徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

我々の行動は東京の片隅で起きていてもグローバルなコミュニケーションの中にある/映画「STANDARD」公開に向けて その4

2018-02-19 17:57:43 | News
かつて隅田川沿いに存在していた<食糧ビル>の中に「佐賀町エキジビットスペース」というアートスペースがありました。2001年に食糧ビルは取り壊しが決まり、閉鎖することになった佐賀町エキジビットスペースの代表で、クリエイティブディレクターである小池一子さんを取材する機会を得ました。コピーライターでもある小池氏の言葉は実に刺激的だったのですが、この言葉はその中でも今でも心に刻んでいる言葉です。

<我々がする仕事は、東京の片隅で起きていてもグローバルなコミュニケーションの中にある。>

これはすべてのインフォメーションがバイリンガルで行われていることについて話していただいたときの言葉なのですが、それ以前に自分の立ち位置を問われているような気がしてとても感銘を受けました。ほとんどの人々の間でネットが常に接続されている現在では当たり前のような感覚かもしれません。
この年に刊行された『世界の中心で、愛をさけぶ』なるメロドラマは数年後に大ブームを起こし、そして2016年から17年にかけて映画『この世界の片隅に』がロングランで上映されました。<世界>と<中心>と<片隅>はこの15年で大きく変化したのでしょうか。ひとまず<さけぶ>か否かは別としても、中心も、また片隅もなくなった世界で「見られている」感覚を忘れてはならないのだと思います(2011年頃はよく「メタ視点」という言葉をよく使っていました)。

「見られている/見せ(てい)る」というデモ参加者の感覚は、映画の中でも特徴的なテーマになっています。
そこから映画にも登場するようなSAYONARA ATOMの「かわいい」横断幕や、国内メディアだけではなく、世界中のメディアやワールドスタンダードを意識したプラカードやTシャツが生まれてきたのだろうと思います。

ウェブの世界では拡散されるためだけの画像が数多く出回っていますが、「言葉を声にする」作業と同じように、何かを訴えるためにシンプルに、ダイレクトにコピーライティングされ、翻訳され、デザインされた画像(プラカード)は行動する人々の手によって掲げられなければ意味がありません。あの頃は沿道からの飛び入り参加を呼び込んでいただけではなく、プラカードの見せ方さえ気にしていたものです。時に暴力的に見えるかもしれない行動でも、見られていることを意識しつつ「伝える」ということについてはとても真摯であり続けたのだと思います。

公開まで24時間。

それにしても、よくよく考えてみると、日本で一番<中心>でいながら<片隅>を感じさせるのはやはり永田町と霞ヶ関なのかもしれません。



映画「STANDARD 」
http://standard-movie.jp
STREET JUSTICE – ART, SOUND AND POWER
レイシストをしばき隊5周年 特別上映
日時 2018年2月20日(火)19:20(上映開始)
※上映開始予定時間が変更になりました。
出演:平野太一(舞台挨拶)ほか
料金:無料
会場 Galaxy 銀河系
(東京都渋谷区神宮前5-27-7-B1 ※JR、東京メトロ、東急「渋谷駅」徒歩8分 東京メトロ「明治神宮前駅」徒歩5分)
TEL 03-6427-2099
http://www.thegalaxy.jp


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