徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

あえて、パブリックエネミーになる時/『VIBERHYME』復刻に寄せて

2019-03-30 12:55:20 | VIBE RHYME


どうせ復刻されないだろうし、音源も埋もれるんだろうなあと思いつつ(VIBERHYMEも希少だし、高値だし、今更入手できないだろうなあとも思いつつ)ライムの書き起こしをコツコツとしていた。しかし、それでいいのだ。もう公開された音楽と言葉、それは、自分のものなのだから。

前回の投稿に関連するが、オレはJAGATARAの想いを、ある意味でビブラストーンに託していた。あの、日比谷野音で行われた江戸アケミ追悼コンサートで高田エージの『タンゴ』の最中に、悲痛なまでのある女性の叫び声がいまだにオレは忘れられない。2019年に復活したTokyo soy sauceで、その高田エージの『みちくさ』で踊りながら、あの日のビブラストーンを思い出していたのだ。野音の金網の外で、バブルの終わりにオレは『WABI SABI』を踊っていた。
<自分では、いつまでも古びない、そして他にはない独特の表現をここに残してきているつもりなのだが『VIBERHYME』>
と復刻版に近田さんは書いている。
残すも残さないも、そして古びるも古びないも、それを受け取った側の問題である。

そして『VIBERHYME』は復刻された。
今、つまらない大人の諸般の事情により電気グルーヴは配信されてないが、ビブラストーンはほぼ完璧に配信されている。
つまらない大人にならないようにハズレくじを選んでクソオヤジになってしまったが、それはそれほど問題はない。これは今聴くべきだし、今噛みしめるべき言葉たちである。

今聴かないとお前らいつか後悔するぞ、と思う次第である。

我が最良の80年代の記憶/TOKYO SOY SAUCE 2019

2019-03-17 14:59:17 | Music


今や80年代は悪い時代だったと言われる。例えば「MANZAIブームのあとには日本人の(笑いの)感覚が変わる、荒野になる」と時勢を斬った萩本欽一や沢田隆治(この人も毀誉褒貶相半ばする人だし、彼ら自身が時代の変わり目に直面していたわけだが)の言葉のように、あの当時であっても警告していた人はいたし、その時代に10代から20代を過ごした自分にとっても思い当たるふしはある。時代は変わってしまった。あの頃、鋭い社会批評だったものの多くは、その後に訪れる超反動時代の萌芽であり、21世紀を迎えた頃には呑気な時代遅れで、今や幼稚でしかない<本音>に反転してしまった。
しかし80年代が最悪の時代だったからといって、すべてが最悪なわけではもちろんない。そしてもちろんこれは笑いの話ではない。

昨夜は渋谷のクラブクアトロでTOKYO SOY SAUCE 2019へ行った。彼らと彼らがいたステージは最良の80年代のひとつだった。
1986年の初回から30年以上の時間が経ち、ミュージシャン、スタッフ、オーガナイザーなど少なくない関係者が逝ってしまった。しかしs-ken、Oto、松竹谷清、そしてこだま和文というイベントの中心人物は健在であり、3.11以後、生活拠点を熊本の山中で移していたOtoをs-kenが訪ねたときから復活が話し合われていたのだという。
しかしオレ自身には<TOKYO SOY SAUCE>の記憶はそれほどない。初回(渋谷ライブイン)に行っていないのは確かだが、その後5回まで行われたイベントに行ったのか、行っていないのか記憶にない。確かなのはインクスティック芝浦ファクトリーという場所には頻繁に行っていて、彼らはその場所によく出演していた、それだけだ。若造だったオレには<信用できる場所>が必要で、例えばザ・スズナリと同じぐらい、その当時インクスティック芝浦ファクトリーは信用できる場所だったのだろうと思う。ちなみにJAGATARAの最後のライブなってしまった新宿のパワーステーションには行かなかった。たぶんパワーステーションだから行かなかったのだと思う。また観られるだろうと。油断した。往年の<TOKYO SOY SAUCE>のようすはJAGATARAのドキュメンタリーである『ナンノこっちゃい』で観られる。倒れるほど観た。あの『ビッグドア』は聴いたことがなかったので悔やんだ。しかしあれこそがオレが観ていたJAGATARAだった。

JAGATARAは今もなお強度のあるアケミのメッセージとビートでオレたちを踊らせ続ける。この夜のようなパンキッシュな『みちくさ』のコール&レスポンスは、ノスタルジーだけではなく今の時代だからこそできた呼応だったのだと思う。『都市生活者の夜』でノブが「甦れ!」と叫んだのもきっとそういうことなのだ。ノスタルジーだけではないのだ。いやノスタルジーではないのだ。少なくともオレにとっては(ノスタルジーといえばJAGATARA2020でベースを弾いていた黒猫チェルシーの宮田岳の佇まいがナベちゃんにそっくりで驚いた)。
彼らはポップで国境線のない、踊るオルタナティブで、新しい日本人を作っていた。
堂々たるゴッドファーザー然としていたs-kenと松竹谷清、そしてこだま和文の完璧に「楽しい」ステージで踊っていて、そしてあえてこの夜に『Shangri-la』と『不滅の男』をプレイした高木完に改めてそのことを痛感した。オレたちは、否が応でもすでに<楽しむためには正面切って戦わざるを得ない国>に生きていて、そして彼らのライ「ヴ」を観て、スピリッツを受け継ぎ、踊りながら考えて、大人になったのだ。

s-kenの最後の挨拶のあと、南、Oto、EBBYの三人が名残惜しそうに去っていく姿は『ある平凡な男の一日』が聴こえてくるようで、まるで『ナンノこっちゃい』のワンシーンのように思えた(Otoはいつもあんな風にフロアを煽っていた印象がある)。みんなもうさすがにいい歳なのだが、またここから何かが始まるのだろうと思う。オレたちは生き残っている限り、そうでなくちゃいけない。
ステージで、そしてフロアで踊っていたみんなも。

東京が自分の町ならば。


20190316 TOKYO SOY SAUCE2019 大団円