イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

歌謡曲は畑の労働歌 藤圭子:夢追い酒(カバー曲)

2018-08-23 21:58:14 | 日記・エッセイ・コラム
 「夢追い酒」のオリジナルは、渥美二郎が歌ってヒットした曲(1978年)である。
渥美の歌には声質やイントネーションが花柳界の雰囲気をしっかり放つものが有って、イワン・アサノウィッチの好きな一曲でもある。
ところが、畑でスマホのユーチューブを開いていたら突然に藤圭子がカバーして歌っていたのが耳に留まった。スマホが自動再生していたのである。少し驚いたが渥美二郎とは違った味わいがあり、このカバー曲も好きになった。
 
藤圭子と言えば、18歳の時に「新宿の女」でデビユーし歌謡界に現れたのであるが、当時は学業成績に優れた身を、旅回り芸人だった両親・家族と共に東北・北海道をさすらっていたのである。
その後はヒット曲歌手として歌謡界に徐々に君臨して行くのであるが、リリースされる曲は旅回りの時代を彷彿とさせる曲が連なった。
1970年代は日本の経済が飛躍するものの、その陰に取り残されて行く階層も多く現れ格差社会へと移行する世相でもあった。陰に隠れた階層のその暗さや怨念がにじみ出る藤圭子の歌詞とメロデイ―が独特で好まれたのであろう。

そんな藤圭子が、この「夢追い酒」をカバーしていたのである。
渥美二郎の曲と比べるとキーは少し落としている、そしてリズム・テンポもやや緩やかになっている。
しかし藤圭子の歌は、彼女の声をこれでもか!と言う具合に根一杯張り上げて、そう!まさしく朗朗と歌いあげているのである。
原曲を聴いている人は承知のことであるが、この「夢追い酒」は、貢いで尽くした挙句に捨てられた女の恨み辛みを、最後の力を振り絞って自虐・悔悟している曲なのである。
また、しかしなのであるが、藤圭子の「夢追い酒」を聴いていると暗さや忸怩たる女の怨念などは一切ないのである。否むしろ朗朗とした声質の原因は、自己責任の下で100%納得の行く失恋じゃないのと言って宣言でもしているかの如くの歌い方なのである。
 翻って十台のころのヒット曲のそれと比べてみるといかがか?
♪「十五・十六・十七と私の人生暗かった」♪  ・・と自身の半生をもろに露出した歌詞が連なるのである。十台の年端の行かない少女のつまずきと辛さを脇にしながら・・。
そんな藤が成人し歳を重ね中高年となった身でカバーした「夢追い酒」は、受け身の恋や愛ではないとしているのであろう。

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