
大和郡山市の椎木町。
弁天さんおよびダインジングさん(安政二年<1855>三月建之太神宮石塔)の灯明箱の当番は西地区12、3軒の北・南垣内住民で廻している。
弁天講の当屋は二人。
5、6年に一度の廻りになる。
灯明箱に文字は見られない。
箱上部に燭台を取り付けている。
内部に2台の燭台もある。
箱は取っ手以外が焼けたような黒ずみがある。
特に上部は真っ黒だ。
取っ手は長年に亘って運ばれてきたと思えてツルツル、ピカピカに光っている。
朝に家へやって来れば祀って夕方に送る家がある。
二日間ぐらいの間隔で廻している家もある。
特に決まりはない灯明箱の廻りである。
弁天さんやダイジングサンの石塔に火を灯していたようだが、随分前に変化があったようだ。
現在は灯すことなく廻ってきた灯明箱は家の屋内で火を点けたローソクを立てている。
88歳のYさんは弁天さんの方角に向かって拝むと話していた。
真っ黒な灯明箱の様相や箱上部にある燭台の状況から想定するに、かなり前の時代に村の習わしが替わったようだ。
この灯明箱を知ったのは5月15日。
患者さんを送迎していたその場に置いてあった灯明箱に驚いた。
それを存じていたのがYさんだった。
Yさんは弁天講でもあるから灯明箱を廻している。
送迎した6月8日にそう話していた。
だいたいが20日ほどで廻ってくるようだという。
そのYさんは巫女さんのことをソーネッタン、お神楽をガランガランと呼んでいた。
弁天さんの祭りはこうした廻り当番も含める講の在り方だ。
ちなみに弁天さんの祭りは9月末の日曜日辺りに行われている。
(H27. 5.15 SB932SH撮影)
弁天さんおよびダインジングさん(安政二年<1855>三月建之太神宮石塔)の灯明箱の当番は西地区12、3軒の北・南垣内住民で廻している。
弁天講の当屋は二人。
5、6年に一度の廻りになる。
灯明箱に文字は見られない。
箱上部に燭台を取り付けている。
内部に2台の燭台もある。
箱は取っ手以外が焼けたような黒ずみがある。
特に上部は真っ黒だ。
取っ手は長年に亘って運ばれてきたと思えてツルツル、ピカピカに光っている。
朝に家へやって来れば祀って夕方に送る家がある。
二日間ぐらいの間隔で廻している家もある。
特に決まりはない灯明箱の廻りである。
弁天さんやダイジングサンの石塔に火を灯していたようだが、随分前に変化があったようだ。
現在は灯すことなく廻ってきた灯明箱は家の屋内で火を点けたローソクを立てている。
88歳のYさんは弁天さんの方角に向かって拝むと話していた。
真っ黒な灯明箱の様相や箱上部にある燭台の状況から想定するに、かなり前の時代に村の習わしが替わったようだ。
この灯明箱を知ったのは5月15日。
患者さんを送迎していたその場に置いてあった灯明箱に驚いた。
それを存じていたのがYさんだった。
Yさんは弁天講でもあるから灯明箱を廻している。
送迎した6月8日にそう話していた。
だいたいが20日ほどで廻ってくるようだという。
そのYさんは巫女さんのことをソーネッタン、お神楽をガランガランと呼んでいた。
弁天さんの祭りはこうした廻り当番も含める講の在り方だ。
ちなみに弁天さんの祭りは9月末の日曜日辺りに行われている。
(H27. 5.15 SB932SH撮影)

