徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

男の一生で一番バカな季節/「みんな昔はリーだった~EXIT FROM THE DRAGON~」

2006-12-19 04:25:13 | Movie/Theater
久しぶりのPARCO劇場。後藤ひろひとの新作『みんな昔はリーだった~EXIT FROM THE DRAGON~』を観る。『白野』の記者会見で緒形拳さんは「男の芝居をやる」と宣言していたけれども、これは正しく、まがうことなきオトコノコの芝居である。

正直言ってディテールの部分で、リーさんらしさとは何か、リーさんの美学とは何か、はたまた香港功夫映画とは何かという部分が、少々観客に伝わっていなかった印象を受けたのだけれども、これは観客にオンナノコが多いので仕方がない。パンフレットの中で、京野ことみも(リーさんの魅力が)「わからない」と発言している。彼女は正しくて、正直だ(ちなみにセーラー服が猛烈に似合っていた)。わからなくて当然。それが後藤ひろひろの描く【男のかっこよさは男が決めていた時代】だろう。またそれが、何ら実りのないやせ我慢を美学とする中学生男子というものだ。
中学生女子的な気風が残る演劇ファンを前にして、中学生男子の悶々とした情念を伝えようというのもちと無理があるのかもしれない。その点で説明的になるべきだとは思わないが、しかしリーさんよりもデニーロの方が(たぶん)観客に伝わっているように見えたのが、何だかなあ、という感じではある。

ま、それはともかく。
中学生男子という、男の一生で一番バカな季節が濃厚に伝わってくる舞台ではある。そしてバカな季節を過ぎても男は(良くも悪くも)バカという、真正面から爽やかな青春・成長物語を描く好芝居ではある。あの“don't think,feel”で有名な『燃えよドラゴン』のリーさんとラオ青年(トン・ウェイ)の説法の一場面をストーリーの中心に配し、所々にリーさんに魅入られた中学生男子の心のサウンドトラック「fist of fury」(風?)のテーマが流れる。

<「考えるな、感じるんだ!それはいわば月を指し示す指先と同じだ」
 李は自分の指先を見つめるラオの頭を軽く叩く。
「指先に意識を集中するな!さもないと、その先に連なる“天なる栄光”を見失ってしまうぞ。わかったな?」
 李の言葉に嬉しそうに礼をするラオ。だが李はそのラオの頭をまたも叩く。
「どんな時でも相手から目を離すな。たとえお前が礼をする時でもだ」>(知野二郎香港クンフー映画評論集『龍熱大全』より)
 果たしてバカな中学生男子にとって“天なる栄光”とは何なのか。

 何と言っても永遠の中学生男子であるホリケンがいい。そしてガチンコでリーさんを崇拝する中学生を演じる竹下宏太郎のリーさんぶりと身のこなしが素晴らしい。板尾創路はちょっとおいし過ぎる役柄だったが、冒頭の場面を観る限りは、まだまだ消化不良気味かも。ただラストシーンはオトコノコだったら確実に熱くなります。

月曜日ということもあったのかもしれないけれども、終演後、後方の席にふと目をやると、空席が少なくなかった。
あれは「本当はくるべきはずのオトコノコ」たちが観に来なかったせいだ。
オトコノコのための舞台を女子にだけ見せてどうすんだよ、男子。
PARCO劇場は12月30日まで。その後、福岡、広島、大阪、新潟、愛知公演。

Tシャツとポスター購入。これもオトコノコだったら当然ですね。