鼎子堂(Teishi-Do)

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『キャットニップ1:大島弓子・著』

2014-10-04 22:52:02 | Weblog
曇りがち。台風接近中で蒸し暑い。


大島弓子・・・この極上の漫画を描く人は、50歳台を目前に、癌を患う。
その顛末が、何故か、悲しみも、絶望感もなく、淡々と描かれていたのが、『グーグーだって猫である:1』であった。エッセイ漫画・・・とでもいうのだろうか?

自分の命を淡々と見つめるその先には、『グーグー』という猫がいた。

たぶん・・・。
発病時は、これ程、淡々と自分の生命の危機を見つめ続けることはできなかったのではないだろうか。
著作者・大島弓子氏によれば、下腹部のゴロゴロは、かなり前(数年間?から存在していたようだ。医療機関を訪れたのは、痛みがピークに達してから・・・らしい。
癌を治療して、再発も認められず、その後は、数十匹の猫達と暮らす・・・少女漫画家。

以前のような・・・シュール、感性、オトコには、到底、理解できないであろうその独自の世界を展開して・・・いやいや、オトコでも賛辞を送り諸兄も多い。
前回の映画化、そして今回、衛星放送で、大島弓子氏の作品『グーグーだって猫である』を映像化した犬童一心氏、かの千夜千冊の松岡正剛氏なども。

そんな『グーグーだって猫である』の続編が、『キャットニップ』である。

以前、大島弓子氏は、『綿の国星』、『サバ』シリーズという猫を擬人化した作画で、猫の不思議な世界を描いていた。
猫を人間の少女や青年に擬人化する手法の漫画の先駆けであろうことは、このブログ内で記載した・・・そして、その後、そのパターンをサルマネしただけの超ド下手な才能の『サ』の字も無いバカな漫画家があまた排出したことも。

完全なフィクションであるファンタジー系?の『綿の国星』から、作者の生活エッセイ漫画『サバ』シリーズへ以降する過程で、より人間的に描かれていた猫は、だんだん普通の猫の形状に戻り、『グーグー』、『キャットニップ』では、猫の擬人化は、全くなされてはおらず、猫は、猫のまま登場する(だから、最初少し戸惑った。グーグーは、紛れもなく猫だったから)。

大島氏とお隣の心優しいマダムは、野良猫の保護にいそしむ毎日のようである。
そこにあるのは、純粋な猫好き・・・というか、猫をこよなく愛する・・・愛を超えた・・・たぶん、慈愛なのだろうと思う。

物語(・・・といっても日常のエッセイ)は、やはり淡々と進む。
だから、物語ではないのかもしれない。
淡々としすぎるくらいだけれど、観察者である大島弓子氏の目を通した慈愛が、溢れているようである。

還暦を超えると若いころのような複雑で繊細な線は、消える。
点描の世界から、質実な直線・・・なのだろうか・・・。
故・長谷川町子氏も、若い頃は、こまごました背景を書いておられたが、『サザエさん』終了後の作品は、簡潔化していた。

私は、この作家が、限りなく好きである。

ただ、ただ好きである・・・。

だから、発刊されると飛びついて買ってしまうのだ。