マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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桐山の渡り5人衆

2012年12月20日 06時44分39秒 | 山添村へ
東山中で行われている秋祭りの田楽奉納。

その一つに挙げられる山添村の桐山。

氏神さんを祀る戸隠神社で奉納される。

奉納の田楽を演じるのは1名の当家と4人の渡り衆だ。

太鼓、笛、ガシャガシャ(ササラ編木)を持って山の神や弁財天社を遥拝しながら神社へ出かける。

それを始めるまでは当家の家での会食。

前々年まではそうであったが、昨年からは神社下の公民館に集まることにされた。

竹で設えた注連縄を張っている。

その下には藁束を敷いて3本の御幣が置いてあった。



末社もいれた戸隠神社の三社に奉納される。

出発前に行われる「フクノタネ(福の種)」の祝いごと。

「オドリコミ(踊込)」とも呼ばれる作法に撒かれる洗米と小豆もある。

神社奉納を終えて「あきの国 いつくしま べざい天王 いざやたからをおがむよう」の詞章を謡いながら公民館に上がりこむ。

座敷に上がれば渡り衆は輪になって笹竹を振りながら三周する。

「福の神ござった 何の種をまきましょう 福の種をまきましょう 宝をまきましょう」と謡いながら洗米や小豆を座敷に撒くのである。

出発時間までは公民館で会食。



膳に盛った料理をいただく渡り衆。

当家を上座に5人が座る。

接待役が酒を注いで宴も盛り上がる。

座敷には渡り衆が見につける衣装が置かれていた。

長年に亘って着こなした衣装は虫喰いなど汚れていた。

平成27年には本殿の造営が行われる。

それに合わせて5人の渡り衆の衣装も新調したいがたいそうな金額になる。

費用の工面をどうするか、難しい課題が山積みだと話していた昨年7月のハゲッショ(半夏生:ハンゲショウが訛った)の寄合であった。

それから1年半。

念願が叶って新調された衣装を広げる。



ソウ(素襖)と呼ばれている衣装は紺一色。

依願していた県文化財課でなく「宝くじ協会」からの全額補助。

村が動いてくれ補助金願いがたまたまとおったという。

それを示すワッペンが貼り付けられている衣装のソウ。

この日のお渡り前に村の担当者が実行の証拠に撮っておく。

隣村の北野においても同じ宝くじ協会の支援で新調された平成22年。

同じように記録をしていたことを思い出す。

また、隣村の峰寺では鼓を新調されている。

ありがたい援助に村の行事が救われるのである。

ちなみに桐山ではモチ搗きに用いられる木製の杵も臼も新調された。

前日はそれでモチを搗いたと話す渡り衆。

いずれも侍烏帽子(つば黒烏帽子)を被って伝統芸能を披露する。

戸隠神社で披露されるのは「ウタヨミ」だ。

一番に「やっとん とん とん おうまへなる おうまへなる おうまへなる つるはつる かめはかめ つるこそふれてまいあそび つるの子のやしやまごは そらとうまでも ところは栄えたもうべき きみが代は かねてこそ 久しかるべき 住吉の松やにゅうどう」だ。

二番が「せいようの 春のあしたには かどに小松を 立て並べ おさむる 宮のしるしには 民のかまどに 立煙 まつからまつのようごう おうごうのまつ 君が代よはかねてこそ 久しかるべき 住吉の松や入道」。

三番は「あかつきおきて 空見れば こがね交りの雨ふりて その雨やみて 空はれて 皆人長者になりにけり 君が代よかねてこそ 久かるべき住吉の 松や入道」である。

その際に用いられる小道具がある。



烏帽子の下にあるのはガシャガシャと呼ばれているササラの編木。

太鼓も古い。

いずれはこれらも新調する時期がくるだろう。

ちなみに竹の横笛の穴は6穴。

峰寺とは異なる形式である。

渡り衆を勤めるのは20戸であったが、平成7年からは19戸になった。

当家の回りは18年ほどでひと回りになる。

渡り衆は4、5年に一回が回ってくるという。

(H24.10.14 EOS40D撮影)