マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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小名上出垣内の地蔵さん

2014年10月13日 07時20分59秒 | 吉野町へ
吉野町の小名(こな)へは度々出かける。

度々と云っても年に一度、あるか、ないかである。

地蔵さんに向かおうとしたときに目に入った白梅。

その後方には萱葺き家が建っている。

住まいをすることもないようになったと家人が云っていた。

2年前のことだ。

そのころの萱葺き家はそれほど朽ちていなかった。

いずれ倒れてしまうだろうと話す。

そろそろアラオコシをしたいが、雨が降るやもしれない。

ふんぎりがつかないと云う。



付近を流れる川沿いの道にはオオイヌフグリが一面に咲いていた。

小名(こな)上出垣内の地蔵さんは山の上にあった。

お参りするには登っていかねばならない。

「ジゾンタニ」と呼ばれる谷合いを登っていた。

高齢化した村人にとっては難儀な参拝。

いっそのこと下へ降ろして祀ってはどうかと意見が出て平成21年3月25日に遷した。

春になったというのに、その日はとても寒かったと懐古される。

当時は大勢の村人で溢れかえっていた広場にゴザを敷いて祝いの会食をしていた。

地蔵さんを遷した広場はかつて民家が建っていた。

随分前のことであるが、出火した。

焼けた民家は住むことができず、下の方に新築して移転した。

もう一軒もあったが、いつしかその家も下に移ったという。

家の墓地は道路向こう側に残していると話す。

今では走りやすい街道になったが、160年も前の江戸時代は「おねり」と云って、紀州の殿さんが参勤交代に行き交う伊勢街道であったと話す村人たち。

現在の街道は東へ道なりに向かえば宇陀市大宇陀の東平野に着くが、旧街道は途中で右折れすれば鷲家(わしか)である。

この日は上出垣内の地蔵さん。



赤い幕を張って提灯を吊り下げる。

お花を飾って御供を供える。



ローソクに火を点けて導師が前の席につく。

拍子木を打って般若心経を唱える地蔵さんのお参り。

三巻を唱えて御供を下げる。

お神酒をいただき村人の歓談の場に移った。



この年に集まった村人は9人。少なくなったと云う。

Ⅰさんが話した家の柱に貼ってあった文字は「二升五合」。

柱には同じ文字を書いた何枚もの貼り紙があった。

貼り紙は細長い縦型であったと云う。

一体何を現しているのか判らなかったと話す。

直会の場におられた男性が話すには「二升は升、升で、五合は半升と云って、家が益々繁盛するしゃれ言葉だ」と伝えられて納得された。

(H26. 4. 3 EOS40D撮影)


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