マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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風屋・内原・滝川・谷瀬の十五夜情景

2017年05月07日 09時18分46秒 | 十津川村へ
十津川村で今尚されているという情報がどこやらに書いていた。

そのどこやらは覚えていないがメモが残っている。

平成20年のメモだからずいぶん前のことだ。

場所は十津川村の折立。

中秋の名月に行われる芋たばりと呼ぶ地域の行事である。

芋たばりの「たばり」は賜るから訛った言葉。

山添村の切幡では芋ならぬ豆たばりという行事がある。

切幡では子供たちが村の各戸を巡って豆を貰ってくる。

豆はアゼマメ。

すぐに食べられるように塩湯につけて湯がいた食べ物。

全国的どころか飲み屋に行ってちょい飲みのアテに食べるエダマメである。

そのエダマメは大豆。

大豆の枝に実がついているからエダマメ。

大豆は田畑周囲に植えるとアゼマメの呼び名になる。

つまりは畑の畦に植えているから畦豆。

所は代わってもそう呼ぶ。

何故に今頃なのか。

豆たばりも芋たばりも畑の収穫野菜。

中秋の名月に豆や芋を供える。

それを貰っていただくことができる。

つまりは収穫に感謝しつつありがたくいただくのである。

話は十津川村で行われているという芋たばりに戻そう。

折立の芋たばりを聞いたのは平成20年8月15日に行われた西川の大踊り取材の際かも知れない。

それはともかく吊り橋で名高い谷瀬(たにぜ)にあると知った日はいつの日であるのかまったく覚えていない。

中秋の名月を十五夜とか、供える収穫野菜から芋名月或は豆名月と呼ぶ地域もある。

場合によっては栗名月の名で呼ぶ地域もある。

もしかとして、と思って内原の「ハデ」取材をさせてもらったご主人に尋ねた。

結果は30年前まではしていたという芋たばり。

「昔、子どもが大勢いたころ。9月の十五夜に家のカド、三方に皮付きのサツマイモとサトイモを供えていた。サトイモはコイモ。皮を剥いて載せていた。イモは甘辛う炊いた。ススキとかは立てなかった。日暮れともなれば、村の子どもたちがやってくるので、お菓子なんぞを渡していた。競争になってしまうので、不公平にならんようにもって帰らせた。今でもしているのは隣村の滝川や。内原は子どもがいなくなってやめた」。

そう話してくれた内原のNさんの話しはかつての十五夜の様相である。

その夜に宿泊していた風屋(かぜや)の民宿津川のねーちゃんに伝えたらこう話してくれた。



「生前、母親がしていたお月見。塩茹でしたサトイモは皮がつるっと剥けた。それを食べていた。コメコ(米粉)挽いてダンゴを作っていた。ツキミダンゴ(月見団子)は三方に盛って供えていた。ススキの穂は立てていたが、ハギの花はなかった。子どものころの記憶はあやふややけど、他家へ出かけて芋たばりをしていたように思う。家には“ハダ”があった。利用することもなくなって倒したが結構しんどかった」。

芋たばりは風屋でなく滝川でしているのなら総代さんは知っている。

家はここら辺りやと地図を書いてくれた総代家は下地のFさん。

バナナの木がある所やからすぐにわかる。

そこにも“ハダ”があるはず。

いっぺん聞いてみたら、どう、と言われてお家を訪ねる。

ちなみに民宿津川のねーちゃんが云うには折立は知らないが、谷瀬(たにぜ)ならしている可能性があるという。

下地のF家は民宿津川よりそれほど遠くない。

バナナの木を見つけて立ち寄った。

滝川の十五夜はかつて全戸でしていた。

戸数は少なくなったが毎年の中秋の名月の十五夜にしている。

その日は今年が9月15日。

4日後に行われるという今年のお供えはススキの穂立て。

かつては空になった一升瓶に立てていた。

立てる場所は屋外の縁。

子どもたちがたばれるように外縁に立てる。

供える家によって異なるが、食べられるように蒸したサツマイモ、または、サトイモはススキを立てたところに供える。

そのお供えをいただくことが「芋たばり」だという。

例えば、であるが、キャッチボールを受ける場合も「ボールをたばる」というのである。

各戸の住民は芋名月の夜に村の子どもたちがたばりにくるので準備するらしい。

各戸を巡って秋の収穫をいただくという風習である。

ちなみに滝川の芋たばりはサツマイモがメインになると話していた。

秋の収穫は果物の梨もあれば柿もある。

畑をしていない家では芋でなくお菓子になるようだ。

総代さんが子供のころの芋たばり。

芋はどこの家にもあった。

芋よりもお菓子の方が子どもの好み。

お月さんが出るのを待ってうろうろしている時間帯。

やがて山影からお月さんが顔を覗かせる。

出てきたら、行けっていう感じで各戸を廻った。

最近は小中学生が7、8人ほどやってくる。

かつては団体行動ではなくバラバラやってくる。

ちょっと間は中断していた時期もあったが、村で決めるわけでもない芋たばり風習の復活は自然にやってくるようである。

お菓子は取り合いの競争になって公平さを欠いたらいかんと考えてやってきた子どもに配っている。



十五夜に芋たばりをしていたのは風屋、内原、滝川だけでなく、谷瀬にもあった。

あったのは20年ほど前のことである。

この日に訪れて「ハダ」場の取材させてもらった谷瀬の男性の話しである。

芋名月の夜である。かつては大勢の子どもがいた。

その子らは村中を巡って芋たばりをしていた。

父親もしていたし各戸もお供えをしていた。

蒸したサツマイモをもらっていく子供たち。

いつしかサツマイモはお菓子に移っていった。

家の前とかにお盆盛りしたお供えである。

谷瀬も少子化になった。

谷瀬の子どもに小学生はいない。

たった一人の中学生も寮生になったから芋たばりはすることもないようだ。

対岸の上野地は10年前までしていたというから十津川村の各大字で今でもしている可能性があるということだ。

滝川は確実性がある。

それぞれの違いはあるかもしれないが、4カ大字で話してくださったおかげで十五夜の情景を思い描けることができた。

(H28. 9.10 EOS40D撮影)
(H28. 9.11 EOS40D撮影)


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