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鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『冬虫夏草:梨木香歩・著』

2017-05-04 23:58:11 | 本・読書

爽やかな初夏のお日和続き・・・。


昔ほど、本を読まなくなりました。
読みたい本は、山のようにあれど・・・。
ページを繰ると・・・目が疲れ、眠たくなってしまい・・・な状態です。


楽しみにしていた『冬虫夏草』です。

梨木香歩さんから、少し離れておりました。

かの『家守綺談』の続編です。
続編が出版されていたなんて・・・。

そう言えば、小説類から、ちょっと足が遠のいていました。

物語を楽しめなくなっていたのです。

でもでも・・・。
なけなしのオカネをはたいて、新刊を購入してみました。

中古書は、ちょっとイヤだったのです。


琵琶湖の疏水の流れる水豊かな地に、若くして亡くなった友の生家を託され、新進気鋭の物書き・綿貫征四郎さんが、紡ぐ物語。

琵琶湖に沈んだ友人の高堂は、水を介して、征四郎さんに会いにきます。
琵琶湖の底にいるようですが、湖の女主人にお仕えしているようです。
まるで、泉鏡花の『夜叉が池』みたい?な・・・。

征四郎さんの飼っている犬のゴローさんが、失踪してしまいます。

ゴローさんの出没情報を辿って、鈴鹿の山に入ります。

緩やかに、おおらかに、自然に逆らわずに、ソコに住む人々。

ヒト、ヒトに化身したカッパ、イワナ、カワウソ、赤龍、亡霊・・・様々に現れては消えゆく。

亡友・高堂は、静かに言い放ちます。

あと数十年後か、いまよりずっと先に・・・この村々は・・・水に沈む・・・と・・・。

冬は、虫で、夏は、草に・・・。

そんなふうに生きるひとびと(或いは、ヒトでないもの)への礼賛。

日々を大切に、慈しみながら、暮らす・・・それが、たぶん、この世の至福・・・なのでしょうか?



古書に親しむ・・・?

2016-08-10 00:21:15 | 本・読書

猛暑日。

気温体温越え・・・。

暑いので、エアコンの効いた部屋で、ゆっくり読書なんかが、良さそう。


最近、欲しい本が、絶版だったり、絶版ではないものの、再版の見通しがない書籍、電子書籍でないと読めない作品だったりで、仕方がないので、古書を求めることになる。

Amazon での購入が主なものだけれど、古書の状態を、中古-ほぼ新品から、中古-非常に良い、中古-良い、中古-可の4段階に分かれている。
その他にも、新品、コレクターズ商品などという区別もあったりで、結局のところ、明確な基準は、出品するひとの基準のようで、コレで、良い・・・なのか・・・?などと思うことも多い。

Amazonに限らず、楽天フリマ、ヤフオク!などで、購入できるようだけれど、Amazonは、出品者の儲けが増えるように、配送料が決まっていて、現在は、無くなってしまったようのなのだけれど(←未確認)宅配便のメール便などが、安価で、しかも、追跡番号などもわかるので、書籍の厚ささえ、クリアできれば、80円以内で、配送できることもあった。

先日購入した本も、本体価格が、200円プラス配送料が、関東は275円で設定されていて、合計475円の支払いとなったのだけれど、新品の値段が、571円+税となっている。

Amazonの書籍は、基本、配送料が無料なので、やはり、新品の方が、有難い。

新品と古本では、200円前後しか差がない。

同じ本で、評価が、『可』、『良い』の評価がついたものは、1円で売られていた。

275円以下の本は、配送料の方が、高い計算になるようだ。

1円で出品するひとは、差し引き274円(関東地方の場合だけれど)の儲けだけれど、配送に使う緩衝材のついた封筒など、梱包資材や明細の紙、プリンターのインク代、更に、amazonに、何パーセントかの出品料などを支払うから、274円からそれらの代金を支払ったあとが、儲けとなる仕組みなのだろう。


古書は、絶版になったものが、高額で、取扱われているようで、再版はないから、どうしても欲しいひとは、本の本体よりも高い値段で、購入するしかない。

それは、CDなんかも同様で、再版されない、特に、個人で、音楽事務所なんてやっているアーティストのCDは、新曲が出たら、即買いしないと、手にはいらないし、中古で売られている物は、市販されたものの2倍、3倍の値段がついていたりして、手が出せない。

CDではなくて、データで、聞ければいいや・・・というひとは、1曲からダウンロードできるようになって、電子書籍も、紙の本より安価である。

紙の本も音楽CDも・・・あと何年、この世に存在するのだろうか・・・?

何のかんの言っても、私は、紙の本がいい・・・。




リオン皇太子に惚れた・・・②(『シャルトル公爵の愉しみ第7巻・名香智子・著』)

2016-08-08 02:30:53 | 本・読書
 
昨日は、立秋。

夜間には、秋虫の羽音。

季節は、緩やかに秋に移行する気配を感じる時期。


5年前に読んだ『シャルトル公爵の愉しみ/名香智子・著』シリーズ。

最終巻7巻が、どうしても入手することが出来ずに、物語の終局を知らずにいた。
ふと、思い出して、amazonの書籍を検索すると・・・。
名香さんの過去の作品は、ほとんどが、電子書籍になっていた。

・・・ということは、最終巻7巻って、再版は、されぬようだ・・・。

新品は、諦めて、古書を探すと、何冊か売られていたので、評価が、『良』のものを選んで、購入したのが、数日前。
昨日の午後、届いたので、読み始めた。
・・・あっと言う間に、読み終えてしまった。

やっぱ・・・いいっすね。リオン皇太子(拙ブログ2011年5月8日あたりをご参照下さい)。

控えめなイザベラ皇太子妃を航空事故で失くしたリオン皇太子。
イザベラ皇太子妃の実家の財産めあての政略結婚だったのだが・・・。

歴史と伝統はあるものの、近年の火山噴火や地震などの災害の為、財政がひっ迫しているロノス王国を立て直すため、自国の唯一の産業である宝飾品加工技術を世界に売り出すため、各国の資産家の宝石を盗む泥棒家業に手を染める・・・もちろん、両親には内緒で・・・。

皇太子の仮面を常に外すことができず、感情を抑えることに慣れた皇太子。

そんな皇太子の涙のシーンが美しい第7巻。
若きリオン皇太子の肩には、ロノスの国民の生活がかかっているのだった・・・。


・・・どこぞの皇太子とは雲泥の差・・・ですね。
どことは、いいませんけどね。
片や国民の為に宝石泥棒する皇太子(漫画だけど・・・)、片や、国民の財産である宝物をヤフオクに出品してしまったという(噂のある)皇太子。
同じ皇太子で、どうしてこうも違うのか・・・。
漫画の皇太子でさえ、国民を思うのに、どこぞの皇太子は・・・。


さて・・・そのどこぞの皇太子の親御さんが、疲れたから退位したいってことで、本日、15時から、ビデオメッセージが、どこぞの国民に、公開されるそうだが・・・。

御退位なさるなら、もうご公務と称しての観光旅行、コンサート、絵画鑑賞なんかは、お控えになり、御所で、お静かにお暮し下さいませ・・・。

どこぞの皇太子殿下に、果たして、お勤めができるのやら・・・。

などなど・・・皇室保守派のネット民の声。

どうでもいいけれど、宮内庁の予算は、減らせや・・・年間17,039,346,000円でしたかね?




『口入屋 兇次 第二、三巻/岡田屋鉄蔵:著』

2016-05-11 04:00:04 | 本・読書



先月、先々月とふた月連続で、お題の『口入屋 兇次』のコミック本が発売になった。
1年半くらい前に、1巻が出て、拙ブログで、レビューもどきを書いた。

前作の江戸のハロワの所長さんである兇次を始め、右腕の双葉、三筋、零次郎、四狼坊、律たちの他に、町医者のオカマの零次郎と以上に妖しさ倍増?全身刺青の尼僧・お七(七宝院)を加え、お江戸の町のハロー・ワーク絡みの仕置き人達は、縦横無尽に走り回る。

もっと読みたいのになぁ・・・。

レギュラー・メンバーの来歴が、ほとんど描かれていないのは、残念。

彼らの過去だけでも、もう7,8冊くらいは、書けそうな気がするのに、第3巻で終了とは・・・。

出版社の都合や、人気の度合いなどもあるのだろう。

岡田屋さんの画力、物語の構成力は、群を抜くものがあるのに、理解されないのかもしれない。

どこかのテレビ局で、ドラマ化したらいいのになぁ・・・と、常々思うけれど。


仕事を求めるひとと人材を求めるひとをつなぐ口入屋。

仕事を求める人には、そのひとの才能を見出し、その才能を開花させる職場を提供する・・・現代のオザナリのハロー・ワークには、ないものだろう(漫画だしな・・・)。

私も、去年の年初までは、月に2回、都合1年3カ月の間、通わせていただき、お世話になったハロー・ワークだけれど、相談員は、ほぼパート。

事務員は、時給800円前後の期限付きのパートタイマー。

相談員の報酬がどれくらいかは、わからないけれど、失業者相手に、職業の紹介、相談、履歴書・経歴書の書き方、或いは、職業訓練の手続き・・・などなど・・・をこなす窓口と雇用保険の受給手続きなどを行うバックオフィス業務。
求人募集の企業の担当との労働相談(←こちらは、労働局の担当かな?)など、役割は分担されているけれど。

毎日、毎日・・・失業者のお相手だ。

そりゃ気分も滅入る事だろうし(実際、ハロワ「職業安定所」の雰囲気は、何度、おとずれても、慣れることが無い・・・沈んだ空気に満ち溢れているような気がする)。

どこかに、兇次たちのような口入屋さんが、いないだろうか・・・と、切に願うこの頃・・・。





花冷え(3)~紀の国・紀ノ川

2016-03-25 16:12:39 | 本・読書

春が、少し立ち止まっているような寒い週末。

お昼のニュース番組を見ていたら、皇居付近の桜は、咲初め。
一分咲きくらいで、満開は、来週の初め頃と伝えていた。
皇居乾通りには、75本の染井吉野、山桜などが植樹されているとのことで、朝9時から、お花見客が詰めかけている・・・とのこと。

皇居内の一般人が、立ち入り禁止区域にも、桜はたくさんあるのだろうから、やんごとなきひとたちも、お花見などなさるのだろうか?

桜は、やはり、吉野の山。

上千本、中千本、下千本・・・山の頂上へ向かうほど、開花時期が遅くなるから、1ヶ月くらいは、楽しめるらしい。

もう、かなり昔になるけれど、家人が、市役所を定年退職したおりに、お祝いに、吉野・高野山巡りというツアーをプレゼントしたことがあった。
ツアーの前に、『格安』と但し書きが、入るけれど。

吉野山の桜を愛でて、高野山の宿坊に泊り、紀三井寺などにも参拝した。

紀の国は、大河がゆったりと流れていた。
小説『紀ノ川』の作者・故・有吉佐和子氏は、紀ノ川は、青い・・・と書かれている。
そのとおり、鮮烈な美しい川だったことを記億している。

有吉氏も生存されていれば、家人と同じくらいの年齢だろう。
享年53とのことだから、随分、若くして亡くなれたなぁ・・・。
まだまだ、書きたい小説が、たくさんあったのではないか・・・と思う。

紀の国を旅していて、風光明媚な土地柄で、内陸の山、熊野灘から、大坂湾に至る海沿いの地域とさまざまな表情があった。

その頃、土地の名産というか、新品種というか、『清見タンゴール』という夏みかんよりも一回りか二回り小さく、温州みかんよりは、一回りか、二回り大きな柑橘を、食した。

柔らかで、ジューシーな果肉は、オレンジと蜜柑の掛け合わせを行った品種だと聞いた。
紀の国でしか手に入らなかったものが、通販で、手に入れられるようになり、今では、遙か、北関東の我が居住地のスーパーの青果コーナーに並んでいる。

いつもつい、買ってしまう。

果物は、贅沢品なれど、コレを食べねば、春はこない(・・・私的には)。





読書原点回帰(2)睡眠薬がわりの読書?

2016-02-26 23:53:05 | 本・読書

寒の戻り・・・というか、あまり気温の上がらない今週。


森茉莉など、再読している。
何度読んでも、飽きることない。
このひとは、精神的に貴族なのだろう。
私のように、素寒貧なさもしい根性の持ち主には、ありえない貴族性。


『炭火を扱うことができず、石油焜炉を操作することもできず、電気ストォブは、経済的に無理だから、昼夜絶え間なく湯たんぽを熱くして、寝台に埋まり、マルセル・プルウストを気取っている・・・。』


炭火を扱うことができず、石油焜炉は、操作できるけれど、直火は、危ない(・・・何しろ、部屋の中は、本だらけで、燃え移ったらアッと言う間に灰になってしまうだろう・・・)。
幸い、遠赤外線の大きな電気ストオブは、所有していて、光熱費は、家人に頼っているけれど、できるだけ節約?して、昼間っから、寝台に埋もれ、森茉莉を気取っている。


・・・まあ、全然、真似できていませんがね・・・。


寒い冬は、寝床から出ずに、布団に埋もれているあたりは、少し真似っこ。
本を読みたいけれど、読んでいる状態を持続できないから、森茉莉の随筆作品集が、量的に丁度いいかも・・・と思っている。

新刊の本なども、買えずにいるから、過去に買って、積読(積んでおく)だけの書籍など、開いてみる・・・数年前は、経済本ばかり買ってたな・・・。

ナシーム・タレブだとか、手嶋龍一だとか、不確実性原理ってヤツ。
ブラック・スワン、もの。

読んでも、ちっとも理解できないけれど。
わかるのは、わからない・・・ってことだけ。

2、3ページも読むと、すぐ眠くなっちゃったりで。

橘怜の小説は、面白かったな・・・『マネーロンダリング』。

コレ、ドラマ化してくれたら、もっと理解できるかもしれない。
細部の株式・為替取引だとか・・・そんなところが醍醐味なんだろうけれど、仕組みがわからないから、本当の面白さが、理解できない。

理解できないケド、面白い。


横になって、理解できない世界の活字を追う。

いいんだ・・・活字中毒者は、内容が分からなくても、活字にふれてさえいれば、安心なんだから・・・と言ったのは、中島らも。

なんだか、フライングばかりな内容になってしまったけど、いいんだ。

もともと、ブっとんでいるんだし。

寝床で本が読めれば、他は、あまり必要ないみたいだし。必要とされてもいないしね・・・。










読書原点回帰-百鬼夜行抄-15:今市子著

2016-02-12 22:22:50 | 本・読書

くもりがち。
お天気下り坂のよう・・・。

何もする気になれず、おざなりの読書さえ、出来ずに、2,3ページ読んでも、すぐ別の雑念が、湧いてきて、結局のところ、全く本など読まない(・・・というよりは、読めない)数年間だった。

読書の愉しみ・・・。
それは、現実を忘れることである。

労働していたころは、仕事や会社がイヤで、それを忘れるために、読書に没頭していた。
仕事をすることがなくなれば、1日中でも本を読んでいたい・・・と思ったこともあった。

現実に時間が出来て、さて、好きなだけ本を読もうか・・・と思っても、現実問題が、一時たりとも頭から離れず・・・それも、解決する当てもなく、数年間の時間が過ぎ去ってしまった。

毎日、毎日、良く眠るようになった。
断眠が酷くて、2時間もすれば、目が覚めてしまう・・・ということも、少なくなってきた。

でも、この先、何のアテもない。
仕事も希望も・・・。

私のやりたい事ってなんだったのだろう?
今更、何が出来ると言うのだろう?

何の心配もせず、身体も元気で、日々、読書をし、時間に追われることなく過ごす・・・というのも、経済的基盤があってこそ・・・。
働かずして、どうして実現できようか・・・。
生れた家が資産家なれば、簡単に叶うのだが・・・。

そんなことばかり、考えてしまう。

そう。別に、やりたい事なんか、何もなくて、只、毎日、風のように、ふわふわ、ゆらゆら、何の憂いもなく過ごせれば、よかったのだ。

私が、一体、何を望んだろう・・・。
そんなことを思いながら、ふと1年前に購入した漫画本で、読むのが、なんとなく面倒で、放っておいた一冊があった。

今市子さんの『百鬼夜行抄-15』

今市子さんは、繊細な画風で、上手な漫画家さんなのだけれど、キャラクターの区別と物語の複雑さが、面倒になるときがあって、ちょっと敬遠していたのだけれど、一時、時間・現実を忘れて呼んでしまった。

昔の読書に戻ったような・・・(戻れたような?)そんな気がした。

読書原点回帰の一冊。




アマチュアさんのブログ小説

2016-02-06 22:20:58 | 本・読書

雪・・・ちらほら・・・。

職業作家(・・・っていうか、小説が、お金になるひと)ではない、所謂、普通?主婦の方が、ご自身のブログなどで、小説を発表されているのを見かけた。
・・・ブログを立ち上げている方で、小説を発表しているのは、職業作家を目指しているお方も多いのだろうと思う。

拝読させていただいている小説?(ご自身で、小説・・・とおっしゃっているから小説なのだろう)は、確かに、面白く読んでいる。

そこで、ふと・・・思った。

職業で書いている小説と、アマチュアの小説の違いが、かなり明白なことがわかってきた。

ブログの中で、連載小説と銘打っている作品のひとつは、たぶん日本で一番、位?が高い・・・と言われている或る一族の物語で、登場人物も全て実名で、日本人であれば、知らないひとは、殆どいないだろうと思われるご一族の顛末(・・・まだ連載中だから、今後、どのような結末になるのか分からないけれど)のようだ。
今後の成り行きとともに、当初の筋書きの結末が、変わらないとも言えないかもしれない。

登場人物は、全て?実名(中には、フィクションと思われる部分もあるようだ)で・・・といっても、全て、カタカナの表記である。

プロの書き手なれば、実在の人物であれば、ソレとわかるように、名前を変えたりする。

名誉棄損だとか、著作権???だとか、いろいろ規制があるのかもしれない。

故・宮尾登美子氏の小説『序の舞』を例にとるなら、実在の女流日本画家・上村松園(上村津禰)であれば、島村津也と変換しているし、森茉莉氏の随筆であれば、三島由紀夫を真島与志之、かの荻原朔太郎の娘であり、親友の荻原葉子を、野原野枝実、黒岩涙香であれば、赤沢涙谷といったように。

一寸した謎解きが面白いといえば、面白いし、分かる人だけには、分かる楽しさがある。

エピソードの組み立てなども、背景、時間、場所・・・所謂、空気感(・・・というか雰囲気とか)までを、文学的に表現するのが、プロであるから、その文章を読む人が、そのひとの記憶、過ごしてきた環境などと通して、物語を想像するし、登場人物さえも、自分イメージに合わせることができる。

アマチュアの方(今の処、この方しか知らないけれど)は、平坦である。佳くも悪くもフラットだ。
実在の人物が、すでに、現存するから、所謂、アテ書きという手法になるのだと思う。
観たまま、聞いたまま、ヴィジュアルそのまま・・・。

週刊誌、インターネット、書物・・・いろいろな情報ソースを取り出してきての羅列の中に、ご自身の趣味を反映しているように感じられる。分かりやすいと言えば、解りやすい。
テレビドラマを文字に置き換えたようなわかり易さだから、読んでいる方は、自分自身、創造する必要があまりない。
ドキュメンタリー的なのかもしれない。

そんな違いが見えてくるから、やはり、アマチュアの方のブログ小説は、金銭には、ならぬのだろうなぁ・・・と思う。

・・・もし、出版社なり、テレビ局なりが、資金を供出してくれるのであれば、たぶん本物なのだろう。

読むのにお金がかからないから、めったな批評もできないし、文句があるなら、読まなければいいのだろうし、不思議とファンも多いらしいから、それなりの褒め言葉でしか、批評できないのが、お金にならない小説なんだろうと思った次第。

これは、インターネット上にある広告の記事・・・同じものを、何度も、リライトする手法と似ているとこともある。

平坦さ、わかり易さが、第一条件のようだ。

でもそれなりに面白いところが摩訶不思議といえば、不思議・・・?
上手いのか下手なのか・・・?

私には、判断できないのである。
(好きか嫌いか・・・と言えば、テーマがテーマだけに、まあ、好きなんだろうと思う)









『ヒトでなし:京極夏彦・著』~風邪読書

2015-11-19 22:54:45 | 本・読書

一年中、暇だけれど、風邪などひいたから、寝床で、読書などしていた。
1ヶ月か、2ヶ月前に新刊が出て、買い求めたのだけれど、1章だけ読んで、そのままにしていた京極夏彦氏の『ヒトでなし』である。

京極氏の小説は、所謂、長編小説が多い。
その厚さも半端ない。
この本も結構、ぶ厚い。

娘を亡くし、職を失い、妻からは、捨てられ、ヒトでなし・・・と罵られた尾田慎吾。
住む家も、お金もなく(ATMに3万円くらいの残金有り?)、雨の中を彷徨い歩く。
もう、ヒトではない・・・ヒトでなしになった。
社会に棄てられ、社会の中では、ヒトとして機能しない自分。

そんな彼に、何故か、群がってくる人。
借金で自宅軟禁中のモト友人、自殺志願者、殺人者、殺害された遺体とともに、向かった先は、群馬の山の中。

宗派も途絶えた古い山寺。携帯電話もよく通じない隔絶した場所に、自殺志願者、殺人犯、死体遺棄。

死にたいヤツは、さっさと自分で、死ね。
オレもクズだが、おまえらだって、ヒトをさばく権利なんてないんだぜ。

そう言い放つ慎吾は、何もかも捨てた或いは、捨てられたヒトでなし。

人は、ヒトを救えない。
誰も、他人を救えない。

それなのに、何故か、全てを捨てたヒトでなしのモトに集まって来る人々。

出来れば、私も、このヒトなしのところへ行ってみたい。
何て言われるのだろう?
さっさと死ね?

私には、職がない。カネもない。
社会のクズだけれど、毎日、毎日、重い身体を養うのが精いっぱいだから・・・。

少しだけ浮かび上がってくる希望は、いつもいつも水泡のように跡形もなく消えてしまう。
私は、何処へ行ったらよいのだろう?
クズには、生きている資格もないのだろうか・・・???
死んでしまった方が、楽だと思うのに、やっぱり、死ぬのは怖いのだ。

そんなことを考えながら、読んだ、風邪ひきの秋の夜更けの長い長い一冊。



『雨の日のネコは、とことん眠い(加藤由子著)』

2007-09-12 20:34:57 | 本・読書
今日の朝も土砂降りの雨・・・
これで、仕事さえなければ、ゆっくり土砂降りを楽しめるんだけどなぁ・・・
休日、予定のない雨の日は、結構好きだ。
何時までも寝ていられる・・・雨は、全ての行動を諦めさせてくれるから・・・。

雨の朝は、寝覚めが良くない。
いつまでも、いつまでも目が覚めない・・・社会人にとっては、致命的な欠陥である。

前世は、猫だったのではないだろうか・・・と思うくらい、眠い・・・。

『雨の日のネコは、とことん眠い』・・・猫の生態をとことん解き明かしてくれる楽しい本である。
著者は、加藤由子さん。
猫好きには、お馴染みの方である。

まだ、猫が野生だった頃の名残り・・・雨の日は、狩りが出来ない・・・狩ができないってことは、食事には、ありつけないってことで、当然おなかが空く。
空腹を抱えて、雨空を見上げているよりは、いっそとことん眠くなって、眠ってしまった方が、エネルギー代謝のロスが防げるって訳だ。


・・・前世、猫であった可能性が相当高いワタクシもやはり、雨の降る日は、身体がダルイ。
雨の日の私も、とことん眠い。


我が屋号の『三毛猫堂』の三毛猫は、2年半前まで、一緒に生活していた三毛猫から貰った。
この三毛猫とは、15年近く暮らした。
優しくおだやかな猫だった。

そういえば、ここ2年半というもの猫に触っていない。
猫が生活から無くなって2年半か・・・。

長いようで、何だか昨日の事のようにも思える。