鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

エナジーヴァンパイア~どうも波長が合わないと思いきや・・・。

2011-04-15 23:05:52 | Weblog
初夏になった・・・ような一日。
朝は、少しヒンヤリで、温度差が激しい。


どうしても、波長が合わないというか、なんだか、ヘンなカンジ・・・というか、話も理解できないし、何が面白いのか・・・ちっともわからないんですが・・・。

私は、どうも、ヒト様と合わせるってことが、できないタチのようで、会社にいても、あまりコレと言って話をすることも少ないです。
今いる職場は、結構、仕事中、世間話をしているヒトが多いのだけれど、管理職は、それを聞いていても注意とかしないから、多分、世間話は、OK!な会社なんだろうと思いますが・・・。

ただ、隣接していれば、それとなく聞こえてくるし・・・。
ワリと時間に追われての仕事が多いときとか、月末・月初は、私だけ忙しいようで、話をしているヒマもなくて、そういうときに、あの『世間話』が聞こえてくるとイライラする訳です。

・・・やはり、正社員と期間社員の違いは、賃金・待遇だけじゃないようで、期間社員の私は、仕事を完璧にやらないと即(・・・というか、契約までは、無事かもしれないけれど)解雇です。
たぶん、あのひと達(正社員)よりも、仕事は、していると思うのだけれど、正当な?評価もないし、所詮、派遣社員よりちょっとだけ(実質3ヶ月)契約更新期間が長い・・・ってだけで・・・。

まっ・・・仕方ない。
こういう運命なんでしょう。

・・・で、グチっぽい前置きが長くなってしまいまいした。本題?に戻りましょう。

おしゃべり大好き正社員のひとり・・・彼女とは、どうしても波長が合わないんですね。
言ってることもよくわからないし(ワタシの理解力が乏しいだけなのだけれど)、話をしているとなんだか、眠くなるし、ぐったりくる・・・単に、合わないだけかと思いきや・・・。

或る本で読んだのだけれど、本人は、殆どの場合、無意識で、気がついていない場合が多いのだけれど、人間の生体エネルギーを吸い取ることが出来る人間がいるらしいってことです。
『エナジーヴァンパイア』というそうですが・・・。
単に、話が合わないというだけではなくて、対面していると眠気がしたり、必要以上に疲れたり、気分が悪くなったり・・・ということが、会う度に起こるとしたら、その相手から、生体エネルギーを奪われている・・・そうです。

・・・エナジーヴァンパイアか・・・。

エナジーヴァンパイアになるには、いろいろな条件があるらしいけれど、代表的なのは、生霊になった『源氏物語』の六条御息所(←漢字の表記が間違っているかも)さんみたいな・・・。

波長の合わないと感じるヒトには、ご用心!生体エネルギーを吸い取られているのかも・・・。


身体で予測~危険予知と回避『三脈三振法』

2011-04-14 23:22:05 | Weblog
一気に初夏になったような・・・桜は満開。
今年は、いつもより、桜が遅い。
こういう年は、冷夏だったか・・・猛暑だったか・・・。
電力供給量に翳りがみえているようだから、冷夏だったら有難いと思ったり・・・。

今頃、思い出した・・・。
もっと、早くやっときゃよかったのだけれども。

ウロ覚えなんで、間違ったことを書くかもしれませんが、ご容赦下さい。

15年くらい前?と何時頃読んだのかさえ、記憶にないのですが、頚動脈と手首の動脈の三箇所の脈が、バラついていると、生命に危険が訪れている知らせだとか・・・。

先だっての震災の時、地震の最中でも、実験しときゃよかったかな・・・と思っています。

右ききの方は、左手の親指で、首筋の左側の動脈を、人差し指と中指で、右側の動脈に軽く触れます。
頚動脈の二箇所は、ワリと強く脈打っているので、スグに探せます。
そして、頚動脈に触れている左手首の動脈を、右手で探します。
左手の親指側の下くらいに手首の動脈があるので、手首を軽く掴んで、人差し指・中指・薬指で、脈を取ります。

頚動脈と手首の動脈の三つの脈が同時に、脈打っていれば、ひとまずは、安心。

三つとも、バラけて打つようだと、事故あるいは、急病などで、生命が危険なときがあるそうです。

自分の他に、誰か複数いるようだったら、みんなにやってもらって、他の人の脈もバラバラに打つようだと、その場所自体が危ない。
ガス爆発だとか、山崩れ、津波、地震・・・アクシデントがその場所くると予想されるので、その場所から避難することが命を救うことになるのだとか・・・。
避難先で、再び、脈を取って、安定しているようだったら、暫くその場所で、状況を確認します。
避難した先でも、複数の人の脈がバラバラに打つようであれば、そこも危ないので、更に避難を続けて、脈が落ち着く場所まで避難するとよいようです。

みんなが正常に脈打っているのに、自分だけバラつきがあるときは、身体にひそむ病気か、或いは、自分だけ事故に逢うなど恐れがあるので、外出の予定があれば、キャンセルした方がよさそうです。

飛行機に乗る前などにやってみるのも有効だとか・・・。

私は、まだ、脈がバラけて打った経験がないし、この方法も忘れていたのだけれど、毎朝、チェックするとよいかもしれません。
朝、やれば、12時間だったか、24時間だったか・・・ソレくらい先まで、予想できるそうです。

コレを『三脈三振法』というそうです。
本も出版されていますが、正確なタイトルと著者の方のお名前は、失念してしまいました。


レヴェル7・・・何を今更・・・。

2011-04-12 23:40:02 | Weblog
よく晴れた風の冷たい一日。

国際原子力機関などが策定した「INES」基準を、レヴェル7に引き上げた・・・というニュースが飛び込んできた。これで、かのチェルノブイリの原発事故と肩を並べたわけだ・・・。

何を今更・・・。安全じゃなかったのかよ・・・。

そりゃ、安全ですわなぁ・・・チェルノブイリに較べりゃ、現時点では、チェルノブイリの520京ベクレルの1/10ですから~~~。

だからさ・・・つまり52京でしょ。
『京』なんて単位、存在したんかい・・・?
普段、使わないでしょうが・・・。

そんでもって、チェルノブイリの1/10といっても、放射線は、放射線。
普段の10倍なんだぜ・・・。ワタシんとこの居住地はさ。
近所の県庁の出先機関で、測定していることは、以前にも書いたんだけどさ・・・。
まだまだ、我々が知らないことの方が多いのから、コレから先、何が起こっても、不思議は、なさそうだ。

今問題になっているのは、ヨウ素とセシウムだけだもんな。
猛毒・・・自然界に存在しないプルトニウムだって、モレだしてるだろうし、そのうち、ストロンチウムなんて、骨に蓄積するらしい放射性物質だって、出てくるだろうに・・・。

そんでも・・・まっ・・・今んとこ、安全なんだわな・・・。
嘘つけ・・・。

今ンとこ、安全だけれど、将来的には、わかんない・・・ってハナシだもんな・・・コレ。

テレビで解説している大學の先生達も、お国と東電から、研究費の名目で、かなりの資金が流れたって、そんな噂だけれど・・・。

危険なものを、専門家の名前をつかって、安全にすり替えてるだけの茶番。

この事態で、どうして、専門家は、安全宣言できるんだろうか・・・。
その神経が不思議でたまらない。普通のひと(私です)が、考えたって、危なくないわけないと思うが・・・。

だって、レヴェル7だよ?
コレって、もっとも危険な状態なのに、なんで、安全なのだろう?
イカレてるとしか思えないけどな・・・。

・・・何を今更・・・。レヴェル7・・・。

繰り返されるのか・・・余震の悪夢・・・。

2011-04-11 22:56:34 | Weblog
夕方から雷雨。


震災から1ヶ月・・・。1ヶ月前の悪夢を再現するかのように夕方より、頻発する地震。
雷まで、鳴り出して・・・。

ほんとうに1ヶ月・・・なんだろうか?
地震当日は、電気も止まり、電気が止まれば、水も出ない自宅で、家人とふたり、余震の続く中、寒さと恐怖で、深夜を過ごした。
私の居住地は、地震後12時間の停電で、事なきを得たけれども、福島第一原発から、150キロくらいだろうか?
放射線の濃度は、未だに、通常値より10倍以上で、これは、多分、ヨウ素とセシウムだけの値だろうし、この他にも、報道がないだけで、他の有害な放射性元素も飛び交っているのだろうと思っている。

こんな状態でも、戒厳令もしかれず、あれ程、破壊力のあった地震に襲われたにも関わらず、落ち着いて生活している普通のひと達は、世界のメディアから、賞賛されているようだ。
高潔な日本人だと・・・。

今にして思えば、電気が止まり、水もなく、ガソリンは、コンビナートの破壊で、供給が止まり、首都圏と関東は、完全にその機能を停止するのではないかと思った。
・・・しかし、それ程の混乱もなくて、現在は、通常に戻りつつある・・・(のだろうか?)。
あの音も光もなくなった街を眺めながら、あまりの静けさ、不気味さにどうしてよいか分らず、しかも、寒さも増してきて、身体の内側から温めようと1本だけ残っていたビールを家人と半分づつ分けて飲んだ。
こんな事態で、アルコール等不謹慎かもしれないけれど、他に暖を取る手段もなかった。

その間、地震・津波で、破壊された原発は、とんでもないことになっていて、それでも、
『安全です。』
と(多分、根拠の無い)虚言ばかりが、飛びかうのは、こうでもしなければ、立ち行かないための狂言なんだろうと思う。

地震・原発の直撃をうけた東北地方太平洋沿岸の方たちの復旧は、進んでいるのだろうか?
1分でも・・・1秒でも早く、元の生活に戻ってほしい・・・と願う事しかできない。

そして、今日の夕方からまた、大きな余震が頻発し始めた。

繰り返される悪夢の反復・・・。

海底に沈む龍よ。
眠れ・・・。
眠れ・・・。
永遠の眠り、そして、荒ぶる地を鎮めよ・・・。

『続巷説百物語:京極夏彦・著』~連鎖する物語の構築

2011-04-10 22:55:05 | Weblog
雨の土曜日から、曇りの日曜日へ。
桜も満開なのだろうけれど、相変らず、週末は、隠棲している。
特に、何処へ行くあてもないし、今月1日から、以前からの仕事・職場は、変わらぬものの、雇い主が変わったので、元の会社へ退職の手続きに行ったりとなかなか気の休まる暇もなく、もともとがあまり丈夫でない故もあり、随分とだらけた生活をしている。

週末になにかしよう・・・とかいう気力もなく、本など読んでいる日々なのだけれど、世の中、名作は、数々あれど、私的な名作の定義としては、
『何度読んでも面白い・・・』
コレに尽きる。
『サザエさん』しかり、『大島弓子さんのサバ・シリーズ』しかり・・・。

引越ししたまま、何ひとつ片付けておらぬ部屋の中で、積み上げられたダンボール箱の中から、京極先生のご本を引っ張り出し、再読している。

京極先生といえば、言わずと知れた中禅寺秋彦の憑き物落としの表の京極堂シリーズと合わせ鏡のような裏京極堂シリーズ『巷説百物語』ということになるのだろうか?
表が、中禅寺秋彦/関口巽であるならば、裏は、御行の又市/山岡百介。
どちらも何度読んでも興味が尽きることが無い・・・
コレまさに、私的名作の定義に当てはまる。
 
奥付をみると2003年の出版ということになっているから、カレコレ8年前の著作になるのだろうか。
その後も、裏・表ともに、物語は、累積していく。

『世の中に不思議なことなどなにひとつ無いんだよ・・・。』

謎を解体する中禅寺秋彦と謎を謎のまま仕立てて、どうしようもないことを、どうにかしてしまう御行の又市。
ストーリィーテイラーとしての関口巽と山岡百介は、渦中にありながら物語を進行させていき、更に、読み人(単に、読者にすればいいようなものだけれど、京極さんの著作に関しては、読者というよりは、読む人の方が、合うような気がする・・・別にどっちでもいいのだけれど、『読み人』と書かせていただく)に、謎は、謎ではないことを知らしめる・・・そんな役割を振られているようだ。

この『続巷説百物語』は、前作の『巷説百物語』とは、一線を画すもののようで、前作が、ひとつひとつの中篇小説として成立しているのに対して、中篇が織りなす長編へと形式がかわるようで、ひとつの中篇が、連鎖して、長い長い物語を構築している途中のようだ。

物語のひとつひとつは、完結を見せながら、連鎖して、連立していく過程が、その後に続く、『巷説百物語』シリーズの手法となっている。

最初に読んだときは、気づかなかったのだけれど、次々に連鎖していく物語の面白さを味わうには、うってっけの一冊。

春の雨の土曜日

2011-04-09 22:52:06 | Weblog
朝、雨音で、目を覚ました。

・・・雨なのか・・・。
あたりは、薄暗くて、静けさを湛えている。

3月末日の週末から、昨日まで、会計処理で忙しくて、疲れるばかり。
毎週同じことを言っているけれど、土曜日は、眠りたいだけ眠って過ごしている。

いつもながら・・・なんで、こんなに眠れるんだろう・・・と思ったりする。

身体は、随分とラクで、このまま、ずっと・・・このまま眠り続けていられれば・・・などと思ったりする。

眠っている・・・という自覚があるから、眠るのがラクなのであって、眠り続けて、意識がなければ、眠っていることさえ、わからないのだから、どのみち、眠り続けるということは、出来ない。
あとは、死んでしまえば、永遠の眠りってことなので、それでは、永遠の眠りを得るために、死ぬまで、何を頑張るのか分らないけれども・・・とにかく、生きて行くしかないみたいですね。

平日は、5時間か多くても6時間で、寝つきが悪く、寝起きも悪く、眠りも浅い・・・といった睡眠障害一歩手前ってことなので、それを解消するかのように、休日は、寝たいだけ寝ているようなそんな気がする。

そんな我が身にとって、休日の雨は、有難い。
干天の慈雨ってとこか・・・。

このさい、震災の余震だろうが、原発の放射能だろうが、日常の煩わしい仕事だろうが、イカレタ人間関係だろうが・・・んなもんは、一切、忘れて、眠りたいだけ眠るが勝ちである。

・・・でもって、土曜の昼酒は、とくに効用があって、あの気だるい眠さは、値千金。
しかし、本日は、昼食、昼酒・・・ともにすっとばして、眠っていたのだから、余程、眠りが足りなかったんだろうと思う。
雨も降っているし、とにかく、ワタシの身体の回路は、ひたすら、眠りに向っていた・・・ようである。
雨・・・という行動を抑制する理由でもないと、小心者の私は、心理的に休むのがゆるされないようなのだ。


春の雨の土曜日は、値千金。
全ては、雨音と共に、地に沈む・・・
生きとし生けるものは、動きをやめ、束の間の休息に、身を横たえん

眠りの女神は、音もなく、透明な青いヴェールを翻し、静かに、静かに、舞い降りる・・・

いましばらく、休息の時をあたえたまえ。


本とダイヤモンド②

2011-04-08 23:24:41 | Weblog
曇りがち。

本だらけの部屋・・・。
きちんと整理されて、整然とした本棚・・・なんてのは、夢のまた夢。
ダンポール20箱に雑然とゴミのように詰められた本なのだけれど。

私は、たぶん本がないと生きていけないのだと思う。

失明したらどうしよう・・・。
本が読めなくなったらどうしよう・・・。

そんなことばかり考えている。

そして・・・もうひとつ。
コレは、別になくても生きて行けるのだけれども・・・。
本だらけの部屋に似つかわしくないダイヤモンド・・・。
こんなもんなくたって、充分生きていけるのに。
でも、この輝きをみていると、なんだか心が安らぐのである・・・。
何故なのか・・・よくわからない。

人生の大半は、縁のなかったダイヤモンドだし、子供の頃は、たぶん、絶対、100%・・・ダイヤモンドなんか持てないだろうと思っていた。
予想は、大きく外れて、大小あわせると・・・6カラットくらいはありそうだ(暫定値・・・今度、正確に調べてみようと思う)。

だからって・・・別に、どうってことはない。
小さなクズのようなダイヤモンドばかり集まってしまった感じだし、ひとつの単体で、6カラット(推定)というのならそりゃ資産価値もあるだろうが、いかんせん・・・極小である。

本もそうだけれど、余程、希少性のある本以外、二束三文・・・。
買取を拒否される場合だってある。
数があれば、いいというもんでもなさそうだ。

まぁ・・・そんなもんだろうと思う。

いつだって、そうだから。
価値のあるものは、そうそう手にできるものでもない。

けれども、本は、知識の蓄積には、なるだろうし・・・(忘れてしまっては、無いも同じか・・・)

どのみち、あまり役に立たないものばかり、集積して、ゴミの部屋と化している。


本とダイヤモンド

2011-04-07 23:28:10 | Weblog
ひと月早い初夏の陽気だとか・・・。
気温20℃・・・。

震災後・・・というよりは、1月の中旬頃から、週末は、ずっと自宅で過ごしているし、ウィーク・ディは、会社と自宅の往復で、時々、スーパーで買い物するくらいで、他の寄り道もなし・・・。

このブログで標榜している『演劇』も随分とご無沙汰。
なにしろ、震災の翌日に観劇の予定だったチケットも、ゴミ箱行となってしまった。
震災の当日(3月11日)に、都内へでた友人は、帰宅難民となって、翌日になっても、自宅に戻れなったという話だった。
・・・電車が止まってしまって、移動の手段がなくなってしまった訳で。
観劇どころではなくなってしまった。

それでなくても、派遣元から派遣先へ雇い主も変わり、その間、派遣先は、親会社と吸収合併になって、そして、震災と私の進退は、ギリギリまで、決まらず、正式な雇用契約(・・・といっても期間社員だれけれども)をしたのが、3月28日。
入社は、4月1日だから、書類などの提出に4日間しかなくて、派遣元への退職願いを提出したのが、昨日(4月6日)。
なんなんだろう・・・。

行き先が不透明のまま2ヶ月続き、なんだか、いつも疲れ果てていて、自宅で、隠棲して、寝たり起きたりで、身体の具合もよくなくて、本ばかり読んでいた。

本にもよるのだけれど、やはり、一気に読める集中できる時間には、限界もある。
別に、期日がある訳ではないのだし、ゆるゆるとまったくページが進まぬときもあって、そのまま、寝てしまったりと、随分とお気楽な読書である。

1月の極寒の中、全く意に沿わぬ引越し(何度も書いているけれども、自宅の端から端の二階家へ移っただけ)で、本の移動が大変だった。
そして、その本は、未だに梱包を解かれず、部屋半分くらいダンボールのまま、置かれている。

隣に住む小学生の姪どもは、
『三毛猫堂(私です)ちゃんの部屋は、本の匂いがする。』
とのたまう。
姪は、本が好きで、放っておくと2時間でも3時間でも本を読んでいる。
『三毛猫堂ちゃんは、いいね。本が一杯買えて。』
羨ましがられてしまった。
私が小学生の頃は、読書なんてほとんどしなくて、漫画ばかり読んでいた。

今は、確かに本だらけなのだけれども・・・。
今日のブログの御題『本とダイヤモンド』で書くつもりだったのに、上手くまとまらなかった。
続きは、明日書くことにしよう。

春だったね・・・。

2011-04-06 22:49:40 | Weblog
春爛漫。
桜の花も開き始めて、これから、いよいよ花の季節。

もう、随分と昔の話なのだけれど、3月中旬から4月の上旬にかけて、入院・手術といった時期を過ごしたことがあって、どうもこの時期になると、それを思い出してしまう。

丁度、花の時期で、手術後、歩けるようになってから、医大付属病院の構内を散歩して、もうだいぶ散ってしまったのだけれども、桜の木の下をゆっくり、ゆっくり歩いてみた。

命にかかわるというほどの病気ではなかったけれども、初めての入院生活で、季節が春だし、高校を卒業したばかりで、みんな進学や就職といった新しいスタートを切っているのに、自分だけ、周囲から取り残されて、世界から見捨てられたような・・・それでも、不思議な安堵感があって、一日中、横になっているのが仕事?みたいなものだったから、それはそれで、モラトリアムを楽しんでいたのかもしれない。

そう・・・病気が治れば、また新しい世界が広がる・・・そんな風に思っていたのだけれども、現実は、相当厳しいものだった。
それでも・・・退院した日は、4月なのに初夏のように暑くて、赤紫の蘇芳の花が、青い空の下満開で、この先、よいことしか起こらないような・・・そんな気がしていた。

でも・・・コレを機に、私の人生は、どうも波に乗ることができなくて、全く、上手くいかなかった。
・・・それは、現在も同じことなのだけれども。

出遅れる・・・。


出遅れた春。
私の春は、いつもそんな感じだ。

それでも、春は、胸が開かれるような開放感があるし、いろいろな花が一斉に開花して、心慰められるような気がする。

数年後、同じ医大で、医学書の原稿のワープロ打ちのアルバイトをすることになって、医大の研究室の片隅で、ひなが一日、入力作業をすることになったのも、春だった。
締切りなどは、一切なくて、タイムカードもなくて、自己申告だったし、研究室の予算からアルバイト代が捻出されていたようだった。
一日8時間、1ヶ月働いても、10万円に満たなかったけれども、気楽な職場で、入力に疲れたら、散歩してきていいよ・・・と言われ、桜の花の下で、入院していた頃のことなんか考えたりした。

・・・春だったね・・・。

・・・いつも、いつも出遅れる・・・それでも、春だったね。

二十四節気~清明

2011-04-05 23:10:46 | Weblog
清明・・・。
綺麗な言葉だと思う。
二十四節気のひとつ・・・清明。
字面をみると五月頃でもよさそうな気がするけれど・・・新緑前の・・・初夏の前の・・・そんな季節。

・・・言い方を変えると晩春・・・なのかなぁ・・・ということにもなるけれど、晩春なんていうと、どうも春が爛熟しすぎてしまうかな・・・と思ったりで・・・。

まだ、晩春でもないか・・・。

毎朝、ウグイスが綺麗な声で鳴いている。
本当に、上手になったなぁ・・・。
毎日、毎日、練習した成果でしょう。

季節は、清く澄んで、明るい頃だけれども、世相は、真っ暗なカンジだ。

もう日本は、放射能で、汚染されて、それが、どんどん酷くなる一方だし、空と海を汚したのだから、もう救いようなないのかもしれないと思っている。

毎朝、上手に啼けるようになったあの可愛いウグイスにも放射線は、降り注ぐ。
何の罪もないのに・・・。

・・・それなのに、多少なりとも、防御すべき術を持った人間なのに、無防備すぎやしないか・・・。
・・・というのも・・・。
 
興味はないし、聴きたくもないのだが、聞こえてくる世間話。
会社のアラフォーの女子社員だが、結婚して、妊娠を望んでいるようなのだが、何を考えているのか、片道たぶん40分くらいだろうか・・・自転車で通勤を始めたらしい。

こんな状況下で、車があるのに、どうして自転車なのだろうか?
今の時期、放射線は、原発事故前の10倍くらいの値を推移している。
放射線量は、積算量だから、できるだけ浴びない方がよいと思うのだが・・・。
ましては、妊娠を望んでいるのなら、余計なのではないだろうか・・・?

バカ極まれり・・・と思う。
思うだけですがね・・・。

もしかすると、人間は、コレくらい能天気でないとやっていけないのかもしれない。
防御も限界にきている放射線を出来るだけ、避けよう思うから、恐怖のストレス連鎖に陥るのだ。

人間、バカなくらいが丁度よいのかも・・・。

放射線の降り注ぐのに、美しい季節・・・今日は、清明。