徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

人の波/7.29国会大包囲

2012-07-30 03:36:43 | News
今日はデモには参加せず夕方直接国会包囲へ向かった。
「今日、何人来てるの?」某省庁のガードマンさんに訊かれた。デモの最中のタイムラインで〝2万人〟という数字を目にしていたのでそれを伝えると、「2万人じゃあ利かないでしょ」と笑っていた。
それはそうだ。ちょうど1ヶ月前の6月29日を思い起こさせるほどの人の波が起こっていたと思う。



人の流れに乗って移動した国会議事堂正門前周辺には涼しい風も吹いていたのだけれども、ひたすら参加者が流れ込み続けるので歩道はあっという間に密集した状態になり、身動きが取れなくなる。もう正門前の歩道はぎっしり人で埋まっている状態なのに、それでも人が集まり続ける。
反対側の歩道ではドラム隊の音が鳴り響き、それに呼応してこちらの歩道でもコールが鳴り止まない。
ある程度のリミットまで警備を尊重するのも仕方がないと思うけれども、もはや歩道が危険な状態になっているのは明らかで、車道開放も時間の問題だと思った。どう見たってこれ以上歩道に人が流れ込むのは危険だった。
文字通り滝のように汗が流れ始めたので一旦進行方向を逆戻りしていると、規制の鉄柵を越えて車道に人が溢れ始めた。



もうとにかく凄い数の参加者で国会正門前の道路が溢れかえった。これ見よがしにルール無用の幟旗が最前線で翻っていたとはいえ、官邸前ではなく国会正門前なのだから、これは実に画になる。もはやキャンドルだとか包囲だとか、よくわからなくなった(大体こうなるとヘリコプターのような〝神の視点〟でしか全容は把握できない)。しかしその思惑を越えたその瞬間に今日の行動は大成功だと思った。



もうこうなると個人ができることは、勢いに任せて(あるいは便乗して)警備や主催に噛み付くことなどではなく、出来上がった「その場所」で自分が「何をするか」ということでしかない。
車道の真ん中では怒りのドラム隊さんたちを中心に参加者の輪が出来ていた。抗議の場が一点に集中するのではなく、面に拡がったときのドラム隊は実に心強いものがある。やはりドラムには人をまとめる力がある。また時に〝まとめすぎてしまって〟楽しくなってしまうのがドラムの両刃の剣的な側面ではあるのだけれども、今晩のドラム隊は素晴らしかったと思う。
オレはお馴染みのリズムとビートに併せて「サイカドウハンタイ」のコールをひたすらリフレインする。
金曜日、土曜日も汗でずぶ濡れになったが、結局今日が一番汗をかいた。国会包囲に参加しただけなのに。



3月末から始まった金曜日の官邸前抗議の原点のひとつに、反原連が中心的な役割を負った3.11の国会包囲行動があったことは間違いがない。ということで、この「イベント」は早い時期から計画され、告知されていたのだが、そのために予想外に拡大した反原連主催の官邸前抗議の日程に空白を生むことになり、余計な詮索や下らない邪推を呼ぶことになった。
今週金曜日の開催について早めのアナウンスを打ったことについては、正直多少の違和感は感じざるを得ないのだけれども、今晩の国会大包囲は、今後官邸前抗議に動員の波が起ころうと、この一ヶ月の高揚を決定的に印象付け、継続の意志を永田町や霞ヶ関に伝えるイベントになったと思う。何よりも官邸前抗議最大の高揚である6月29日から丁度一ヵ月後というのも象徴的で、良かったと思う(もちろんこれも意図したものではまったくなく、たまたま、だろうが…)。



去年、4.10の高揚の夜に都知事選の結果を知ったように、今日の夜に山口知事選の結果を聞いた。この結果を持って揶揄する連中もいるだろうけれども、行動する人間にとってはもはや何でも〝燃料〟になるというだけだろう。

言葉を失う/第19節 横浜FM戦

2012-07-29 13:29:47 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


日産スタジアムで横浜マリノス戦
後半からは徐々に言葉を失っていくような展開になってしまった。
ここのところの湿度の高いあまりサッカー向きではない気候の中、清水はナビスコカップから中二日ということでフィジカル的には横浜にアドバンテージがあったのは当然で、その横浜のゲームプランの中で自滅してしまった感は強い。
勿論アフシンがコメントしているように前半はいつもながらの「内容は悪くない」ものだったとは思うけれども、「内容は悪くない」とはいえ、ゴール前の攻防と言う意味では一歩後退したように思う。あの内容では、ちょっと点が入る匂いはしなかった。横浜の樋口監督が言うようにワイドに展開してゲームを構成していくことはある程度までできていたと思う。それが「内容は悪くない」ということなのだが、ペナルティエリア手前から先にまったく怖さがないというのは、ちょっと重症と言わざるを得ない。
後半に入ると目に見えて運動量が落ち、ミスが増えた。それでも後半30分までは何とか堪えていたと思うけれども、大黒のゴールは実に痛かった。もう3失点目のPKはもはや怒る気にもならなかった。ひとつのゴールを獲るために四苦八苦している状態では、2失点目を決められた時点でゴール裏にも落胆や諦めの空気が濃厚に流れていた。
まだ、あと15分以上あるのに、である。
これでまたしても勝ちなしロードは継続された。昨シーズンの川崎を彷彿とさせる状況になってきた。これなら3ゲーム連続0-4負けの方が余程マシだったと思えなくもない。
本当に言葉を失う、声が出なくなるということはあるのだ。
まあ、それでも振り絞らなきゃいけないんだけれども。

終了後の挨拶でトシは、しばらくゴール裏の前を去ることなく、ひとりずっと頭を下げ、涙を流した。
もはやコメントを残すプレーヤーも少ない。プレーヤーも言葉を失っている。
もちろん監督というのは結果における全責任を負うものではあるけれども、しかし今シーズン、サポーターは改めてアフシン・ゴトビという理想主義者を支持したのだし、事実彼の作ったチームも魅力的で、そのポテンシャルを示すように前半戦を戦ってきた。個人的には、このチームを更に成長させるべきだと思うし、こんなところでおじゃんにするにはあんまりである。
問題はあの男…というか、あの「枠」を使い切れていないフロントの問題は小さくないと思うんだが。



次節は再びアウエイで首位広島。

         ,. ‐''三ヾ´彡シ,=`丶、
     /'".:=≡ミ_≧_尨彡三:ヽ、
    //.:;:彡:f'"´‐------ ``'r=:l
    /〃彡_彡′,.=、 ̄ ̄ ,.=、 |ミ:〉
   'y=、、:f´===tr==、.___,. ==、._ゞ{
   {´yヘl'′   |   /⌒l′  |`Y}
   ゛、ゝ)       `''''ツ_  _;`ー‐'゛:::::l{   あきらめたら
.    ヽ.__     ,ィnmmm、   .:::|!   そこで試合終了ですよ・・・・
  ,.ィ'´ト.´     ´`"`"`゛″ .::::;'
イ´::ノ|::::l \         "'   :::/
::::::::::::|:::::l   ヽ、      ..::  .:::/.、
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いつも通り/7.27首相官邸前抗議

2012-07-28 03:29:07 | News


この日はこれまで金曜日の官邸前抗議を「運営」してきた反原連が主催から外れた。これは今年の3.11に実行した国会包囲を受けてかなり早い時点から決定していた29日の国会大包囲に注力するためにこのような措置となったようだ(スタッフの皆さんの疲労も考えて、ということなのだろう)。
6月に雪だるま式に盛り上がった金曜日の官邸前抗議だが、29日の国会包囲はスケジュール的に動かしようのないイベントなので、これは金曜日(27日)の行動は日曜日(29日)にスライドさせるしかないのだろうと予想はしていた。
むしろイベントの日程の決定が早かったので、再稼動を含めて流動的な状況を考えた場合に本当に大丈夫なのか不安もあった。6月、7月にはどんな状況になっているのか、それはちょっと想像がつかなかった。官邸前抗議が1000人前後で推移していれば、金曜も、という話になった可能性もあるだろうが、あまりにも官邸前抗議の熱は急速に拡がり過ぎた。予想以上に拡がり過ぎたとも言える。何てったってもはや毎週金曜日、国会は実質的に包囲されているからである。
主催サイドに立てば金曜日の官邸前抗議は日曜日の国会大包囲と連続していると理屈では理解しても、どうしたって場の継続性や連帯は損なわれる。官邸前に呼応して勃発している各地での抗議行動は「金曜日」に行われているからである。
まあ、勿論去年の春から夏にかけてのTwitNoNukes、秋以降の抗議行動を共にしてきた自分としては、その継続の中にある反原連を支持するものではあるけれども、スタッフの皆さんが休まれるのは構わないが、取り立てて休む必要もない人間はいつも通り行動した方がいいんじゃないか、ということで、この日も「いつも通り」参加した。
幟旗やマルチイシューや場所取りの問題はひとまず置いておく(実に面倒な話である)。

いつも通り18時を過ぎたあたりで霞ヶ関に到着すると、やはり明らかに参加者は少ない。といっても警備も「いつも通り」で、すでに国会議事堂横の歩道も「いつも通り」埋まりつつあった。この日はOPKの「ファミリーゾーン」に行くことはなかったので、そちらの様子はよくわからない(爆発的に参加者が増えたこの2、3週間は議事堂横の歩道にも足を踏み入れることはなかった)。
警備の物々しさを除けば、この光景はまるで6月8日あたりの官邸前抗議を彷彿とさせた。

「話題」の最前線も見に行こうとしたが途中で通行規制が行われ立ち入ることもできなかったので、六本木通りの交差点近くの最後尾に並びひとしきりコールした。
その後は新しい参加者がやって来るたびに最後尾に回りこみ、ひたすらコールを続けた。近くにいたおばさんや二人組の兄ちゃんが呼応してくれたので、1時間程度ずっと声を出し続けることができた。前日放送された「クローズアップ現代」を観て来た参加者も少なくないんじゃないかというツイートもあったが、ここ数日の最前線を巡るいざこざを知らないで「見に来た」人がいたのならばそれは嬉しいことだと思う。
オレは、自分が「ここ」で「何を」しに来ているのか、それを「見せる」ためにコールを続けたんだから。もう今日は本当に脱水状態寸前になるくらい汗をかいた。
極端な話をしてしまえば主催や運営がどうであれ、「個人」がやることは大して変わりはしない。たかが組織のために個人の行動が変わってしまうのならば、それは不幸なことだし、克服しなきゃならないことだと思う。
オレはどんな場所でも変わらずにやりたい。

シュプレヒコール

2012-07-26 21:23:09 | News
RED NOTE SCALEの「シュプレヒコール」を聴いてみて欲しい。
ここには2011年に渋谷であったことが謳われている。
もちろんこの曲自体は以前も聴いてはいたけれども、久しぶりに聴いていたら揺さぶられるものがあった。
「奇跡的な天気」も「青空の広がり」も「軽めのつぶやき」も「風にひらめくフラッグ」も「高まる声の音量」も「ビルの谷間つづくカラフルな列」も「スクランブル交差点の解放」も「高架下のにぎやかな反響」も、すべての場面が具体的に、鮮やかに目に浮かぶ。オレたちは疑いようもなく自分たちの行動を自己肯定していられた(自己満足に非ず)。
「見せること(伝えること)」「見られること(伝わること)」デモは手段ではあるけれども、行動する人間は主催も参加者も関係なく、紛れなしに透明でいられた。

「デモ」と「抗議」の違いはあるけれども、もはや官邸前抗議にはこんなにも美しい自己肯定は見られない(ヤッシーの白い風船は美しい光景を作り出しているけれども)。官邸前の「集会」には、「奇跡的な天気」はあったとしても、また引きこもり気味で耳が悪い首相はいても、そこには残念ながら「見せるべき(伝えるべき)」オーディエンスはいない。
官邸前抗議の場合、デモと違って「見せるべき(伝えるべき)」オーディエンスというのはメディアであったわけだ。
今晩、クローズアップ現代が官邸前抗議を取り上げていたけれども、再稼動を巡る攻防としてではなく、市民の動きとして取り上げるならそれは、いくら何でも遅すぎる。こんなことなら去年の夏に取り上げて欲しかった。

もちろん抗議にも美しい瞬間はやって来る。6月に入り8日、15日と、これまでの動員レベルを次々と〝突破〟していった瞬間には、「シュプレヒコール」に描かれるデモにも勝るとも劣らない高揚感と、美しく、熱い光景を現出していたのは確かだけれども、29日の官邸前から7月1日の大飯町での抗議行動(ust中継)をピークに、もはや「場」は完全に〝出来上がって〟しまった。
出来上がってしまったということは、要するにひとつのピークは過ぎたということでもある。
もちろんそれは流れが収束していくということではないだろう。中心点が「官邸前」から移動し、永田町・霞ヶ関へと拡がって行くことでまだ新しい人たちを巻き込んでいく余地はきっとあると思う…が、オレが共鳴したTwitNoNukesの理念だけは高く掲げられていても、現在の「官邸前」はもう以前とは別の場所だと思っている。

それでも29日の国会大包囲にも、来週の官邸前抗議にも頭数になりに行く。
あの場所は場所取りみたいな「政局」やってる場所じゃなくて「声を上げる場所」だぜ。

ご近所さん/原発さよならデモ@蕨

2012-07-24 12:49:32 | News


土曜日は原発さよならデモ@蕨に参加。前日は官邸前抗議だったこともあり、スタート時100人前後のこじんまりとしたローカルデモは久しぶりだったので新鮮ではあった。出発10分前に蕨駅西口に到着したのだけれども、とにかく高齢者が多い。ここまで爺ちゃん婆ちゃんに囲まれたのも久しぶりで、まあローカルデモはどうしたって地元意識の反映でもあるので若い人間が少ないというのは東京近郊ではいたしかたない面もある。
しかし本当に地元の高齢者が多かったのは沿道の反応を見るだけでもわかる。彼らはご近所さんという感じで、「支持」という意味だけではなくて、「挨拶」という感じで手を振る。「拡がり方」というのもいろいろある。もちろんこういう「拡がり方」もあっていいわけだ。
「街」の規模や「意味」の大きさによってデモの手法は変化していくものだと思うが、ここでは頭数を集めるだけがデモではないことは明らかだ。まあ今回の場合は蕨市長がスタート前に挨拶したわけだけども、官邸前抗議の幟旗の問題で盛り上がっている連中は、政治色の薄いローカルデモにこそ、旗を降ろして「個人」として参加してみることをおすすめする。

コールリーダーは火炎瓶テツさんが担当した。こういう形が一般的になっているのかわからないけれども、1時間ほどのコースでコールリーダーを固定するのはとてもいいやり方だと思う。もちろんコーラーのキャラクターやコールのコンセプトというのも大事で、以前参加した別のローカルデモでは実に納得のいかない、いやーな体験をしたこともある。もう下手なトラメガ使いは淘汰されるべきだぐらいに思う(まじで)。しかしコールリーダー固定は普段トラメガに文句の多いオレでも支持したい(テツさんのコールはいつもにも増してラスタ風味の強いもので、もしかしたら爺ちゃん婆ちゃんにはしんどかったかもしれないけれども)。


出囃子の意味/7.20首相官邸前抗議

2012-07-21 01:51:08 | News


天候が微妙なせいか、18時30分過ぎに霞ヶ関に着くと、ところどころ人が固まっているとはいえ六本木通りの交差点はまだ人がまばらだった。前回と比較すれば明らかにまだ人は少ない。外務省上の横断歩道は封鎖され、何人もの参加者が警官に抗議をしている。傍にいた警官に話を訊いてみてもいまいち要領の得ない説明で「封鎖」するほどの意味があるのか理解はできなかった。
交差点でたんぽぽ舎の幟を掲げながらトラメガを持っていたおばさんも警備の規制に対して「市民の権利」を訴え始め、次第に言葉は熱を帯び。語気が強くなっていく。
仕方がないのでおばさんに声をかける。
「おばさん、こんなところで(警備に)抗議したって仕方がないからコールしよう」
「え?コール?だって市民の権利が…」
「再稼動反対!サイカドウハンタイ!」
最初のうちはおばさんも納得していないようだったけれども、とにかく交差点で「再稼動反対」コールを始める(おばさん、ゴメン)。六本木通りの交差点には時間を追うごとに次から次へと新しい参加者がやってきている。横断歩道の封鎖などというつまらない問題で余計な力を使うよりも、参加者がこの場所で何をしに来たのかアピールする方が先決である。個人的には何だか場違いなような気もしたけれども、年配や女性の参加者ばかりのエリアで、とにかく、まず声を上げた。次第におばさんも再び通常通りのリードを始める。10分、20分と声を上げていると、財務省側から外務省側、おそらく国会正門前に向かってこちらに渡ってくる参加者が歩きながらこちらのコールに併せて口ずさんでいるのがわかる。
霞ヶ関方面からやってくる参加者にとって六本木通りの交差点は官邸前抗議の「入口」であってテンションを上げていくには大事な場所だ。もうお祭りの出囃子のような気分でコールを続け、レスポンスに徹しておばさんやコーラーの女性をフォローする。
コールしている間は気がつかなかったけれども、いつの間にか外務省上の横断歩道は開放されていた。何のために規制していたのか結局わからなかったけれども、とにかく横断歩道は開放された。



19時過ぎまで外務省上で声をあげてから国会正門前のエリアへ移動し、20時きっかりまで声を上げた。

石ころ/第18節 柏戦

2012-07-17 23:50:31 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
<誇り、哀しみ、希望、そして失望。試合内容と同じように、私の心のなかにも様々な感情が渦巻いているが、私はエスパルスの選手たちが見せてくれたファイティングスピリットと精神力に心から敬意を表したい。>(アフシン・ゴトビ公式サイト「アフシン・ゴトビ 戦いの記憶『痛恨の思い』より

土曜日は柏戦。ゲーム展開はJ's GOALで前島さんがレポートで書くように実にドラマチックで、悲劇的なものになった。
この何年も柏にはまったく勝てない。柏が降格したシーズンですら手痛い敗戦を喫している。大量失点というよりも、手痛いどころか胸に深く傷を負うような負け方ばかりなのだ。決して内容が悪かったとは言えないだけに、かつての鹿島以上に天敵という印象を持っている。まあ柏戦に勝って残留したシーズンもあったのだけれども、それは健太体制一年目の話である。
それっきり、まったくいい印象がない。
そもそもまともな11対11で戦った印象がない。
そういえばシーズン序盤のアウエイでも実に酷いレフリングで逆転負けを喰らい完全に喉が嗄れた。
贔屓目抜きで現在の柏と清水がフェアな状態で戦ったのならばリーグでもトップクラスのファイトが観られると思うのだけれども、状況は決してそうさせてくれない。今回もそうだった。

勿論柏も昨シーズンのリーグチャンピオンだけに素晴らしいチームであることは理解している。
この日も不動のサイドバックである酒井がチームを離脱しても、圧倒的な数的有利の状況で、堂々と実力通りに2点差のビハインドを跳ね返した。本当に強いチームというのはこういうものである。9対12でも負けちゃうようなチームとは違うのだ。
そして、いくら何でも9人では、そんな柏相手に勝てるわけがない。
それでも終了間際、浩太のシュートが決まっていたらどうなっていただろうか。前半あれほど素晴らしいフィードやクロスを見せていた敬輔がもう少し冷静だったらどうだっただろう。チームがファイトしていなかったとは絶対に思わない(ファイトし過ぎてから回りしたプレーヤーもいたけれども)。5失点目はもうどうしようもないとしか言いようがないが、スタジアムにいたとしたらオレも拍手していた。必ず。
内容は悪くはなかった。しかし内容が結果にそのまま現われるとは限らない。それはピッチに転がっている石ころに突然ボールが弾かれてしまうようなものだ。もしそんな石ころが転がっているとしたら、ボールはどこに転がるかはわからない。

でもオレらはどうしたって「悪くなかった」って言うしかない。
オレら以外の誰が言ってやれるんだよ、と思う。
この敗戦が本当に糧になるかどうかはシーズン終盤までわからないが、それが糧になるであろうことは信じるべきだと思う。

願わくばナビスコカップか天皇杯でもう一度柏と対戦したい。
確かに柏は強かった。しかし鳥栖と戦った時のような清々しさはない。

(追記)
日本一のアウスタのピッチに石ころは転がっていないと思いますが。

出来上がった世界の中で/「恋愛論」

2012-07-15 20:56:36 | Osamu Hashimoto
<エスタブリッシュメントという言葉は〝支配階級〟や〝特権階級〟という風に使われていますけど、僕にしてみればそれは〝既に出来上がっちゃった人達〟というのが正解なように思われます。既に出来上がっちゃってるから、その前提に関しては「もうどうでもいいじゃない」とうそぶいていられる人達がエスタブリッシュメントだと僕は思います。
 有吉さんが言った「私達親子は、もう、一族から、バカにされて、バカにされて」という言葉を説明する時が来たようです。
(中略)有吉さんは文字通り下世話なことを御存知ないお姫様なのですが、実は、その人は下世話なことも御存知の〝作家〟になってしまったのです。
 ジャワの邸宅で幼時を過した有吉さんは、一旦日本へ帰って来ます。ジャワのお屋敷でお姫様暮しをして、そしてそれでも「日本というのはこんなものではない、もっともっと夢のように素晴らしい国だ」と言われ続けていました。でも、そう言われて日本に帰って来た女の子が見るのは、ジャワの最下等の民衆よりももっと貧しく汚い日本の農民の姿でした。そのショックが「こんなことでいい筈はない」という形で彼女の胸に刻みこまれ、後に『複合汚染』の著者という形になって表われます。有吉佐和子という人は、そういう形で社会的関心を持続させた人です。(中略)
 僕は有吉さんに対してドンドン遠慮のない口をきいていったんだけども、それは一番初めに「有吉佐和子をこわがるまい。有吉佐和子に敬語を使うまい」と決めていたからなのだ。僕にとって、〝尊敬した〟という事実は〝対等に向かい合わなければならない〟という義務を生むことだったから。
 有吉さんが怒鳴りまくってたことぐらい僕は知っている。でも、有吉さんが怒鳴るには、ちゃんと理由があったんだ。まともに向かい合えば、有吉さんは怒鳴ることなんてやめてたサ。有吉さんは、「どうして私を一人にするのよ! どうして私を敬遠するのよ!」って、ただそれだけを怒鳴ってただけだから。この、みんなが家の中に引っ込んじゃった、出来上がった世界の中で。>
(橋本治『恋愛論』講談社文庫1986/「誰が彼女を殺したか?」より)


恋愛論 (講談社文庫)
<まだ“常識”っての持ってます?もうメンドクサイから、俺の“初恋”の話しちゃうね。よかったら腰抜かしてね。現実に恋愛って存在しないんだよ。みんなサ、救済の“宗教”と恋愛をゴッチャにしてるんだよね。男って、恋すると“天使”になっちゃうし。それでもまだ、あなたって“常識”を持ってます?><出版社からのコメント:胸に突き刺さる20世紀の名著が復活! 愛というものは一般論で語れるが、恋愛は一般論では語れない。それは、恋愛というものが非常に個人的なことだから――。本書では、著者自身の初恋の体験をつまびらかにしつつ、読み手の心に響く「恋愛論」を展開。恋愛を、哲学を、著者個人の経験と論理で描ききる。幻のマンガ『意味と無意味の大戦争』も収録。><恋愛なんて幻想の最たるものだけど、それを求めざるをえない人間の気持ちだけは本物だ。恋愛を、哲学を、著者個人の経験と論理で描ききる。胸に突き刺さる20世紀の名著が復活!>

登録情報
文庫:299ページ
出版社:講談社 (1986/05)
ISBN-10:4061837907
ISBN-13:978-4061837904
発売日:1986/05
商品の寸法:15 x 11 x 1.4 cm

その視線の先にあるもの/7.13首相官邸前抗議

2012-07-15 15:53:35 | News


金曜日は恒例の官邸前抗議。
といっても今回は微妙な変化があった。警備サイドの事前通告によって車道開放は行わず、車道に鉄柵を設置、さらに「抗議エリア」を細かく分断するという規制が敷かれ、これにより先週、先々週と車道に拡がった「面」の抗議から、再び22日以前の歩道での「線」による抗議に戻った形になった。
しかし規制によって参加者が減るということは勿論なく、官邸前まで辿り着けないむしろ官邸の外に自然と分散していくことになった。個人的には参加者の激増で「官邸前であること」のプライオリティは低くなっていたし(勿論人がいなければ行くけれども)、周りを見渡せば抗議対象はいくらでもあるのだから「抗議の塊」が永田町や霞ヶ関エリアへと拡散していくのは、戦略的には理想的であったわけだ。
いつもならば財務省あたりで声を出しているのだけれども、この日は六本木通りの交差点で警備に「誘導」されてみた。



移動中に偶然、カメラマンの北野さんと遭遇(事前に来ることは知っていたけれども)。多摩のゆるいデモには参加した体験はあるようだけれども、「(トラメガを使うような)うるさいのが駄目」だと言う。抗議エリアが細かく拡散したせいなのか確かにちょっとエキセントリックなトラメガの声が鳴り響いている。
「誘導」に沿って歩いているとそこは国会議事堂正門前のファミリーゾーンだった。行き来が比較的自由で楽器を持つ人も少なくなく、穏やかな「ファミリー」ゾーンと言いつつ、そこもそれなりに熱いエリアで、怒りのドラム隊に喚起されながら熱い「再稼動反対」コールが繰り返された。
反対側の歩道に渡ってみると遠くから中途半端で不規則なジャンベのリズムが聴こえる。こういうときには強引にでも自分でリズムを刻んでしまった方がいい。クラップしながら終了の時間までコールを続けた。
目の前には真っ暗な国会議事堂が見えるだけである。

もはや視線の先が官邸前でなくてもまったく構わない。18時過ぎに到着した頃にはテツさんたちが激しい経産省前抗議を繰り広げていた。こんな風にそれぞれのエリアを移動しながら抗議を続けた人も少なくはないんじゃないか。文字通り通行の自由は制限されているとはいえ、数多くの人々の視線の先にあるのは官邸前という「点」ではなく、永田町・霞ヶ関エリアという「面」に拡がっている。それは去年の秋から冬にかけてデモから抗議へ行動のフェーズが移っていったときに夢想していたことである。



先週、TwitNoNukesの平野君が反原連を離脱することを表明し、今週にはbc君も主催から外れることを表明した。
この日も最前線である官邸前に限らず、交差点のあちこちで一部の参加者による警備や主催の「規制」に反発する姿が見られた。勿論99%の参加者は主催のメッセージを理解して20時には解散するわけだが、それでも一部の参加者や野次馬にとって車道開放拒否、鉄柵設置などというのは餌を与えるようなもので、どうでもいいようなことにまで彼らは噛み付く。今回も行動直後に、暴走を止めようとする運営スタッフに食って掛かる一部参加者についてのツイートがよく見られた。
一ヶ月で「官邸前抗議」の状況は一変してしまった。
運営が以前のように理念を謳い上げる組織から、もはや定期的に万単位の動員を想定した実務的な組織に変わって行く必要性はあるのだろうと思う。平野君とbc君が一旦抜けるというのはそういうことだと理解している。しかし、これは状況に応じた質的変化なのだから決してネガティブに捉える必要はないと思う。「官邸前抗議」が史上に残る大行動にまで拡大してしまった以上、これはもうどうしたって避けられない変化だ。
これからは「大人」の皆さんの出番だぜ、ということである。

今日、平野君とbc君は8月末、3ヶ月ぶりにTwitNoNukesとして渋谷でデモを開催するとツイートした。
いつでも立ち戻れる「ホーム」があることは素晴らしいことだ。また無色透明の旗を掲げたいと思う。

仏に会ったら仏を殺せ/「橋本治という行き方 WHAT A WAY TO GO!」

2012-07-10 13:05:28 | Osamu Hashimoto
<表現というものは、一度「自分」を消して、その後で改めて構築される。だから、古典芸能の中で「自分を生かしたなにか新しいことをやろう」というのは、シロートの発想である。古典芸能で「新しいこと」をやりたかったら、まず「やる側」の主体を消すことから始めるしかない。「新しいこと」は「やる側」にはなくて、「やられる側」の古典芸能が持っているものだからである。(中略)「自分のやるべきこと」は、「自分」なんかよりもずっと寿命が長い。昨日今日のポッと出である自分の主張なんかよりも、自分の前に存在しているものの「あり方」を尊重していた方が、ずっと確実である。だから私は、「自分」よりも「自分の外にある本来」を信用する。信用して、しかし言いなりになるかどうかはまた別の話で、もしかしたら私は一度も「自分の外にある本来性」の言いなりになったことはないのかもしれない。(中略)
本来性というのは支配者ではなくて、存在に関するフレキシビリティである――私はそのようにしか考えないから、本来性というものは、「自分を活かしてくれるもの」である。それの番人になって、ただ「本来性」として守られるためだけに存在している本来性を守ってもしようがない。本来性は「自分」の外側にあり、そうである以上、「自分」というものは、常に本来性から排除されている。だから、一遍は本来性の中に入らなければならない。そのためには、本来性との間で違和を成り立たせる「自分」を、一遍殺さなければならない。そうやって、本来性と「自分」とを同化させて、「自分とは無関係に存在していた本来性」を、「自分を活かすための本来性」に変える――この“変える”プロセスが、「仏に会ったら仏を殺せ」である。私はそのようにしか考えない。(中略)つまりは、「意味を殺す」である。
「自分」の外側には、強大な「立ちはだかる」とも思えるような「意味を発散するもの」がある。つまりは、「幻想」である。「幻想だから壊してしまっていい」と思うと、「すべては幻想である」という接続パイプによって、なんにもなくなってしまう。もう少し冷静になるべきで、それが「幻想」でしかないのは、それが「こちらを排除する形で存在しているから」である。だから「入る」が必要になる。入って、「自分を排除していた要素」を殺す。「それが仏に会ったら仏を殺せ」である。そんなにめんどうなこととも思えない。>
(橋本治「橋本治という行き方 WHAT A WAY TO GO!」朝日新聞社2005/「自分」を消す」より)


橋本治という行き方 WHAT WAY TO GO!
¥1,470
<いま日本を代表する「知識人」となった著者の、もっとも重要なエッセンスが凝縮された一冊。9・11、イラク戦争、北朝鮮問題といったトピックを素材に、教養、批評、文化など、いま私たちがものを考えるためのヒントが、ぎっしり詰まった好著。><この国のあり方を少し考えた。どうにもならない構造を抱えてしまった大学、企業、そして日本という社会。この行きづまりの状況において、私たちが生きて行くためのヒントを、著者自らの立っている場所から提示する本格的なエッセイ集。>

登録情報
単行本:234ページ
出版社:朝日新聞社 (2005/6/16)
ISBN-10:4022500387
ISBN-13:978-4022500380
発売日:2005/6/16
商品の寸法:19.5 x 14 x 2.5 cm

青年H、オレたちのバンディエラ

2012-07-09 13:29:48 | News
昨夜、Twit№Nukesの平野君が反原連の活動から離脱するというツイートをした。経緯についてつまらない憶測や邪推はするつもりはないし、彼のツイートの中にすべてがあると思っている。要するに「官邸前抗議の運営に対する不満」や現場での運営スタッフに対する罵詈雑言に我慢がならなくなったということなのだろう。その気持ちはわからないでもない。
行動や活動はいつか変化を求められる。昨日も書いたように<すでに抗議行動は主催の手から離れた>というのは一部では事実で、ライブハウスで始まった活動もスタジアムクラスになれば、それなりの覚悟と戦略が求められる。すべてがすべて、混じりっ気なしの賛同者でないのは、もうこれは仕方がない(実際、異議を唱えているのはほんの数十、数百人程度だとは思うが)。
各地でのTwit№Nukesの作られ方から考えれば、官邸前だけではなく全国での小規模同時多発が理想だと思っていたけれども、官邸前抗議は再稼動を前後して猛烈なスピードで巨大化してしまった。もちろんそれは運営側も望んでいたことだろうけれども、あまりにも性急過ぎたと言えなくもない。フ
リーライダーやメディアを巻き込んだ性急なブームはいつだってコアの思いとは別に遅れてやって来る。それでもメディアに消費させないこと、日本版ブラックブロックに疲弊しないこと、そしてやはり大多数を占める多くの「普通」の参加者を信じて続けていくしかないだろう。

歩道に人が溢れると同時に膨れ上がっていく高揚感を覚えながらも、いつかこんなこともあるのかもしれないと思っていた。

以下は、その「いつか」書こうと思っていたこと。
リーダーを持たない行動の中で、その情熱に対して敬愛を込めて彼は「リーダー」と呼ばれた。何よりも今日につながる行動の「言いだしっぺ」は彼なのだ。「言いだしっぺ」が四の五の言わずに行動に移し、ネット経由でどこからか現われる賛同者と共に実践するのが2011年(2012年)のDIYだった。
文句があるなら自分で場所を見つけろ。自分で場所を作れ。
そういうことである。

「バンディエラ」Bandieraという言葉がある。イタリア語で「旗頭」という意味で、サッカーの世界ではプレイのみならずチームの精神的支柱という意味でも象徴的なプレーヤー、中心的人物を指す。
平野君はオレたちのバンディエラである。それは変わらない。
ちょっと気楽な立場になって、また戻ってきてもらいたい。

追記:「いつか書こうと思っていたこと」以降の記述は、去年の春にスタートし全国に拡がり続けるTwit№Nukesという行動について書いているのであって、官邸前抗議に関してはあくまでも合議制の首都圏反原発連合によってスタートし、運営されていることを念のため強調しておきます。また「言いだしっぺ」とは、ひとまずここでは「発案者」以上の意味は持ちません。

その「場」は誰が作ったものなのか?/7.6首相官邸前抗議~NO NUKES! ALL ST★R DEMO 5

2012-07-08 14:58:41 | News


昨日は渋谷・原宿で行われたNO NUKES MORE HEARTSNO NUKES! ALL ST★R DEMO 5に参加。事前・事後の集会には参加できず、原宿駅前で途中離脱するという形にはなってしまったけれども、参加できて良かったと思う。
抗議とデモはやはり「両輪」で、抗議で声を叩きつけるのも、街中で声を届けるのも必要なアクションだ。今、官邸前抗議に参加している皆さんも是非、抗議で上げた声を街中でも上げてみることをお勧めする(だから抗議が終了したあとも、「持ち帰る」という意味でコールしながら帰って欲しいと思う)。

NO NUKES MORE HEARTSは、TwitNoNukesと同じく「金曜日の官邸前抗議」を運営する首都圏反原発連合の中核的な組織であり、またTwitNoNukesと同じように3.11以降、継続的なデモを呼びかけ、実際に続けてきたグループである。TwitNoNukesは極めて自主的でサポーター的なスタッフによって構成された集団だと思うけれども、NO NUKES MORE HEARTSはMisao Redwolfさんを中心にした、トライブともいえるようなグループに見える。
しかしTwitterでの彼女の呼びかけを読み続けていれば、NO NUKES MORE HEARTSが「閉じたトライブ」ではないことがわかる。閉じたトライブ――閉じた組織(個人含む)というのは残念ながら運動周辺には存在していて、自分勝手な利害関係を作り出す。これまでの運動界隈が「普通の人たち」から遊離し、忌避されてきたのはどうしたって、つまらない利害関係を見透かされるからだ。
「普通の人たち」は鼻が利く。ただ「正しいから」というだけでは行動しない。正しい上に、その主張が混じりっ気なしに、シンプルに、クリアになっているから、それに共感し、同調し、身体を動かし、声を上げるのだ。
補償問題も避難問題も汚染(瓦礫)問題もあまりにもグレーな部分が多過ぎる。確かに議論が必要だし、それぞれに「場」を作る必要もあるだろう。実際に毎週のように各省庁前で活動している人たちもいる
だからこそ抗議するために、議論するために、対話するために、まず再稼動を「止める」こと。
今、金曜日の官邸前抗議はその一点に尽きる。

大飯原発再稼動を前後して官邸前の抗議行動は燃え拡がった。それぞれが大事な「イシュー」だとはいえ、利害(主張)関係を越えてまずは誰もが集まれる「シングルイシュー」という方法論の下、「3.11前」から活動するNO NUKES MORE HEARTSと「3.11後」の受け皿を形成したTwitNoNukesが中心となり「運営」する金曜日の官邸前抗議が、かつてないほどの拡がりを見せるのも当然といえば当然なのだと思う。
そこへ古くから反原発運動を続ける皆さんや去年の春以降のデモブームを形成した諸グループ、さらに針谷大輔議長率いる第一戦線義勇軍の右から考える脱原発ネットワークなどが加われば(彼らが継続するアフター5デモはもっと注目されてもいいはずだ)、思想信条を越えた「普通の人々」が集まれる「場」ができる。
そして、それは「できた」のだと思う。そのために続けてきたのだから。

しかし先週、今週と参加者激増と同時に、ある程度予想されていたとはいえキナ臭い話題が「金曜日の官邸前抗議の運営」周辺に湧き出している。あえてここでは「主催」ではなく「運営」と書いておきたい。
たとえ官邸に「突入」したところで、時間を無制限にしたところで何が起こるのかは明白だ。抗議行動をなかなか報道しなかったメディアが次に何を待ち構えていると思っているのだろうか。そんなメディアが期待する「ベタなストーリー」になぜ乗らなければならないのか(本当にフリーライダーってのは「乗る」のが大好きだね)。
運営批判として<もはや主催の手を離れた>というのは一面では事実だと思うけれども、それでも運営がいなければ「場」は絶対に保たれない。<手を離れた>からと言って、だから何をしてもいいというのは、あまりにも「場」や他の参加者へのリスペクトがなさ過ぎるというものである。誰も「おまえ」のために集まっているんじゃない。
現場での罵詈雑言は論外として、その「場」で参加者を名乗って、お客さん気分でストレス解消したり、手前勝手な戦術や戦略を他の参加者に押し付けるのはいい加減にしていただきたい。

もはや揺るぎようがない戦略で「場」は作られた。
この後、自分たちの「場」を育てるのは、当事者意識を持った参加者ひとりひとりである。

勝てなかった≠負けなかった/第17節 川崎戦

2012-07-08 13:22:54 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


アフシン「カリフォルニアにいるかのように感じました。夏になり、太陽が出て来て、雨もあまり降らずに日照りが続いてしまって乾いてしまうようなものが、それが我々のゴールにもあると思います。(中略)日照りが続いた後、そして雨が降り出すとそれがどんどん続いて行くと思います。そのように雨が降り出したかのように、我々がゴールが決まり出したら、そして後半戦は多くのゴールを決めて行ければと良いと思います」(Sの極み 7月7日付)

リーグ折り返しの17節川崎戦をスカパーで観戦。このゲームは7月4日を「誕生日」とするクラブ創設20周年のバースデイ・ゲームでもある。
しかしこの日も勝てなかった(≠負けなかった)。

去年の0-4の3連敗という怪記録を彷彿とさせるような苦しい状況が続いている。乾坤一擲の戦いであったアウエイ仙台戦に勝って以来、これでリーグ戦7戦勝ちなし。ここのところの傾向ならば連勝中の仙台を清水が止めて、以降仙台はズルズルと順位を落とすというパターンなのに、皮肉にも勝った清水の方が勝ち点を伸ばせずズルズルと後退している。前半戦、ドローが極めて少なく勝ちか負けという「結果」を出してきたチームがまるで結果を出せなくなってしまっている。順位も一気に2ケタ順位に落ち、上位との勝ち点差もそれなりに離されてしまった(17節終了時点では9位に上昇…!)。
さらに連勝中だったナビスコ予選も、予選通過が決定したクラブ同士の消化ゲームともいえる最終節でわけのわからないジャッジで逆転負けを食らう。これで公式戦8戦勝ちなしである。先週は鹿島戦、大宮戦で完全に喉が潰れた。



ゴール裏のブーイングは、まあ、当然である。オレらは「熱い」のだからその熱さを表明せずにはいられない。
だからと言って内容が悪いのかといえば必ずしもそうとは思えないところが悩ましい。
未勝利ロード序盤のセレッソ、浦和戦あたりはゲームの組み立てのレベルで対策を打たれた印象はあるものの、それ以降のゲームはむしろ内容的には圧倒したゲームの方が多かったと思う。この日、川崎の風間監督が「面白くなかった」とコメントしているのも、チームの出来の悪さと共に清水が川崎に「自分たちのゲーム」をやらせなかったことも大きいのではないか。前半戦から続く失点の少なさはもっと評価されてもいい。途中交替したとはいえ、この日ようやく復帰した岩下の存在も心強い。

ゴールが決まればチームは動く。もはやリーグ戦1000ゴールなんてどうでもいい。とにかくゴールを、なのである。
次節はまたもやホームで柏戦。リーグは後半戦に入る。次は行く。何が何でも勝つ。

その瞬間まで/6.29~7.1首相官邸前抗議

2012-07-02 15:23:47 | News


どこでその瞬間――21時を迎えるか。それが問題だった。

延べ「20万人」が参加したという金曜日の官邸前抗議は、ただ「凄かった」としか書きようがない。
オレ自身は六本木通りの交差点あたりの歩道でコールを途切れさせないように、声を上げ続けることに集中していたので、最前線での下らない英雄主義的な、もしくは武勇伝的な連中が起こしたという「トラブル」は理解できないし、どうでもいいエピソードである(そんなものに付き合わされたスタッフには心から同情する)。

翌日の土曜の夜から大飯原発ゲート前での凄まじい抗議がustで中継されていた。
夜更けから抗議の声は「再稼動反対」という、これまで官邸前抗議の基調として叫ばれていた同じ言葉がまったく途切れることなくコールされ続けた。硬質で、揺るぎのない声、リズム。素晴らしく、感動的なコールだった。
その言葉を、その日の夕方にスタートした横浜でのTwitterデモでも叫び続けた。それは連帯の表明であり、「今、大飯で何が起こっているのか」というデモンストレーションである。第2集団にはドラムがいなかったせいかリズム感が微妙だった(ゴメン)コールリーダーの子には申し訳なかったけれども、ほぼそれで押し通した。



そして、どこでその瞬間――21時を迎えるか。それが問題だった。
横浜でのTwitterデモが終わった後、新宿に合流しようかと思ったのだけれども、デモ後のスピーチタイムで官邸前での座り込みがアナウンスされ、迷わず官邸前に向かった。19時過ぎに官邸前に着いたときはオレを含めて4名。途中、こちらの人数の少なさに足元を見たのか、右翼風の二人組がしつこく野次を飛ばしてきたが、さすがに直接絡んでくるようなことはなかった。結果的には10数人ほどが集まったか。

21時まであと30分ほどになった頃、警備責任者から「社会通念上、20時で終了してもらっている」との通告を受けた。
しかし制御棒が抜かれる「その瞬間」21時までやらせて欲しいとお願いした。「その瞬間まで、ここで」声を上げるために来ているのだから、「ご近所の皆さん」には申し訳ないがこれは譲れない。中心になって熱い声を上げていた兄さんはなかなか納得できないようだったが、今週も、そしてこれからも「ここで」声を上げ続けていくためには、警備と無駄なトラブルになるよりも、ひとまず納得してもらうしかない。こちらのお願いには明確な言葉として答えはなかったが黙認という形になったようだった。
大飯のゲート前と「ここ」はつながっているのだから、その瞬間まで、ぎりぎりまで声を上げ続けたい。もちろん「ここ」とは官邸前だけではなく、各地で声を上げ続ける人たちがいる場所のことである。そして声を上げ続けたという事実が今週の、そしてこれからの抗議につながっていく。
「一応、“20時まで”と言いましたからね」と言い残して警備責任者が立ち去った後、兄さんは再びスピーチし、男泣きした。
抗議の現場では貰い泣きしそうになる場面は少なくないのだが、さすがに熱いものが込み上げた。

今週は連日のように声を上げ(まあデモや抗議ばかりじゃないけれども…)さらにこの日の夕方には横浜で文字通り声を振り絞ってしまったので、さすがに、もう限界なぐらい、喉が潰れた。もはやいくら叫んでも、ほとんど声にならない。こんな大事な瞬間に情けない限りなのだが、それでもぎりぎりまで出涸らしのような声を上げた。
21時を数分過ぎ、「再稼動直後の官邸前」抗議は終わった。



終わった後にいつものように国会議事堂を抜けて霞ヶ関を通りながら声を上げる。官邸前が終わってから、あれほど出なかった声が出始めた。まあ、まだまだ終わりじゃねえぞってことです。