徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

峰さん

2006-12-09 14:42:05 | LB中洲通信2004~2010
赤坂から国立へ移動し、袴田さんと合流。サックスプレーヤーの峰厚介さんの取材。この日ライブが行なわれるNo Trunksで1時間ほどインタビュー。初めて楽器を手にした少年時代からキャバレーでの修業時代、ネイティブサン時代、そして現在まで。ライブは望月英明さん、古澤良治郎さんとのトリオ。

店を出て、さらに北野さんと合流し「まっちゃん」へ掲載誌を届ける。22時まで。

近藤房之助『my innocent time』『a low down dirty shame』、fusa and the grub street『band23 a benwell road』購入。

可能性

2006-12-09 14:30:54 | LB中洲通信2004~2010
金曜日、赤坂で『幽閉者テロリスト』本多章一君の取材。本多君はいかにもナチュラルボーンな若者で、なかなか核心に触れた発言は聞かせてくれなかったのだけれども、それでも何とかだらだらっと撮影を含めて1時間ほど話を伺う。まだ自分でも才能(可能性)を持て余している感じはするな~。これからどう変わっていくのか、それが「期待の新人」というキャッチフレーズになるのだろうが。

マイジャー/映画芸術417

2006-12-09 14:17:24 | Movie/Theater
映画班から借りた『映画芸術417』の巻頭座談会で某映画批評家が、「メジャーは悪でインディーズは善、という立場で原稿を書いていた先輩がたがたくさんいたけど、いまはどちらに新しい価値があるのか見えにくくなっている」だとか「メジャーは悪でインディーズが善、という言い方が崩壊したのはいいことだとしても」だの「インディーズにも悪いものはあるし。メジャーにもいいものがある」だの、何だか頓珍漢なことを言っているのが気になった。おいおい、いつからメジャー、インディーという言葉が質や内容を指す言葉になったんだ? ましてや新しいだの古いだの、善悪などという安易な言葉で語られるものでもないだろう。
すべての基本にインディーはある。それは身の置き所以外の何物でもない。それはすべての人が、表現したいという欲求の置き所と言ってもいい。例えばメジャーに収まりきらなくなってしまったベテランミュージシャンたちが自らレーベルを立ち上げ、インディーに還ってくるのはそういうことだろう。
マイジャーって造語が生まれたのは、もう20年以上前の話だぜ。