昨年の暮れ、写真家のKさんから誘われた民俗行事の取材。
その地は、京都府木津川市加茂町の銭司(ぜず)。
宮小谷に鎮座する春日神社の年中行事の一部。
過去にも、何度か訪れては拝見していた境内一面に撒く砂撒き。日にちが経過していても、痕跡はすぐに消えないから、どのようなカタチにしているのか、理解できる格子状仕様の砂撒き。
作業の在り方の全容がようやくわかってきた宮小谷の春日神社。
作業に入っていた長老が伝えてくれた、我が家でもしている、と・・・
ありがたく取材させてもらった大晦日の日に行うお家、民家の砂撒きも拝見していた加茂町銭司。
正月行事に勧請縄かけもされている。
勧請縄も、かけている状態なら、2度も拝見していたが、どのような方法でかけるのか、未だわかっていなかった。
奈良・大和にはない形式の勧請縄がようやく拝見できる。
朝早くの時間帯に集まってくる、と聞いていた。
同行のKさんは、霜が降りてこないうちに到着した、と話していた。
ここ銭司の春日神社に停められるのは、数台の軽トラ。
しかも四駆の軽トラが要りそうな渓渡り。
渓にあたる地は狭い。
オフロード車で渡りたい気もする一段と高い地にある広地に着く。
停めたすぐ傍に地蔵尊を祭っている。
ここ銭司にきたら、必ず手を合わせる地蔵尊。
錫杖をもつ地蔵石仏は中央に一体。
両サイドに、双体の石仏もあれば、その脇にも一体石仏を並べている。
しめ飾りに、高野槙もあれば樒もある。
正月三日の参拝に賽銭も数多い。
車を停めて山道的参道を行く。
一段、あがったそこに今日の勧請縄かけに集まった人たち。
令和四年勧請縄奉仕者名に、東頭(※かつて東座)が4人。
西頭(※かつて西座)の7人の名があった。
名はともかく、平成30年1月6日に訪れたときと同じ人数だった。
社務所内に明かりが灯る。
今年の春日神社は、造営事業中。
社殿工事にために神さんは、一旦遷され、現在は社務所に設置した仮宮にいらっしゃる。
正月参拝も、例年と違い、社殿向きに門松を立てるのであるが、遷宮仮宮期は神さん坐います社務所側に門松。
参拝の方角は逆転している総代ら代表者に許可を得て、遷宮仮宮期に供える神饌御供を撮らせてもらった。
尤も、仮宮全体は遠慮し、御供を並べている状態を撮らせてもらった。
燈明は、早くに灯していたからか、あと僅かになっていた。
さぁ、これより始まる作業は、勧請縄つくり。
まずはモチ藁のシビ取り。
一般的には、台を据えて、稲藁を置き、横槌で藁を打つ。
ゴミ、埃も払うシビ取り作業。
ここ銭司では、参道両脇に立つ杉の木に藁束ごと手にもって。樹木の木肌にビシ、バシ、水平横打ち。
横槌無用のシビ取りに、騒然とする。
人数が多ければ、多いほどシビ取り時間は短縮する。
平行作業に四方に編むようなカタチにするため、ロープを用意する。
長さを測ったロープを2本。
3セット並べて長さを保つ。
ロープ括りを施して四方に広がるようにする。
シビ取りが終われば、縄つくり。
水平に保ったままの藁束に、藁束を突っ込んで捩じる。
掴んだ藁ごと捩じり。
先端に藁束を重ねて、藁をつぎ足し、つぎ足し右、3本撚りに捩じって左結い。
その際、心棒になるロープを巻き込むように、依っては捩じって締め付ける。
この作業を繰り返して、長く太い勧請縄をつくっていく。
ベテランの技であろう。
太い勧請縄が出来上がるころに運ばれた「モッソ」。
モッソと云えば、蒸したご飯を容器などに詰めて仕上げる御供が、一般的に見るカタチであるが、銭司では、ご飯はなく、大きな塊のオヒネリがある。
枝付きの青竹。
白い奉書で巻いた細めの竹は御幣。
大きなオヒネリの中身は洗い米。
見た目でいえば、フグリのように見えなくもないオヒネリ。
勧請縄の頂点に御幣を挿す。
豊作祈願に洗い米。
ロープを足したそれらは四辺形になるよう網目のように組む。
一方、サカキはヒラヒラの御幣、二幣を結び目に挿して固定していた。
これらが揃ったところで、参道に自生する樹木にかける。
長い梯子を据えて、高い位置に。
両端を左右にそそり立つ樹木の幹に廻して括り、固定する。
網目の下部分は、車の通行の邪魔にならない程度に切断し、完成したら太鼓を打って無事にかけたことを告げた。
こうして勧請縄をかけ終えたら、1年任期の村神主が勧請場に就く。
村人たちは整列し、まずはお祓い。
勧請縄を修祓し、祝詞を奏上。
村の安全、安寧を願い、祝詞を奏上して終えた。
午前8時に集まり、縄つくり。
と、同時に縄かけ。
神事を終えた人たちはここで終えた。
1時間余りの短時間で終えた銭司の勧請縄かけ。
かつての勧請縄をかけは、ここではなかった。
この参道を少し下った、地蔵尊がある駐車寺に戻るまでに下り道があった。
下った山道に寺と出会う。
その寺院は、真言宗智山派無住の福田寺。
その間にあった馬場道架け道にかけていたようだ。
そこが、元々の参道道。
もちろん歩きの参道道。
場が荒れて通れなくなった。
歩きも危険、と判断し、神社すぐ下の参詣道に移した、という。
その危険性を報せていた通行止め・立て札を見たのは、昨年の令和3年の1月3日に立ち寄った日だ。
ネットに見つかったブログ「愛しきものたち」に掲載していた銭司・春日神社の勧請縄。
撮影は、平成20年2月16日。
その場の参道は樹木の根っこが向き出て、ゴツゴツしている処である。
ロープの長さは、それほど長くない。
通行に邪魔にならんような位置にかけている。
しかも、地蔵尊がある広地(※現駐車場)にも、四方形の砂を撒いていた。
また、度々紹介してきたブログ「歴史探訪京都から ~旧木津川の地名を歩く会~」の記事にも、現在とは違った参道にかけてあった勧請縄。
こちらも参道にあたるくらいの長さ。
また、四方形の砂撒きは、参道にも撒いてあった。
このブログによれば、かつて砂は木津川砂州から採取していた、とあった。
撮影日は不明だが、2012年1月3日とあるから平成24年の記録であろう。
さて、かけた勧請縄から離れようとしたときに目に入った道具。
やや曲線にも見える自然木で作られた木製の梯子。
これも暮らしの民俗だけに、映像に遺しておきたい木製梯子。
高さが低かったようで、本日は使わなかったようだ。
その近くにあった山野草の葉。
自然観察会の参加していた奈良・大和郡山の矢田山山麓に見つけた葉っぱと同じ。
冬の時季は、葉だけの植物であるが、春から初夏にかけて花を咲かすその花は、ギンラン、それともキンランでもなくコクランではないだろうか・・
(R4. 1. 3 EOS7D/SB805SH 撮影)
その地は、京都府木津川市加茂町の銭司(ぜず)。
宮小谷に鎮座する春日神社の年中行事の一部。
過去にも、何度か訪れては拝見していた境内一面に撒く砂撒き。日にちが経過していても、痕跡はすぐに消えないから、どのようなカタチにしているのか、理解できる格子状仕様の砂撒き。
作業の在り方の全容がようやくわかってきた宮小谷の春日神社。
作業に入っていた長老が伝えてくれた、我が家でもしている、と・・・
ありがたく取材させてもらった大晦日の日に行うお家、民家の砂撒きも拝見していた加茂町銭司。
正月行事に勧請縄かけもされている。
勧請縄も、かけている状態なら、2度も拝見していたが、どのような方法でかけるのか、未だわかっていなかった。
奈良・大和にはない形式の勧請縄がようやく拝見できる。
朝早くの時間帯に集まってくる、と聞いていた。
同行のKさんは、霜が降りてこないうちに到着した、と話していた。
ここ銭司の春日神社に停められるのは、数台の軽トラ。
しかも四駆の軽トラが要りそうな渓渡り。
渓にあたる地は狭い。
オフロード車で渡りたい気もする一段と高い地にある広地に着く。
停めたすぐ傍に地蔵尊を祭っている。
ここ銭司にきたら、必ず手を合わせる地蔵尊。
錫杖をもつ地蔵石仏は中央に一体。
両サイドに、双体の石仏もあれば、その脇にも一体石仏を並べている。
しめ飾りに、高野槙もあれば樒もある。
正月三日の参拝に賽銭も数多い。
車を停めて山道的参道を行く。
一段、あがったそこに今日の勧請縄かけに集まった人たち。
令和四年勧請縄奉仕者名に、東頭(※かつて東座)が4人。
西頭(※かつて西座)の7人の名があった。
名はともかく、平成30年1月6日に訪れたときと同じ人数だった。
社務所内に明かりが灯る。
今年の春日神社は、造営事業中。
社殿工事にために神さんは、一旦遷され、現在は社務所に設置した仮宮にいらっしゃる。
正月参拝も、例年と違い、社殿向きに門松を立てるのであるが、遷宮仮宮期は神さん坐います社務所側に門松。
参拝の方角は逆転している総代ら代表者に許可を得て、遷宮仮宮期に供える神饌御供を撮らせてもらった。
尤も、仮宮全体は遠慮し、御供を並べている状態を撮らせてもらった。
燈明は、早くに灯していたからか、あと僅かになっていた。
さぁ、これより始まる作業は、勧請縄つくり。
まずはモチ藁のシビ取り。
一般的には、台を据えて、稲藁を置き、横槌で藁を打つ。
ゴミ、埃も払うシビ取り作業。
ここ銭司では、参道両脇に立つ杉の木に藁束ごと手にもって。樹木の木肌にビシ、バシ、水平横打ち。
横槌無用のシビ取りに、騒然とする。
人数が多ければ、多いほどシビ取り時間は短縮する。
平行作業に四方に編むようなカタチにするため、ロープを用意する。
長さを測ったロープを2本。
3セット並べて長さを保つ。
ロープ括りを施して四方に広がるようにする。
シビ取りが終われば、縄つくり。
水平に保ったままの藁束に、藁束を突っ込んで捩じる。
掴んだ藁ごと捩じり。
先端に藁束を重ねて、藁をつぎ足し、つぎ足し右、3本撚りに捩じって左結い。
その際、心棒になるロープを巻き込むように、依っては捩じって締め付ける。
この作業を繰り返して、長く太い勧請縄をつくっていく。
ベテランの技であろう。
太い勧請縄が出来上がるころに運ばれた「モッソ」。
モッソと云えば、蒸したご飯を容器などに詰めて仕上げる御供が、一般的に見るカタチであるが、銭司では、ご飯はなく、大きな塊のオヒネリがある。
枝付きの青竹。
白い奉書で巻いた細めの竹は御幣。
大きなオヒネリの中身は洗い米。
見た目でいえば、フグリのように見えなくもないオヒネリ。
勧請縄の頂点に御幣を挿す。
豊作祈願に洗い米。
ロープを足したそれらは四辺形になるよう網目のように組む。
一方、サカキはヒラヒラの御幣、二幣を結び目に挿して固定していた。
これらが揃ったところで、参道に自生する樹木にかける。
長い梯子を据えて、高い位置に。
両端を左右にそそり立つ樹木の幹に廻して括り、固定する。
網目の下部分は、車の通行の邪魔にならない程度に切断し、完成したら太鼓を打って無事にかけたことを告げた。
こうして勧請縄をかけ終えたら、1年任期の村神主が勧請場に就く。
村人たちは整列し、まずはお祓い。
勧請縄を修祓し、祝詞を奏上。
村の安全、安寧を願い、祝詞を奏上して終えた。
午前8時に集まり、縄つくり。
と、同時に縄かけ。
神事を終えた人たちはここで終えた。
1時間余りの短時間で終えた銭司の勧請縄かけ。
かつての勧請縄をかけは、ここではなかった。
この参道を少し下った、地蔵尊がある駐車寺に戻るまでに下り道があった。
下った山道に寺と出会う。
その寺院は、真言宗智山派無住の福田寺。
その間にあった馬場道架け道にかけていたようだ。
そこが、元々の参道道。
もちろん歩きの参道道。
場が荒れて通れなくなった。
歩きも危険、と判断し、神社すぐ下の参詣道に移した、という。
その危険性を報せていた通行止め・立て札を見たのは、昨年の令和3年の1月3日に立ち寄った日だ。
ネットに見つかったブログ「愛しきものたち」に掲載していた銭司・春日神社の勧請縄。
撮影は、平成20年2月16日。
その場の参道は樹木の根っこが向き出て、ゴツゴツしている処である。
ロープの長さは、それほど長くない。
通行に邪魔にならんような位置にかけている。
しかも、地蔵尊がある広地(※現駐車場)にも、四方形の砂を撒いていた。
また、度々紹介してきたブログ「歴史探訪京都から ~旧木津川の地名を歩く会~」の記事にも、現在とは違った参道にかけてあった勧請縄。
こちらも参道にあたるくらいの長さ。
また、四方形の砂撒きは、参道にも撒いてあった。
このブログによれば、かつて砂は木津川砂州から採取していた、とあった。
撮影日は不明だが、2012年1月3日とあるから平成24年の記録であろう。
さて、かけた勧請縄から離れようとしたときに目に入った道具。
やや曲線にも見える自然木で作られた木製の梯子。
これも暮らしの民俗だけに、映像に遺しておきたい木製梯子。
高さが低かったようで、本日は使わなかったようだ。
その近くにあった山野草の葉。
自然観察会の参加していた奈良・大和郡山の矢田山山麓に見つけた葉っぱと同じ。
冬の時季は、葉だけの植物であるが、春から初夏にかけて花を咲かすその花は、ギンラン、それともキンランでもなくコクランではないだろうか・・
(R4. 1. 3 EOS7D/SB805SH 撮影)