イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

寂寞を感じる日々・・、それが幸せ?

2020-10-11 13:28:53 | 日記・エッセイ・コラム
 (原稿は2020年01月28日のもの)
 昨秋10月下旬には夏日・真夏日が登場して本格的な秋の登場が遅れた。
しかし、暖冬気味とは言え、12月に入るや否や急に涼しくなり一気に冬入りとなった。
夏の開放的な雰囲気から寒さに身構えるような雰囲気に、急ぎ足で変わってしまったのである。
そんな季節の変化に戸惑いを感じながらの日々から、一種の寂寞感が生まれて来るのかも知れない。 この冬は例年になく、精神的あるいは心理的な寂寞を感じる日々が多い。「歳のせいなのかな?」と脈絡なく思ったりもしている。
大きな悩み事が一方で存在する時などに、目の前の出来事には関係なく心の奥底に蟠(わだかま)る不安感みたような心理が持続的に私の心を離れないのである。
結婚直後は核家族で共働きの家庭環境であった。若いそのころは、勤務と子育てと労組の役員活動に365日休みなく翻弄されながらの生活だった。当然ながら勤務に忙殺されつつ労組運動の活動上の様々な課題やもめ事、あるいは子育ての悩み事etcを常に心に宿していた。従ってその頃は安堵感にドップリと浸る生活の日々などは殆どあり得なかったのである。否むしろ常に何かしらの不安を持ちながら、あるいは感じながらの生活だったと言っても過言ではなかったのである。思い起こせばそれが当たり前の365日だったのである。
3年前に娘のK子の結婚で我が家には、夫婦以外の家族が日々に出入りするようなことは終ぞ無くなってしまった。 すでに男二人の子供は結婚して独立生計を営んでいる。加えて可愛い孫たちも授かっている。
結婚して3人の子を出産、家族が5人に増えて40年余。我が家には夫婦以外の家族が当然ながら常に出入りしていたし、それが当たり前で日常のことだったが、K子の結婚に伴って40年余続いた当たり前の事が突然に消失してしまったのである。とうとう三人の子供たち全員が、結婚独立して我が家を離れてしまったのである。その日から・・40年余り続いた夫婦以外の家族の出入りが当然ながら完全に消失してしまったのである。
やはり、親としては子供たちの独立が原因で、今は寂寞感・寂寥感と言うものを抱かされる身となってしまったのかも知れない。そして親としては甚だ寂しいことではあるが、世代交代という意味からすれば、この事態をむしろ喜んで迎えなければならない事なのであろうとも思う。我々夫婦の両親も既に他界し、尚そして、やっと手に入れた夫婦二人だけの、贅沢は出来ないが「何の不安も無い生活」という日々こそ歓迎しなければならない・・。それが人生の晩年に突入した人間の宿命なのであろうと考える。
・・そう考えれば、この寂寞感の日々の生活も当然ながら甘受しなければならないのである。そして今は、そのことが”幸せ者”の証なのだと言う自覚をする必要が在るの
かも知れない。

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