね」
Sの極み 3月14日付)

本当か、それは本当なのか。

新加入、ジミー・フランサ(Jymmy Franca)。27歳、ブラジル人。
スロバキア、ウクライナという海外キャリアは実に判断が難しいところではあるのだけれども、187cm、87kgのサイズは申し分ない。
あとは「10mぐらいのシュートの精度」が本当に発揮されるのならば。
なぜなら名古屋戦を観る限り、ゴトビエスパルスは去年と較べても「10mぐらい」までのゲームは完全にコントロールできていたのだから、それに「10mぐらい」のシュートの精度が加われば、本当に大きなプラスアルファになると思うのだ。

逃げ出してしまったフレディは別格として、オージーのアレックス、オランダ人のカルフィンにまったく不満はない。ゴール前、「10メートル」を除けばむしろ充分に“当たり”ガイジンである(個人的にアレックスは去年のMVP)。
ジミーも“当たり”であって欲しい。

土曜日は、スタメンはともかく、スタベンにはなりそうなので開幕戦は行きたい。

結果より内容か、内容より結果か/第1節 名古屋戦

2012-03-12 09:12:57 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
白崎「チームとしても前半からかなり良いプレーをしていたし、ただチャンスを決めきれなかったという問題だと思うので、やっていることは間違っていないと思いますし、自分もそこに力になれるように、1週間あるのでしっかり調整していきたいと思います」

河井「今日もみんな負けたという感じじゃなくて、しっかり戦えていたと思うし、このサッカーを続けていけば絶対に結果が出ると信じて、監督についていくだけなので。僕もしっかりそれに続いて、来週またしっかりアピールして、試合に出られるように良い準備をしたいです」
(以上、J's GOAL 3月10日付


ある意味完敗ならともかく、「内容はいいが…」という感想だけは書きたくなかったのだが結果的には思いっきりそんな「内容」になってしまった開幕名古屋戦
河井を中心にして縦へのスピード感に溢れていた前半と、枝村と交替で小野が入って遅攻が目立った後半ではゲーム構成は相当変わっていたのだが、概ねゲームを支配していたのは清水だった。勿論全体的にキレのない動きを見せていた名古屋がPKという実にラッキーな先制点を得たことで後ろに重心を移したことで「清水は攻めさせられた」という評価もできるわけだが、名古屋のプレーヤーのコメントを読む限り、それほど名古屋がゲームをコントロールし切れていなかったのは事実だろう(しかし闘莉王の相手へのリスペクトのなさは一体何なんだろう)。
ということで、内容は実にポジティブになれるものだったといえる。何しろ前半、ゲームの中心になっていた河井は今年のニューフェイスである。昨年は思ったような活躍ができなかった二年目のアンカー村松のボール奪取も素晴らしかった。取っても取られなくても不思議ではなかった問題のPKを取られてしまったものの、それ以外は安定したプレーを見せた吉田も、アクティブなプレーを連発したGK林も今年移籍加入したばかりのプレーヤーである。開幕直線に負傷や体調不良が続出してしまったチーム事情があったとはいえ、これだけ新加入で構成されたチームながら戦いぶりはかなり安定していた。
結果を出して欲しいと願っていただけに黒星スタートは残念で仕方がないのだけれども、やはりあの内容ならば今シーズンは期待せずにはいられない。
結果を求めつつ、どうしたって内容も捨て切れないというのは静岡人気質か。

と思っていたら、昨日はサテ組が大学生相手にちょっとあり得ないような大惨敗。何だかなァ…。

ちなみに一方の名古屋は戦術ダニルソン(もしくは戦術闘莉王)とでもいえるようなもので、ほとんど見るべきものはなかったのではないか。それでも結果を出すのがチャンピオンチームとは言えるのだが、あれでは結果が出なければ何も残らない。このゲームでも負傷者が出てしまったようだし、あのままでは、この先苦しくなる可能性は高いと思うのだが…。

ホーム開幕戦は今週土曜日、広島戦。
何とかして静岡に行きたい…。

アフシン「まずサッカーの話を始める前に、エスパルス、そしてエスパルスファミリーを代表して1年前に起こった震災についての話をしたいと思います。ここ1年間で日本人の強さ、そして良い国を再構築つまり復興してきたことを見てきました。日本に住む外国人として、日本のことを誇りに思っています」
J's GOAL 3月10日付

昨日は事実/3.11東京大行進、議事堂・官邸前抗議

2012-03-12 05:27:42 | News


昨日は3.11東京大行進に参加。
日曜日ということもあるのだろうけれども、昼頃に目が覚めると外はずいぶん静かなような気がした。

結局14時46分は東電本店前にたどり着く前に訪れてしまった。
だからと言って町は止まっているわけじゃない。普通に人々は電車に乗り、普通に歩き、新橋駅前では復興フェアなるイベントが開催されていた。その瞬間、黙祷を呼びかけていたのは街宣右翼のおじさんだけだったけれども、その呼びかけに応えた人はいたのだろうか。何もしなければ、何も気にかけずにいれば、そしてうっかり忘れてしまえば、14時46分はただの日曜日の昼下がりというだけで、時間はただ流れていってしまう。
東電前ではプチデモの@harusumikureさん(だよね?)がトラメガで抗議を続けていた。結局日比谷公園には行かずそのままデモ隊を待ち、先頭集団に合流。先頭はコールを主体にしたグループだったのだけれども、リズムをキープするドラムがいなかったせいか、ずいぶん性急なテンポでコールが続く。

ゴールの日比谷公園に着くと、そのままヒューマンチェーンに参加するために国会議事堂へ移動。
時折、雨粒が落ちてくる中、1万人を超える参加者が手をつなぎ、花とキャンドルを持ちながら国会議事堂を包囲した。
途中「充分人は足りている」というスタッフのアナウンスの一方で「本当は人が足りない」「デマが流れている」と叫ぶ人もいたのだが、あれは一体何だったのだろうか(おまえこそデマの張本人だろ、と思うのだが)。
そんな中、参加者に声をかけて回っていたたんぽぽ舎の原田さん@harada_hirofumiの存在は本当に安心感があったと思った(勿論すべてのスタッフの方々にも感謝)。

さらにヒューマンチェーンのあとは首相官邸前に移動。
早めに移動したので、官邸前の通行規制の近辺にいたのだが、ここが実に(相変らず)居心地が悪かった。儀式色の強い申し入れ、警備の機動隊に対して上等とばかりにモメる団体系参加者、あまりに理不尽な規制に憤る気持ちは分かるし、形式でしか通らない申し入れなのだから形式的であることも大事なのは分かるが、あの、いつもながらのダイレクト感のなさは如何ともしがたい。もうね、これなら本当に歩道でコールしていた方が余程マシなのである。
ダイレクトに「声を届ける」というのはそういうことでしかないんじゃないのか。

首相官邸前の抗議を終えて、経産省前のテントひろばに通りかかると、朴保さんがライブ中。ヒューマンチェーン帰りの人たちもそれなりに集まっていい感じになっているところで、関西弁のオヤジが突然怒り出した。「(歌の内容が)脱原発に関係ないやろ!」というのが彼の言い分なのだが、テントひろばの矛盾がこういう場面でも露呈してしまう。そもそも矛盾を抱えたままに継続しているテントひろばなのだから、こういう「まっとうな声」に対して粘り強く説明していくほかないのだがね。
ライブ中のシンガーに対して「歌」の内容について直接抗議するという「野暮」は別として。


Twitterのアケミbotから時々<昨日は事実、今日は存在、明日は希望>という「都市生活者の夜」の歌詞が流れてくるんだが、昨日は本当にそれを実感した。
オレ(たち)が2011年に継続してきたデモや抗議というのは、「事実」を積み上げるためにやっている行動なのであって、その事実を「ニュース」という。
しかし世間にはニュースにならないニュースが溢れていて、多くの事実は特定の連中の意図や計算に埋もれていく。それでも3.11国会議事堂包囲のヒューマンチェーン、首相官邸への“抗議”はニュースになった。
昨日は「事実」になったのだと思う。

ということで、一年後の3.11はさまざまな場面を見た。

9日の抗議と11日のデモで約一年間使ってボロボロになってしまった古いプラカードは捨てた。
今日からは新しいプラカードを用意する。「一周年」というのはそういう意味でもある。
萎えないために。

(追記)
<問題は、そのメッセージ性に、過剰反応する人々の「苦情」だが>
「脱原発の日のブログ」に、この夜のライブの“トラブル”について触れられていた。
しかし、いくら何でも「日本の風土によくある現代音楽知らず」とは…この言い草はないと思う。確かにあのオジさんも相当行儀が悪かったとはいえ、こんな説得で果たして本当に納得したのか。
あまりにもあっさりした「切り捨て方」に、ちと呆れるほかない。

開幕

2012-03-10 09:22:03 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


と、朝っぱらから怒りモードはこれぐらいにして、今日はいよいよJ1開幕。
スカパーの車内吊りのポスターがあったので撮ってみたら大事なところ(エスパルス)が吊り革で隠れてしまった…。

今日は仕事しながらスカパーで開幕します。

名古屋グランパスVS清水エスパルス
解説:三浦淳寛 
実況:八塚浩
会場:豊田スタジアム
14:50KO
BS245/Ch.605/Ch.308

この国のエリート

2012-03-10 07:37:22 | News
この日、たまたま観た朝のワイドショーに、母と弟を福島に残し東京で働く牧場経営者が登場していた。「風評被害」をテーマに、彼は「東電を責めるのではなく…」と前置きをして自らの仕事への情熱を語っていた。
彼の情熱と信念は別として(事実彼は国際ジェラートコンテストに入賞するという実績を持つ人物である)、一体何を言っているのかさっぱりわからなかった。感動的なレポートを演出しながら、怒りしか沸いてこないというのはどういうことだろう。ディレクターはこんな中途半端な内容で視聴者が感動するとでも思っているのか。
風評の実体と責任の所在を曖昧にしたままの、このレポートで唯一理解できるのは、このレポートに登場した、立派に仕事を続ける人物は、結果的に東電と経産省にとって都合のいい福島県民であるということでしかない。

この国のメディアでは相変わらず批判と怒りはネガティブな感情でしかないらしい。
しかも単にネガがポジを浮かび上がらせるためだけの演出道具でしかないのならば、このメディアの「伝える力」には何の深化もない。無論、伝える力には「(視聴者を)育てる力」も含まれているはずだ。

去年、3月11日から何週間もBBCやCNN、NHK以外はほとんど観なかった記憶が蘇ってきた。
2012年になっても、やはりテレビは強力な広告マシンであり続ける。「テレビの外」では怒りや論争が渦巻いているってのに、いつまで彼らは都合のいい無意識と無関心を逆手にとって頬かむりをし続けるのか。
オレは明日、もう一度日本のテレビに絶望するだろう。

官僚は勿論、テレビマンやマスコミも一部のエリートで構成される。
この国のエリートは、一体何のためのエリートなのだ。

まあ勿論当然素晴らしい仕事をしている「エリート」さんたちもいるわけで、「一部は除く」と書くべきなんだろうが。

お茶を出せ/3.9経産省前抗議

2012-03-10 07:37:22 | News


オレが到着した頃は20、30人程度だったと思うのだけれども、20時を過ぎた時点で、100人を超える人たちが経産省前の抗議に参加した。もう雪になるんじゃないかというような猛烈な寒さの中で、である。
この夜も次々とスピーチのマイクを持つ人が現れた。
男性は概ね最初からキレ気味が多いのだけれども、女性の場合は始めは穏やかに、諭すように、または泣きを交えながら語るのだけれども、最終的にはブチ切れというのがこのところのパターンになっている。
それでいいのである。
オレたちは怒っているんだから。
オレたちは<学級委員>に手を挙げただけの人間に好き放題させるほどお人好しではないわけだ。

東電の西沢社長が「値上げは権利」と言い放ったように、オレたちには大臣と経産省に原発と再稼動を止めさせる権利がある。
「人として」と彼らに求め、責める人もいるわけだが、「子供を守る」のも「未来を守る」のも「原発を止める」のも「再稼動を止める」のも、言うまでもなく彼らの「仕事(の一部)」である。
そして彼らは誰にお願いされ、頼まれたわけでもなく、自分からその「仕事」を選んだのだ。
厳しい寒さの中で叫ばれるスピーチに耳を傾けるもの、当然彼らがしなければならない「仕事」なのだ。

やはり彼らは参加者に「温かいお茶」を出すべきだろう。

それは確認しておきたい。

春夏秋冬

2012-03-09 01:19:22 | Music



3.11にすべてが「終わったり」「変わったり」、ましてや「報われる」はずがないんだが、またこの日から何かは「始まる」と思いたい。個人的には、やはりひと区切りになるんではないかと思っている。あくまでも個人的には。
いや、もちろん諸々の問題は継続だし、The Battle Of Evermoreなんだけれども、継続していくための「通過点」はあった方がいいと思うのだ。
まあそのためにこの週末に終わらせるものは終わらせて、また始めるための準備にしたいと思っている。

勿論エスパルスの新しいシーズンの開幕ということもあるんだけど。

目に見えるもの見えないもの

2012-03-04 22:25:25 | News
3.11まで一週間ということで、二夜連続でNスペが原発事故と津波を取り上げた。

原発事故 100時間の記録
再放送:3月11日(日)午前1時05分~2時03分/総合(10日深夜)
映像記録 3.11~あの日を忘れない~
再放送:3月11日(日)午前0時05分~1時04分/総合(10日深夜)

震災直後、最初の取材では震災の話ばかりした(そういうテーマに変更した)。
地震と津波“だけ”ならば支援と復興を心から願えただろうが、その思いがフクシマの手前で立ち止まってしまうことをに苛立った。もちろん行動は大切なことだし、支援物資や募金には協力してきたつもりだが、状況が明らかになるにつれ、軽々しく「復興」だの「支援」だの「寄り添う」だのとは言えなくなっていった。
昨年の4月、5月…と、その度に「節目」と言わんばかりに、月命日を迎えるたびに報道を通して重大な発表が行われ、また苛立った。この国では、“目に見える時間”である「節目」はかくも都合良く使われてきた。

<3.11>まであと5日。もう一度あのときの気持ちを思い出しつつ、この一年を思い返してみる。
3.11を節目として「利用」しようとする人間は少なくないだろうと思う。「逃避」とまでは言わないものの、人は日常に還りたくなるものだし、記憶は薄れていってしまうものだし、怒りというものはいつしか萎えてしまうものだろう。
3.11が「自然災害」であり、「天災」だけであったのならば、確かにその通りなのだろうと思う。
それは確かに「節目」の意味もあるだろう。誰もが思うであろう「あの日から一年」という重い追悼の意味と同時に、復興は目に見える時間で測るしかないからである。

しかし3.11が地震と津波以外に引き起こしてしまったものは、決して目に見える時間では測れない、復興の見通しすら立たない、現在進行形の「人災」であることはほとんど間違いがない。
それは、はっきりと、きっぱりと個人的な震災の「節目」とはわけて考えられるべき筋合いのものだ。

間もなく訪れる節目を「幕引き」と考えたい人たちがいる限り、そして幕引きすることで何かを「リセット」したい人たちがいる以上、それに「NO」を突きつけるためには、やはり3.11には国会へ行くしかない。
それは決して独り善がりな、自分たちの正義を主張する行為などではなく、正義を求めるデモンストレーションなのだと思う。正義をフェアと言い換えてもいいけれども、アンフェアなものに対して人は怒るのだ。

それの何が悪いって言うんだ?