徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

ネトウヨを抱いて共に地獄へ堕ちる

2015-09-22 09:39:32 | News
ネトウヨ、特に現在の行動保守界隈にしがみついているような、クレイジーを煮染めたようなレイシストと対峙するのはかなり勇気がいる。勿論それまでだってそうだったのだけれども、奴らを相手にするには奴らのレベルに落ちる必要がある。これは余程そのことに対して意識的でいなければ、まともな人間には耐えられないことである。
それはもうミイラ取りの世界だ。
「史上最悪のカウンター」とも言われた昨日の鶯谷での「チン毛コール」などはその最たるもので、笑い話にはなるとはいえ、もはやこれはネトウヨを抱いて一緒に地獄に堕ちるようなものである。

同じレベルと言えば、昨日の警備の中にはレイシストと変わらないような、いじめっ子のような表情や言動でこちらを挑発する者がいた。勿論現場にいる多くの警備はそこまで露骨ではないのだが、まったくあんな喧騒と魑魅魍魎の中にいると警備の中にもネトウヨと共に堕ちる人間がいる。

昨日の銀座での排外デモには年若いレイシストもいた。彼らの同世代の者からカウンターを受ければきっと効き目も違うのだろうが、清廉なイメージを保つなら、シールズはこんな魑魅魍魎には関わらない方がいいよなあ、としみじみ思うのであった。
これは大人の、そしてヨゴレの仕事だ。

(IF YOU WANT IT)/安保法案国会正門前抗議集会(9.18)

2015-09-21 12:26:55 | News

SEALDsは強行採決の数日前から立て続けに、新聞に意見広告を出した。最後の広告が参議院の強行採決の朝ならば最高にかっこよかったのだが、その前日、“最後”の安保法案反対抗議集会の日にその広告は掲載された。
メインコピーは「民主主義は止まらない」。そして「それを望む人たちがいる限り」のサブコピーが添えられている。
言うまでもなくこれは彼らが参加者に提供していたプラカードの文言、「WAR IS OVER(IF YOU WANT IT)」の意訳であろう。
これはベトナム戦争の真っ只中にジョン・レノン、小野洋子とともにポスターや看板の形で世界11都市に貼られ、掲示された意見広告で、アート作品である。このインパクトが強い言葉とデザインは多くの社会運動のメッセージやプラカードのビジュアルとしてインスパイアを与え続けている。当然3.11以降の反原発運動でもこの言葉を活用したプラカードは数多く見られた。
英語とはいえ、日本人の誰にでもわかりやすく、伝わりやすい言葉である。
この作品が発表された69年、70年前後はとても「WAR IS OVER(戦争は終わった)」といえる状況ではない。だからこそメッセージは「IF YOU WANT IT(君が望むのならば)」と続く。その言葉がなければメッセージは勿論成立しない。
ここでは「WAR」となってはいるが、主語を置き換えることでこのメッセージは人々の希望や願い、怒りの表明する普遍的なフォーマットになっている。
大事なことは「望むこと(IF YOU WANT IT)」で、オレたちは「それ」を望み、求め続けなければならない。

20時を過ぎ、SEALDsがリードする抗議集会が行われている中、ふと周囲を見ていると BRAHMANのTOSHI-LOWの後ろ姿が見えた。間もなくイースタンユースの吉野寿が現れ、TOSHI-LOWとツーショットで写真を撮っていた。吉野はいつもの変顔だ。彼らは表立ってプロテストを表明するミュージシャンが少ない日本の音楽業界の中ではっきりと意思表示を続ける本物のロッカーズである。
勿論3.11以降の様々な場面で出会ったきた人たちがその場に集まっていた。

30分ほど過ぎ、集会のリードグループが入れ替わるために、国会正門前の先頭付近には一瞬の静寂に包まれる。怒りのドラムデモで、昨年の特定秘密保護法反対運動をオーガナイズした中心人物のひとりである井手実が、平野太一に声をかける。平野もまたtwitnonukesや初期の反原発首都圏連合などで3.11以降の社会運動を現場でリードしてきた男だ。
SEALDsは確かに若者だが、3.11以降のキャリアがあるとはいえ、彼らだってまだ若い、希望のある青年たちだ。

「入れ替わりの合間だし、やってもいいんじゃないか?」
井手が平野にコールのリードを促す。
そして平野はトラメガの位置を確認してマイクを握り直すと、あのいつものエモーショナルで切迫した声でコールを始めた。周囲は一気にレスポンスで沸騰する、
リードする平野の声を聞いていて、2011年の春を思い出し、少し感傷的になり胸が熱くなった。やはり“オレたち”はこの声から始まってここまでやってきたのだ。

しばらくコールが続いた後、オレはコールの直前に平野から預かっていたビデオカメラをC.R.A.C. の人間に託すと、後方へ動き始めた中核派の幟旗を追いかけた。
感傷的になるのは一瞬だけでいい。

それから4時間後、安保法案は参議院で強行採決された。民主党の福山哲郎は採決前の反対討論で一世一代とでも言うべき、実に熱く、怒りに満ちた、そして人間味に溢れる演説を行った。与党や賛成野党によって都合良く15分に縛られた討論時間は当たり前のように破られた。奴らは勝つためにルールを作り変え、悪用し、オレたちは負けないためにルールの隙を突き、突破していく。
それは来るべき参院選、そして安倍政権打倒に向けた狼煙であることは間違いがない。

シルバーウィークに入り、全国各地で安保法案反対のデモや抗議集会がさらに拡大し続けている。「民主主義は止まらない」というのはきっとそういうことだろう。
昨日、国会正門前の抗議でついた靴の泥を洗い流し、オレは六本木へ向かった。
オレはオレが何を求めているのか知っている。

奴らを止めるために/新横浜「安保関連法案地方公聴会」抗議行動

2015-09-18 03:45:47 | News


水曜日は新横浜で「安保関連法案に関する地方公聴会」の抗議行動に参加した。12時30分頃に新横浜プリンスホテル周辺に到着すると、正面玄関を中心に抗議の集団が固まり声を上げている。新横浜歩道橋にもびっしりと抗議のプラカードを持つ人たちが立ち並んでいた。
勿論ホテル内に出入りすることは可能だったそうだが、「中」の様子はTLなどで流れてくる以上のものはわからない。

ただ、もうこの公聴会抗議では、最初から「やるべきことがわかっている連中」の目的は決まっていた。歩きながら、また何人かで固まりながら言葉を交わして状況を探る。
公聴会の開始時点で抗議の中心になっている正面玄関ではない、プロテスターの集中ポイントは容易に共有された。
大型トラックが頻繁に出入りする搬入口の横にあるホテルの駐車場出口周辺(から正面付近)。それがプロテスターの集中ポイントだ。
公聴会の終了予定時間である15時前後から位置を確認するプロテスターの動きも慌ただしくなる。

それから30分ほど過ぎた頃、まずホテルの駐車場から猛スピードで黒塗りの車両が2台飛び出し、2車線の道路を直進していった。少々危険なスピードだ。
そして続く“黒塗り”が姿を現した瞬間に雪崩を打つようにプロテスターが車道に飛び出しシットインを始める。
警備に排除されても場所を移動しながらひたすらシットインを続ける。

ホテルの正面玄関前の6車線が今回のシットインの中心になった。
プロテスターが乗る一台の軽車両が議員が乗る車両の進路を遮るように、道路に対して垂直に止められ、その先には数十人のシットインの塊が形成されている。
そして一台の“黒塗り”が完全にシットインで行く手を阻まれた。
「あの車は蓮舫らしい」
そんな話を聞きながら、「強行採決絶対反対」を叫び、道路から引き剥がされるプロテスターの隙間を埋めるように座り込み、寝転んでいく。“蓮舫の車”ならば反対を叫ぶこともないのだろうが、仮に蓮舫ならば、尚更彼女に伝える必要がある。

そもそもこの新横浜での公聴会抗議がおそらくプロテスターによる直接抗議としては最後のチャンスになるだろうと思っていた。ぎりぎりのタイミングで設定されたアリバイ作りの公聴会が終わってしまえば、戦いの舞台は国会の「中」に移る。オレたちの代わりに戦わなければならないのは反対を表明する野党議員だ。
聞く耳を持っているとはとても思えない与党や偽装野党のボンクラ議員の奴ら以上に、彼らにこそ、オレたちが真剣に反対しているということを伝えなければならない。

断続的なコールと警備の怒号、そして止められてしまった一般車両のクラクションでホテル前の道路は騒然としか言いようのない状況になった。正面玄関前の歩道で整然と抗議を続けていた人たちも車道に飛び出し、シットインに加わる人も数多く現れた。
じりじりと押されながらシットインと警官と報道陣の塊は新横浜歩道橋をくぐり抜け、国道の交差点に飛び出していく。
オレを腕をねじり上げた私服の警官が叫ぶ。
「これぐらい遅れても全然影響ねえよ!」
オレも叫び返す。
「少しでも時間稼ぎたいからやってんだよ!」
警官に突き飛ばされたオレにぶつかったカメラマンは「危ねえな」と吐き捨てるように呟いた。最近オレのTLでは評判の良くない共同通信のカメラマンだった。
シットインは警備と揉み合いながら一時間ほど続いた。

民主党はオレたちの本気を目の当たりにして、以前よりは少し(もっと)真剣になったらしい。そして特別委員会の凶悪としかいいようのない強行採決は一日だけ引き延ばされた。

“黒塗り”が走り去った後、数百人のプロテスターは道路に広がり、「¡No pasarán !(ノー・パサラン=奴らを通すな)」をコールしながら、整然とホテル前に戻って行った。
昨年12月の特定秘密保護法案への抗議行動で、国会正門前に横断幕で掲げられたこの言葉が人々の口から叫ばれたわけである。
この数年の抗議行動が確実に連動し、経験と“言葉”が積み重ねられて、「普通」のデモクラシーの作法が浸透していることを実感した。この新横浜での抵抗はそれを実証できたと思うのだ。
それは海外ニュースの光景のようでもあり、まるでドラマのワンシーンのようでもあった。またそれは自分たちを鼓舞するような叫びであっただろう。ほんの少しの間だけの高揚感だから許して欲しい。
その場所から多くの人がまだシリアスな抗議が続く国会正門前へ向かった。

国会は今日一日緊迫化し、最大の山場を迎える。そして正門前では「中」の人をサポートすべく最大の抗議行動が行われる。状況は行動の転換が行われるかもしれない重大な局面に入った。
国会正門前の最前線に張られる規制線と悪戯に揉み合うよりもやるべきことがある。一人ひとりがひとつのことを考え、また「次のこと」を考え行動する時だ。

国会正門前に光の烽火をあげろ

2015-09-14 15:45:56 | News
3.11以降、4年半の社会運動を振り返ってみると、やはり現在の状況は必然だったのではないかと重く痛感する。
痛感するのだが、しかし痛感しているだけではシングルイシューを掲げて4年半続けてきたことに意味がない。
今日からの5日間、戦後最悪の安保法案を巡って国会周辺、そして日本は戦後最大の歴史的な抵抗と抗議の5日間を迎える。
本日18時30分からの国会専門前での抗議行動、明日の中央公聴会を経て、16日には地方公聴会、新横浜プリンスホテル前でBattle of Shin-yokohamaである。
これから残り数日間は政治的スケジュールとの競争になる。文字通り、状況はまさに「奴らを通すな(No Pasaran!)」だ。

まずは本日、国会正門前に抵抗と抗議のための光の烽火をあがる。
安保法案に反対する心ある人々は国会前の暗闇に掲げる携帯電話等を手に結集されたい。

「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない」

■戦争法案廃案!国会正門前行動
9月10、11、14~18日
13時~座り込み
18時30分~大集会

■横浜地方公聴会緊急抗議行動
9月16日13:00-15:30
新横浜プリンスホテル前(東海道新幹線・JR横浜線・市営地下鉄より徒歩約2分

もう一度、駄目なものは駄目と言う時

2015-09-03 22:40:03 | News
普段「デモ(ンストレーション)」と「抗議」という言葉は意識的に使い分けている。
"主人"のある首相官邸前の行動はあくまでも「抗議」であり、夜間や休日は"無人"の建物でしかない国会議事堂前での行動は基本的に「デモ」である。基本的にというのは、例えば深夜まで続いた特定秘密保護法対する行動は、同時並行的に参院で審議、採決が強行されていたので、これは「抗議」である。
先月30日の国会から霞が関一帯で10万人以上の参加者を集めた安保法制反対の行動は正しくデモンストレーションらしいデモになった。
デモンストレーションなのだから、何はともあれとにかく人数である。
そしてインパクトのある「絵」を作らなければならない。そのためには車道を開放させること、雨天という悪条件の中でも参加をサポートし続けること、インパクトのある「絵」を演出することが大事になる。3.11以降、共に行動し続けてきた人たちは給水所や緊急的な"救護所"を設置し、<安倍やめろ exFCK ABE>のバルーンつきの横断幕を国会議事堂の目の前に高く上げた。その経緯や顛末は@onoyasumaroさんのまとめを読んで頂きたい。

【0830国会前給水所】
この夏の宿題として黒白のバルーンあがる国会の前-BLACK RAINBOWへのオマージュ

主催による運営以外にも自主的な給水所活動、巨大ダンマクの掲示など、これらのセキュリティと行動への情熱も今回の大規模行動を支えていたのは明らかだ。
開放された国会前の車道エリアでは至る所で出力の小さなトラメガからバラバラなコールが起こっていた。先頭付近のSEALDsのトラメガも実に控えめな出力だった。それが意図的だったのかどうかはわからないが、参加者の能動的なコールを促すという意味では、悪天候の状況の中でもいい「場」ができていた。それでもコールの基調になっていたのは「安倍やめろ!」である。
17時ぴったりに警備は車道から参加者の排除を始め、オレも地元へ帰った。デモの目的はすでに充分に果たされたのだから、それでいいのである。

3.11以降のデモや抗議への典型的ないちゃもんではあるけれども、今回も参加人数に関する議論が無駄に、延々と続いている。
参加者人数は正確には把握できない。参加者は個人参加者が中心に集まった"メインステージ"である国会前に一極集中したわけではなく、霞ヶ関の辻、日比谷公園周辺に広がり、それぞれ参加団体が街宣を行い数多くの聴衆――参加者を集めたのだから正確な数字というのは誰にもわからない。わからないし、参加者の状況もそれぞれ違うのだから、例えば国会前の車道開放の状況にもいろんな"説"が出てくる。大規模行動の記憶は人それぞれとしか言いようがなので、まあそのどれもが正しいのだろうし、本当に何がきっかけなのかはわからないが。10万人単位の参加者というのはそういうことである。しかし警察情報(3万人程度)で数字を抑えたい産経新聞などは国会前の航空写真を基に参加者数のブロックを描き数字を割り出そうとして、むしろ10万人以上の参加者を自ら証明してしまうという醜態を晒した。
国会前の車道を埋め尽くし、霞ヶ関周辺にまで広範囲に集会や抗議の輪は広がっていたのは事実で、安倍政権に対する反対の世論を可視化した歴史的な写真が全世界に拡散されたのも事実である。

話は変わる。
30日の大規模デモ後に清義明さんがSEALDsを巡る思想的背景を分析した記事を書いた。

国会議事堂前の「敗北主義」-最後に笑うものが最もよく笑う・・戦後左翼史のなかの市民ナショナリズム

タイトルは清さんらしく挑発的なのだが、行動に対する単純な批判というわけでは勿論ない。
SEALDsは「選書」なる書店企画を展開しているのだが、その中で「丸山眞男セレクション」が選ばれている。ずる賢い大人ならその辺は適当に誤魔化すものだと思うのだが、賢く真面目な彼らは「丸山眞男」というキーワードを与えてしまう。清さんならそれを突破口に書くだろうと思った。
とはいえ基本的には、戦後左翼史を辿りながら、頭の悪いネトウヨがデモや抗議に対して意味もわからずぶつける「反安倍=極左」というイージーなレッテルを丁寧に剥がしていく内容にもなっているのだが、結果的に清さんはSEALDsに新しいレッテルを貼ることになる。思想の背景を分析しているのだからレッテルを貼るのは当然のことで、ネトウヨが呪文のように言うレッテルも悪いことばかりではない。それを剥がすのか、引き受けるのかは彼らのやることだ。
とはいえ清さんがよく書く「別個に進んで同時に撃て!」はまったく正しいので、それぞれがやれることを今いる場所からやればいいのである。

ただ、その中にこういう記述がある。

<さらに、これらの反原発から、途中に秘密保護法反対と、現在の安保法制反対に至る潮流を「新しいムーブメント」という人もいます。これはある意味で当たっていますが、基本的にはハズレです。>

その後「ハズレ」に関する記述はないのだが、その「ハズレ」と言われている「潮流」の中にいるひとりがオレである。確かに思想史的位置づけの中で「新しい」とは思わないけれども、3.11以降の行動は「3.11以降」としか言いようのない「状況」の中から行動原理は生まれているので、アタリもハズレもないのである。あえて言えば、SEALDsに対しても言及されているように、「3.11以降」の"群れ"はベ平連的ではある。
そして昨夜のDOMMUNEで園子温はSEALDs以前の、この「3.11以降」の行動をぼんやりとdisったわけだが、もう、それは「見えていなかった」もしくは「見たくなかった」と言っているように聞えた。3.11以降の行動の核となったのはイデオロギーではなく、シングルイシュー(ワンイシュー)と当事者性の徹底だった。園子温が反原発での官邸前抗議で「党派性」を嗅ぎ取ってしまったというのは、それが自らの前衛趣味、偏屈な党派性の写し鏡ではなかったのか。そしておっさんは若者ほどおっさんに優しくない。
シングルイシューの徹底とは何か。

「駄目なものは駄目」という有名な言葉がある。
旧社会党の土井たか子が90年前後のマドンナ旋風時に繰り返し叫んだ言葉だ。この土井たか子の言葉は社会党を文字通り復活させ、結果的に55年体制に楔を打ち込んだのだが、その後「駄目なものは駄目」を信じ切れずに、貫き通すことができず、「政局」に絡め取られてしまった社会党が壊滅的な状況に陥ったのはご存知の通りである。

<そのように考えるとき、私はこれからの国会での反対党のありかたのなかで、妥協のない反対を貫く場面をいま以上に増やすことが必要ではないかと思うのです。もちろん問題によって対応は違いますが、国会での野党の一見強硬な姿勢が結局は政府・自民党の「野党のカオを立てた」僅かばかりの譲歩を引き出しただけに終わるといったことはできるだけ避けようということであります。駄目なものは駄目なのであって、少々の手直し程度で引き下がるわけにはいかないという、分かりやすい態度をとろうというのです。いわばこれは、「反対党らしい反対党への復帰」であります。>
土井たか子 1988年6月27日北海道斜里郡斜里町での記者会見/特定非営利活動法人労働者運動資料室 文献資料より

シングルイシューはイデオロギーや特定の政党を超えなければならないものだけれども、行動のファーストインパクトとして、この「駄目なものは駄目」に似た行動原理があることは確かだろう。
そしてまた3.11以降の行動は生存権を巡る戦いでもある。生存権といえば2009年前後の派遣村問題で湯浅誠が繰り返し語っていた言葉(憲法25条)だが、原発、差別、秘密保護法、安保法制に対するオレたちの行動もまた生存権を巡る戦いなのだから当然言葉や姿勢は厳しく、激しくなる。
だから、やはり、まず「駄目なものは駄目」なのだ。「奴ら」に言うことを聞かせるためにも。

今月20日は土井たか子の命日である。