マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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矢田横山の鯉幟

2013年08月31日 07時14分47秒 | 大和郡山市へ
大和郡山市ではほとんどの地域で鯉幟を見ることがなくなった。

町中では見られるものの長い支柱ではなく短い。

小型の鯉幟である。

場合によってはマンションの出窓ベランダで飾る鯉幟だ。

探している鯉幟の支柱は金属製でなく木製である。

矢田町旧村の横山、中村、垣内の人たちに聞いた話ではかつての鯉幟の支柱はすべてが木製であったという。

中村在住の昭和7年生まれのⅠ婦人が話すには支柱は家の裏山で伐採したヒノキだった。

3本のロープを引っぱって穴に下部を埋めたヒノキを立てたと話していた。

「長さは5間(12mぐらい)もあったのでたいへんやった」と伝える。

寺村に鯉幟があったが、金属製の支柱であった。

いつしか消えてしまったのであろうと思っていた。

矢田坐久志玉比古神社近くにある横山地区を走行していた4月22日。

代掻きを始めていたMさんの門屋に立てていた支柱は木製だった。

この時期になれば孫の鯉幟を揚げたというご主人。

その日は風が舞っていた。

風の向きはたえず変化する。

風に舞った吹き流しが支柱に巻きつく。

仕方ないと諦めて下ろした吹き流し。

しばらくはそのままにしてGW期間には揚げたいと話していた。

それからの2週間後。再び訪れたM家に鯉幟が揚がった。

木製の支柱はヒノキ材。

二人目の孫男児が誕生したから一尾を足したそうだ。

緑色の鯉幟である。

長男は青色で次男が緑色である。

昨日に訪れた御所市多田(おいだ)もそうであった。

三男が生まれたときはどのような色鯉になるのであろうか。

見たことはないが、紫色のようである。

M家の隣家は垣内。

いつもお世話になっているT家で聞いた話しによれば、お嫁さんの出里が祝いでくれたのは葉付きの杉の木であった。

長男が生まれたときのことである。

大型トラックで運搬して3人がかりで立てた杉の支柱。

翌年の2年目は杉葉を伐り落として風車にしたと話していた。

(H25. 5. 6 EOS40D撮影)


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