マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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鴨神の牛の草鞋

2014年04月15日 09時10分26秒 | 御所市へ
今年度、鴨神申講の当家を勤められるF家にはかつて農耕に使っていた牛の草鞋を残していた。

申講の山の神さんに参る際、笹竹の括りつける草鞋は試しに手作りしようと考えていた当家。

ネットで探した草鞋作りの映像を参照しながら手がけたが、難しすぎて断念された。

仕方なく家に保存してあった牛の草鞋を括ろうとされていた。

「こんなんです」と奥さんが家から持ってきてくれた牛の草鞋は初めて見る代物。

90歳になる親父さんが作った草鞋は左右で1足。

前足であったのか、それとも後ろ足であったのか判らない。

どのようにして牛の足に履かせたのか・・・。

集まってきた講中の人たちも覚えておらず、である。

牛の蹄は二本。

偶蹄目の牛である。

草鞋の履かせ方は判らないが、田んぼに連れていった若いころを思い出された講中の一人が云った。

「道は狭くて個石がゴロゴロあって、牛は痛そうにしていた」と話す。

大和郡山市の小林町に住むHさんが話していた牛の話題

「飼っていた牛は貸し借りをしていた。相手先は宇陀市の榛原や都祁村の白石だった。牛は歩いて連れて行く。裸足では痛かろうと編んだ草履を履かせた。蹄の爪を剥がすから2足要る。牛は四ツ足の動物やから8枚編んだという。4枚は道中で傷む可能性があるから予備に持っていった」と話していたことを思い出した。

草鞋を履かせた牛は山の木の伐り出しの使役に遣っていたと云う鴨神申講の講中。

伐採する木に三つの「トチカン」を打ちこんで牛が引っぱっていたと云う。

トチカンは鉄のクサビで輪っかを通した道具である。

牛が引っぱっている最中にトチカンが抜けることもある。

勢いがついた牛は「走って逃げていきよったわ」と話す。

山の仕事はたいへんだった。

伐り出した材木は野猿(やえん)に積みこんで運んでいたと云う。

野猿に乗って下ればラクやといって乗り込んだ人はブレーキをかけ損ない、落ちて亡くなったとも話す。

貴重な牛の草鞋は大切に保管されるようお願いをしたが、奈良県立民俗博物館に所蔵されているのだろうか。

学芸課長に、拝見した草鞋の映像を見てもらった。

あるにはあるようだが、どうも形が違うようだと云う。

ネットで調べれば岩手県奥州市前沢区に施設「牛の博物館」に所蔵されているようだ。

所蔵品は直接出かけないと判らないが、競争競馬総合研究所の関口隆氏が「蹄鉄雑記帳」に纏めていた映像が公開されている。

よく似ているが、若干の違いがあるように感じた。

牛の草鞋話題で広がった鴨神の野辺送り。

かつては野辺送りのときに草鞋を履いて棺桶を担いでいた。

墓地に着けば草鞋を脱ぐ。

脱いで捨ててあった草鞋はいっぱいあった。

川の水が滲んでいる細い道はぐじゃぐじゃだったと云う記憶話し。

葬儀の際にだされる料理はアブラゲメシだったそうだ。

(H25.12. 8 EOS40D撮影)


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