ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「いましめ」20240820(20240217)

2024-08-20 | Weblog

 

 

 

すべての検索のエントランスに刻むべきことば
おのれをふりかえる起点がある──

凡庸な悪は凡庸な善でもある
ヒラメとカレイ、ふたつは相互に鏡像の関係にある

ヒラメとカレイの共通本質
うごかない自明性への諦観、耽溺、居直り、籠城

善の内側に身を置くことは、同時に
悪を外側に配置することでもある

(何をもって善の本質とするのか、答えられるかい)

この二項配置の自明性を疑わないとき
うるわしい自意識、凡庸な善、凡庸な正義が起動する

善/悪、A/非A、永遠のカップリング

善と悪、真と偽、美と醜、肯定項と否定項、
二項抱き合わせの構造の内側ですべての思考と感情は動いていく

絶対化した二項連結の価値コード
コードが構成し踏み固めた一つの世界、凡庸の公理系

善の自意識はつねに公理系を強化するようにことばを選ぶ

コードを共有するムジナが同じ穴のムジナに向かって
凡庸な悪をなしていないかとほざく

この構造の内側を生きるかぎり凡庸の壁は1ミリも動かない
どれほど知と事実を積み上げてもこの構造は変化しない

不動の二項配置にしたがって善を拡大し、悪を縮小する
そう妄想し、公理系に掲げられた善の御旗の下に蝟集するとき
巨大な分断線がリアルをおおい、巨大な闘争が展開してきた

(対岸には別の善の御旗がひるがえる)

歴史のリフレイン、相互に公理系に閉じた関係世界同士の対峙
偉大でもなんでもない、凡庸なくりかえしの原理的展開がある

この展開に嫌気がさすなら最初になすべきことはひとつ

一元化した価値コードが世界に引いた差異線がある
この差異線に斜めに切れ込みを入れて無力化する

無力化し、無意味化し、重い観念のデフォルトを瓦解へみちびく
そうしてはじめて開かれる新たな展開可能の探索ルートに入る

この作業は最初に公理系の外に出ることを条件として開始される

 

 

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「病者の光学」20240819(20210402)

2024-08-19 | Weblog

 

                                                                                        Dawnlight (youtube.com)

 

 


 誤謬は弱さではなく力であり、夢想は煙ではなく火である。

      (ドミニック・ルクール『カンギレム』沢崎他訳)

     *

記述命題「A」を定立する
すると、願っても願わなくとも
かたわらには必ず「非A」が配置される

正常/異常

正常であることを記述するとき
異常であることが同時に反照され
両者をわける区分線が自動的に引かれる

善を語れば悪が
美を語れば醜が
真を語れば偽が

意味と価値をめぐるラインが走り
世界は二極の構造として姿をあらわす 

     *

「正常-異常」を区切る一般意味は告げる
精神を病むことは正常からの逸脱である──

病む者の体験の内側に深く踏み入るとき
この一般意味規定はいったん崩壊する

「正常-異常」をわけるラインに従うかぎり
けっして触れることができない視線が生まれる

病んだ者に立ち上がる生の主題は一般意味から遠く
ただひとりの固有性において固有の問いを生む

「俺は、いまここを、いかに生きるべきか」

ただひとり〝俺にとって〟という病むことの意味の固有性
この問いは「正常-異常」という一般的意味規定を突き破る

「俺はほんとうに正常に帰還したいのか」

病者の視線が逆立ちした世界のライン設定を照らし出す 

一般意味から逆算され規定される「俺」ではなく
一般意味規定が触れることができない「俺」の実存

「正常-異常」のラインそのものを対象化する視線

正常への復帰とは、異常を生む環境世界への復帰であり
同じことの反復、再発の道をたどりなおすことにすぎない

世界の姿を固定すれば「俺」はある一点に配置される
「正常-異常」の正規分布の座標にマップされる「俺」

「ありえない」

「正常-異常」を切り分けて構成された世界に戻りたいか
そもそも、正常とはなにか、異常とはなにか

この視線は一般的意味として確定された〝正常〟を反照する光
世界の自明性、定常性を照らし返す光として動きだす

代替不可能、いちどきり、固有の歴史を生き抜くひとりの生
この代えがたさを一般意味に回収することはとうていできない

一般言語が包括できない実存としての生が放つ光
世界を照らし返すこの光の側に立つとき
世界とみずからの関係を読み換える新たなことばが生成する

「誤謬は弱さではなく力であり、夢想は煙ではなく火である」

 

 

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「ことばの作法」20240818

2024-08-18 | Weblog

                                                                       Chopin: Nocturne No. 3 in B Maj, Op. 9, No. 3 - YouTube

 

 

すでに加齢臭が漂う小学生がいる
みずみずしい感性が煌めくご老人がいる

それは記述の作法のちがいに由来しているらしい
自己記述、他者記述、いいかえると世界記述

世界の姿を確定して記述し生きること
世界の新たな現われに開かれて記述し生きること

非知、未知、未規定性、不確実性
それらを不安やおそれやおびえではなく
新たな記述の糧としてかたわらに同伴させている人

そんな人と出会って、なにかおごそかな励ましを感じる
そんなことがまれにある

 

 

 

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「内在/超越、実存/一般」20240817

2024-08-17 | 参照

                                                                             Killing Me Softly With His Song (2006 Remaster) - YouTube

 

 

──竹田青嗣「エロスの現象学」(Organ Vol.18)


〈超越〉とは、対象それ自身が一般的に思い描かれた、
対象が「何であるか」を指す。

〈内在〉とは、対象が〈意識〉にとってもつ固有性であり、
これは原理的にそのつどの確定性、絶対性をもつ。

一杯のコーヒーを飲むという経験の中で、
〈私〉が飲んだのはたしかにコーヒーだったという事実は、
ひょっとしたらコーヒーそっくりのまがいものだったかもしれない
という可疑性を原理的にもつ。

しかし、このコーヒーは「おいしかった」という〈内在〉知覚は、
ひょっとすると「おいしい」と感じていたのではなかったかもしれない
という可疑性をもたない。

          *

世界の「一般性」と「固有性」は、
互いにその条件を与えあっているのであって、
どちかが錯誤した世界像ではないのだ。

人間の現存在の実存的な「固有性」は、「一般性」とともに、
言葉を生きる人間の条件からのみ発するのであり、
また言葉が作り上げている世界の「一般性」は、
そのつど生の「固有な意味」からのみ確定される。

(たとえば「頭痛」という言葉の意味)
実存の中心としての意味と、
「頭痛」一般とはつねに本質的差異をもつ。
また前者が後者へと一般化されるのは、
およそ多様な意味が実存として生きられていることを
前提とするのであって、その逆ではありえない。

 

 

 

 

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「こどもの声」20240816(202300603)

2024-08-16 | Weblog

 

 

 


 子どもは、ペットの次に大人の慰みものにされやすい存在である。
      (中井久夫『「思春期を考える」ことについて』84)

      *

見た目で人を判断してはいけません
そっくりお返ししたいことばです

こどもだからという理由だけでね
かわいい、純粋、まっすぐ、元気、とかなんとか
わかったふりはやめてください

こどもの味方っていうのもちょっと暑苦しい

受け止めとか、寄り添うとか、学びあいとか
かんたんにおっしゃいますが、そのまえに
おとな同士、おとなの世界はそれができているのかな

ひとりでは生きられない
世界のことはよくわからない
不安、つまり無力の感情があふれます

わからないから求めるのです
わかること、わかる存在、頼れるものをね
こどもであることの逃げられない条件です

(おとなもおなじですか?)

でもほんとうに頼ってよいものを見分けることは難しいのです
ほんとはね、なにがそうなのかもわからない
見分ける方法もわからない、迷いや不安がいつもついて回る

だから籠絡されやすい存在でもあるのです
あまいことば、やさしい視線には負けてしまう
反論しようがないからって、それで勝負ありですか

だからそれに付け込むのは反則です、ゲスのやりかたです

こどもっていいとかカンタンに云わないでくださいね
そこで行き止まりになってしまいます

いいもわるいもいろいろ、すべて含んで生きています
悪魔にも天使にもテロリストにもなれるかもしれない

ほんとうにそう云いたいのなら、ニンゲンっていいとか
そんな場所に立ったうえでお願いします

おとなもカンタンにわかられたらイヤでしょ

わかりたいとようにわかっているつもり
じぶんの都合にあわせてわかる範囲に閉じ込める
それっておとながしちゃいけないことじゃないのかな

永遠にこどものままでいつづけることはできません
こどものまま、生徒のまま生きるわけにはいきません

こどもあつかいにもほどというものがあります

おとなになるための準備がてんこ盛りです
そこんところよくわきまえてくださいね
あっけらかんに見えてもこっちは毎日必死なのです

あかるくほがらか屈託がない、立ち直りがはやい
かんちがいにもほどがあります

無邪気ではありません、黒い雲も湧き上がります

こども世界、こども世間
ぼくたちが生きる一番の場所です

友情も憎悪も渦巻くこども世界です
おとなの世界と同じようにね、たぶん

たのしい顔がほんとうにたのしいとはかぎりません
なかよしが本当になかよしとはかぎりません

たかをくくり決めつけるのは愚かです
こどものためとか、未来とか、勝手な思い込みだけでね
じぶんのやさしさとか善人のネタにしないでね

純粋でもまっすぐでもありません
そんなわかりやすいものではありません

うれしいふり、かなしいふり
わかったふり、わからないふり
生き延びるためならどんなふりもする

にっこりされればにっこりする
しかめつらされたらしかめつらになる

泣いたり笑ったり、浮いたり沈んだりしながら
ほんとうにじぶんにとって大切なもの、心から楽しいもの
日々それを探索しながら生きているのです

でもわかんない、わからないことだらけ

こどもをネタやダシや刺身のツマにして一杯やるまえに
もうすこしこどもが生きるほんとうの姿を広げてみてね

こどもあつかいすればこどものまんま
おとなあつかいすればおとなとして振舞おうとする

おとなにはない柔らかな心、それがこどもの本質です
勝手にきめつけてかわいいとかなんとか、やめてください

胸に手をあてて、じぶんのこども時代をふりかえってください
かんたんにわかることでしょ、そんなんじゃないってね

おとなから学ぶことはたくさんあります
一番はおとながおとなとして生きる姿です

社会、つまりおとな同士がどんな関係を結びあって生きているのか
たとえば自分とはちがう異質、異形な存在とどうつきあうのか

教科書のどこにも書かれていないけれど
ほんとはそれを目撃することがぼくたちの一番の学びなのです

 

 

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「アドレッセンス」20240815

2024-08-15 | Weblog

 

 

 

死んでもなりたくないもの
自明性にのぼせた紳士淑女

もっとも恥ずかしい連結形式、サロン
外部にゴミとクソを掃き出すサークルゲーム
わかりあったつもりの善と真の独占共同態

同期する快への警戒とおそれ

なにかが結語を結びそうになると
かならず「NO」のシグナルが走る

「ちがうな」

この感性的作動がひとつの季節を染めていた
ほとんど自動化した「NO」の点滅

答えをみちびけない、答えをみちびきたくない
答えをかき回す否定のカオスに呑みこまれた共感呪術
そんな集団を横目にみながら、これもちがうと思う

そして最後の局面がおとずれる

ほんとうに試される不可避のリアルに出会う
即答する以外逃げ道のない局面が前景をおおう

否定の作動は必然的におのれを反照する

否定したものははじめから使えないことはわかっている
どうするか、答えはどこにもない、なくていい

否定の核にあるものを磨き鍛え上げる
そうして答えはみずから生み出すほかない

 

 

 

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「クラスわけ」20240814(20210429)

2024-08-14 | Weblog

 

 

 

人類は任意のクラスわけを順次30回ほど繰り返すと
近代が描いた希望の原理「民主主義」の基礎単位=「個」に分解する

われわれはそこに至る手前の任意のクラスわけの段階に留まり、いまも
「個」に分解される以前の段階で足踏みするようにして
社会体を構成する特定のクラスの一員として、自他ともに規定し生きている

クラスわけを最後まで徹底して「個」を見出すには条件がある

第一に、実存(個)の固有性、代替不可能性、絶対的一回性
第二に、絶対に埋めることのできない相互の隔絶性(へだたり)
第三に、クラス(共同態)の生成的本質、その必然性(つながりの地平)
最後に、なにより「個」が「個」として生きうる集合的営みの可能性

以上をすべてを串刺しにする認識と洞察を必要とする

 

 

 

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「共通感覚」20240813(20210623)

2024-08-13 | Weblog

 

 

ある共通感覚が存在する、この確信の意識において

相互の差異は相互に〝資源〟として生かされ
関係的生成の位相が開かれていく

ある共通感覚が見当たらない、この確信の意識において

相互の差異は関係的意味をめぐる〝審議対象〟として
相互のまなざしの前景を埋めていく

共通感覚──あるいは、共通の地平への信
生をともにするメンバーシップの意識といいかえてもいい

 

 

 

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「ミネルヴァの梟」20240812

2024-08-12 | Weblog

 

 


 ミネルヴァの梟は、夕暮れの訪れとともに、
 ようやく飛びはじめるのである。       
       (ヘーゲル『法の哲学』上妻他訳)


わかるとか、わからない、とかなんとか
わかってる、わかってない、わかるわかる、とかなんとか

ほんとはどうでもいいことかもよ

つまりさ、真っ昼間から、設定が狭すぎる
期待値が幼稚でせこすぎるかもね

上滑り、上空飛行、浮き上がったまま飛んでいく
シャボン玉のようにどこかではじけて消える

そこにとどまれば最後にそうなるな

すきもきらいもない、選択の余地ない位相
そんなことが一切問題ではない地平

そんなこと云うヒマなく生きている

そんなことを考えたり語ったりするまえに
すでにご一緒している、時間と場所をともにしている

つまり主義も主張も信条も好きも嫌いもへったくれもない
素性の知れない真っ赤なアカの他人さまがお給仕してくれている

(罪を問いたいなら、最初におのれの幼稚なバカさ加減を問いな)

きょうもあすも安酒を享受できるのもこの地平のおかげだろ
そこをきちんと生きる、きっちり生き切ってはじめてわかる

「ふくろうは日没から飛びはじめる」

そうしてはじめてふくろうが翼をはばたかせる
その資格と時間が生まれるのだろうと思う

 

 

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「反省」20240812

2024-08-12 | Weblog

 

お行儀よくしすぎたのかもしれません
それなりの礼節がすぎて、お仲間のひとり
おりこうさんの一員、資格審査オーケーですか

最後はお決まりのわきあいあい宴会コース突入、そのネタ、一員?
(たいへん失礼ながらクソだと思います)

感謝を忘れたことはありませんが
けれど、でもね、全然、決定的にちがうのですよ

そんな資格ははじめから一切求めていないのです
ほんとのこといえばですね
そこにそうして暮らしたいと微塵も思ったことはありません

ごめんなさい、おわかれだとしても、でもね
未練ではなくて、それだけでおしまいではないのです

ここからほんとにはじまる、そういうことがあるのです

しっかりお行儀悪くする、そうしてはじめてはじまる
たとえば憎みあうとか、そうしてやっとはじまることがね

 

 

 

 

 

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「秋になると」20240811

2024-08-11 | Weblog

 


 昆虫と顕花植物というきわだった性的な、
 [したがってまた季節的な]2つの生命系の共進化は、
 われわれの生のこの相互媒介的なあり方の最も直截な表現である。

              (真木悠介『自我の起原』)

    *

秋になると聴こえてくる

羽音と交わるように
花ざかりの河原から聴こえてくる
 
無音の調べは
メッセージを奏でながら

風にゆらぎ
光に染まり
水面にはじけ
木々を洗い

透明なさざ波になって
秋の風景に溶けていく

「すべてはあなた次第よ」

気がつけばいつも
いつのまにか
花ざかりの河原を飛んでいる

たなびく雲の影にじぶんの影が重なり
草むらにふるさとの匂いが満ちてくる

「さあ」

呼ぶ声が聴こえ
こころは応答に染まり

空は晴れわたり
澄んだそよ風に

色めく花弁がゆれている

 

 

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「自己裂開、聖テレジアの恍惚」20240810

2024-08-10 | Weblog

 

 

 同時に個体はそのようであるままでまた、
 同種や異種の他者たちの作用し誘惑する力の磁場にさらされている。

 聖テレジアの恍惚は、個体の経験することのできる至高の経験が、
 どんなにその原初のかたちから遠いものでも、
 個体という存在自体が裂開してしまうモメントを孕むという逆説を表象している。
 けれど、この自己裂開的な構造こそは、個体を自由にする力である。

   わたしたちの欲望の中心に性の欲望があるということは、
 個としてのわたしたちの欲望の中心部分が、
 あらかじめ個をこえたものの力によって先取りされてしまっているということだ。

 もちろんわたしたちは性の欲望を、遺伝子の再生産につながらないような仕方で、
 さまざまなヴァリエーションで享受する。
 それを個の類に対する反逆の勝利といってもいいが、
 それでもその個の歓びは、類が(生成子=遺伝子が)あらかじめ
 個の身体の中心に装填しておいた感覚の能力に依存している。

 性とは、個という存在の核の部分にはじめから
 仕掛けられている自己解体の爆薬である。

           (真木悠介『自我の起原』1993年岩波書店)

     *


 世俗の一切の禁止命令の外へ

 「おいで」

 わずかな抵抗も不服従も、一瞬のためらいも許さない
 存在を拉致する磁力の顕現、絶対的指令

 存在の核芯に鳴り響く声、われ欲す
 歓喜、恍惚、苦悶、情動、快の極相があらわになる地平へ

 

 

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「文明の審級」20240809

2024-08-09 | Weblog

                                                                                  Last Train Home (youtube.com)

                                                                                  PAT METHENY - LETTER FROM HOME - YouTube

                                                                                  Pat Metheny Group - Slip Away 1989.wmv (youtube.com)

                                                                                  

 

「愚かな文明」は、実線で太く描かれた漫画の吹出しのように、
特殊な公理系の宇宙を至上化して境界線を確定し、ノイズを排除する。
 
「高貴な文明」は、メンバーひとりひとりの内部において、ノイズをよくもてなし、
公理系の外とつながる〝第四次〟のアンサンブルの宇宙を探索していく。

 

 

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「Moon」20240808

2024-08-09 | Weblog

                          MOON ー REBECCA ー (youtube.com)

 

転校した小学生が浴びたいじめの洗礼
その先兵だった在日のナガタ
同じクラスになってから友だちになった
新聞配達していた店を紹介してくれた

中学に入って教師にも牙をむく覚悟を決めていた
俺を呼び捨てで呼ぶようになったけれど
向けるまなざしはずっと柔らかなままだった

(若くして自死したと聞いた)

一緒にこの曲を聴いたらあいつはどんなことばを返したのだろう

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「記述の作法」20240808(20230724)

2024-08-08 | Weblog

                                                                                SELF PORTRAIT (youtube.com)

 

 


理解のポッケに世界を収める──

この作業には上も下も、優も劣もない
おのれの理解にのぼせると見えなくなる

狼には狼の
羊には羊の
君には君の
俺には俺の

一匹一匹、ひとりひとり、どいつもこいつも
カエルもミミズもオケラもアメンボだって

すべては等しく生命の必須の仕事であり
それぞれにはそれぞれの世界記述の流儀と作法がある

そのことをたしかめ頭に刻んだうえで
あらためて問うでおこう

俺たちはなんのために世界を記述するのか

単なる事実として、そこにそうして在るものとして
世界の姿を確定して生きるのではない
確定した記述から逆算して生きるためではない

手のほどこしようのないもの
なるようにしかならないもの
求めるのはそんな世界の姿ではない

そうではない記述のゲーム
ひとだけが展開しうる生の気圏がある

正義、正しさを競うゲームではない
真理の的当て、最終の解にたどりつくゲームではない

優劣を決める遊びではない
ナイーブさ、やさしさを競う遊びでもない

記述と記述が出会い、交わり、連結し、カクテルされ
第三の視覚が立ち上がり、新たな奥行きが生まれていく

予期と予期の外にあるもの
見えるもの見えないもの
ここにあるものここにないもの

トレースされた経験、ループする時間
全経験、全時制、全アイテム

すべては資源として投下され、混ぜ合わされ
新たなスコープ、新たな感性、新たな予期の地平が生まれ
新たなエロスの種が芽吹き、世界に新たな奥行きが加えられる

あの歌があり、この歌があり、かぞえきれない歌があって
すべてが合流して、その先に新しい歌がつぎつぎに励起していく

この合流の地平が生まれる条件はただ一つ
ひとりひとり異なる記述があってはじめて可能になる

みんなちがってみんないい、そうではないな
みんなちがうからこそいい、そう云うべきだろう

異質なものが異質なものとして
異質なまま生き出会い合流する第三の生の気圏

そうして生きうる地平を価値とすることはできる
記述と記述をカクテルする場所
そこに開かれるようにして生きることはできるだろう

 

 

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