徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

「ロック」が喚起したもの/夏フェス予習編 ロックと反レイシズム

2013-07-26 05:38:46 | News
水曜日。ネイキッドロフトで<レイシストをしばき隊presents「夏フェス予習編 ロックと反レイシズム」>
「夏フェス予習編」と銘打ちながら夏フェス出演者はほとんど語られず、クリップも流されず、ひたすら70年代から80年代の英ロックシーンがいかにレイシズムと対峙していったのかが語られる。
一説にはあの会場でフジロックへ行く人はクボケンさんだけだったらしい(んなわけないだろうが…)。

その中でもっとも熱く語られたのは「なぜしばき隊にはおっさんが多いのか?」である。
オレも含めてカウンター勢には確かにおっさん(おばさん)が多い。カウンターの中核を担っているのは30代、そして特に40代だと思うのだが、その背景を音楽=ロックから探っていく。ゆえに当然、そして断固トーク前に流されるクリップは1978年4月30日、ヴィクトリアパークで開催されたRock Against Racismでのクラッシュであらねばならない。



イベント内容の詳細はこちら。
2013/7/24@nakedloft レイシストをしばき隊 presents「夏フェス予習編 ロックと反レイシズム」(togetter)

今でこそ「自分語り」と揶揄されるロッキングオンだが、70年代から80年代初頭にかけて「ロックとシリアスに向き合うこと」を伝え続けてきたのがかつてのロッキングオンだった。今時、岩谷宏さんの名前があれほど登場するイベントがあるだろうか。ロックと岩谷宏は読者をその気させていた…というのはちと大げさか(ちなみに中継終了後にはロッキングオフな情けないエピソードが語られたわけだが)。
しかし、「その気」にさせてしまうのが大事なのだ。明確な意思表示、態度表明と行動の喚起。その時、オレたちは当事者になる。

60年代から約10年ほどで急速に巨大化、複雑(多様)化してしまったロックの凶暴な雑食性は、そのままポップミュージックにおけるアンチレイシズムを象徴しているだろう(「音楽」そのものがアンチレイシズムでなければ成り立たない)。そしてそれはRock Against Racism(RAR)誕生のきっかけになったエリック・クラプトンのヘイトスピーチへの返答である「最初のヒット曲がボブ・マーリーのカバーだってのに、そりゃないぜ。認めろよ、エリック、お前の音楽の半分は黒人音楽じゃないか」という言葉に通じる。ロックンロールの爆発力、そしてロックの多様化、多国籍化はレイシズムに対する不同意の宣言でもある。
しかし当然ロックが産業として巨大化してしまうとクラプトンの舌禍のようなヘイトスピーチ事件も起こってしまう。スーパースターとオーディエンスという関係は、スターを肥え太らせ、オーディエンスを傍観者にしてしまう(人間宣言する前のボウイが素晴らしかったのは、その時代、その関係をカリカチュアさせたところにある)。
そんな中、パンクやニューウェーブを中心に、レゲエ、アフロ、そして80年代に勃発したヒップホップ勢はロックンロールを取り戻すと同時に、不同意、異議申し立ての先鋭的なカウンターになる。
ということで「そんな音楽=ロックを聴きながら少年時代を過してきた私たちはなぜカウンターになったのか」ということが4時間以上に渡って語られた。カウンターに40代が多いのは当然というものである。

しかし「そんな音楽=ロック(洋楽)を聴きながら少年時代を過してきた私たち」には、幸か不幸か、それとも幸というべきかリアルタイムで欧米や(当然)南アフリカのような苛烈な状況にはなかった。関西ならまだしも、オレの出身地である静岡には在日問題、被差別問題が語られるような土壌もなかった。

昨夜帰ってきてから2ちゃんねるのしばき隊スレを見ていたら、おそらくネトウヨの揶揄だと思うけれども、こんなレスがあった。
<ロック(ごっこ)と反レイシズム(ごっこ)、ネット配信してるの?>
痛いところを突いてきたと思った。
そして80年代のロッキングオンで、MODSの森やんに対してインタビュアーの渋谷陽一が歌詞について猛烈に突っ込み続けたエピソードを思い出した。どのアルバムだったか、何の楽曲だったのか、詳細は忘れてしまったけれども、東南アジアあたり(スモーキーマウンテンだったかなあ…)を舞台にした歌詞の世界に対して「リアリティがない」と、森やんが気の毒なくらい突っ込みまくっていた。
時代はブルーハーツだったのだ。
当時、ヒロトやマーシーもインタビューでMODSの歌詞を批判気味に引用していた。そこに語るべき「状況」がないのならば等身大の自分を語るのは当然。勿論ブルーハーツは「チェルノブイリ」もリリースした先鋭的なバンドでもあったけれども、メジャーな日本のロックバンドはロックの形を借りたフォークやポップスを量産し続けた。
海の向こうで起こるチェルノブイリも、サンシティも、ネルソン・マンデラも、ベルリンの壁も、LA暴動に対してもリアリティに欠けた<ロックごっこ>的な気分がなかったとは言えない。

しかし幸か不幸か、今度は不幸というべきだろうが、3.11以降の一連の不幸な出来事や新大久保や鶴橋でのレイシストの躍動、右翼政権の躍進はリアリティを持って目の前に現れている。
かつて「ロック」が現実=リアルに対して明確な意思表示と明快な行動を求めていたのならば、今動かなくてどうするのだ。<ロックごっこ>に止まるような、フィクショナルで呑気な状況ではないのだ、と思う。
目の前で起こっていることはノン・フィクションだ。ならば「そんな音楽=ロックを聴きながら少年時代を過してきた私たち」が状況にどう対峙していくべきなのかは明確じゃないか――。

2008年、<この国の政治には、未だにがっかりさせられっぱなしだけど、この国の文化に迷う事はもうない。イギリスは他民族社会であり、そう在り続けるためにも、俺が出来る事は何でもする>

そして2013年、<街なかで一般市民や近隣店舗に嫌がらせしたり暴言を吐いたり暴行を働いたりするネット右翼を説教します。必要なあらゆる手段を使ってレイシズムを食い止めます>、である。

これは今、日本で起こっていることである。




<リベラルが親になってしまったゲームとは、周到な責任逃れのゲームである。「私には何ができるのだろうか」という問いがしばしば発せられる。(中略)リベラルは、自分たちがリベラルであることをできるだけ多くの黒人に証明してみせるのに多くの時間を消費する。これは、自分たちは黒人の問題に直面しているという誤った確信から生じている。黒人には何の関係もない。問題は白人人種主義であり(中略)白人リベラルは、黒人の問題は黒人自身に任せて、彼らはわれわれの社会の本当の悪―白人人種主義を問題にしなければならない。>
(フランク・トーク=スティーヴ・ビコ「白い皮膚に黒い魂?」/スティーヴ・ビコ『俺は書きたいことを書く 黒人意識運動の思想』峯陽一、前田礼、神野明=訳 現代企画社)

<なんか「俺は一生ヒップホップに命を捧げるよ」っていいきっちゃった手前、無理してやっている人がいるとしたら、その音楽に対してよくないことだ。重要なのは、そこから感じた精神だと思うんだよ。その精神がなんなのかっていうことは形じゃない。ヒップホップから得たものは、自分が作った音楽で自分がここまで勇気を出せるのかっていう実効性だと思う。(中略)かっこいいことをやるには、自分がそれに見合った行動をするっていうことでしか表現できないっていうことが、ヒップホップの持っている構造のレベルの高さでもあるんだ。>
(近田春夫/後藤明夫・編『Jラップ以前~ヒップホップ・カルチャーはこうして生まれた』TOKYO FM出版)

ナリは多少不細工でも、誰だって意思表示と行動でかっこよくなれるってのが「ロック」の良さだよ。クボケンさんかっこいいもの(すみません!)。あとあの天真爛漫ってのは稀有だよなあ。

「インドは日本などの仲間に入ろうとしているのか」/中印パ カシミール領有権紛争地図

2013-07-23 04:23:53 | News Map

■①カシミール地方
<47年にイスラム教徒中心のパキスタンがインドから分離独立すると、中間のカシミールの帰属をめぐって第一次印パ戦争が勃発。(中略)インドは12年11月、08年のムンバイ同時テロの実行犯とされるパキスタン人の死刑を執行。パキスタンのイスラム武装勢力が報復を示唆するなど、核を持つ両国は緊張関係が続く。他民族・多宗教国家のインドは、カシミールの分離が他の民族の独立運動を刺激する事態を恐れている。一方、イスラム教徒の統合を目指すパキスタンは、イスラム教徒の多いカシミールを手放すわけにはいかない。>
(東京新聞2013年1月1日付 国境 交錯の現場①カシミール地方/家族引き裂く印パ対立 独立への関心薄れる若者 文/寺岡秀樹)


<インドでは女性集団暴行事件を受け、性犯罪の罰則強化を求める抗議行動が広がっており、国民の視線をそらすためパキスタンへの強硬姿勢を貫くとの見方もある。>(東京新聞2013年1月17日付 印パ緊張さらに/カシミール4度目衝突 パキスタン兵1人死亡)


■インド側が主張する中国軍のテント設営地
<AFP通信によると、インドは中国軍が先月15日、ラダック東部にある両国の実効支配線から約10㌔インド側に入った場所にテントを設営、駐留していると主張。インド軍も約100㍍離れた場所に野営し、半月以上にらみ合いが続いている。(中略)中国は昨年、南シナ海ではインド、ロシアとベトナムが共同で進める海底開発区域をめぐり、自国の開発区域に設定したと発表するなど、関係国との対立が続いている。(中略)中国はパキスタンに協力し、カシミール地方のパキスタン実効支配地域でインフラ建設を進めるほか、中国が実効支配する地域で軍施設を拡大。インドはカシミール地方で中国の軍事プレゼンス(存在)が増大することに危機感を募らせている。>
(東京新聞2013年5月3日付 中印にらみ合い続く「印が道路整備」中国が長期駐留)

<中国外務省の華春瑩副報道局長は2日の定例会見で(中略)実効支配線の越境について、中国は一貫して「正常なパトロールを行っており、実効線を越えたことはない」(華副局長)と主張。(中略)一方、沖縄県・尖閣諸島や南シナ海の領有権をめぐり日本など周辺国との対立が長引くなか、「インドは(日本などの)仲間に入ろうとしているのか」(中国メディア)と中国包囲網への発展を警戒している。>
(東京新聞2013年5月3日付 中国越境は否定)


<地元メディアによると、部隊の司令部はインド東部の西ベンガル州に設置。中国が一部地域の領有権を主張する北東部のアルナチャルプラデシュ州に隣接するアッサム州と東部ビハール州に師団を置く。部隊は中印実効支配線も沿って配置。山岳地帯での武力衝突に備え、機動性と攻撃性を重視した編成となる。総額6500億ルピー(約1兆円)を投じ、7年以内に配置を進める。インドはこの地域での軍事的劣勢を挽回するため、2年前から計画を準備していたという。(中略)インド側の主張によると、中国軍は4月中旬、カシミール地方の両国の両国の実効支配線からインド側に侵入し、駐留。3週間にわたって両軍が対峙した。その後、インドのクルシード外相が中国を訪問。中国の李克強首相がインドを訪れるなど関係修復に努め、双方が受け入れ可能な枠組み合意に向け、交渉を進めることで一致していた。>
(東京新聞2013年7月20日付 インド 中国国境に5万人部隊/7年以内に配置へ)

今年秋以降も調査継続決定/高速増殖炉もんじゅ活断層調査地図

2013-07-23 04:10:44 | News Map

■高速増殖炉もんじゅの断層
<もんじゅの500㍍西には、活断層「白木-丹生(にゅう)断層があり、原子炉直下を通るとされる「a断層」など8本の断層が連動して動く可能性が指摘されている。(中略)初日の調査を終え、島崎(邦彦・原子力規制委員会委員長代理)氏は「新たな知見を得られた」と語ったが、現在見えている範囲では、a断層ができた年代や規模がわからないとして、はぎ取る範囲を広げるよう機構に指示したという。機構側は応じる姿勢を見せた。機構はこれまでの調査で、a断層は活断層ではなく、白木-丹生断層と連動しないと説明。敷地内の断層は活断層ではないと主張している。>
(東京新聞2013年7月18日付 規制委 もんじゅ追加調査指示/活断層 機構側、応じる姿勢)


■白木-丹生断層(活断層)
<もんじゅの敷地内や周辺には、地層の年代特定に有効な新しい地層がほとんど残っていない。島崎氏は「(追加調査により)一転解決となるかもしれない」としながらも、いつごろ結論が出せるかめどを示さなかった。機構によると、表土のはぎ取りと、粘土や岩の分析に数ヶ月かかる。海底の音波探査は、現場にある定置網が取り除かれる今年秋を待つ必要があるといい長期化は避けられない。>(東京新聞2013年7月19日付 規制委 もんじゅ調査長期化へ/島崎氏 断層「すぐ結論ない」)

言葉の問題/サッカーと愛国-フットボールvsレイシズム-(3)

2013-07-15 09:17:49 | News
最後に木村さんと千田さんがイベントの終わりに言った「ヘイトではなくはっきりと差別と言った方がいいんじゃないか」というメッセージについて。
それは確かにそうで、その方が伝わりやすい場合もある。しかし「差別」という言葉が持つ昔ながらの硬直化したイメージよりも、ヘイト、ヘイトスピーチという言葉が持つ喚起力の方が大事じゃないかと思うわけです。
Jリーグの「革命」というのは、ファンをサポーターに、球団をクラブ、フランチャイズをホームタウンと言い換えたところから始まる。差別という言葉の通りやすさよりも、オレはヘイトという言葉の持つ違和感の方が、今は必要なんじゃないかと思う。在特会が自ら講習会(たぶん頓珍漢な内容だろうけれども)を開いてしまったように、ある意味で人を挑発し、人を動かす言葉ってのは必要です。

で、やっぱし個人的にはこの言葉を思い出す。

<我々がする仕事は、東京の片隅で起きていてもグローバルなコミュニケーションの中にある。>

当たり前のようでいて、今もこの言葉は頭の片隅に置いてある。

「憎悪」だけでサッカーは楽しめるのか/サッカーと愛国-フットボールvsレイシズム-(2)

2013-07-15 09:11:52 | News
『ネットと愛国』でその事実を書いた安田浩一さんも改めて指摘したように、「2002年」が嫌韓のきっかけになったレイシストは少なくないらしい。当然、2002年というのは小泉純一郎首相の日朝首脳会談と日韓ワールドカップだ。

1996年5月29日、博多の森球戯場で行なわれたキリンカップ・メキシコ戦は興味のない観衆、視聴者をも惹きつける好ゲームとなり、当時代表史上最高のゲームと評された。3日後に決定する2002年ワールドカップ開催国決定に最高の機運が訪れた。
いまだにワールドカップ出場経験のない開催候補ではあったが、ホームゲームとはいえメキシコ相手に一歩も引かないゲーム内容に、誰もが日本単独招致を疑わなかった。Jリーグ各サポーターも招致委員会の活動に協調し、来日したFIFA理事へのPRに自ら協力していたものの、Jリーグブームは沈静化し始めていたし、FIFA副会長だった鄭夢準大韓サッカー協会会長の強力な政治力に一抹の不安を感じながらも、開催国は日本だろうと固く信じていた。
しかし、結論は日韓共催。やはり鄭夢準の政治力でドローに持ち込まれたという印象が強い。
サッカーにはドローがある。劣勢がドローに持ち込めば、むしろ勝ちに近い。逆に勝利を確信しながら終了間際に同点ゴールを決められればダメージは大きい。この辺り、鄭夢準はやはり政治家で、サッカーを知っていた。
盗まれた(韓国の招致委員会設立は日本の2年後)と憤ったサッカーファンも少なくはなかったけれども、出し抜けを喰らった招致委員会はともかく、この「遺恨」についてニュースはそれほど続かなかったと思う。何しろ共催とはいえ自国開催が決まった以上、2002年の前大会である1998年のフランス大会は是が非にでも出場しなければならないとサポーターは覚悟したからだ。
だから翌1997年のアジア予選は、アジア大陸を横断する初のホーム&アウエイ方式も相まって異常な盛り上がりを見せた。アジア予選の壮行試合となった国立競技場での日韓戦では20歳の中田英寿が本格的な代表デビューを果たした。中田は後に国歌斉唱問題で右翼に糾弾されるわけだが、1997年以降、2002年へ向けて、いかに「代表」が世間の注目を集め続けていったのか、ということである。

そして2002年は日本のサッカーファン念願だった「祭り」になる。もうひとつのホスト国である韓国のゲーム(イタリア戦、スペイン戦)を、主審として華麗にアシストしたモレノというスーパースターも生まれた。



2002年までは「代表のサポーター」がいた、と思う。2002年以降は、きっと状況が変質してしまったのだろう、と思う。
しかしスタンドそのものが今変質しているのかといえばそんなことはないだろう。確かに「代表専門のサポーター」もしくは「代表にそれほど興味を持たないJリーグサポーター」が増えたのは実感としてあるが、ここでいう「過激化」しているのはサッカーや代表のゲームをダシにヘイトスピーチをする快感を覚えてしまったネット限定サポーターで、要するにネトウヨである。
鄭夢準の関与疑念を招きかねないモレノのレフリングや一部韓国サポーターの挑発的な行動は、嫌韓を是とするネトウヨを狂喜乱舞させ、彼らにサッカーの「もうひとつ」の楽しみを教えてしまった。ゲームを通じて「敵」を口汚く罵倒する楽しみ、である。勿論、サッカーの楽しみ方はそれだけではないのだが。



サポーターはネットによって育まれた。その「ゆりかご」の代表格が2ちゃんねるとサポティスタだっただろう。
2ちゃんねる前夜のサポティスタはスタジアムで配布されていた、実に情熱的なサポーター有志によるフリーペーパーだったわけだが、サイト化と同時に「ネタ」集めのポータルサイトとして浸透した。2ちゃんねるの代表的な嫌韓ネタスレといえば「しお韓(ようやくしおらしくなってきた韓国サッカー)」だろうか。数々の2ちゃん用語=ヘイトスピーチを生み出しながら、「ネタ」としての嫌韓を煽り続けた。
勿論今でも「ネタ化」をカルチャーと言い換えてもおかしくはない。それも確かにサッカーの楽しみ方である。しかしレイシズムの土壌になってしまっては、そんなカルチャーはお話にならない。

Jリーグにしても、代表にしても現状でスタンドでヘイトを繰り出す悪質なネットサポーターは少数派だろう。
磐田サポーターの少年2人がやらかした「ゴトビ核兵器」ダンマクなどは、いかにも2ちゃんねる的な無邪気なヘイトスピーチだった。そんなバカは確かにまだ少数派だ。
しかし、それに対して「スタジアムに政治は持ち込まない」というお題目を唱えているだけのリーグの対応はまったくお粗末で、ヘイトスピーチに関してやはり無自覚だったと思わざるを得ない。FIFA、UEFAがアピールしているように問題が国際的に共有されつつある今こそ、問題が小さい(小さく見える)からといってスルーするのではなく(まさにこれは「荒らしはスルー」のテンプレ化の弊害だ)、リーグも積極的にメッセージしていくべきだろうと思うのである。


(木村 元彦、園子温、安田浩一『ナショナリズムの誘惑』ころから)


(安田 浩一、朴順梨『韓国のホンネ』竹書房新書)


(ガブリエル クーン、甘糟智子・訳『アナキストサッカーマニュアル スタジアムに歓声を、革命にサッカーを』現代企画室)

挑発と憎悪/サッカーと愛国-フットボールvsレイシズム-(1)

2013-07-15 09:03:34 | News


木曜日。ネイキッドロフトでマリノスの清さん主催の「新大久保アゲインスト・レイシズム サッカーと愛国―フットボールvsレイシズム―」。在特会の悪行を追い続けるジャーナリストの安田浩一さん、松沢呉一さんに加え、ピクシーとフットボールと旧ユーゴスラビアとその周辺で起こった<ヘイトの現場>を描いた名著『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』の著者・木村元彦さん、元日本代表監督イビチャ・オシムの通訳を務め、旧ユーゴスラビアにも長く滞在されていたジャーナリストの千田善さん、レッズサポーターのフリーライター小田嶋隆さん、そして途中客席からはサッカージャーナリスト、写真家の宇都宮徹壱さん、『アナキストサッカーマニュアル』翻訳者の甘糟智子さんが登場するという豪華なメンバーとなった。


(木村元彦『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』東京新聞出版社/集英社文庫)


(木村元彦『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』集英社/集英社文庫)


(木村元彦『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』集英社インターナショナル)


本編は期間限定で公開されている模様なので今のうちに視聴してみてください。
新大久保 アゲインスト レイシズム サッカーと愛国 -フットボール vs レイシズム-(前編/ust)
新大久保 アゲインスト レイシズム サッカーと愛国 -フットボール vs レイシズム-(後編/ust)
そして司会の清義明さんのブログ。当日話した内容に加えて、おそらく話せなかった(話したかった)と思われる内容ががっつり書かれていますので必読。
くさいものにはフタをしろ!-初心者でもわかる在特会一派とカウンター活動-(清義明のブログ Football is the weapon of the future REDUX)

まずは前提。
サッカーの思想はボーダレスで、日本の片田舎で行なわれているゲームであっても常に「世界」とつながっている。それは背景にカルチャーの違いがあったとしてもボールひとつで「語り合える」共通言語を持っているからで、そこにサッカーの否定でしかないヘイトが入り込む余地はない。
Jリーグのほとんどのクラブには外国人プレーヤーが加入していて、またラグビーほどではないにしても、「日本人」だけで構成されているはずの日本代表には帰化選手が毎回のように参加している。サッカーという共通言語の前で日本人であること、日本である意味はそれほど重くはない。「違いがあること」それがサッカーの「豊かさ」を担保している(音楽だって、映画だって、文学だって同じ事だ)。

スタジアムでモンキーチャントのようなヘイトスピーチ(差別表現)が横行する欧州のシーンや、文字通り血を血で洗うようなヘイトの戦場だった旧ユーゴスラビアと日本の現状は勿論比べ物にはならない。しかし欧州にしてもヘイトスピーチに対する規制はまだ歴史が浅いという。だからこそ近年UEFA、FIFAでは差別反対に関して積極的なPRが行なわれている。
オレたちはゲーム前にテレビに映し出される、その<FIFA Say NO to Racism>という横断幕をどこか絵空事のように見ていないか。

翻ってみれば、直接「差別」という言葉ではなくとも、これまでも我が日本平スタジアム(IAI日本平スタジアム)には「人権」に関するバナーが掲示されていたし、配布物の中にそれに関するチラシもあった。
オレたちはそれを軽くスルーしている。2ちゃんねるあたりではそれを嘲笑するような書き込みも多く見た。
『空気の研究』ではないが<空気と安全はタダ>というのが日本の通り相場だったはずだが、いまやこれに「人権」を加えてもおかしくない。国会議員によって「生活保護」の思想が否定され、毎週のように排外デモが行なわれるこの日本で、生きる権利、平等に生きる権利は、それほど、残念ながら軽く、安っぽい(軽く見られて、安っぽく扱われている、と言うべきか)。

日本のスタジアムではヘイトスピーチ(差別表現)がほとんど見られない。しかし文字通りのヘイト(憎悪)=挑発はサポーターの習い性で、スタジアムでは揉め事がいくらでも起こる。2008年にサポーター同士が直接衝突したレッズ対ガンバ戦や、今年4月に4時間近くサポーターがスタジアムに軟禁されたレッズ対エスパルス戦のように挑発(または誤解)がエスカレートするケースも知っている。おとなしくて、従順な日本のサポーターの間でもヘイゼルヒルズボロのような悲劇は起らないとも限らない。

一方で、そんな挑発を「ネタ」として、観戦のスパイスにしている事実も否めない。
小田嶋さんが言うように、サポーターはゲーム中だけはヘイトスピーカーなのかもしれない。
その意味でサポーターは挑発(ネタ)のエスカレートに対して自覚的で、スタジアムは高度に空気を読まなければならない空間でもある。「ある程度」の挑発は織り込み済、挑発をネタとして楽しみ、もはやゴール裏同士で挑発し合うことが名物になっているゲームは存在する。いくら2ちゃんねるに醜悪なヘイトスピーチが溢れていようとも、日常的に、スタジアムという現場でサッカー的な思考に触れているJリーグのサポーターは、良くも悪くも空気を読む。つまりある意味でマニア化、蛸壺化しているわけだが、それ故にエスカレートに関して「安全装置」も働くわけだ。
過激なコアサポーターはどのクラブにも一定数いる。Jリーグで最も動員力がありレッズが最も「過激」で「暴力的」であるのは、抱えているサポーターのパイが他クラブよりも巨大で、一般的であるということだろう。一般的になればなるほど、ヘイトの問題は顕在化していく。

ということで、目下の問題は「代表」ということになる。
いや、スタジアムという「現場」に行かない、ネットサポーターというべきか。

ぎりぎりまで執拗に/排外デモカウンター行動(7.6)

2013-07-07 21:49:56 | News


土曜日。渋谷で日韓国交断絶行動in帝都のカウンター行動。7月7日の新大久保デモが事実上の中止になったとはいえ、彼らのデモは終わったわけではない。
集会開始前にはすでに集合場所周辺には機動隊が展開し、公園につながる陸橋の入口も完全に塞がれ近づくことさえできない。デモ出発前にはKポペンにロックオンされた新風の鈴木信行候補が演説するということで、カウンター勢は交差点近くのスターバックス周辺に集まる。オレも距離を見計らいながら待機する。参院選の選挙期間に突入し、警備も厳重になったこともあり、今回はカウンター参加者も少なく(とりあえず7日の新大久保が中止になったことも大きかったのだろうが)、初っ端からほとんどマンマークで規制され続けることになる。
デモは真夏日に近い悪コンディションもあり先週目立った多かった高齢者は減り100~150人程度、カウンターはほとんど個別に展開していたようなので自分が見た限りでは30~50人程度か。



レイシストが宮下公園を出発し交差点に姿を現すと、まずスターバックス前に待機していたカウンターの行動が規制される。距離を置いて併走し始めたオレにもすぐに警官が近づきマンマークで張り付く。こちらの抗議には激しく規制がかかるのだが、「許可を得たデモ」の挑発はほとんど野放し状態だ。彼らのヘイトに満ちたプラカードや罵声は相変わらず、さらに警備に囲まれ、行く手を阻まれたカウンターにカメラのレンズを向け、挑発と罵声を繰り返す。彼らに与えられた「許可」とは歩行者を挑発しても構わないという許可なのか。公園通りでは抗議のサインすら引きずり下され、遮られ、抑え込まれた。
ひたすら抗議――挑発は許されない。
仕方がないとはいえ、連中に近づくどころかまともに歩道を歩くことさえ規制する警備には抗議せざるを得ない。
とはいえ新大久保とは違い、渋谷には彼らのヘイトの向かう先はない。「どっちもどっち」の街で彼らは白い目で見られる冷笑の対象でしかない。むしろカウンターの存在だけがそのヘイトの対象になるわけだ。そして、松沢さんが解説した「カウンターの行動原理」にもあったように、法的規制がない限りはどこまで行っても「どっちもどっち」でしかない警察を動かす(動かざるを得ない状況に持ち込む)のもまたカウンターである。
だから執拗に、ぎりぎりまで、である。

デモ終了後、山本太郎と三宅洋平の街宣でヒートアップするハチ公前へ行くと、「集団下校」したはずのレイシストたちが集結し、新風・鈴木氏の演説が始まった。ハチ公前の片隅で再び日の丸と旭日旗が翻る。
街宣によってレイシストの「集団下校」が反故にされたせいで、喫煙所ではハチ公周辺に展開していたカウンターによって荒巻丈らのレイシストが排除され、この日もひとりのレイシストがカウンターへの暴行未遂で警察に拘束された。
駅構内まで追われたレイシストの女は「…気持ち悪い」と呟いていた。
カウンターはそれほど執拗である。

Rody's bullets/2013年7月6日 渋谷排外デモ


東シナ海ガス田開発地図

2013-07-05 23:57:59 | News Map

■東シナ海のガス田開発
<東シナ海の日中中間線付近で中国が新たなガス田採掘関連とみられる施設の建設に着工し、日本政府が中国政府に抗議したことに対し、中国外務省の華春宝副報道局長は3日の定例会見で「抗議は受け入れられない。管轄する海域での活動だからだ」と答えた。(中略)「中間線は日本側が一方的に公言しているだけで中国は認めていない」と反論した。>
(東京新聞2013年7月4日付 ガス田施設着工 日本政府の抗議中国受け入れず)

「超能力」とか「太古の微生物」とか/除染特別地域・除染実施区域地図

2013-07-04 23:47:10 | News Map

■除染特別地域と除染実施区域
<福島県を中心に東北地方や関東地方の八県で実施されている除染をめぐり、全国各地の業者から非科学的な怪しい技術の売り込みが横行している。(中略)「放射能を消す超能力があるので、試させてほしい」。東京電力福島第一原発事故後、約40件の売り込みがあった福島県浪江町。北海道から沖縄まで全国各地の業者や自称発明家の営業が続いているという。大半は「奇跡の砂」「未知の菌」など科学的な根拠の乏しい“新技術”だ。福島県大熊町では2011年10月、業者の依頼で実験した際の映像を勝手にインターネット上に流された。除染効果がなかったのに、あたかも町が効果を公認したかのような宣伝ぶり。町の担当者は「詐欺の片棒を担がされてしまう」と危機感を覚えた。今年4月にも「太古の微生物が生体核融合を起こし放射能が消える」という触れ込みの粉末が持ち込まれた。(中略)案の定、効果は確認できなかった。(中略)除染技術の効果については未知な部分が多く、環境省が実証事業で慎重に確認してきた。専門家による審査に合格すれば、最大2100万円まで補助金を受けられる。だが審査は厳格で半年以上もかかり、これまで約900件の応募があったが合格は62件のみ。>
(東京新聞2013年6月22日付 詐欺まがい除染が横行 「奇跡の砂、太古の微生物で消す」/環境省 信頼性審査、サイト公開へ)

境界線の在り処/排外デモカウンター行動(6.30)

2013-07-02 11:09:02 | News


30日はナノゼリーこと瀬戸弘幸氏が主催する「在日外国人犯罪者追放デモ in 新大久保デモ」へのカウンター行動で新宿へ向かう。
この一週間は大きな動きがあった。レイシスト、カウンター双方から複数の逮捕者を出した16日の新大久保・排外デモを受けて100人以上の弁護士がヘイトデモを告発、山岸憲司・日弁連会長も声明を発表した。

人種的憎悪を煽り立てる言動に反対する会長声明(日本弁護士連合会)

これに対して、今回ヘイトデモを強行するレイシスト側もさまざまな「対策」を打ってきた。
中でも大きかったのはスタートは大久保公園、ゴールは柏木公園という設定自体は変わらないのだが、これまでのように職安通りから明治通りを左折して大久保通りに浸入するという、彼らが思い存分ヘイトを撒き散らすコースは取られず、右折して靖国通りを直進するコースが設定された(当初デモは新宿区役所に抗議するデモのはずだったが、区役所通りはおろか、靖国通りから区役所に顔を向けたレイシストすらもいなかったのではないか。相変わらず趣旨がいい加減過ぎるのだ)。
「in 新大久保デモ」と銘打ちながら、今回彼らは「新大久保」を歩けないというわけだ。
公安委員会から名目上の許可を得て、デモの名を借りた新大久保の「お散歩(=ストレス解消の嫌がらせ、ヘイトクライム)」はひとまずこれで完全に阻止された。これはレイシストをしばき隊、プラカード隊、ダンマク(横断幕、ゲートフラッグ)隊を始めとした無数のカウンター諸氏の行動力、新大久保駅前でのヘイトデモ反対署名やネットを通して新宿区に公園の使用不許可を求める署名活動を地道に続けてきた皆さんの成果といえるものだろう。
逆に彼らのデモが本来の「デモンストレーション」の意味を果たしたいのならば、そして不特定多数の日本人に訴えたい主張があるのならば、大久保通りよりも新宿のメインストリートのひとつである靖国通りでデモができることを喜ぶべきだろう。そこで、どれほど「普通の人たち」の好奇の目に晒されても、である。
しかし、まだ彼らはヘイトデモ自体を止めたわけではない。

正午過ぎに一旦大久保公園に行ってみると、すでに公園に通じる道路各所に鉄柵が設置され始め、13時頃から徐々に周辺のカウンターが警備によって排除され始める。
ヘイトデモ参加者のレイシストたちはスタート地点である大久保公園に三々五々集まるのではなく、新宿駅東口交番前に一旦集合してから全員で大久保公園まで「集団登校」するという。警備の動きを見ながら、オレは歌舞伎町一番街から西武新宿駅周辺で待機する。



前日29日には「丁寧な言葉使いでヘイトを撒き散らす」という、実に頭の悪い試験的なデモが少人数の参加者で、新大久保で強行されていた。
ヘイトスピーチの問題は「丁寧な言葉使い」などとはまったく関係ないのだが、いまだにカウンター批判の根拠を「許可を得ているデモに対して無許可のデモ(カウンター)は法律違反」という、まったく頓珍漢な批判を繰り返すネトウヨらしい発想である。あくまでも個人参加のカウンター行動は所謂許可が必要な「デモ」ではないし、車道を使用しているならともかく、歩道で行動している以上は、まったく問題もない(現時点では)。
このデモではレイシストの集合場所の情報が錯綜した。デモ出発前に何とか集合場所に追いついたものの、主催者を取り囲んでのしばき開始と共に、今度はカウンターが、あっという間に集まってきた30、40人ほどの警備に取り込まれ、デモ終了まで公園内に「軟禁」、大久保通りにデモを通過させるという事態になった(その場を逃れていたカウンターは追走した模様)ため、この日の行動はとにかく先回りが意識された。

15時前後、彼らは事前に、ナノゼリーこと瀬戸氏のブログでアナウンスされていた「50人」ごとではなく、全員まとまって集団登校してきた。
16日に逮捕された人間を含む、関東で顔と名前を売っている連中が名古屋に向かっていたためか、また動員されたためか、今回は予想以上に高齢者が多い(わずか2週間前に、主催デモで逮捕者を出すという醜態を晒した桜田がいたのには驚いた)。
まずは「お出迎え」の怒声と罵声を喰らわせつつ、路地を先回りし「登校中」のレイシストを追う。また公安と機動隊も道路の入口ごとに展開し、カウンターの行動を規制し続ける。
大久保公園の入口となる道路では、しばき隊を中心にしたカウンターが大挙して押し寄せ道路を封鎖していた。今回のカウンターでは近隣の大久保病院を考慮して公園周辺でのトラメガの使用を自粛するよう、しばき隊公式からアナウンスされていたため、生声での「帰れ」の怒声が地鳴りのように巻き起こる。
レイシストたちが公園に入るとオレは職安通りに向かい、レイシストの通過に待機する。

一方でデモのスタートを待つ大久保公園では、カウンター行動がこの日のひとつのピークを迎える。
「カウンターはあくまでも個人参加」と書いてはいるが、この日のカウンター行動には「集団」としての大きなテーマがある。
「奴らを通すな No Pasarán!」である。
今回は大久保公園に集合したレイシストたちを封じ込め、デモに出発させないこと、中止にさせることを目的としている。これは野間さんと「レイシストをしばき隊」の名で広く呼びかけられたもので、カウンター行動が次の段階に移っていることを示している。
切迫した問題であった「お散歩を称した新大久保周辺の商店、買い物客への嫌がらせ行為を止めさせる」、そして「レイシストのデモ隊に大久保通りを歩かせない」はひとまず成功させた。これらはレイシストをしばき隊設立の大きな動機になっているテーマだろう。
そして次は「デモをそのものを止めさせる」というわけだ。

お部屋2517/しばき隊の「暴力性」 1―-行政警察活動の根拠を作る(松沢呉一の黒子の部屋)

緊迫した状況になった大久保公園の「No Pasarán!」の動き、警備に厳しく規制された中、公園周辺に入り込んだ40人のカウンターと有田芳生議員、弁護士団の行動に関してはノイホイさんのツイートのまとめに詳しい。
動き出したデモ隊先頭の街宣車の前に座り込んだ人もいたという。

noiehoie氏の6/30大久保カウンターへの振り返り(togetter.com)
【新宿デモ】新大久保に立ち入れなかったヘイトデモ隊と、レイシズムにノーを突きつけるために集まった人々(6・30)(togetter.com)
2013/06/30 カウンター・アクション(Timeless Confused/TAKAYUKI MISHIMA)

予定時間をだいぶ過ぎてから、待ち構えていたカウンターの盛大な抗議と怒声と罵声と数多くのプラカードに出迎えられながらレイシストたちが職安通りに姿を現した。
「No Pasarán!」を全力で支持、支援しながらも、やはりどうしたって当日にデモを止めるのは難しいだろうと思っていた。これはレイスシト云々ではなく警備警察の面子にかけても強行させるだろうと思う。主張や正義とは関係なく、このミッションが警察、機動隊が人員を配備し、展開した「消化すべき仕事」である以上、そして当日規制し切れると判断した以上、やるものはやっちゃうのである。これをお役所仕事という。

しかし現場でレイシストとカウンターの間に立っている彼らは「どっちもどっち」の境界線である。彼らがいるおかげで結果的に実力行使には至らないし、彼らのおかげでレイシストとオレたちの間にも厳然たる一線が引かれている。いくら言動が「どっちもどっち」であろうとも、機動隊員や公安の方々を挟んだ「向こう」と「こっち」には別の世界が拡がっている。
オレはその境界線を踏み越える気はない。しかしデモを止めるためには「No Pasarán!」の行動と共に、個々のレイシストたちに対して「非暴力超圧力」(これは某グループ参加者の名言)を貫く必要がある。そのためには目の前にある境界線の「ギリギリ」を探りながらカウンターを続けなければならない(ギリギリの攻防を計りつつ…とにかく逮捕は負けです)。
いや、本当、警備の方々に対しては感謝する側面もあったりするのだ。レイシストの連中は守ってくれている警察とすぐに集団で喧嘩してしまうのだが、カウンターで警察と喧嘩する人はほとんどいない(いることはいる)。喧嘩せず仲良くするどころかナンパもしてしまうぐらいである。適当に仲良くしたいものです。

オレは職安通りを併走しながら怒声と罵声を浴びせ続ける。明治通り、靖国通りからはレイシストのデモ隊とは反対側の歩道からは準備したトラメガを使いながら応戦する。真横を併走するならともかく、超一級の幹線道路である明治、靖国通りの歩道からではとてもじゃないが生声では勝負にならない(最後の小滝橋通りが狭く感じた)。
カウンターはレイシストが集団下校する歩道橋しばきまで続いた。

来週、7月7日には再び新大久保でレイシストのデモが行なわれる。デモタイトル<東京韓国学校無償化撤廃デモ in 新大久保/日本人差別をなくせデモ実行委員会代表世話人 菊川かをり(日侵会)> などは伝わっているものの、コースはまだ発表されていない。
次回デモが強行された場合は、子どもがレイシストの標的になる。

この日のカウンター参加者は2500人(警察発表800人)だったそうだ。規制を求めたり、説得を試みることでレイシストたちが自主的に開催を撤回していくことが勿論一番平和な方法だ。しかし、それでもデモが強行された場合、カウンター参加者が今回の倍の5000人になればデモを中止させることもできるかもしれない。
やはり、どうしたって、数は大事です(前日に10人足らずのカウンターがあっさり警察に軟禁されて、本当に身に沁みたのだ…)。
「No Pasarán!→7.7 THEY SHALL NOT PASS.」はまだ続く。


(イースタンユースの吉野さんも現れたカウンター後の新大久保での飲み会、画像は在日中国人?台湾人?の英雄として、16日の件で台湾系のフリーペーパーの一面に掲載されたクボケンさん)

その夜、泥酔した若い衆から「レイシストの問題は大人の責任だコノヤロー」と泣きながら訴えられた。
やりましょう。

(追記 7月2日)
7月7日に予定されていた新大久保での「東京韓国学校無償化撤廃デモ in 新大久保」は中止になった模様です。
それぞれの「自分のやり方」で彼らと対峙したカウンターの皆さん、おめでとうございます!
続けていきましょう。