鼎子堂(Teishi-Do)

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影子日記~仮称・皇后の誤算。*追記あります。

2016-01-14 21:31:26 | 皇室

私は、現代の皇室について、何の興味もない・・・というか、去年の11月迄は、皇室なんて、在っても無くてもどうでもよかった。

私にとって、皇族や華族は、三島由紀夫が自決したときに、既に、終わった。
物語の皇族・華族には、憧れたけれど、現代皇室については、私には、関わりすらない世界だと思っている。
それは今でも全く変わっていない。

されども・・・暇を持て余す身だから、終日、引き籠り、インターネットと付き合っているうちに、皇室保守系ブロガーなる方々のブログを閲覧するに至った。


『BBの覚醒記録。無知からくる親中親韓からの離脱、日本人としての目覚めの記録』
⇒  http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001


『でれでれ草 DereDre Gusa』
⇒  http://e-vis.hatenablog.com/


(追記:上記の2つのブログは、2017年8月下旬頃より、削除されていて、閲覧不可能となっているようです)

両ブログとも、女性の手なるブログで、更新されるごとのヴォリュームといい、検証画像といい、半端ない。

BBさんは、理路整然、検証が確実でない場合には、断言しない潔癖さ、ディベートに重きを置く、相当、理知的な書き手である。

でれでれ草さんは、BBさんを柔らかくしたような、かつ秀逸なコラージュ、画像解析を行う方で、センス抜群。
スピリチュアルの観点からの意見も。

内廷皇族つまり東宮家の敬宮愛子内親王が、メディアに登場するたびに、ご本人ではなく、別人が、入れ替わっているという『でれでれ草』さんの検証である。

海外において、敬宮内親王さんは、試験管ベビー、自閉症ということは、周知のことのようである。

知らないのは、日本人だけ・・・(情報の統制があるらしい)。

天皇家で、女性天皇即位、或いは、女性宮家の設立は、現・皇后とされる正田美智子氏(一説によるとこの方の皇后立后は、皇室会議で承認されておらず、先の昭和天皇崩御に際し、ドサクサに紛れての立后であり、勝手に皇后の称号を名乗っているとのことなので、ここでは、美智子皇后という記載は、避ける)の悲願であり、敬宮内親王さんの障害を隠し通さなければならない・・・という理由があるようだ(他にも、理由はたくさんあるようで、どうしても、徳仁親王→敬宮親王でなければ、都合が悪いらしい)。

去年の後半から、東宮家へのバッシングが、正田美智子氏へ向かっていった。

日本国民の知る慈愛の皇后。皇室で、バッシングされながら健気に公務を行う可哀相な皇后、国民を思い質素な生活に甘んじる皇后、深窓の令嬢だった皇后・・・全てが、ウソ、偽りであることが、検証されはじめ、インターネットの普及によって、拡がって行った。

内親王の影武者・影子。
有吉佐和子氏の『和宮様御留』で、皇女和宮が、影武者を立てて、徳川家へ降下したというフィクションを思い出す向きも多いだろう。

先のサイト(でれでれ草さん)では、影武者・影子は、確認されているだけで、現在少なくとも2名程は、いるらしい・・・とのことであった。

インターネットが普及しないままだったら、だぶん、国民は、知る由もなかっただろう。

・・・とはいえ、インターネットの世界も玉石混合。

嘘・偽り・デマ・中傷・・・事実はどこにあるのだろうか。
事実なんてものは、もしかしたら、存在しないのかもしれない。


正田美智子氏の最大の誤算は、自分自身によって、開かれた皇室をアピールしたこと、インターネット普及と小和田雅子氏の入内だったようだ。

この3つの誤算がなければ、正田美智子氏により、情報統制され、作り上げられた理想の皇后像を、麗しの美智子皇后として、歴史に名を残せたのではないだろうか。

歴史は、あくまで勝者側の記述。

これまで、国民を欺き続けた慈愛の皇后は、果たして、後世の歴史にどう残されるのだろうか・・・。