徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

勝利の時も、敗北の時も/監督交替について(2)

2014-08-03 21:33:13 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
克己「(理想とする監督は?)アルディレス監督です。選手時代に楽しくサッカーできましたし、パス回しやシュートだけで(練習が)終わる時もありました。これで本当に大丈夫か?と思いましたけど、選手としては本当に楽しかったです。サッカーの規律ある中で、選手たちの良さを引き出せるようにしたいですし、少なからずその頃のエスパルスへ近づけるようにしたいと思います」(清水エスパルス公式 7月30日付

克己エスパルスは何を目指すのか。
就任会見のコメントを読む限り、クラブの降格危機と監督を途中交替することの効果の少なさに対する認識は伝わる。ましてや柏戦を快勝してしまったことで、監督交替というショック療法はもはやない。何という間の悪さだろう。
就任初戦の東京戦の惨敗は何とも評価が難しいゲームになってしまった。

清水エスパルスのレジェンドである大榎克己は長谷川健太同様、監督の座を約束された男であった。
鈴与の鈴木与平会長はかつてもうひとりの三羽烏である堀池巧にこう言ったという。
「三羽烏がフロントに入ったときこそ、エスパルスは本物のクラブになる」
この言葉に偽りはないと思う。そして表現の差こそあれ、この「ヴィジョン」は長年エスパルスをサポートし続けてきた人間は誰もが共有しているものだろう。だからこそ、克己の就任はほとんど約束されたものであったと言っていい。
こんなことを書くから嫌われるのだが、クラブ設立に関わる地元生まれのレジェンドがいて、創設から継続する、混じりっけのない物語を紡ぎ続けているのは、日本では清水エスパルスだけで、だからこそ清水エスパルスは問答無用のサッカー王国を代表するクラブだったのだ。
しかし、だ。
前回の健太体制が誕生した経緯もあんまりだったが、今回の克己就任もあまりにもスクランブル過ぎないだろうか。
健太も克己も約束された身とはいえ、とてもではないがレジェンドを遇するタイミングではないし、フロントが「真剣」に状況を検討して、依頼したようには思えない。

結果がどうあれゴール裏は克己エスパルスの船出を後押しするしかない。
昨日の惨敗後もゴール裏は克己と彼のチームを鼓舞し続けた。
それはまるで3年前の神戸戦で1-5で惨敗しながらも、それでもスタンドはチームを鼓舞し続けたのと同じことだろうと思う。

最後にアルディレスが自著のタイトルに使用したキップリングの詩を引用する。
もしかしたら清水エスパルスにとって第二のアルディレスになれたかもしれない男と彼のチームのことをオレは忘れることはない。そしてオレは彼をそうさせなかった人たちのことも忘れないだろう。
まあ、それもまたオレたちの物語である。

<もし周囲の人がみな度を失って あなたを非難しても 落着きを失うことがないなら
もしみんなの者があなたを疑っても 自分に確信を持ち 人の疑いを思いやることができるなら
もしあなたが待つことができ 待ちくたびれることがないなら
もし偽りを言われても 偽りを返さないなら
そして善人ぶったり りこうぶったりしないなら

もし夢を持っても その夢に振り回されないなら
もしよい思いが浮かんでも それを最後の目標としないなら
もし勝利を得ても 敗北をなめても 勝利に酔わず 敗北にくじけないなら
勝利と敗北のふたりの詐欺師を同じように扱えるなら
もしあなたの語った真理のことばが 無頼の徒によって
愚か者をとらえるわなとしてゆがめられるのを聞いても 耐えることができるなら
もし心血を注いだものが破壊されるのを見て 腰をかがめてそれを拾い 古い道具で再建するなら
(中略)
地はあなたのもの そこにあるすべてのものもあなたのもの
――私の子よ もうあなたは一人前だ>
(ラドヤード・キップリング「もし」/『人生の訓練 新版』V・レイモンド・エドマン/海老沢良雄・翻訳/いのちのことば社)

<自分としては、サッカーの試合の結果などにできるだけ影響されないようなふりをしています。しかも本当はふりをするのではなく、実際そういうことに影響されないよう心がけたいと思います。キップリングの有名な詩があります。

あなたがそれら二人のペテン師とうまくつきあうことができれば、
勝利と時も敗北の時も
あなたがそれら二人のペテン師と同じようにつきあうことができれば
あなたは男なのです

しかし現実はそう簡単なものではありません。私はまだサッカーを生きているからです。>
(『勝利の時も、敗北の時も』オスヴァルド・アルディレス/鍋田郁郎・構成/NHK出版)


運命のひとひねり/監督交替について(1)

2014-08-03 18:45:53 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


アフシン・ゴトビが更迭された。
シーズン再開後の川崎戦、ガンバ戦の惨敗で解任やむなしのムードが濃厚に漂っていたのは事実だが、先週の柏戦での快勝を見る限り、またもや首の皮一枚残ったかと思っていた。

やはりポイントは神戸戦だったと思う。
今季好調をキープしていた神戸相手に終始ゲームを支配し、終盤に何度も訪れた決定機をひとつでも確実に決めていればその後の状況は生まれなかったと思う。それはリーグも、ナビスコカップも、そしてゴトビの解任も、である。
そして3年前の春、ホームで5失点の惨敗をしながらも、ゲーム終了後のゴール裏は「ゴトビのエスパルス」の船出を拍手で支えたのも神戸戦だった。何てったって、その半年前にボロボロに傷ついたサポーターはアフシン・ゴトビと彼のチームに期待せざるを得なかったのだ。アフシン・ゴトビという人はそれだけのメッセージを持っている人だった。
ただアフシンは運の悪い人だったと思う。

去年の春、ホーム広島戦のゲーム終了後にバス囲みが強行されたときに、ある中年女性が吐いた言葉が忘れられない。
おそらく枝村のファンであろうその女性は、アフシンや通訳の遠藤さん、原強化部長に向かって「誠意がない!」と叫んだのだ。
その言葉に対して猛烈な違和感を覚えたのは言うまでもない。
お客さんとしてその場にいるのならば、そのカスタマーメンタリティたっぷりなクレームも「アリ」なのだろうけれども、当事者たるサポーターはフロントに「誠意」など求めているわけではない。
チームのために何ができるのか、フロントはクラブのために何をするのか、その真剣を求めているのだ。
もちろんアフシンは結果責任を取る立場にある。

健太体制の大崩壊からのチームの建て直し、東日本大震災の発生といったエクストラな2011年シーズンを経て、2012年は「結果」が出てもおかしくないシーズンだった。事実前半戦を上位で快走し、夏から秋にかけては若手中心でナビスコカップのファイナルにまで進出したのだからアフシンのマネージャーとしての手腕は疑うべくもない。付け加えてユングベリの加入はアフシンなしには考えられなかっただろうし、彼が出場したホーム名古屋戦でオレたちはこのチームの未来を見たのだ。

「結果」としてアフシンのチームはそれほど悪いチームではなかった。
事実、健太体制で強化部長を務めた山崎氏(鈴与からの出向社員)は、エスパルス在籍時のインタビューで「数年に一度カップ戦を獲り、時々優勝争いをするチーム」という、実に情けないヴィジョンを語っていたではないか。
サポーターとしてはとても承服できないけれども、それは清水エスパルスの経営という現実に根差した率直なヴィジョンだったと思う。そして、その「ヴィジョン」は現在でも概ね変わってはいないだろう。
2008年のナビスコカップ決勝も、健太体制最後の天皇杯決勝も、アフシン体制でのナビスコカップ決勝も(後者は両方とも鹿島が相手だったが)、もう、ほとんど、間違いなく、優勝を確信して国立のスタンドにオレたちは立ったのだ(両方とも負けた)。自虐的に書いてしまえば、それが清水エスパルスのいう「結果」だったはずなのだ。

またアフシンのチームは一方で0-4の3連敗、ナビスコカップファイナル以降の勝ちなしなど、毎年不可解な負けっぷりを繰り返し見せ続けるチームでもあった。そこには今季の駿のような負傷離脱だけではない、特殊な事情でのプレーヤーの途中離脱が毎年繰り返されたという事情もある。
残念ながらシーズンを通して、このチームに安定感を感じたことはなかった。
これはアフシンのマネジメントの責任だけではなく、チームが経営に振り回された印象しか残らない。裏事情は漏れ伝わる程度でしか把握していないけれども、それが実感だ。今回、早川巌特別顧問の退任も同時に発表された。エスパルスのリーダーとしてはその手腕に対して毀誉褒貶の激しかった人でもあるけれども、健太、アフシン体制を通した時代の終焉を感じざるを得ない。しかし、これはフロントの総括なのか。責任を取るべき人物は他にもいるだろうと思う。

そして大榎克己は「強いエスパルスを復活させる」と宣言した。
(続く)