徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

「専門家なら10人が10人ともそう判断する」/志賀原発活断層調査地図

2014-02-23 23:59:59 | News Map

(東京新聞2012年7月19日付 原発敷地断層 志賀、大飯の再調査指示/保安院 北陸電、関電に)


<ところがこのスケッチを見て、今回は多くの専門家が「活断層」と口をそろえた。(中略)日本の原発は専門家によりダブルチェックされる決まりだ。S-1断層は、1号機の審査で通商産業省(現経済産業省)と原子力安全委員会の審査を通過し、2号機の審査も両方パス。さらに2008年には耐震性に関して現地調査を含む再審査があった。(中略)当時の委員の一人は「地質や断層の専門家がいて、私たちが口を挟める雰囲気ではなかった」と証言する。(中略)「直下の断層は活断層ではないという前提で進められた」と委員の一人は振り返る。(中略)渡辺(満久・東洋大教授)は「これを活断層でないと思っているとしたら、その人に委員を務める能力はない」(中略)「責任は原子力安全・保安院と原子力安全委員会にもある。いまになって電力会社を叱りとばすのはおかしい」と話す。>(東京新聞2012年7月19日付 志賀原発直下再調査へ/活断層埋もれた25年/安全委お墨付き 形だけの審査/「存在否定なら委員能力ない」)


■22日調査ポイント
<原子力規制委員会の有識者調査団は22日、北陸電力志賀原発(石川県)での断層現地調査の初日を終えた。(中略)今回の調査の焦点の一つが、1号機直下の「S-1断層」の活動性。北陸電が位置を誤認していないかどうか確認が必要との指摘が、調査団から出ていた。島崎氏は「北陸電からていねいに説明していただいた。(北陸電の主張通り)一つの断層であろうと感じました」と述べた。>(東京新聞2013年2月23日付 志賀原発 直下断層位置誤認なし/規制委が「S1」確認)


■専門家らが断層調査した海岸部
<立石雅昭新潟大名誉教授(地質学)らのグループが、北陸電力志賀原発1号機(石川県志賀町)直下のS-1断層は活断層ではないという主張の根拠の一つを覆す調査結果をまとめた。(中略)立石氏は「地質の専門家なら10人が10人とも断層と判断するような分かりやすい断層。これを『断層ではない』というのは理解に苦しむ」と指摘し、北陸電力の調査内容に疑問を呈している。>
(東京新聞2013年9月13日付 志賀原発1号機 西側の海岸部「断層」/北陸電「侵食作用」を覆す/新潟大グループら調査)


<志賀原発1号機(石川県志賀町)直下の「S-1断層」が活断層ではないかと指摘された問題で、北陸電力(富山市)は19日、S-1断層は活断層ではないとあらためて主張する一方、原発から東へ約1・4㌔の「福浦断層」は活動の可能性が否定できないとする最終報告を原子力規制委員会に提出した。北電は「安全性に影響を与えるものでない」と結論付けたが、疑問の声が上がりそうだ。>(東京新聞2013年12月20日付 志賀直下「活断層なし」 北陸電最終報告 敷地外は可能性)

東京都「はだしのゲン」撤去請願マップ

2014-02-21 23:59:59 | News Map

■「はだしのゲン」の撤去を求める請願や陳情が出された東京都内の自治体


■各都県教委の状況
<請願は「旧日本軍の残虐行為を捏造している」「天皇に対する侮辱や国歌の否定が含まれる」として、学校図書館などからの撤去を求めている。練馬区教委などに請願を出した「教育問題懇話会」の代表者は「史実をねじ曲げた思想宣伝の教材になっている。親や教員の指導がないまま、子供に読ませるには毒が強すぎる」と話した。一方、対抗する形で、都や練馬区などには、自由に閲覧できるよう求める請願も出された。都教委は1月「幅広い知識を身に付けさせるため、さまざまな資料が必要」として、いずれの請願にも応じないことを決めた。一方で「一部に教育上の配慮が必要な暴力的表現がある」とも指摘。校長や教委関係者の会議で、適切な読書指導を行うよう衆知した。>
(東京新聞2014年2月21日付 変質する「平和」はだしのゲン都内で撤去請願/教委・議会に14件)

丸川哲史「核とナショナリズム」より

2014-02-21 17:51:16 | News
アジアでは1964年に中国が核実験をやりましたけれども、それはかなり画期的といいますか、大きな転換点になるわけですけれども、その動機をずっと遡っていきますと、朝鮮戦争というのは一番大きいわけですよね。
朝鮮戦争のときに(アメリカ軍が)原爆投下をする可能性がかなり高まっていた時期がありまして、おそらく中国の東北部に落とすだろうと(可能性が)一番大きかったわけですけれども、そういうことの連続性の中に中国現代史というのはあるわけで、やはりそこまで遡って考えると、やはりどうしても自分たちの国を守るというかなり直結したですね、主権に結びついたところでやはり核開発はなされているので、日本と違って完全に国家の内部にそれを作るということが意識化されているんですね。

(その観点から日本の「核の平和利用」は)例えば広島という都市自身を平和という方向へ意味変換するわけじゃないですか。そういったこと自体が中国人からすると、おそらくあまりよくわからないと思うんですね。遡ると広島というのは軍事都市だったわけですから、そこにかなり意味転換の要素があって、平和の都市に生まれ変わると、これ自身は日本人の真の願いだと思うんですけれども、そういった自身は日本の中で行われた、あるいはアメリカとの関わりの中で起きたことですから、非常に微妙な問題だと思うんですね。
ちょっとだけ注釈しますと、つまり例えば47年に広島平和祭というのが行われるわけですけれども、途中で1950年に中止になるわけですね。つまり朝鮮戦争が起きるからだと思うんですね。53年まで中止になりまして、54年に改めて広島平和祈念式典という、我々が知っている平和祭の形ができるわけですけれども、そういう空白があること自体がある種、日本の特殊性といいますか、今日の話、後の話になると思いますが、日本のナショナリズム、あとアメリカとの関係というような意味で非常に重要な論点になるんじゃないか。
つまり朝鮮戦争の期間(に)広島の平和祭自身が中止されていたという問題ですよね。こういうことの欠落を埋めないと核の意味合いは違うと思うんですよ。つまりその頃、中国は参戦していたわけですから。そういう欠落を埋めないとお互いに、どうしてそのような問題になるのかということがわからなくなってくる。

それはアメリカ軍、GHQにとってみても、平和祭(が)どういった意味合いを持つのかという(のは)、非常に微妙なものがありまして。例えば私は広島の平和祈念館に行ったんですけれども、戦前含めていろんなパネルがあったんですけれども、非常に面白いなと思ったのは、ちょうど朝鮮戦争が行われているときに、広島市長がパリに行っているんですね。彼は朝鮮戦争における核兵器の使用について反対であるということを談話で発表している。これは非常に重要なことで、そういうことは広島にとって非常に重要な歴史だと思うんですけど、平和祭という問題の中に朝鮮戦争批判なるものが入っては困るということを類推せざるを得ないと思うんですね。
そういう意味で言いますと、広島のことを編年体的に追ったとしてもそういう事実があるわけであって、それがなぜ中止に追い込まれるかということを考えないと、日本におけるある種の平和運動といいますか、核に対する対応がどういうものであったのかということは、単純ではないと思うんですね。やはり東アジアの状況と連動していたということが、やはり復元されるべき歴史だと思うんですね。

■原子力の平和利用への期待
広島平和宣言
1954年「原子力の適当なる管理を全世界に訴える」
長崎平和宣言
1949年「偉大なる原子力は世界平和のため人類の福祉に貢献せられんことを熱願する」
1951年「原子力を平和の手にする猛運動を巻き起こし、人類の平和維持のために闘はんとする」


東アジアの文脈で言うと、日本で私たちが中学高校で習ったときの三原則ってあると思うんです。主権在民と平和主義と基本的人権の尊重、こういうことがセットになって日本(で)どういう教育(が)されているかということに関して、実は東アジアの人たちは知らないわけですし、平和主義ということ自身は日本人の中である種、当たり前の、空気のように吸っているということがあると思うんですよね。独特の日本人のイメージはあると思いますし、それがある種、普遍的なものであるということも、おそらく日本人は含意していると思うんですね。

しかし普遍的なものであるかどうかは、やはり東アジアの視点からすると、例えば先ほどから言っています平和祈念式典に(東アジアの人たちは)行けないですよね。つまり第二次世界大戦のトドメを刺した、ある種の一撃と考えられますから、ある意味でそこへ行くことはあり得ないわけですよ。日本以外の東アジアの常識としては、そこへは行かないんですよね。
ということは、それは普遍的ではないということなんですよ。政治的な文脈を背負って、そこへ行かないということを決断しているわけですから。行かないことが常識なわけですよね。行かないことが常識だということが東アジアの中で埋め込まれている。
ということは、それは日本人にとってみると広島・長崎というのは普遍的な、ある種人類に対する問いとしてあると思うんですけど、実際に東アジアの視点からすると普遍的と言えるか。逆に言うとカッコ付きの、日本的な普遍主義であるとしか言いようがないようなものとしてある。ということはある種日本人が持っている平和主義のイメージがかなり限定付きなものである、ということは考えざるを得ないと思いますし。

有名なエピソードではありますが、広島の原爆死没者の慰霊碑の文句ですよね。「安らかにお眠り下さい、過ちは繰り返しませんから」。この主語は誰かということは書かれない、書くことはできないわけですよね。例えば誰が原爆を投下したかということは文句(文言)に書くことはできないということですよね。そうするとつまり普遍主義という構図を考えるとすれば、普遍主義は誰が誰に対してということを明示しなければストーリーにならないわけですよね。しかし文句は非常に曖昧なものであって誰がどういう関係で原爆が投下されて、誰がどこに投下して、それが(いかに)悲惨なものなのかということは叙述されていないわけですから、そういったことがある種日本的な、ある種特殊的な普遍主義を意味していると言わざるを得ない。
実際に中国や韓国や台湾の人たちはこの碑文を知らないんですよ。内容は。で、おそらく日本人も知らない可能性はありますよね。だからこの碑文が持っている言葉の構造といいますか、何なのかということ自身は踏まえられるべきなんじゃないかと私は思いますね。

日本は独自に核開発できるか。誰がどのように目指すか、誰の視点でそれを見るかという話にどうしてもならざるを得ない。つまりこれは、ずっと戦後の社会の中にある考え方として、自分たちは核武装したいという欲望が、どこかの勢力といいますか、日本人の思想家なり政治家なりにずっとあったわけですよね。しかしある意味それはブラックボックスといいますか、かなり秘密裏にやろうとして、しかしまあ「無理かなあ」みたいな感じでと消えた側面がある。つまり佐藤栄作政権のときにそういうことは一度考えたわけですね。しかしそれはやはりできないだろうという判断があってですね、非核三原則を言うという方向に行くと、僕は思っているんで。
というのは面白いことに、日本の首相自体がですね、広島の平和式典に言ったのは1971年が始まりですからね。それまでは行っていないんですよ。ということはそれまでは態度を決定していないということなんですね。勿論平和主義ですし、核兵器(を)作らないということは何となく日本人は期待しています(し)そのように動くだろうということはありますけど、71年まで日本の首相は平和式典に行っていないわけですから、その事実は考えなきゃいけないと思う。

1949年 湯川秀樹、日本人として初めてノーベル賞を受賞
1952年 漫画「鉄腕アトム」の連載がはじまる(1968年まで)
1953年 米アイゼンハワー大統領、国連総会で「アトムズ・フォー・ピース」演説
1954年 第五福竜丸、ビキニ環礁でアメリカの水爆実験により被災
1955年 原子力平和利用博覧会
1967年 佐藤栄作首相が衆院予算委員会で初めて「非核三原則」を表明


私の父親自身は理科系で、やはり湯川秀樹氏を非常に尊敬する世代なんですね。彼のノーベル賞受賞なんかに勇気付けられてそっちの方向に、大学に入るという世代なんですけど、でも単純に調べれば、例えば彼とか戦中に核開発に関わっていた人物であるとか、調べればわりと出てくる話だと思うんですよ。
そうするとうがった見方をするとですね、平和って意味転換そのもの自身が、ある種、無意識的な意図的といいますか、そういうふうにも聞こえざるを得ない。つまり湯川秀樹氏(のような)、ああいった良心的な理科系の知識人といわれている人はその後反核運動にまい進するわけですけれども、実際戦中には核研究の一員になっていたということですね。これを鮮明にしていないということがあると思います。

核開発をするときの歴史状況というものが、例えばドイツとかアメリカ、まあ日本も含めて第二次世界大戦の途中だと思うんですね。「途中」という文脈が強いわけですから、ある種…世界大戦の最中という文脈があると思うんですね。
第三世界の、特に中国(の核開発)の場合には冷戦下に入りますから、ちょっとそれはまた違うという考え方を私は持っています。中国の場合、その後インドになりますけれども、先ほど言ったけれども「主権」だと思うんですよ。かなり反対されるというか、つまり第二次世界大戦のときは競争ですよね。世界大戦中ですから誰しもそれにまい進しますし、それを抑止する上のものはないわけです。しかし冷戦期に入りますと、それを抑止するという視線ですよね。中国の場合はアメリカがありますし、それからソ連がありますよね。上からの視点でそれを抑え込むという力に対して、それに反発する形で第三世界の場合は核を持つわけですから、より純粋な形で主権を守るという文脈は第三世界の方が顕著に見える。そういうことになるんじゃないかなと私は思う。

中国の首脳は核兵器に対して使わないし持たないという姿勢があったんですよ。
ということはこの中(現視力平和利用博覧会)に中国は入っているということになるんですよね。つまり平和というタームを自分たちも共有するというか。原子力の平和利用ということを55年に西側ではいいますよね。そのとき中国の側、第三世界主義は自分たちは核を持たない、核兵器を持たないという立場でうっすらつながっている側面があって、つまり1950年代は中国が核兵器を開発(する)前は、日本のインテリの考え方の中では、中国が平和勢力というものの中に完全に入るわけですよね。(そういう)構図はあったことが前提で、64年になって中国が核兵器を開発したということになって、そのときにおそらく、いろんな資料でもありますけれども、日本の左翼勢力は動揺が走ることになる。
その前から例えばソ連の核は「良い」という議論も左翼の中にはあったんですよね。そこで(中国が核開発したことで)動揺が走るということで、60年代にあったということも整理する必要があると思う。世界にとって誰が平和勢力であるのかということはそれなりにかなり大きく変化してきたと思いますし、その中で今の日本人にとってみると、中国というのは平和な国家であるのかどうかはわからなくなっていると思うんですよね。

興味深いことに64年の中国の核実験に対する反応というものはですね、アメリカ合衆国側はやはり道徳的な意味は問わないんですよ。核兵器を開発してしまった近代国家として認めざるを得ないという方向に考えざるを得ないですね。
で、日本の側は反核運動、平和主義がありますからある種の幻滅みたいなものが起きるわけですね。こういうことは興味深いと思うんです。これはどういう文脈につながるかというと、結局中国が64年に核実験をやりますけれども、当時は主にアメリカ(ソ連)に対する牽制もありますけれども、これは72年の米中の接近ですよね。つながらざるを得ないように見える。つまりアメリカ合衆国は中国を一人前の国として認めるような儀式として64年があるように見えてしまう。日本では決してこういう文脈は生まれないと思うんですよ。だけども実際に、先ほど話しましたけれども、佐藤首相がですね、やはり核兵器の開発を決意したのはやはり64年の衝撃が大きかったからだと思うんですよ。それは隠さざるを得ないからずっと秘密裏にされてきたわけじゃないですか。だけど最終的に断念して71年に非核三原則を言って、広島の平和式典に出るという決断がありますから、
これは60年代後半に日本の上層部においては、ある種の判断をせざるを得ない時期があったと思うんですね。自分たちが核兵器を持つことができるかどうかということを突き詰めて考えた時間が60年代後半にあったと思わざるを得ないですね。

丸川哲史「核とナショナリズム」(朝日ニュースター「ニュースの深層」2011年7月放送)より

除染廃棄物中間貯蔵施設エリアマップ(計画中)

2014-02-13 23:59:59 | News Map

■中間貯蔵施設のため政府が国有化を計画するエリア
<佐藤知事は「施設は重要だが、双葉郡の復興のために最小限にしたい」と強調。これに対し石原環境相は「本来なら計画変更は難しいが、地元の総意なので重く受け止めたい」と答えた。環境省は月内にも施設を2町に集約した新たな計画を提示する方針。福島県や地元の説明を受け、建設受け入れの是非を判断する。また、佐藤知事は楢葉町に代わりに低濃度の放射性廃棄物の処理施設を建設することや、30年以内に県外で最終処分する法制化を実現するための具体策の明示、地域振興策の提示なども求めた。国の計画では第一原発周囲など3町で計約19平方㌔を国有化し、除染で出た土壌や1キログラム当たり10万ベクレルを超える高濃度の廃棄物を保管する予定。来年1月の搬入開始を目指し、昨年12月に地元に建設への同意を要請した。>
(東京新聞2014年2月13日付 中間貯蔵2町集約要請 福島知事、環境相に 双葉・大熊/楢葉は除外)

中国もメタンハイドレード調査に本腰マップ

2014-02-10 23:59:59 | News Map

<中国国土資源省は昨年12月、広東省南側の海域(珠江口盆地東部)で、水深600~1100㍍の海底に、天然ガス換算で中国の年間消費量に相当する1000億~1500億立法㍍の埋蔵が確認されたと発表した。(中略)中国メディアによると、南シナ海には石油換算で680億㌧相当量のメタンハイドレードがあると推測されているほか、青海省に350億㌧相当の埋蔵が確認されている。国土資源省は調査対象を国内全域と周辺海域に広げる方針を示しており、埋蔵が有望視される東シナ海や南シナ海南部でも調査が行われれば、日本など周辺国の反発を招きそうだ。>
(東京新聞2014年2月10日付 メタンハイドレード 南シナ海に大量埋蔵/中国が調査本腰)

富士山降灰分布地図(宝永噴火パターン)

2014-02-08 03:51:38 | News Map

■宝永噴火規模を想定した降灰分布と避難対象者数
<静岡、神奈川、山梨の三県や内閣府でつくる「富士山火山防災対策協議会」は6日、静岡県富士市で会合を開き、1707年の宝永噴火と同規模の噴火が起きた場合、30㌢以上の降灰による避難対象者を三県で計47万人と推計する広域避難計画を取りまとめた。(中略)協議会の委員、藤井東大名誉教授(火山学)は「富士山は決まった火口を持たず、噴火の形態も多様で事前の予想が難しい。いざというときは住民一人一人の判断になるので、日ごろから避難先を確認しておくことが重要だ」と述べた。>
(東京新聞2014年2月7日付 富士山噴火 降灰で47万人避難計画/周辺3県 溶岩流では75万人)

デモクラシーという<クラブ>/東京デモクラシー、始動

2014-02-03 13:03:32 | News




昨夜は渋谷駅前ハチ公口周辺で「東京デモクラシー、始動」。
J発足以降、日本でも主に政治や行政においてボランティアをサポーターと呼称することが非常に多くなったのだが、ほとんどの場合は都合のいい「無償のお手伝い」の言い換えに過ぎない。しかし昨夜の渋谷、あの場にいた人たちの多くは、その意味において本物のサポーターだっただろうと思う。では何のサポーターだったのか。
プレーヤーは所属するクラブを変えることができるが、サポーターは愛するクラブを変える事ができない。

あの夜、あの場所にいた人々の中には、その意見がtogetterでもまとめられていたように、選挙前の宇都宮陣営について辛辣な意見を飛ばしていた連中が少なくない(オレも)。しかし戦いが始まってしまえば、それぞれができること、やるべきことをやるしかない。コア(スタッフ)に指示されなくたって、「場」のために考え、勝手に動いてしまうのがサポーターなのだ。
イベントタイトルの横には、宇都宮健児候補を表す<U.K.>の文字があったとはいえ、メインタイトルはあくまでも<東京デモクラシー>である。勿論あの場にいた人々は宇都宮候補の支持者なのだが、大仰に書いてしまえば、サポートしているのはあくまでも<デモクラシー>だろう。
I WILL VOTE、そして第二、第三のU.K.を送り出す土壌を作ることが、あの場にいた「サポーター」の願いだろうと思う。

宇都宮候補はスピーチの中で沖縄との連帯を口にした。国政選挙は3年先まで行われないとはいえ、これから全国各地で行われる地方選挙の結果のひとつひとつは実に重い意味を持つ。来年4月には統一地方選も行われる。この戦後70年の節目の年にファシスト政権が何を目論んでいるのかはもはや明らかだろう。
投票日まであと一週間を切った。結果がどちらに転ぶのかは、まだわからない。
ファシズムという<クラブ>と戦い、勝ったり負けたりしながらデモクラシーという<クラブ>のサポーターであるオレたちの生活は続いていく。その積み重ねにはきっと意味がある。




明治日本の産業革命地図(世界文化遺産向け)

2014-02-01 23:59:59 | News Map

■明治日本の産業革命遺産
<来年の世界文化遺産登録に向け、政府は1月末、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に、九州・山口を中心とする「明治日本の産業革命遺産」の推薦書を提出した。今年6月に登録の可否が審査される群馬県の「富岡製糸所と絹産業遺産群」に続く登録を目指す。(中略)国内の世界文化遺産はすべて文化財保護法で国の文化財に指定されているが、産業革命遺産は「官営八幡製鉄所」(北九州市)や「三菱長崎造船所」(長崎市)といった現在も稼動する企業保有の工場が含まれている。企業側は改修の自由が奪われる文化財指定に消極的なため、景観法や港湾法などを活用した新しい保全方法を探る予定だ。(中略)また、韓国政府は、一部に植民地時代の強制徴用で朝鮮半島出身者が働かされた場があるとして、推薦に反対する意向を日本側に伝えている。>
(東京新聞2014年2月1日付 世界遺産 政府が推薦書「産業革命遺産」壁高く/九州中心 静岡、岩手「飛び地」懸念)

そして僕らは大人になる/「いびつな絆 関東連合の真実」

2014-02-01 22:12:17 | Books

工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島SUGOI文庫)

昨年のハードカバー刊行後の反響と著者に対する関東連合見立派の殺人予告、そしていまだ海外逃亡を続ける見立容疑者を残し、刊行後に行われた「六本木クラブ襲撃事件」裁判の模様を大幅加筆した文庫版。ということで400ページ超ながら、一気の読ませるのは、その話題性もさることながら、どの程度編集部が手を入れているのか、ゴーストがいるのかわからないけれども、文章と構成のテンポの良さにある。また「六本木クラブ襲撃事件」で不幸にも人違いで撲殺されてしまった被害者の描写(検視した解剖医の証人尋問など)は生々しく残虐なものだけれども、基本的にこの暴力集団の残虐描写は本書ではメインテーマとはされていない。まるでそんなスキャンダリズムは必要ないと言わんばかりに、著者は本書から“武勇伝”をさらっと排除してしまう。まあ、本書は武勇伝ではなく、あくまでもギャングスタとしての関東連合の成立と、その告発なのだから、それはそれで当然なのだろう。

ということで、本書で強調されるのは不良少年特有の強烈なタテ社会と世代論である。
出身中学や学年の違いや、先輩後輩の関係は不良少年にとっては実に大事なファクターではあるのだけれども、昭和53年(52年)生まれから昭和58年生まれまでの6世代しか(新)関東連合として認めないというスタンスは、持続する集団としてはかなり異様ではある。
“6世代”の中では年長者のカリスマで、実質的なリーダーであった見立容疑者は「俺たちは横並びの組織で、それぞれが独立した組を持っているようなもの」と言っていたという。“卒業”や“引退”をしなかった彼らは、カリスマの強烈な存在を認めながら、そんな曖昧な関係を結び、グループを維持しながら社会に関わっていく。
少年、青年時代ならば、それはそれで強烈な仲間意識や帰属意識、そしてカリスマの隠然たる力を育むだろう。たとえそれが石元太一被告が自身の著書で書いたように「同調圧力」であったとしても。
しかし、誰だって大人になる。一般社会だけではなく、裏社会であっても、勿論彼らは大人になることを求められる。同世代に限られた不良少年たちの閉じた関係は、当然いびつなものに変質していく。

唐突に競馬の話だが、人生はオープン戦である。
2歳、3歳ならば、ただひたすら同世代の中でダービーやオークスを争えばいいのである。しかし4歳以上はオープン戦だ。百戦錬磨の古馬と渡り合って行かなければならない。
人間だって高校、もしくは大学を卒業してしまったら百戦錬磨の“大人”と闘わなければならない。子どもたちが馬鹿にするような駄目な大人がたくさんいる代わりに、若さの勢いだけではちょっとやそっとでは勝てない、物凄い大人も本当にたくさんいるのだ。
条件戦で戦える時間は、そう長くない。