イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

拝啓、小椋 桂様

2011-01-22 18:36:27 | 日記・エッセイ・コラム

  過日、民放TVの小椋 桂特集番組を観ました。1975年の大ヒット曲「シクラメンのかおり」以来、小椋 桂の曲が好きになり、その後はいつも注目していました。

当時はまだ小椋 桂も現役の銀行員であったためでしょうか、リリースされる曲の数はそれほど多くはありませんでした。でも新曲がリリースされるたびにヒット曲となってイワン・アサノヴィッチも愛唱させて貰いました。

TV番組は小椋 桂の音楽家としての経歴を追いながら、歌手との思い出話を絡めて曲を紹介するというプログラムでした。楽しく懐かしく観させて頂きました。

そんな中で小椋 桂が音楽家としてのスタンスみたいなことを語っている時に『つぎの旋律が予想されてしまうような曲はつくりたくない。』と言いました。

イワン・アサノヴィッチはその言葉を聞いた時に言いしれぬ寂しさを覚えました。「つぎの旋律が予想されてしまうような曲」と言えば歌謡曲・演歌、他に日本古来の民謡や童唄などがあるからです。

イワン・アサノヴィッチは歌謡曲・演歌が好きです。様々なヒット曲は、人生の浮き沈み、その時々の人の喜怒哀楽と寄り添いながら謡われて来ました。

ヨナ抜き音階といううのでしょうか、西洋長音階の4番目(ファ)と7番目(シ)の音階を使用しない旋律が日本古来の曲には多いのだそうです。

残された6音階だけで作曲されている歌謡曲・演歌の旋律は否が応でも似てきてしまいます。イントロ一つを取ってみても、「霧にむせぶ夜:黒木憲」「女のみち:宮史郎」「あなたに上げる:西川峰子」のそれはそっくりです。

でも庶民はその時代に生まれて来た曲に、社会的状況やら自分の心情やらが絡んで愛唱してしまうのです。

多くの庶民は心情の襞(ヒダ)に残る幾ばくかの”名曲”を持ち、曲は心情を心情は曲をなぞりながら唄とともに泣き笑いして行くのではないでしょうか。

「ヨナ抜き音階」をまさに「夜泣き節」と意訳した庶民の生きる智恵は名訳ではありませんか。


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