2年目のコロナ禍もまた収束を知らない状況が続くなか、再訪したくなった榛原栗谷・大念寺の涅槃会。
栗谷の春日神社の年中行事。
いずれも拝見できていないが、祭主を務める宮司から聞いたマツリに奉じる御供があるらしい。
その形態は、特殊なカタチに成型している神饌のようだが・・・
また、カタチは異なるが、大念寺の涅槃会に奉る御供もあるようだ。
そのことについては、平成30年2月11日に訪問の際に、教えてくださった団子。
たぶんに涅槃の団子だ、と思われるが、例えば隣村の榛原の石田に見られるような丸いカタチの”ネハンのダンゴ”ではなく、”ヒトガタ(人形)”。
丸く成型するのではなく、”ヒト”のカタチにしていた、と話してくれた。
”ヒト”のカタチは、定かでないが、他にか、どうかもわかりにくいが、唯我独尊姿のお釈迦さんのような・・・。
また、干支の十二支のカタチも特別にこしらえていた。
例えば、令和3年の今年であれば、十二支は”丑(うし)”。
団子のカタチは、”牛”の姿であったろう。
経緯は、わからないが、たぶんに作り手のトーヤの負担軽減を考えた結果、その年から中断の決断に至った。
そのときのトーヤは、年次交替される当番組。
ここ榛原栗谷の軒数は、43戸。
峰奉(みねほ)に中(なか)、三角(みすみの3垣内(かいと)に分かれているが、人数割りの加減かなにかで、年当番は5組(※ひと組8人構成)にしている。
5年に一度の組当番。
その組の中からトーヤに決まるのも順番があるのだろう。
何十年に一度は、担うトーヤが、これまでずっと継承してきたネハンノダンゴに”ヒトガタ(人形)”つくり。
大念寺の涅槃会の御供であるが、「例のダンゴは、もうやめた」と、いう。
「エロチックなカタチのダンゴ。みなでつくっていたが、テレビでは放映できないような代物だったから、もうつくらない」と・・・
民俗の伝統が途絶えたワケであるが、その極めて貴重な民俗事例は、宇陀地域の収録に活動してきたメデイアネット宇陀・チャンネルに遺された。
地域遺産は民俗の遺産でもある”ヒトガタ(人形)”つくりの実態の一部が映像に遺されたことはたいへん意義がある、と思っている。
ただ、映像を見る限りであるが、村の人がいうようなエロチックなヒトガタは認識できない。
ある時代にソレがあった、ということだろうか。
そのことはともかく、コロナ禍対策に打ち出した涅槃会の参拝。
本堂、大念寺への入室は、役員関係者限りの人数制限。
以外の方たちは、本堂の外から立ち見の状況。
ソーシャルディスタンス対策に、そうせざるを得なかったようだ。
栗谷・大念寺は檀家の日蓮宗。
本堂にあがってすぐさま拝まれる日蓮宗・宗祖の日蓮聖人。
日蓮像の頭上に置かれた白い綿帽子が特徴。
日蓮聖人が、南房総の安房・小松原の地に襲撃を受けた。
そのときに負傷した額。
通りかかった地元民の老婆・おいちが、かぶっていた真綿を差し出した由来の綿帽子、とある。
参拝される栗谷の人たち。
向きを替えて手を合わせた涅槃会の日に掲げる涅槃図。
祭壇に、日蓮像前にも供えた御膳がある。
左に供えた供物は、コロナ対策用に袋詰めした白餅。
前回、訪問時には餅の御供撒きをされていたが、どうやら手渡しに切り替えたようだ。
座椅子に座って唱える般若心経。
かつて僧侶が読経してときの心経は、テープに収録しておいた。
その音源は、以降にCD変換。
開経偈からはじまる観音経に般若心経など・・・
ぽくぽく打つ木魚の音色も堂内に広がる。
今回は、コロナ禍対応に短く、般若心経は一巻まで。
合わせて参拝者も唱えていた。
涅槃会を終えてから、拝見した涅槃図。
前回に訪問、取材の際に拝見した涅槃図の裏面。
平成17年に修復されたものの、涅槃図は寛政八年(1797)の作。
榛原町指定から宇陀市指定の有形文化財に移った。
「奉 開眼涅槃像 京都大光山本圀寺 祖卄六代貫首 了義院日達聖人在(渕)」、「来再興涅槃像副巻 和刕宇陀郡栗谷村住 寛政八丙辰歳 如意宝珠日 発起本願人生駒氏 其外志所施主 同行中面々 現當二世安楽」、「湖東敞人玉挐齊常辰謹書」、「本善山大念寺常什物」。
宇陀市・指定文化財リストによれば「本圀寺(ほんこくじ)26代貫主の日達によって開眼供養されたことがわかる。日達は、延享四年(1747)に没しているから、製作年代の下限がわかり、本図を江戸時代中期、18世紀前半の作と見ることは画風からも矛盾しない」とある紙本著色仏涅槃図。
今回の訪問に是非とも見つけたかった「猫」の存在である。
ひときわ大きい涅槃図に「猫」の姿を探した結果は、ここに居た。
見事な筆に描写された「猫」の姿に感動した。
共に探していた婦人もにっこりした「猫」の描写の涅槃図。
見つかった全国の事例数は少ないが、栗谷の涅槃図もその中の一幅に数えられるようになったのが嬉しい。
拝見し終わって収納された涅槃図。
代表者の話によれば、この涅槃図はシミだらけになっていたそうだ。
動物など周辺空白域にややくすんだシミが見られる。
それらのシミはカビ。
天日干しもせず、ナフタリンや防虫剤も入れずに箱収め保管のままにしていた。
前年に行われた涅槃会の際に気づいたが・・・
今日、掲げた状態では、カビの進行が見られる。
前年は、今日に比べて、まだマシだった、というから今も進行中。
なんせ、涅槃図は宇陀市指定の有形文化財。
対策については、市役所関係課に報告し、専門家に診てもらうなり、早く講じないとさらに拡がる可能性が高い、と伝えておいた。
ところでさきほどのご婦人に話によれば、生まれ育った出里の御杖村菅野の曹洞宗安能寺にタイヤ(退夜)に掲げた涅槃図と比較。
図柄も違うし、大きさも・・・
涅槃図はどこともみな同じだ、と思っていた。と・・・
(R3. 2.11 EOS7D/SB805SH撮影)
栗谷の春日神社の年中行事。
いずれも拝見できていないが、祭主を務める宮司から聞いたマツリに奉じる御供があるらしい。
その形態は、特殊なカタチに成型している神饌のようだが・・・
また、カタチは異なるが、大念寺の涅槃会に奉る御供もあるようだ。
そのことについては、平成30年2月11日に訪問の際に、教えてくださった団子。
たぶんに涅槃の団子だ、と思われるが、例えば隣村の榛原の石田に見られるような丸いカタチの”ネハンのダンゴ”ではなく、”ヒトガタ(人形)”。
丸く成型するのではなく、”ヒト”のカタチにしていた、と話してくれた。
”ヒト”のカタチは、定かでないが、他にか、どうかもわかりにくいが、唯我独尊姿のお釈迦さんのような・・・。
また、干支の十二支のカタチも特別にこしらえていた。
例えば、令和3年の今年であれば、十二支は”丑(うし)”。
団子のカタチは、”牛”の姿であったろう。
経緯は、わからないが、たぶんに作り手のトーヤの負担軽減を考えた結果、その年から中断の決断に至った。
そのときのトーヤは、年次交替される当番組。
ここ榛原栗谷の軒数は、43戸。
峰奉(みねほ)に中(なか)、三角(みすみの3垣内(かいと)に分かれているが、人数割りの加減かなにかで、年当番は5組(※ひと組8人構成)にしている。
5年に一度の組当番。
その組の中からトーヤに決まるのも順番があるのだろう。
何十年に一度は、担うトーヤが、これまでずっと継承してきたネハンノダンゴに”ヒトガタ(人形)”つくり。
大念寺の涅槃会の御供であるが、「例のダンゴは、もうやめた」と、いう。
「エロチックなカタチのダンゴ。みなでつくっていたが、テレビでは放映できないような代物だったから、もうつくらない」と・・・
民俗の伝統が途絶えたワケであるが、その極めて貴重な民俗事例は、宇陀地域の収録に活動してきたメデイアネット宇陀・チャンネルに遺された。
地域遺産は民俗の遺産でもある”ヒトガタ(人形)”つくりの実態の一部が映像に遺されたことはたいへん意義がある、と思っている。
ただ、映像を見る限りであるが、村の人がいうようなエロチックなヒトガタは認識できない。
ある時代にソレがあった、ということだろうか。
そのことはともかく、コロナ禍対策に打ち出した涅槃会の参拝。
本堂、大念寺への入室は、役員関係者限りの人数制限。
以外の方たちは、本堂の外から立ち見の状況。
ソーシャルディスタンス対策に、そうせざるを得なかったようだ。
栗谷・大念寺は檀家の日蓮宗。
本堂にあがってすぐさま拝まれる日蓮宗・宗祖の日蓮聖人。
日蓮像の頭上に置かれた白い綿帽子が特徴。
日蓮聖人が、南房総の安房・小松原の地に襲撃を受けた。
そのときに負傷した額。
通りかかった地元民の老婆・おいちが、かぶっていた真綿を差し出した由来の綿帽子、とある。
参拝される栗谷の人たち。
向きを替えて手を合わせた涅槃会の日に掲げる涅槃図。
祭壇に、日蓮像前にも供えた御膳がある。
左に供えた供物は、コロナ対策用に袋詰めした白餅。
前回、訪問時には餅の御供撒きをされていたが、どうやら手渡しに切り替えたようだ。
座椅子に座って唱える般若心経。
かつて僧侶が読経してときの心経は、テープに収録しておいた。
その音源は、以降にCD変換。
開経偈からはじまる観音経に般若心経など・・・
ぽくぽく打つ木魚の音色も堂内に広がる。
今回は、コロナ禍対応に短く、般若心経は一巻まで。
合わせて参拝者も唱えていた。
涅槃会を終えてから、拝見した涅槃図。
前回に訪問、取材の際に拝見した涅槃図の裏面。
平成17年に修復されたものの、涅槃図は寛政八年(1797)の作。
榛原町指定から宇陀市指定の有形文化財に移った。
「奉 開眼涅槃像 京都大光山本圀寺 祖卄六代貫首 了義院日達聖人在(渕)」、「来再興涅槃像副巻 和刕宇陀郡栗谷村住 寛政八丙辰歳 如意宝珠日 発起本願人生駒氏 其外志所施主 同行中面々 現當二世安楽」、「湖東敞人玉挐齊常辰謹書」、「本善山大念寺常什物」。
宇陀市・指定文化財リストによれば「本圀寺(ほんこくじ)26代貫主の日達によって開眼供養されたことがわかる。日達は、延享四年(1747)に没しているから、製作年代の下限がわかり、本図を江戸時代中期、18世紀前半の作と見ることは画風からも矛盾しない」とある紙本著色仏涅槃図。
今回の訪問に是非とも見つけたかった「猫」の存在である。
ひときわ大きい涅槃図に「猫」の姿を探した結果は、ここに居た。
見事な筆に描写された「猫」の姿に感動した。
共に探していた婦人もにっこりした「猫」の描写の涅槃図。
見つかった全国の事例数は少ないが、栗谷の涅槃図もその中の一幅に数えられるようになったのが嬉しい。
拝見し終わって収納された涅槃図。
代表者の話によれば、この涅槃図はシミだらけになっていたそうだ。
動物など周辺空白域にややくすんだシミが見られる。
それらのシミはカビ。
天日干しもせず、ナフタリンや防虫剤も入れずに箱収め保管のままにしていた。
前年に行われた涅槃会の際に気づいたが・・・
今日、掲げた状態では、カビの進行が見られる。
前年は、今日に比べて、まだマシだった、というから今も進行中。
なんせ、涅槃図は宇陀市指定の有形文化財。
対策については、市役所関係課に報告し、専門家に診てもらうなり、早く講じないとさらに拡がる可能性が高い、と伝えておいた。
ところでさきほどのご婦人に話によれば、生まれ育った出里の御杖村菅野の曹洞宗安能寺にタイヤ(退夜)に掲げた涅槃図と比較。
図柄も違うし、大きさも・・・
涅槃図はどこともみな同じだ、と思っていた。と・・・
(R3. 2.11 EOS7D/SB805SH撮影)