マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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弁天講の頭屋

2012年03月28日 06時45分33秒 | 楽しみにしておこうっと
室町時代に起こった円満井座・竹田座の金春流、結崎座の観世流、外山座の宝生流、坂戸座の金剛流があった大和四座。

猿楽の発祥の地とされているのが田原本町。

能の最古流派と云われている金春流の居地。

その昔、美貌な顔立ちの公達面が天から降ってきたとされる十六面をご神体として祀った伝わる集落があるという田原本町。

天から面が降ってきたと伝わる地域が他にも2か所ある。

一つは翁の面と一束の青葱が降ってくる夢を見た能楽師が、探してみればそこにあったとされる川西町結崎の面塚。

もう一つは大和郡山市の小林町の面塚。

ここも翁の面が天から降ってきたと伝わる。

その面を見つけたのは隣村の今国府町の住民。

両町で所有することになった面は両町に鎮座する杵築神社の祭礼に被られる。

実は、面は天から降ってきたわけでもなく、一人の能楽師が借金のかたに置いて帰ったというのが事実であった。

真実はともかくどちらもロマンを伝える天からの贈り物であろう。

建国記念日の2月11日。

以前は10日に祭祀されていた弁天講の行事。

太く結った注連縄を昨年に取り付けられた注連縄と掛け替えられる。

新しくなった注連縄を鳥居に掲げたのは神社祭祀を務めている弁天講の人だ。

弁天講は七人衆と呼ばれる講中で営まれてきた。

講中は言い伝える家いえの七人衆が継承されてきた。

村を出ていく人や辞退を申しでることもあって七人衆は三人になってしまった。

弁天講の維持を続けてしていくため、新しい時代に対応した講の改正をなされ村行事になった。

一年間の祭祀を務めるのは年番のトーヤ(頭屋、当屋)。

新トーヤを決めるのは2月7日の夜半。

かつては24時を過ぎてから行われていたフリアゲ神事。

お伊勢さんに参って授かった伊勢明神さんのお札を用いて新トーヤを決める。

その作法をフリアゲ(振りあげ)と呼んでいる。

現在はこの日に行われているが、かつては旧暦に行われていた正月行事であった。

講に残る『弁財講人数帳 宝永弐丙酉暦(1705) 正月吉日』とあり、正月七日の晩に斎行されていたと昭和59年3月に田原本町教育委員会が発行された『田原本町の年中行事』に記されている。

小さな紙を丸めた紙片には新トーヤ候補の名が記されている。

その上から静々とお札を下げていけば一枚の紙片がくっついてくる。

神さんのお告げが下り、新トーヤが決まる瞬間だ。

その作法を見守る三人の総代。

不正がないようにフリアゲ神事を監理する役目である。

新トーヤが決まればその家に当たったことを知らせに行く呼び使い。

それは7回繰り返される。

呼び使いは提灯を手にして迎えにいったが、今は電話の呼出だ。

各家では当たってほしいといって玄関を開けて待っているが未だに当たらないと話すK婦人。

28戸の集落であるが弁天講を継ぐ家は18軒。

一回の回りは10年も経なければならない。

フリアゲに残った分は「イノコリ」として回す。

この日までトーヤを務められたH婦人が言うには「トーヤはアキの方向に当たることが多い。それでないときは逆アキの方角(ウラアキ)になる。」そうだ。

こうして飛ぶこともあるトーヤ決め。

この年のアキの方角は北北西だったが托宣されたのはウラアキであった。

アキの方角に家があるK婦人は「結婚してから40年も経つけど未だに当たっていない」と話す。

それだけにトーヤの支度はまったく知り得ない。



そんなわけで案内していただいたトーヤ家で祭祀後に戻されたお供えを、H婦人のご厚意で一緒に拝見した。

お供えはこの日まで務めるトーヤが作る。

材料はキントキニンジンとダイコンだ。

赤と白の短冊が交互に組んだ井桁(いげた)形のお供えはイドガワと呼ぶ。

漢字を充てれば井戸の側。

つまり、三段組みの井戸枠である。

弁天さんは水の神さんだけに井戸なのである。

財閥住友の商標は井桁だ。天正十八年に創業した住友。

屋号の泉屋を起こした際に作られたマークが井桁。

「いずみ(泉)」を現したのであった。

泉湧く井戸の枠組みであるイドガワのお供えは美しい。

盛った器ではないが傍らに水引で括ったミズナ(水菜)が置かれてあった。

これも水に関係している。

もう一つのお供えにセキハンがある。

モチゴメ三合にアズキ三勺(セキ)を混ぜて炊いたセキハン。

円錐形の大きなおにぎりの形にする。

その頂点には立てた米粒を乗せる。

一粒のお米である。

このセキハンの米粒をいただくと子宝に恵まれるという。

子供ができてお乳がよく出るとされることから新婚の家に配られるそうだ。

もう一つは豆腐だ。

その豆腐はヘソのように中央部が小さく半球状に出ているそうだ。

ふんどうとも呼ばれるその辺りを中心に四角く切り取る。

盛る器の大きさに合わせて切り取って吸い物にする。

こうした形の豆腐は滅多に手に入らない。

橿原市のデパートで見つかったと嬉しそうに話すHさん。

そのヘソ部を田んぼの中心だと言った。

その豆腐を2丁、米は2升、コンニャクが1丁、お神酒ワンカップを安堂寺の弁天さんに供える。

こうしたお供えは寛延三年(1750)、弘化二年(1845)にも書き継がれているそうだ。

旧トーヤから新トーヤへの引き渡しはこの日の夕べに行われる。

公民館で会合を終えた一行はお渡りをして家の玄関に注連縄を張った新トーヤ家に向かう弁天さんの日。

それまでの毎日を祀ってきた弁天さんのヤカタに手を合わす。

洗い米、塩、水を供えて2礼、2拍手、1礼と神事に則り手を合わす。

一年間も祀ってきたが扉は開けたことがないと話す婦人に、伝統を繋ぐ信仰の清々しさを感じる。

(H24. 2.11 EOS40D撮影)