マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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小林町三夜の総集会

2012年03月27日 08時37分16秒 | 大和郡山市へ
正月から数えて23日目。

その夜は「二十三夜さん」と呼んで豊作や健康を祈ったと話すHさん。

それは旧暦の二十三日であることから「二十三夜さん」。

「にじゅうさんや」を略して「さんや」と言えば通るから「三夜」と称していたという。

務める人が多くなって、いつしか建国記念日の祭日になった。

旧公民館があったときは朝早くに起きてそこで祈っていたという「三夜」は村の総集会となった。

新しく建て直した公民館に集まってくる村人たち。

村の取り決めや決算報告をされる集会。

この年は村の旅行の相談もする。

床の間に掲げられた掛軸は新福寺が所蔵する天照大神の神像は雨宝(うほう)童子であろう。

頭頂に五輪塔が描かれ、右手に宝棒(ほうぼう)、左手に宝珠を持つのが定番の童子姿の神像だそうだ。

この掛け図の姿を見て思い出した。

昨年末に訪問した額田部のK家に残されている古い掛け図だ。

ストロボ撮影して現れた姿が同一だったことだ。

おそらく伊勢講の日に掲げられていたのであろう。

傷みが激しく涅槃の掛け図を修復、表装するにあたって掛軸も修復(平成21年)された。



掛け軸の前に組んだ斎壇には洗い米、塩、お神酒に野菜や果物を供えて火を燈す。

新福寺住職がお経を唱えて村の日ごろの絆を結ぶ。

3巻の般若心経も唱えられた。

天照大神を掲げるのはお日待ちの行事。

かつては会所の外で心経を唱えていた。

お日待ちの神さんは太陽信仰。

お日さんが昇るのを待って一夜を過ごすと話す住職。

天照大神を掲げてその夜に籠っていたのは区長の家だったという人もいる。

いつしか村の集会と合同で営まれるようになった。

集会は決算報告会。

いわゆるサンジョ(算定)であると話す。

算定が三夜になったのか、二十三夜が三夜に訛ったのか定かでないが、いつまでも村の伝統を守り続けていきたいと両人は話す。

11月23日か、12月23日を「二十三夜まち」と呼んでいたと記す『楢町史』。

天理市の楢町のことを記した書籍だ。

それによれば、かつてはハタ(機)を織ったときに娘たちがハタを持ち寄って三夜の月(夜半一時)を見たという。

その件を考えてみれば。

二十三日の日待ちを「三夜」と称するのはあながち間違いではないだろう。

(H24. 2.11 EOS40D撮影)