マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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手向山八幡宮御田植祭

2011年03月19日 07時37分05秒 | 奈良市へ
2月節分の日に行われる手向山八幡宮の御田植祭は、豊作を祈願する川上町、雑司(ぞうし)町の農家組合の行事でもある。

両町は50軒ほどだが、サラリーマンになった農家もあることから、専業農家は減少し続け今や畑作を営む農家は数軒となったそうだ。

旧正月のころに営む御田植えの行事は豊作を予め祈る行事である。

宮司は農耕所作を行う前に本殿の前で神事を執り行う。

境内には農耕の所作をする登場人物が勢揃い。

翁の面をつけた田主、牛に扮した牛童(うしわらわ)、巫女、農家組合の人たちだ。

神官、幣をつけた笹竹を持つ人を先頭に歩き出した。



田主は牛を操る紐を持っている。

それは牛童に繋がっているのだ。

境内を南に向かい一周して正面から拝殿に登っていく。

これから始まる御田植祭は中世にまで遡る歴史をもっているとされ、江戸時代後期の様子を描いた絵巻物が伝わっている。

田主と地方との掛け合いは能楽の形式をとる謡いである。

まずは、社殿と拝殿の間に降りた田主。

両側に若松を立てた処は水口に見立てた水路であろう。

そこに大豆、切り餅、籾種を供える。



シンバルのような小さな拍子(奈良ではチャンポンと呼ばれることが多い)を叩き、鼓を打つ。

水口祭を終えれば「本日は最上吉日。なればこれから鍬始めをする」と口上を述べて農耕の所作を始める。

田主は「打出の小槌」と口上を述べながら鍬を持って田を耕す。

地方は「はるかや さよの」と応える。

左に右にそして中央へ「打出の小槌」、「はるかや さよの」の所作は三度。

次の口上は「打て候へば、天下泰平、宝作長久、国土安穏、五穀成就、社頭尊厳、氏子繁昌と打よせて候」。

「目出度う候」と地方は応える。

万民の願いがここに打ち寄せられる。

打ち耕した田からは「こしき飯」や「ふる酒」の香りがぱぁーとしたと台詞もはいる。

鍬使いはまさしく稲穂実る打出の小槌なのであろう。

そして登場したのが牛の面を付けた牛童。

田主は鍬から鋤に持ち替えた。

「田を打て候へば牛をつかひ候」と述べて牛を追う。

拝殿を二回廻る牛使い。



モウー、モウーと鳴き声をあげる牛童。

あどけない声で発する。

続いて田主は鋤からエブリに持ち替えた。

左、右、正面へと田を均す。

次の所作は肥えやりだ。



葉で象った天秤棒の肥桶を肩に担いで拝殿を一周する。



そして持ち替えた福桶。

これを左脇に抱えて「福の種蒔うよう」と種を蒔く。

地方はそれに合わせて「福の種蒔うよう」と謡う。

拍子を叩き、鼓をうつ。

まことに格調高い謡である。

福の種は東の田、南の田、西の田、北の田、当地である川上の田から、そして日本の国へ蒔うよう。

所作はまだまだ続く。

次に田主は鋤を肩にして拝殿を一周する。

「見廻って候へば つばめ口になって候」、次に扇を手に腰に着けて「さら竹になって候」と口上する田んぼの見回り。

畦塗りの状況を見回っているのだろう足下に目線がいく。

いよいよ御田植えも終わりに近づいた。

「見廻って候へば 取り時になって候」、「早乙女子をしょうじ申て候」と口上を述べる田主。

稲刈りには相当数の人数がいるのであろう「東の国より八百人」、「西の国・・・南の国・・・北の国・・・合わせて三千二百人の早乙女子をしょうじ申して候」と述べて松苗を神前に捧ぐ巫女が登場する。



最後に扇を広げて目出度い御田植行事が終了したことを格調高く謡いあげた。

この行事は平成7年4月12日に奈良市の文化財に指定されている。



そのあとは平生に戻ったかのような喧噪に包まれる福の豆蒔き。

自我の欲が自然ともらう手に現れる。

(H23. 2. 3 EOS40D撮影)


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