マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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高取町丹生谷の旧跡・行事

2015年12月12日 12時00分43秒 | 民俗あれこれ(ハタアメ編)
住民の案内で高取町丹生谷の「あこうさん」の祭事場を教えてもらった。

数年前に新しく建てた鳥居がある「アサギヤマ」に鎮座する赤穂稲荷大明神に歴史を示すものはないものかと案内人とともに探してみた。

「大正十二年四月 奉献 喜多村チヲ」の刻印があった狛犬。

一方の狛犬は「大正十四年八月 大阪□□」だった。

10年前ぐらいまでは三月二の午の日の「あこうさん」の御供横に100本ぐらいの「ハタアメ」も供えていた。

子供の頃だと述懐される「あこうさん」。

「ハタアメ」を貰いに山を登っていたという。

いつしか「ハタアメ」を貰いに来る子供が少なくなった。

「たぶんハタアメに興味をもたなくなったので来なくなった」ともいう。

貰いに来る子がいなければ供えることもないだろうとやめたようだ。

その「ハタアメ」は赤穂稲荷大明神より西に400m歩いた御所市の戸毛(とうげ)にある「いろは製菓」で買っていたそうだ。

ちなみに発掘されていないので断定はできないが、「アサギヤマ」は古墳山の可能性があるという。

「あこうさん」の日にはアンツケモチやキナコモチを作って食べているそうだ。

御供は野菜の立て御膳。

赤穂稲荷大明神の旗を立てる。

昔は急な坂道の参道に何本も立てたそうだ。

手伝う人が少なくなり現在は中断しているという。

アンツケモチや立て御膳などを調える時間は丁度昼頃になる。

場は清九郎会館。

作ったアンツケモチやキナコモチを食べる。

これが昼食になる。

食事を済ませて「あこうさん」の行事が行われる。

立て御膳を供えて般若心経を三巻唱える。

それが終われば氏神さんの春日神社へ向かう。



あこうさんのお参りは春日神社境内社になる稲荷社の高光神社である。

高光神社は親しみを込めて「タカミツ」さんと呼んでいる。

ここでも三巻の般若心経を唱える。



案内人は、今では参ることのない小字ハツヲ(八尾寺)に鎮座する通称「ハツオジ」も案内してくださった。

鎮座地の小字は「ハチオオウジ」。

個人的に信仰されている人が参られているようだ。

神名は「八王子大神」だ。

正徳三年癸巳(1713)九月に遷された春日神社の元社地と伝わる「ハツオジ」はおそらくスサノオ神を祀る「八王子社」であったかもしれない。

丹生谷は奥山(手前にヤスミ場)、南、上(中本家)、中(茶屋)、下、北(春日神社鎮座地)、西ケ町の7垣内。

「カンジョウガイト」の呼び名がある場所が昔の図絵に記されているらしい。

曽我川の交差点になるらしい。

住民はこの場に勧請縄を架けていたのだろうと話すが、腑に落ちない。

というのも丹生谷はかつて「紀路」の街道。

高取から西へ向かっていく高野街道だった。

大淀町・薬水から重阪を経て吉野川へ出た。

そこからは東へ川を下って紀州に向かったそうだ。

丹生谷は街道の重要な地。

宿場町であったかも知れない。

そうであれば「カンジョウガイト」の「カンジョウ」は「勘定」であると考えてもよかろう。

丹生谷のトンドは各垣内単位で行われていたが、現在は統合されて春日神社境内になった。

トンドは毎年の1月14日・18時半より行われる。

竹で脚を組んで雑木を詰め込む。

藁束や正月を飾った各戸の注連縄も内部に入れる。

火を点けるのはその年のトシオトコ(年男)。

春日神社のオヒカリをトンドに遷す。

火を点ける方角は恵方だ。

勢いよく燃え上がるトンドの火が鎮火すればローソクに火取りする。

それを提灯に入れて持ち帰る。

遷した火はカマド(竃)の火種にする。

その火で炊くのはアズキガユ。

家人が食べる量を作る。

丹生谷のある垣内では伊勢講の営みがある。

4月16日、講中の家に「天照皇大神宮」の掛図を掲げるようだ。

随分前のことだが、4月はじめに奥山垣内に鎮座する船倉弁財天神社のおんだ祭を拝見したことがある。

かつてはここに御湯釜があったそうだ。

湯釜で思いだされた案内人。

大字観覚寺で御湯があると話していた。

観覚寺に鎮座する神社は高皇産霊神社。

調べてみる価値があるかも知れない。

(H27. 3. 2 EOS40D撮影)