徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

あたらしい人/排外デモカウンター行動(1.18~1.19)

2014-01-21 01:34:01 | News
1月も20日過ぎてようやくブログ再開、あけおめことよろです(今更)。

もちろん今年も年明け早々からレイシストたちへのカウンター行動は続いている。
先週土曜日は高田誠が現場責任者となり六本木で、日曜日には有門大輔、荒巻丈らが西川口・蕨周辺でヘイトデモを強行した。高田たちは<キレイゴト>に憎悪の言葉をぶつけ、有門・荒巻は2009年の悪夢を思い出させるように「在日外国人を殺せ」と叫んだ。
日曜日の西川口・蕨では歩道を規制する警備と衝突するたびに、警備からは「仕事ですから」という言葉を繰り返し言われた。その通り、彼らは「どっちもどっち」を逸脱しない立場で、許可したデモ行進を滞りなく進行させるという「仕事」をしているに過ぎない。
まあ、所謂、<キレイゴト>である。

確認したい。
レイシストは<キレイゴト>を唾棄しながら、その<キレイゴト>によって完全に守られ、薄ら笑いを浮かべながらヘイトスピーチ(差別扇動)を繰り返している。オレたちは<キレイゴト>と真正面から対峙し、時には衝突しながら、実はその<キレイゴト>を守ろうとしている。どちらが薄汚くて姑息なのかは明らかだろう。
ということで、オレたちとレイシストとの戦いは<キレイゴト>を巡る戦いでもあるのだが、残念ながら戦いは<キレイゴト>ばかりではできない。なぜなら、彼らは想像を絶するほど薄汚いから、である。

もうひとつ確認したい。
レイシストをしばき隊(現C.R.A.C.)が始動したとき、レイシストと対抗するために「By Any Mean Necessary(いかなる手段をとろうとも)」と宣言した。そして男組は「非暴力超圧力」を標榜し「いかなる手段」の限界に挑もうとした。
「いかなる手段」は男組によって深化し、C.R.A.C.によって展開されている。
「いかなる手段」はどうしたって、その「手段」に対する議論を呼ぶ。残念ながらそれが「いかなる手段」というものなのだから仕方がない。しかし議論を呼ぶほどの「いかなる手段」をなぜ使わなければならないのか。なぜなら、彼らは想像を絶するほど姑息だから、である。



日曜日の西川口・蕨では男組主催による「お知らせデモ」が始めて開催された。これはヘイトスピーチ・デモが行われる街で、デモの直前にヘイトデモが行われることを住民に周知するための行動で、「あらゆる手段」の新たな展開のひとつといえる。事前に有志によって西川口・蕨駅前で周知のための街宣が行われ、当日もお知らせデモの横でチラシが配られた。
お知らせデモを含むレイシストたちに対抗する「あらゆる手段」とは、ヘイトデモに対する直接的な圧力と同時にレイシストを包囲するための「手段」の構築であり、今後もその「手段」は広がり続けていくことだろう。
あれから1年経つということは、そういうことである。
ちなみに、このお知らせデモの参加者のほとんどが直後に行われるカウンター行動するため、それを少しでも遅らせるためなのか、異常なほどの行進の遅さが目立った(一方でレイシストたちの行進のときには、最後尾をロープで押して進行を早めさせたりしていたのだが)。

デモやカウンターの後、TwitterのTLには「デモ・カウンターちょっといい話」が流れてくるのが常なのだけれども、もちろん、現実には、そんな良い反応ばかりが返ってくるわけでもない(肉体的にも精神的にも物凄く疲弊する)。日曜日のお知らせデモでは、地元の商店街のおばさんが怪訝そうな顔をしてお知らせデモを見ていたのでチラシを渡そうと話しかけると、そのおばさんはひたすら
「差別って何? ここに差別はない!」
と繰り返すだけで話すら聞こうとしない。これには参った。当然彼女は「ヘイトスピーチ」という言葉すら知らなかった。「差別」という言葉、そのものに触れたくないというに拒絶を感じた。
一方で土曜日の六本木では留学帰りだという19歳の青年と出会った。昨年のレイシストたちとの攻防はニュースや動画で見ていて、これまで参加できなかったが、この日が初めてのカウンターだという。彼は約束通り、日曜日に西川口までやって来てオレに声を掛けて、お知らせデモの列に加わってくれた。
これでプラマイゼロだと思った。
また新しい人がひとり増えた、という意味ではプラスかもしれない。
あれから1年経つということは、そういうことでもある。