マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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鴨神申講の山の神さん

2014年04月16日 07時07分08秒 | 御所市へ
昔は12軒もあった御所市鴨神の大西垣内の申講。

平成19年、24年に行われた申講の山の神さん参りのときは7軒だった。

1軒が退講されて、この年は6軒の営みになった。

講中が少なくなって、これからも続けていくことが難しくなったと話す。

山の神参りはかのえ(庚)の申の日に行われる。

12月に申の日が2回ある年は月初め。3回あるときは中日となる。

稀に11月に行ったときもあったが、基本は12月初めの庚申の日である。

14時ころから炊き始めたアズキメシ。

例年使っている大釜で煮炊きをする。

お米一升に水一升の割合で炊く。

大釜は山の神さん以外にも使われる。

葬儀の際に炊くのはアブラゲメシ、道造りでは肉ごはん。

肉入りのイロゴハンはとても美味しいと話す。

茹でた小豆の煮汁を入れて30分が経過した。

頃合を見計らって茶碗に注いだ酒を二杯入れる。



塩はどっさりで、汁椀が溢れるほどの一杯を入れてさらに炊いていくアズキメシはセキハンとも呼ぶようだ。

釜縁あたりに焦げ目がつくが、まだ炊きあがってはいない。

芯があるのだ。

もう少しの焚きあげだと云ってしばらく待つ。

昔は八升の米を炊いていた。

この年は六升。

やや少なめになったという。

これ以上の炊きあげには火の勢いが強すぎる。

焚き木を除けて勢いを弱め、加減をみる。

炊いているお米と小豆は子供たちが集落を巡って貰ってきたもの。



1時間もかかると云う20戸の大西垣内を巡って御供を集めたのは一週間ほど前。

この年は5人の子供が集めてきた。

平成19年にヤク(ヤドとも)を勤めたF家のご主人は今年も回りのヤド勤め。

息子さんも米集めをしていたと話す。

子供が少なくなった大西垣内。

来年は3人になるそうだ。

できあがったのは炊き始めてから1時間40分後。



「まだ米の芯があるようだが・・」と話す講中。

「これぐらいであれば山の神さんに食べてもらってもいいだろう」とお櫃に入れる。

この日行われた奈良マラソンでボランティアされていた男性も早めに切り上げて参加する。



男性が沢登りに使っていた草鞋を竹の幣に括りつけた。

本来なら正真正銘の牛の草鞋を取り付けるのだが、それは貴重なもの。

大切に保管され、登山家が利用していた人の草鞋になった。

草鞋は片足のみ。

山の神さんはあわてん坊だから中途半端にしておくと云う。

かつての草鞋の大きさは今の倍ほどもあった長さ20cm。

その時代も片足であったそうだ。

山の神参りの祭具のすべてが揃ったが、農や山の仕事道具が若干すくない。



本来ならクワ、スキ、マングワ、カラスキにカマ、ナタ、オノであるが、ナタやオノ、カラスキも作っておきたがったが、難しいから断念したと話すヤクは当家とも呼ぶようだ。

当家が作る仕事道具の個数に決まりはないようだ。



笹御幣を持つ当家を先頭に申講の人たちが向う先は山の神。

小字クロバラの地である。

今年は珍しく子供たちも参加した山の神参り。



講中とともに「やーまのかーみの オロオロー」と声を掛けて歩く道中は例年通りの行程だ。



山の神さんに御供を供えて灯明に火を灯す。



山の神の祠の前で山の仕事の安全や豊作に感謝する祈りを捧げて「身潔祓詞(みそぎはらへのことば)」を唱える。

参ったあとはその場で直会だ。



供えたアズキメシ手で受けて口にする。

手御供(てごく)と呼ぶ作法である。

作業場に戻れば村の人たちが重箱や鍋を持ってきてアズキメシを詰める。

山の神さんのありがたいメシである。

パックにわざわざ盛ってくれたアズキメシ。

手御供の際にいただいたアズキメシは香ばしくて美味かったが、冷めれば芯があるような感触でした。



大西垣内の申講の山の神参りを終えて下った里に吊っていたツルシガキとタマネギ。

正月はもうすぐだ。

(H25.12. 8 EOS40D撮影)


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