マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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高樋町の行事

2015年12月05日 08時39分38秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
2月10日より開催されていた「山の辺の道<奈良道>を守る会」主催の「第2回フォトコンテスト入選写真展会」会場で高樋町の自治会長を紹介された。

自治会長は神社総代も兼任する。

お会いしたその日、是非とも村の行事を取材してほしいと願われた。

早いうちに下見を兼ねた聞取りをいたしたく訪問した。

訪れた時間帯は夕方近い。

仕事を終えて戻ってこられた自治会長は早速地域を案内してくださる。

まずはお寺さん。

細い道をぐぐっと急坂・急カーブを登れば本尊薬師如来坐像を安置する瑠璃山安明寺に着く。

ご紹介してくださった住職は自治会長らとともに地域を盛り立てようと尽力されているチームメイト。

本尊は快慶作と考えられている。

安明寺の創建は正暦三年(992)であるが、中世に戦乱などで荒廃する。

嘉永七年(1854)6月15日に発生した伊賀上野大地震で本堂が崩壊。

門跡寺院圓照寺宮文秀女王が孝明天皇などからの下賜金を基に門跡寺院円照寺の学問所として慶応三年(1867)に再興された。

「山村御殿の学問所再興には門跡が籠に乗って来てくれた」とお二人が云う。

本堂から見下ろした境内に桜がある。

地元有志の奉賛会が20年前に植樹された桜は大きく育ってくれたと笑顔で話す。

高樋町は7垣内。

安明寺垣内に寺山、南、中、北、東、西垣内である。

なお、東、西垣内は茶屋があったことから柳茶屋とも呼ばれている。

五ケ谷精華地区はほとんどが藤堂藩。

高樋町だけが柳生藩になるという。

本堂は平成元年に改築された。

屋根に光り輝く16花弁の菊のご紋がある。

高樋町に二つの神社がある。

一つは春日神社で、もう一つは舎人(とねり)神社である。

写真は春日神社。

12月1日に懸けた注連縄が美しい。



手前に建つ灯籠には「宮座中」とあった。

かつては宮座制で営まれていたに違いないが、寄進年代は不明だ。

春日神社の直近行事は3月1日

昼前に春日神社の祈年祭が行われたあとに社務所で直会がある。

自治会長、総代らの挨拶を経て乾杯する。

それから1時間は直会の会食。

「えーころになったらフリアゲをする」という。

高樋町は89戸。

フリアゲで決める代参はすべての村人が対象者ではなく、およそ80戸が対象になる。

フリアゲは京都の愛宕山、大阪・奈良県境にある金剛山の寺、三重の伊勢神宮、春日大社、吉野の蔵王堂など五社寺に参ってお札を拝受する代参者を決める。

代参者は予備も入れて10人。

80戸から選ぶことになるから8年に一度の廻りだ。

まだ、当たっていない人の名を書いた細い竹は四角い箱の中に納めておく。

その箱をカタコト振って竹を取り出す。

これをフリアゲと呼んでいる。

出てきた竹を取り出して副会長が世帯主の名前を読みあげていると話す。

もう一つの舎人(とねり)神社の春マツリ行事は4月第一日曜日。

朝から神社周りを清掃して11時に式典が行われる。

昔はこの場で盆踊りをしていた。

ゴクマキもあった。

モチマキのモチには五円玉、十円玉を入れていた。

神さんが降りてくる人がお告げをしていたというが、今では会食だけのようだ。

秋のマツリは白装束姿でお渡りをすると話していたので近いうちに取材したいものである。

ちなみに高樋町で雲母を採取することができたそうだ。

その場所も探してみたい。

(H27. 2.24 EOS40D撮影)