葛城市當麻加守に鎮座する倭文(しとり)神社<葛木倭文坐天羽雷命神社>は機織りの姫を祀る。
隣村の染野は機を織っていた。
ここら辺りは機織り古宮の里。
毎年旧暦の七月七日に祭礼される「神衣祭(かみこさい)」は七夕の祭りでもある。
14時ころに子どもたちがやってきて、ヤマモモの木に笹竹を取り付けていく。
お参りに来てくれた子どもにはお菓子を配る。
その間、宮司はたった一人で神事を執り行われると聞いていた。
平成21年7月31日のことだった。
話してくれたのは蟹守男志人宮司だった。
話しを聞いてから5年も経過していた。
台風12号は大きくそれたものの九州・四国は大雨。
近畿地方も昨夜から降り出した雨は止まずであったこの日に訪れた加守の地。
実に5年ぶりである。
この日に訪ねた倭文神社境内。
水平に横たえた長い葉付きの笹竹があったが、どなたも現れない。
なんとなく妙だと思って神社社務所の呼び鈴を押せば、若い男性が出てこられた。
先代の蟹守男志人宮司はこの年の2月に亡くなったと云うのだ。
神衣祭の呼び名・神事を引き継ぐこともなく旅だったと息子さんの蟹守敬之宮司は話す。
この日は村の子供たちが七夕の願いを込めた短冊や飾りものを笹竹に括りつけると云う。
水平に横たえていたのは子供らが短冊を括りつけやすいようにしたと云う。
この日は雨がしとしと降っていた。
しとしとの「小雨なので実施されると思います」と云われて1時間ほど待った。
母親とともにやってきた子供たちは8人。
倭文神社の氏子圏は広く、加守の他、畑、磯壁、狐井、良福堂、北角、別所、瓦口の九カ村だが子供は数人。
350戸からなる加守の村の子供は倍ほどおられるようだが「来るのはこれぐらいや」と云う。
小学6年生の男の子は春祭りの御田祭で子供牛の役をしていたと云う。
加守のおんだ牛は親牛が二人で誕生する子牛も二人。
いずれも当麻小学校の6年生が担っているそうだが、不足する場合は5年・4年生に下ろす場合もあると云う。
子供たちがやってくるころには、神社総代・役員に区長らが集まってくる。
そろそろ始めよかと云いだして短冊を取り付けていく。
傘が必要なこの日の被写体は撮りにくい。
役員らも童心に戻って短冊を括りつけていく。
予め子供会が準備しておいた短冊をひととおり括りつければ、ロープを引っぱって笹竹を立てる。
立ててみれば立派な七夕飾りである。
役員たちから「記念に撮ってや」と願われてシャッターを押す。
七夕の日に七夕飾りをしているのは大多数が保育園、幼稚園や公民館イベント。
七夕の飾り付けをしている村行事は聞くこともないくらいだ。
隣村の太田の棚機神社では公民館に立てられた子供会の七夕飾りを貰ってきて飾っている。
最近では葛城市のマスコットキャラクターが来るようになってイベント化しつつある。
加守の行事を拝見して、どことなくほのぼのとした。
奈良県図書情報館所蔵の『明治25年 古社祭典調』によれば「一、神衣祭六月十六日俗ニ七夕祭ト称ス庶人賽物ニ竹葉ニ五色ノ絹木綿紙切等ヲ垂レ神前ニ献備ス本殿式ニハ青筋ノ布麻等ヲ献供ス舊例アリ開起年代不詳」とある。
生前に先代の蟹守男志人宮司が話していた神衣祭のことであるが、いつしか七夕飾りになったのでは・・と思った。
(H26. 8. 2 EOS40D撮影)
隣村の染野は機を織っていた。
ここら辺りは機織り古宮の里。
毎年旧暦の七月七日に祭礼される「神衣祭(かみこさい)」は七夕の祭りでもある。
14時ころに子どもたちがやってきて、ヤマモモの木に笹竹を取り付けていく。
お参りに来てくれた子どもにはお菓子を配る。
その間、宮司はたった一人で神事を執り行われると聞いていた。
平成21年7月31日のことだった。
話してくれたのは蟹守男志人宮司だった。
話しを聞いてから5年も経過していた。
台風12号は大きくそれたものの九州・四国は大雨。
近畿地方も昨夜から降り出した雨は止まずであったこの日に訪れた加守の地。
実に5年ぶりである。
この日に訪ねた倭文神社境内。
水平に横たえた長い葉付きの笹竹があったが、どなたも現れない。
なんとなく妙だと思って神社社務所の呼び鈴を押せば、若い男性が出てこられた。
先代の蟹守男志人宮司はこの年の2月に亡くなったと云うのだ。
神衣祭の呼び名・神事を引き継ぐこともなく旅だったと息子さんの蟹守敬之宮司は話す。
この日は村の子供たちが七夕の願いを込めた短冊や飾りものを笹竹に括りつけると云う。
水平に横たえていたのは子供らが短冊を括りつけやすいようにしたと云う。
この日は雨がしとしと降っていた。
しとしとの「小雨なので実施されると思います」と云われて1時間ほど待った。
母親とともにやってきた子供たちは8人。
倭文神社の氏子圏は広く、加守の他、畑、磯壁、狐井、良福堂、北角、別所、瓦口の九カ村だが子供は数人。
350戸からなる加守の村の子供は倍ほどおられるようだが「来るのはこれぐらいや」と云う。
小学6年生の男の子は春祭りの御田祭で子供牛の役をしていたと云う。
加守のおんだ牛は親牛が二人で誕生する子牛も二人。
いずれも当麻小学校の6年生が担っているそうだが、不足する場合は5年・4年生に下ろす場合もあると云う。
子供たちがやってくるころには、神社総代・役員に区長らが集まってくる。
そろそろ始めよかと云いだして短冊を取り付けていく。
傘が必要なこの日の被写体は撮りにくい。
役員らも童心に戻って短冊を括りつけていく。
予め子供会が準備しておいた短冊をひととおり括りつければ、ロープを引っぱって笹竹を立てる。
立ててみれば立派な七夕飾りである。
役員たちから「記念に撮ってや」と願われてシャッターを押す。
七夕の日に七夕飾りをしているのは大多数が保育園、幼稚園や公民館イベント。
七夕の飾り付けをしている村行事は聞くこともないくらいだ。
隣村の太田の棚機神社では公民館に立てられた子供会の七夕飾りを貰ってきて飾っている。
最近では葛城市のマスコットキャラクターが来るようになってイベント化しつつある。
加守の行事を拝見して、どことなくほのぼのとした。
奈良県図書情報館所蔵の『明治25年 古社祭典調』によれば「一、神衣祭六月十六日俗ニ七夕祭ト称ス庶人賽物ニ竹葉ニ五色ノ絹木綿紙切等ヲ垂レ神前ニ献備ス本殿式ニハ青筋ノ布麻等ヲ献供ス舊例アリ開起年代不詳」とある。
生前に先代の蟹守男志人宮司が話していた神衣祭のことであるが、いつしか七夕飾りになったのでは・・と思った。
(H26. 8. 2 EOS40D撮影)